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魔導士たちの非日常譚  作者: 抹茶ミルク
天雷の大秘境編2 味方と敵
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ミィカのたたかい




 ミィカは分家の末子である。

 同じ分家の者であるリラやウルーガが先代のエイラに対し特に強い忠誠心を持っていたのに対し、ミィカが物心ついた時にはすでにエイラは死亡し、エリーンの代になっていた。仕えるべき宗家の者といえばエリーンだった。

 だから他の者がエリーンにエイラの面影を見るのに対し、ミィカだけはエリーンをエイラの後継者ではなく“大切な姉のような存在”として誰よりも純粋に彼女個人を慕っていた。


 エリーンにとってもミィカが少し特殊な存在だったのは間違いない。彼女にとっては唯一年下な分家の娘だったからだ。立場上あまり気軽に人と交流できない彼女にとって、純粋に自分を慕ってくれていつも身近にいるミィカは“気の置けない妹”も同然だった。

 エリーンはミィカをよくそばに置き、よく連れて歩いた。エイラの死を最も受け入れられないのが他でもなく自分であると自覚していたエリーンだから、自分を見るミィカの瞳にエイラの影がないこともよくわかっていたしそれに安らぎを感じてもいた。


 二人は望んで姉妹だった。何度リラに窘められてもミィカがエリーンを「お姉ちゃん」と呼ぶのは、本人がそう呼ばれることを望んだからだった。二人の絆は確かなものだった。




 やがて分家の者たちが、ミィカの存在がエリーンにとってもはやかけがえのない支えになっているのだと気づき始めた頃。

 未熟ながらも、巫女の巫女たる所以である特殊な魔力をエリーンが発現したことを知ったガウス軍はエリーンを引き渡すようにと言った。

 エリーンはおとなしく従うつもりだった。ガウス軍は怖かったが、それ以上にまたも巫女を連れ去られてたまるかというウルーガたちの言葉が怖かった。このままでは彼らが死んでしまうと思ったから、何とかして()()()()()()()と考えた。

 だが彼女にはさらに怖いことがあった。世話係として自分も行くと言って聞かないミィカを見て気づいたことだった。エリーンは妹が不幸に死んでしまうことがもっと怖かったのである。


 村に残れとエリーンも言った。

 大好きな姉に言われてもミィカは決して折れなかった。迎えの者が村に来ても尚、ミィカは食い下がった。決してエリーンの裾を掴んで離さなかった。

 巫女を迎えに来ていたガウスはその場で命令を変えた。


「その者も連れていく。望み通り世話係にしてやろう」


 二人の絆が彼の胸を打ったのか?

 否。

 それはあくまで冷徹な打算による決定だった。


 彼らの目的には巫女の持つ特殊な魔力が不可欠だった。

 謎に満ちた雲の上の聖域ニエ・バ・シェロ。その正体は破壊兵器であり、多数の空飛ぶ船を内部に持つ空中母艦である。そのシステムを起動するために、ニエ・バ・シェロに住み宗家から代々必ず発現する巫女の魔力が必要なのだ。


 しかし本来その仕事のために連れてきた先代巫女エイラは自害した。後継のいないエリーンはもはやようやく現れた“最後の鍵”だ。彼女だけは死なせてはいけない。おとなしく言うことに従うかどうかなどは二の次で、兎にも角にもガウス軍はエリーンを生かし続けて働かせることを最も重要視していた。


 ガウスはエリーンとミィカの絆を見て、利用できると確信したのである。

 ミィカがいればエリーンは死なない。ミィカがいるからエリーンは死なない。




 そしてその目論見は当たった。

 エリーンは各地に散らばる小隊の間をたらい回しされながら、死ぬ気配など微塵も見せずに順調に仕事をこなしていった。

 最初はツァーク。チュピの民が立ち入りを禁じ、しかしガウス軍に土足で踏み荒らされた聖地だ。この山の地下に連れていかれ、訳も分からないまま船の動力部や予備の魔導水晶に魔力を流す毎日だった。

 その後も各地の遺跡に連れていかれ、そこから地下に降りて、時には遺跡の隠し部屋にて同じようにエリーンは魔力を与えた。この遺跡もツァークと同じように立ち入りを禁じられた聖地だった。やがて少しずつ準備が整っていくにつれ、エリーンは自分の知る聖地が兵器としてのニエ・バ・シェロを目覚めさせるために重要なポイントであることを知っていった。




