人殺“させ”の眼
第四小隊は他と比べて小規模な遺跡を三ヶ所管理している。
第一の分隊は副隊長ネルヴァをリーダーとした部隊で、ネルヴァ不在時にリラたちの襲撃を受けてエリーンを逃がしてしまった。当然追うも、そこでレンと接触、交戦。エリーンの捕獲に失敗し、人間がいたことと巫女を逃がしたことを他の二つの分隊へと伝えた。
第二の分隊はもう一人の副隊長をリーダーとし、いわゆる「川を越えたさらに先」にある部隊のことである。ネルヴァからの連絡を受けて網を張って待ち構え、結果として追い込み役のネルヴァがレンに敗れたものの、エリーンの身柄を確保することには成功したのだった。
「ミィカ、見つけたら教えてくれ」
「はい」
レンとミィカは木の上からこの第二の分隊を観察していた。どこかにエリーンがいるとみてまず間違いないだろう。
「う~んまだるこしい。いつもなら全員吹っ飛ばしゃいいんだけどなァ」
「ケガしてるからだめ!」
「わーってら。だから今回はきっちり頼るぜ、ミィカ」
レンの言う通り、レンが万全ならば一人で突っ込んでそれで済む可能性も高い。が、今回はレンの怪我に加え敵の戦力も不明だ。
だからなるべく見つからないうちにエリーンを攫ってしまえればそれが一番いい。そのために二人は今エリーンの居場所を探しているのだ。
「人、多いなぁー」
「……あ、見たことあるひと……」
遠目で不確かだが、ミィカは少し見覚えのある魔族を見つけた。自分たちが第一の分隊に捕まっているときに何度も見たし、逃げた後の追手にもいた記憶がある。
「ん? どゆこと」
「たぶん、お姉ちゃんが治したのかも……」
「あぁ、なるほどな!」
エリーンの持つ力はニエ・バ・シェロを起動させるだけでなく、治癒魔導にも使われる。レンとの戦闘で傷ついた者たちがここに運ばれ、傷を癒させているのだろう。
「やったな!」
「え?」
「エリーンはここにいるってことだ! ほら、探そうぜ!」
「……!」
前向きなレンの言葉がミィカを励ます。
そうしてしばらく見ていると、また見覚えのある魔族がとあるテントから出てきた。テントの前に立つ見張りのような二人組となにか言葉を交わすとそこから離れていく。
「レンさん、あそこ……!」
「うん、オレもそう思う」
エリーンはあそこにいるということで意見が一致した。やはり常にエリーンの近くに人がいるから、二人は少し作戦を直す。
「いよいよ、ですね」
「不安か?」
「はい……」
レンはミィカをおぶると、するすると木を降りてゆく。ここの木はどれも高く真っすぐでしかも枝が少ないが、そんなことはお構いなしだ。
「あ、不安で思い出した」
「な、何を……?」
「オレも言わなきゃいけねーことあったんだ、お前に」
なんとも不穏な思い出し方である。
しかしレンの顔は真剣そのものだった。
「昨日は悪かったな」
「え? な、なんでレンさんが謝るの!?」
「ちょっと昔の夢を見たんだ」
その夢はレンが強さを真に求めるようになったきっかけ。痛みと誓いの過去だ。
「きっとミィカがオレを刺した時ダブったからだな」
「あの、それは……」
「ジンとおんなじ顔してた」
「ジン……?」
赤く染まる手に、そこに残る感触に、恐怖し怯える。逃れられないという事実にただただ絶望する。
そんなミィカに、幼き日のジンが重なって見えた。そしてそれを見ていた自分にも、過去は重なって見えた。
「オレに力が足りなかったから、ミィカを不安にさせちまった。だからミィカはエリーンを助けようとして怖い思いをしたんだよな」
ミィカがネルヴァに話を持ち掛けられた時、レンに賭けるよりもネルヴァの言うことに従う方がエリーンは助かると判断した。それは事実だ。
事実だったが、それは正しい判断ではなかったと今なら断言できる。
ミィカが否定しようとしたのを、しかしレンは遮って話し続けた。そこを譲る気はないようにも見えた。
「オレ、あんとき思ったんだよ。オレはまた弱いせいで仲間を苦しめちまったって、スッゲー悔しかった」
ジンに人を殺させなくてもいいように、人を殺さなくてもジンを助けられるように、それがレンが強さを求めるようになった最初の理由だ。
