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魔導士たちの非日常譚  作者: 抹茶ミルク
天雷の大秘境編1 魔族と人間
163/256

人殺しの眼 3

 

 

 グリーディア率いる獣人部隊にはかつて忠誠を誓った主がいた。

 その名はイリヤ。

 リリカが出会ったオーガたちと同じだ。同じだった。


 多大なる犠牲を払いながらも懸命に戦っていた彼らに訪れたのは、イリヤの訃報。

 獣人部隊はそれが攪乱のための誤報だと言い張り、撤退していく仲間たちから離れガウスの下へと特攻をかけた。


 そこで若き大将グリーディアは生まれて初めて恐怖を知る。

 もはや開戦時の半分となっていた仲間たちは一瞬でさらに半分になり、ガウスはまさに神の如き力を振るいながらもまったくの疲弊も感じさせない表情でグリーディアを見下していた。ガウスにとってはグリーディアも有象無象の兵と同じで、ただ将という肩書を背負っただけの脆弱な個にしか見えていなかったのだ。


 グリーディアはただ一人傷を負わなかった。彼の部隊を丸々吸収するには頭であるグリーディアを殺したり拷問するよりは、彼の部下たちを見せしめに減らしていくほうが効率的だというガウスの残酷な判断からだった。

 そしてそれはグリーディアに恐怖と無力感を植え付けるのにこれ以上なく有効だった。


「さて、問おう」


 ガウスはオーガたちにも持ち掛けたような決断を迫る。

 完全に心が屈していたグリーディアは、放心したまま静かに首を垂れた。


「わ……()()()の望むがままに……」


 新たな主の下についたグリーディアたち獣人部隊は、その後ミカロスに敗れて勢力を弱めた軍勢の再編成の際に第九小隊へと名前を変えた。





「急に隙見せてんじゃねぇーー!」

「ぐが……アァ!?」


 腰に強烈な一撃を食らって、グリーディアはその場に崩れ落ちた。膝は震え、足の指先まで痺れている。


「おら、どうした!」

「がふっ!」


 さらに背中にトンファーが叩きつけられて、グリーディアは苦悶の表情を浮かべる。

 ジンの苛烈な追撃は一切の手心もない非常なもので、的確にグリーディアの急所を狙って畳みかけてくる。


「ぐ、ああああああああ!」

「チィ……!」


 グリーディアはなんとかその身を起こすと、咆哮とともに手持ちの剣を振り回した。ジンをこれ以上近づけさせないための滅茶苦茶なそれはしかしジンを引きはがした。


「ハァ、ハァ……」

「いきなりなんだ、気持ち悪ィな。ようやくやる気になったか?」


 ジンが口を拭う。

 グリーディアのがむしゃらな剣が当たった口が切れて血が流れていた。


 グリーディアは荒い息をつきながら、叫んだ。


「貴様は知らないのだ! 真の恐怖を!」

「あぁん!?」

「ガウス()には敵わない!」


 様をつけて呼ぶのももはや慣れたものである。

 それに疑問も抱かぬほどにまで慣れてしまった。


 ジンたちが向かってきていることを知り、それでもまさか仲間の救出のためだという可能性から知らず目を背けていた理由。推測できるだけの情報はあった。それでも最後まで信じられなかった。

 折れていたから。

 何よりも自分が恐れていたのだ。屈してしまっていたのだ。助けるなんてことができるはずもないと、するはずがないと、心の、深く深く底からあきらめてしまっていたのだ。


(俺はァァ……っ! ()()()()負けていたのか!!)