 自分のやっていることに罪悪感がなかったわけではない。掟を破り聖地に踏み入る自分。人殺しに加担する自分。自殺願望は日に日に大きくなっていく。

 しかしエリーンが仕事を終えて戻ると、ミィカはそれがどんなに遅い時間になっていたとしても必ず起きていて、エリーンに「おかえりなさい」と言うとにっこり笑って、彼女の自殺願望を優しく溶かすのだった。


 しかしミィカが辛くないはずもない。いつも一人で知らない大人たちに囲まれて、心を許せる者もなし。それでもミィカは笑顔で姉を迎えるために心をすり減らし続けた。

 やがて最後の遺跡での仕事が終わってしばらくすると、リラたちがエリーンの救出に現れそしてレンと出会うことになるのだが、その影でミィカはすっかり心を閉ざしてしまっていたのであった。


 ◇◇◇






 崖を下るときに少し膝を擦りむいた。

 川の向こう岸に渡ろうとして、まるで試すようかのごとき絶妙な間隔に突き出た岩の上で滑りそうになった。

 なんとか渡り終え、それを探して回る。

 そしてようやく見つけた。


「あ……!」


 レン。虫の息だ。

 すぐに駆け寄って鼓動を確かめると、ここがもし見つけようとして探せば簡単に見つけられてしまいそうな場所であることに気づいた。

 ミィカはレンの体を背負うと、よたよたと歩き始めた。


「んしょ……んしょ……」


 ミィカは崖の窪みにレンを降ろすと、近くの茂みから枝葉を取ってきて彼を隠した。気休め程度のカモフラージュだ。


「待ってて、すぐだから」


 ミィカは簡単に見つからないことを確認すると、一人で走り出した。


「レンさんの毒を取らナきゃ……!」


 レンを刺したナイフに塗られていた毒は少量でも体の自由を奪い、致死量の摂取で肺や心臓まで麻痺させてしまうものだ。しかも最近見つかったために解毒剤も開発されておらず、一度含めば手の施しようのない毒。


 だが、ミィカだけは知っていた。

 ミィカは第四小隊でその毒が見つかったとき、それがとある植物から抽出されているのを見ていた。ミィカはその植物に毒があることと、そしてそれに効く薬草があるということを教えられていた。