だからレンはあの時ネルヴァたちと、そして自分にも過剰な怒りを向けていたのであった。
「うん、だからごめん。今度はちゃんと守ってみせるよ。ミィカがオレを信じてくれるように、エリーンにもミィカにも指一本触れさせねーから」
「…………」
「よっ、と。じゃあそっちは頼むぜ」
「待ってください!」
行こうとするレンの手をミィカは引っ張った。
レンが過去に何を経験したのか、何を背負っているのか、ミィカは知らない。彼のことをよく知っているとはとても言えない。だが、それでも昨日ミィカに刺されてから今までのレンは絶対に変だったと言い切れた。
だって、傷をつけられた相手にもこんなに優しい。だって、傷つけられたくせに謝った。
そんなのは絶対におかしいのだ。ミィカだってちゃんと悪いに決まっているのだ。
「ミィカはもう決めた! レンさんのこと、信じるって決めた!」
「……!」
「不安なんて全然ない! だから……そんな言い方しないで!」
ミィカは強く言い切った。
「……はは。ありがとな! オレちょっと弱ってたみたいだ」
レンが笑って、ミィカの頭をがしがしと強くなで回す。
「よし、じゃあオレを信じろ!」
「はい!」
「オレもミィカを信じるぜ!」
レンは最後にミィカの肩を叩くと、彼女を一人送り出した。
「……さーて、オレはオレの仕事だ」
ミィカを送り出した反対方向から敵が近づいてくる。
「まさか生きていたとはな、人間!」
「よぉ、またお前か」
ここ二日間でもう何回も見た顔だ。レンもさすがに見覚えがあった。
「やっぱ居場所がわかるような何かやりやがったんだな」
「ようやく気付いたか」
「おめーが言ってたんだろうが。馬鹿か?」
彼が手を挙げた。その合図に合わせて敵がレンを囲む。
「まさか生きていたとは驚いたが、相当弱っていると見た」
「ああん?」
「今度という今度こそは!」
敵がにじり寄ってくる。
さらに向こうからも敵が来ているのが見えた。
「あ、お前エリーンに治してもらったんだよなー」
「……くっく、それがどうした? 巫女は我々のものだ。どう使おうと勝手だろう?」
「いや、治っててよかったなぁってさ」
「は?」
「ちょっと殴り足りなかったとこだ、うん」
レンは軽く体をほぐしながら笑った。
「これでもう一回殴れる」
ヤヤラビは退屈していた。
もともと副隊長ではないし、向いてないとも思う。しかし他に適任もいないからここの遺跡を任されてしまった。
「ふぁーあ……」
あくびをしながら思い出すのは、巫女に治してもらった直後に「あの人間が生きている!」と騒ぎ始めたおしゃべりな男のことだった。
居場所がわかる能力があるらしいので適当に編隊して送り出してやったが、報告を聞く限り腹を刺されて毒も回っていたというから、生きていても難なく捕まるだろうと予想していた。
「ま、やっと退屈も紛れそうだなぁ」
黒髪の少年が敵を吹き飛ばしながら近づいてくるのを見ながら、ヤヤラビはゆっくりと腰を上げた。
「かかってきやがれぇーー!」
レンが叫ぶ。
「ハッハー! 全員吹っ飛ばしてやらぁ!」
「すご、強いな。おい、巫女は取られるなよ!」
ヤヤラビは感心しながらも自分の役目を全うするため指示を飛ばす。何人かがエリーンのいるテントに向かおうとしたが、レンの竜巻によって阻止された。
「やっぱそこにいんのか」
「やっぱ巫女が目的か」
二人は同時に確信した。
レンは素早くテント前に移動し、それを背に守るように構えた。
ヤヤラビは上着と靴を脱ぎ捨て、筋肉質な肩から先と足をさらけ出した。
「御子とはいつの間に仲良くなったんだ? 不思議な人間だな」
「あん? テメーが一番偉い奴か」
「本当に偉い奴は今原住民どもを追ってるよ。おれはまぁ、今は……」
伝わる者には伝わる、ピリリとした空気が二人の間に生まれる。
二人の間にはまだ距離があったが、ヤヤラビの今にも攻撃を出そうというような構えに違和感を覚えたレンは、ほとんど直感で構えを防御のそれに切り替えていた。
「ただの兵隊さ!」
「ぐっ!?」
首を守っていたレンの右腕に鈍い衝撃が伝わる。レンは顔をしかめながらも、ヤヤラビが拳を繰り出した構えをしていることを確認した。