 それに絶望した。


「貴様らは必ず! 勝てない!」

「だからテメェがっ! 決めてんじゃねェェ!」

「かつて同じように! 義憤に駆られ挑んだ俺だからこそ!」

「うるせぇぇぇっ!」


 ジンの拳がグリーディアの頬を撃ちぬく。


「もう黙れよ! テメェの泣き言なんざ聞きたくねぇ!!」

「なぜ分からない! 分かろうとしない!?」


 グリーディアも体勢を立て直して応戦する。


「仲間が待ってるからだよ!!」

「人間が見逃されるはずがない! いずれ死ぬ!」

「だったらなおさら行かねぇと駄目だろうが!」

「無謀な餓鬼が……!」


 グリーディアは歯噛みする。

 なぜこの少年はここまで頑ななのか。もはやこの少年たちのためを思ってすらいるのに、それでも死にに行こうとする。


「クソが、イラつくなぁぁ!」

「がは!?」


 姿勢を低く、鋭く突っ込んできたジンの蹴りが鳩尾を抉った。


「そんな負け犬の面で向かってくんなよ!」

「っ!?」

「何べんでも言ってやるぞ! 俺はテメェも、これから戦う奴もぶっ倒して! 仲間を助ける!」


 怯んだところに、トンファーの一撃が入る。


「それが気に食わねぇならよ! 俺を倒してテメェで止めてみろや! あぁ!?」

「…………!」


 そのまっすぐな敵意に、グリーディアの中の何かが燃え上がった。

 絶望した己とは対称的な瞳。直視できないほどに眩しい敵意だ。


「っ、グオオオオオオオ!」

「おらあああ!」


 剣とトンファーがぶつかる。衝撃が半減している分、ジンが少しずつ剣を押し返していく。

 しかしグリーディアもやられるばかりでなく、蹴りでジンを吹き飛ばす。


「がはっ!」

「オオオオ!」

「へへ……負けるかァァ!」


 グリーディアが剣を伸ばす。

 ジンは両手にトンファーを創造するとそれを地面に突き刺し、後退する身体を無理矢理止めた。凄まじい力がかかるが、根性でこらえて再び突進する。

 グリーディアはまだ剣の創造が途中だ。


「もらったァ!」

「させぬ!」


 グリーディアは間に合わないと悟るや、あっさりと剣を捨てて真っ向からジンへとぶつかりに行った。


「貴様の言うとおりだ! 俺は絶望に敗れ完全に折れてしまった!」

「ぐっ!」

「笑うがいい! そんな俺のことを!」


 虚を突かれた上に力が入りにくい体勢でぶつかったために、ジンの脚が浮く。

 弾き飛ばされたジンは空中で体を丸めると、転がりながら接地した瞬間に両脚を伸ばし、まるで毬が弾むように跳び上がった。


「笑わねぇ! 俺だって勝てねぇって思っちまうことはたくさんある!」


 空中で放たれた回し蹴りがグリーディアの鼻っ面を撃ち抜く。


「だから挑戦すんだ! 俺はもっと強くなる!」

「がっ、ぐおおお!」

「俺はテメェを笑わねぇーー!!」


 グリーディアが負けじとジンの服を掴んだ。蹴られた衝撃も利用してジンを地面に叩きつける。

 背中から落とされたジンはさらに巴投げの要領でグリーディアを持ち上げて投げ飛ばした。


「ぐぅぅ~~! いってぇ!」

「ぜぇ……ぜぇ……!」


 背中を強打したジンも、ダメージの蓄積があるグリーディアもすぐには立ち上がれない。

 先に立ち上がった方が、相手にとどめを刺せるだろう。


「ぐ……!」


 そしていち早く立ち上がったのはジンだった。

 フラフラとグリーディアのもとまで歩いていくと、まだ背を地に着けている彼を見下ろす。


「おい……テメェ。立てるか?」

「…………」


 グリーディアは意識ははっきりしているようで、まっすぐ空を見上げていた。


「人間……名前は?」

「ジン。アイツはカルキ。もう一人ミツキがいる」

「俺はグリーディア……」


 グリーディアは人間の少年の名前を聞くと、自らも名乗った。


「おい、ジン」

「なんだ」

「もしも。もしもだ。俺が今立ち上がってお前を殺したら、どうなる?」


 グリーディアは静かに尋ねる。


「んー。たぶんカルキがお前を殺すだけじゃねーか? つーか死なねぇし」

「…………」