「絶対助けるから……!」


 今はミィカだけが、レンを救うことができた。


 その薬草は、崖の壁面にしか生えない。そこが一番動物に食べられない場所なのだそうだ。

 ミィカがようやくそれを見つけたとき、なるほどと思った。自分が背伸びしたくらいでは到底届かない高さにそれはあった。

 幸いにも壁面はそこまで急な傾斜でもなく、ごつごつした石の突起があちこち飛び出ていた。その植物まではミィカでも何とか登れそうだった。


 ミィカは慎重に岩に手をかけ、少しずつ登っていく。飛び下りても無事に着地できる高さを超えたあたりから、ミィカはよりいっそう慎重になる。


「下見ない、怖くない、下見ない……」


 もう落ちたら怪我は免れない高さだ。しかし薬草まではもう少し。


「っ……やっタ!」


 手が届いた。が、抜けない。

 茎も葉も使いたいが、茎が思ったより硬いし根もがっちりと岩に絡みついている。引っこ抜こうと力を入れるとバランスを崩して落ちてしまいそうな気がした。

 どうしたものかと考えて、リラと別れるときにナイフを渡されていたことに気づいた。


「……!」


 茎から手を放してナイフの柄を握る。手は震えていた。

 ミィカはこの手で人を刺した。今はこの手で人を助けられる。


「っ、えい!」


 ミィカはナイフを握りなおすと、薬草の根元を切りつけた。

 三度、四度。不安定な足場で力も入れにくいが、少しずつ茎が切れてゆく。


「よし、あとちょっとで……」


 硬かった表面を何とか削り、あとは柔らかい芯ごと手で千切れるだろう。

 そう思って手を伸ばした瞬間、足場にしていた石が抜けた。


「あっ、わーーっ!」


 これが垂直に切り立った崖だったら命はなかったかもしれない。ミィカは急斜面をすごいスピードで滑り落ち、地面に投げ出された。


「ぐすっ……痛い……」


 打ったところが熱い。またどこか擦りむいたかもしれない。早鐘のような鼓動がバクバクとうるさい。

 ミィカは泣きそうになるのを堪えて立ち上がった。その手にはしっかりと薬草が握られていた。


「早く、レンさん……!」


 走り出す。

 体が痛い。それは新鮮なことだった。ミィカが怪我をするとすぐにエリーンが治してくれていたから。こんなにも痛いのが続くのはきっと初めてだった。


「……お姉ちゃん……」


 ミィカはエリーンが連れていかれるのを見た。息を殺して見ていた。

 助けたかったが、助けられないとわかっていた。だから隠れて、エリーンが見えなくなるまでじっとしていた。


「ごめんなさい……」


 ミィカはエリーンを見捨てたのだ。


「少しだけ、待っテて……!」


 違う。断じて違う。

 彼女は知ったのだ。頼るのに値する人がいることを。


 ミィカは洞穴に戻ると、すぐにレンの服を脱がせた。

 塞がりきっていない腹部の傷から目を背けず、石で叩いて柔らかくした葉を当てていく。この葉の汁には傷を早く治す力があるという。ミィカは自身の服を噛んで裂くと、それを包帯がわりに傷口と薬草を巻いていった。

 傷は腹部だけでなかった。ミィカは全身の腫れや傷口に薬草を当てて、布切れで縛っていく。エリーンのために学んだことが役に立っていた。


「よし……! あとは毒だけ」


 レンの頭を膝に乗せて、顎を上げる。

 解毒の効果は茎にある。ミィカは茎の硬い外皮を剥くと、露出した緑の柔らかい芯を噛み切った。


「んにっ!?」


 感じたことのない凄まじい苦みがミィカを襲った。

 ミィカは反射的に吐き出しそうになったのを我慢して、それを咀嚼する。


「んっ……む……」


 ミィカはレンの口に、それを直接流し込んだ。

 失敗すると飲み込んでもらえず、喉に詰まってとても苦しませることになるという。

 レンはしかし小さく喉を鳴らしてそれを嚥下してくれた。


「できた……」


 もう一度苦みに耐えて、レンの冷たい唇に触れる。


「ちゅ……んむ……」


 再び口移し。これを何度か繰り返す。


 それを終えると、ミィカは自分の服も脱ぎ始めた。ぐっしょり濡れた服をまた着せてしまっては彼の体が冷えてしまう。


「とにかく今はこれで……でも」


 脱いだ服を被せた。濡れたものを着せるよりはましだろうが、それでもレンは小刻みに震え続けている。


「だめだ……! このままじゃレンさんが死んじゃう……!」


 レンの体温は徐々に低下し、失血と体力の消耗も相まって非常に危険な状態だ。

 ミィカはレンを温める方法を必死に考える。

 火は駄目だ。敵に見つかりやすくなるし、そもそもおこせない。

 外に連れ出しても駄目だ。もう崖の下は陰ってしまっているから、日光は届かない。


 その時、外で茂みがガサリと揺れた。


「はっ!?」


 その茂みはこの洞穴を隠すように生えているが、もし敵がその茂みを少しでも調べようと思えばここも見つかってしまうだろう。またこの洞穴が何かの住処だったとしたら、例えば危険な猛獣(クェクェ)が茂みの向こうにいるのかもしれない。


 ミィカはレンを庇うように彼に抱き着くと、ぎゅっと目をつむった。


「……っ!」

「キー!」

「え?」


 茂みから顔を出したのは敵でも猛獣でもなかった。


「あっ。ファー、ナス?」

「キイ!」「キーー!」「キッ、キッ」


 それは毛むくじゃらの小さな動物だった。十匹、二十匹、次々と現れる。

 ファーナスたちは洞穴の中に集まってくると、レンの体に覆いかぶさった。


「あ……温めてくれるの?」

「キィー!」

「……すごい!」


 確かにファーナスは賢い動物だと聞いていた。だがまさか、死にそうな人間を助けようとするとはまったく想像もできなかった。

 ミィカは驚きを通り越して感動すら覚えていた。レンという人間は動物にも好かれ、助けられるというのか。まるで見えない大きな何かがこぞって彼を生かそうとしているようにも思えた。