「くあ! 冗談じゃねぇ、なんも見えなかったぞ!」
「防がれた……! 評判通り、強い!」
「やりづれーな、アイツ」
ヤヤラビは確かに攻撃した。だがどうやって届かせたのか、それがわからないことには防ぎようがない。
今のは攻撃の直前にレンが構えを微妙に変えたからこそ防げた運のいい一撃だった。次からは防御のない箇所に当たる可能性がぐっと高まる。
一方で、ヤヤラビも防がれたことに驚きを隠せないでいた。テクニカルなタイプの魔導攻撃が最も効果を発揮できるのは最初の一回目であることがほとんどだ。彼の魔導も例に漏れず、離れていても攻撃できるという情報を与えてしまった今、当てることは難しくなってしまう。
ともかく真正面からは危険だろう。レンが手近に倒れている魔族を担ぎ上げ、ヤヤラビに向けて投げ飛ばした。
「うお、人を軽々と!」
「食らえ!」
もう一人投げ飛ばして、そして竜巻を放つ。
「っが!?」
「ぐ……風! 聞いてた以上にきついな!」
「クソ! なんで当たんだよ!」
またも不可視の攻撃がレンの肩に当たっていた。肩とヤヤラビを結ぶ直線上には投げた敵がいたから、それを無視して攻撃を当てられたのは奇妙なことだった。何かからくりがあるのは明らかである。
「何か飛ばしてんのか!?」
真っ先に疑ったのは飛び道具だが、レンは即座にそれを否定した。
「いや違う、目に見えないような速さなんて当たったらもっと痛ぇはずだ! こんな殴られた感じじゃ済まねぇ!」
レンは舌打ちすると近くのテントを掴むと強引に布を引っぺがし、ヤヤラビに向かって竜巻を放った。
布はさっきの何倍もヤヤラビ視界を覆いながら飛んでくる。
「うおお!?」
ヤヤラビがそれを避けると、レンの姿がないことに気づく。身を隠されたのだ。
「隠れ……おあ!?」
探そうとした瞬間、別のテントを突き破って支柱が矢のように飛んできた。
ヤヤラビはギリギリでそれを回避したが内心で肝を冷やす。
「あんなのまともに受けたら一発だ……! だが、そこか!」
ヤヤラビが虚空を殴りつける。中にレンが潜んでいると思われるそのテントの支柱が折れ、テントが倒れる。
しかしその布が人の形を浮かび上がらせることはなかった。
「い、いない!?」
「うわああああ!」
「後ろだと!? いつの間に!」
振り向くと、レンが仲間を蹴り倒していた。
レンはすぐに物陰に消え、そこからまた悲鳴が上がる。
「視界に入らないつもりか! 嫌な手だ!」
レンはヤヤラビから身を隠しつつ先に兵隊たちを狩るつもりなのだろう。
ヤヤラビは目論見をみやぶると同時にまた虚空に拳を繰り出し、巫女がいるテントを破壊した。レンの目的が巫女であるとわかっているなら、彼女を人質に迫ればいい。
「……いない!? 馬鹿な!」
しかし、そこに巫女はいなかった。
レンがせっかく確保したテント前を放棄したのは、もはやそこに守るものがないからだったのだと気づく。そしてそれに気づいた時にはもう次に選ぶべき最善の手も潰されていた。
「お前たち、巫女が逃げ……っ!」
兵隊を追跡に向かわせようとして、はっとする。もはや動ける兵隊はほとんど、少なくとも目に見える範囲にはいなくなっていた。
「やられた……!」
あまりに鮮やかすぎる手口だった。確かに隙は見せたが、その一瞬で残りの兵隊を全て片付けられてしまった。
初めから目的は隊の足を止めることだったのである。
「……大目玉だ! いや巫女を逃がしたのを黙ってたこともバレたら最悪打ち首かァ!?」
ヤヤラビは頭を掻きむしりながら苛立たし気に足踏みする。
「くそ、くそ、だから言ったんだ、向いてないって! 俺は前線だってさぁ、言ったのにさぁ!」
彼は肩で息をしながら、姿を見せずに機を窺っているのだろうレンに呼び掛けた。
「俺はさぁ、みんなと違って人間嫌いじゃないんだぜ。殴る感触は一緒だろう? 人間族も魔族もさ」
落ち着きを取り戻したヤヤラビは今度は静かに笑っている。大失態は犯したが、その笑みは諦観からくるものではない。
「だから出てきてよ。最後に戦おうぜ、人間」
腹を括った戦士のそれであった。