「みんな、ありがとう!」

「キィ!」「キー!」


 ミィカも横になってレンに寄り添う。レンの震えが収まっていくのを感じながら、ミィカは眠りに落ちていくのだった。









 懐かしい夢を見ていた気がした。

 決して忘れることのない始まりの夢だ。


「う……」


 レンはゆっくりと目を開けた。頭がぼんやりとして、眠る前のことも思い出せない。全身が錆付いているかのように重たかった。首だけ動かして右を見る。


「……ミィカ……?」

「ん……」


 レンの声で気が付いたのだろう。ミィカがぐしぐしと目を擦った。


「なん……あれ?」


 意識の覚醒とともに記憶が戻ってくる。


「オレは、なんで……」

「キー!!」

「んん? ……うわっ!?」


 レンは気づいた。自分に掛けられた毛布が生きているということに。思わず半身を起こしたその瞬間、毛布のうちの一匹……ファーナスがレンの顔に飛びついてきた。


「うぶぶぶ!?」

「キー! キー!」

「あ! レンさん!!」

「ぐむ!?」


 右からミィカも抱き着いてきた。


「よかった! よかった!」

「ちょ、なんだこれ!?」

「ひくっ、うえええええん!」

「キィー!」

「ま、おいひひひひひ!」


 ファーナスもレンの首周りをくるくるまわって喜びを顕わにしている。

 それがレンの記憶を刺激する。前に助けたファーナスもこうやってくすぐってきた。


「あーー! お前、あんときの!」

「キィ! キーー!」

「あははは! そっか、お前助けてくれたのかー!」


 自分の状態を見ればわかる。レンはエリーンを助けた後、そのまま意識を失ったのだ。それを見つけて看病してくれたのがファーナスと、そしてミィカだったのだろう。

 そのミィカは抱き着いたまま謝罪を繰り返している。


「レンさん、ごめんなさい! ごめんなさい……!」

「ミィカ……」


 レンは自分の腹を見た。そこには確かな治療の跡がある。


「な、オレは死ななかっただろ?」

「……! ……!」


 ミィカがこくこくと頷く。

 レンは笑うと、ミィカの頭をぽんと撫でた。


「助けてくれてサンキューな、ミィカ」


 ミィカは今度は首を横に振る。

 責められもしない。お礼まで言われた。ミィカは自分が許せない。


「ところで……エリーン。エリーンはどうなった?」

「っ!」


 ミィカは今度は顔を離して、エリーンが敵に連れていかれたことと、それを見ていることしかできなかったことを嗚咽交じりに伝えた。


「お姉ちゃん、何モ……できっ、ごめん、なさい……!」

「そっか。じゃあそろそろ泣きやめ、ミィカ」

「……っ、はい……!」


 ミィカが落ち着くのを待って、レンは口を開いた。


「オレさ、全然痛くねぇって言ったけどさ? 実はほんのちょっとだけ痛かった」

「ごめんなさ……」

「もう謝んな。んでな? ちょっとだけ痛かったから、ちょっとだけ怒ってる」

「はい……」

「だからさ、オレに力貸してくれよ。そんでチャラにしてやらぁ」


 何がチャラなものか、とミィカは思った。自分がしたこととは到底釣り合うものじゃないと思った。レンは不器用すぎて、優しすぎると思った。


 それでもミィカは素直に甘えた。自分では何もできないから、頼るしかないから、今は弱さを受け入れて頼ると決めた。


「はい……っ! お願いします……っ!」

「ん!」


 レンは立ち上がると、体をほぐし始めた。首をならしながら、言う。


「あ、そーだ。オレ、エリーンには怒ってるぞ」

「……はい……」

「あいつ、最後にごめんなさいって抜かしやがった。たぶん自分から捕まったんだ」

「そう、かも……」

「くそ、気に入らねェ。一発ぶっ叩いてやる!」


 物騒なことを言うレンに、ミィカが口を挟んだ。


「あ、あのっ!」

「なんだ? オレはもう決めたんだ。止めたいなら無駄だぜ」

「いえっ!」


 ミィカは言った。


「一発だけですよ!」

「……! へへ、燃えてきたぞぉ!」

「一発だけですからネ!?」


 釘を刺してから、ミィカも立ち上がった。レンの正面に立って、頭を下げる。

 ただ甘えてなあなあに終わらせるわけにはいかない。きっと後で後悔する。だから言っておかねばならないことがある。


「レンさん。ちゃんと言います」

「うん?」

「ミィカはお姉ちゃんを助けたい! だから一緒に戦ってください!」

「うん! わかった、行こうぜ!」



新作短編の方もぜひ覗いてみてください。幼女がお菓子を食べるお話です。

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