 まるで淡々とジンは答えた。自身が死んだという前提など気分がいいはずもないが、それでもジンは冷静かつ正確に未来を見ていた。


「死ぬのは怖くないのか……?」

「死んだらそれはそれだ。つーか死なねぇっつってんだろうがやんのかこら」


 グリーディアは深く息を吐くと、目を閉じた。

 気が付けばこのわずかな間に仲間のほとんどが傷つき倒れていた。大将としても一人の戦士としてもグリーディアは負けた。


「完敗だ。殺せ」

「よしきた任せろ」

「待て待て待て待て!」


 どこからともなく現れて刀を振りかぶったカルキを慌ててジンが制止した。


「出しゃばってくんなボケ!」

「いや殺せって言ってるし」

「俺に言ってんだよ!」

「どっちでもないだろたぶん!」


 突如はじまる言い争い。

 ここでも立場は明確で、殺したくないジンと殺しておくべきと主張するカルキの対立だ。


「もぉ面倒だなぁ~。いい加減聞くけどさ、なんで殺したくないのさ」

「俺だって必要なら殺す。けど殺すことになっちまうってのは俺が弱いからだ」

「ジンが弱いから? わからないな」

「だからテメーはムカつくんだ。人は殺せば死ぬ? 当たり前だ! それを分かってて虫ケラみてーに殺してんじゃねぇよ!」


 火山湖の戦いで言われたこともあり、ついにジンは激昂した。


「俺は殺したくないから強くなりてぇんだ! ここで殺したら意味ねぇ!」

「殺したくないから、強く?」


 カルキはジンの言葉を復唱して、ぽんと手を打った。


「なるほど! ジンは他人の命に価値があると思ってるんだね!」

「あん!? 小難しいことは考えちゃねーぞ。人を殺すのが嫌いなだけだ」

「だから代わりに僕がやっておくってば。こう、ちょちょいと……」

「ふざけんな! 人が死ぬのも好きじゃねぇんだよ」


 互いの主張は平行線のまま、結局はカルキが折れることで収束した。


(“殺すのが嫌い”ねぇ……。それはやっぱり殺したことがある奴にしか言えないぜ、ジン)


 カルキは上機嫌だった。

 同じ眼をもつ者同士シンパシーは感じていたが、それ以上に決定的に違う何かに惹かれてもいた。今回はその一端が見れただけでも収穫だ。


(ジンの戦いっぷりも悪くなかった。グリーディアは今のくたびれたジンよりは強かったはずだけど……意外と危なげなく超えたな)


 またじっくりとジンの戦いを観察できたのもよかった。

 カルキと戦っていた時ほどではないが相変わらず筋はいい。また戦いの最中では気付きにくいが、後から振り返った時に驚かされることがある。


(やはりあの回避能力というか嗅覚というか。この点においては僕より鋭いんじゃないか?)


 それはカルキが“まるで世界がジンを生かそうとしているよう”とまで感じた、不思議なほど致命傷を負わない立ち回りである。

 カルキ、ウルーガ、マーヤ、グリーディア。たった二日間のうちに戦った強敵たちはジンに傷を負わせることこそできたものの、なぜか致命傷にだけは至らせられなかったのである。もちろん敵にはジンに勝てるだけの実力が備わっていた。それでもこうして何度も五体満足で生き残り、次の戦いに臨めている。


 “まるで世界がジンを生かそうとしているよう”というのはカルキ自身が否定したことだが、それはつまりジンが運だけで生き残ってきたことを否定することでもある。


(うん、素晴らしいな。天性のそれを意図して鍛えている感じだ)


 カルキはジン自身の能力だということを認め、同時にそれを最も評価しているのだった。


(知れば知るほど戦いたくなるなぁ。ジンもレンも、もっと強く鋭くなってくれればきっと楽しい“生の時間”になるぞ)


 あくまで一時的な協力関係だ。例えばソリューニャ以外の帰る手段が確実なものとなったとしたら、即座にジンとレンの首を撥ねて帰るだろう。


 カルキはそれが依頼だから仕方がないと考える。

 ジンのことを認めている一方、いざというときにはためらいなく殺せる。情に後ろ髪引かれることもない。それがジンとの違いで、差だと考えている。


「楽しみだなぁ…………」


 カルキの呟きは誰に聞かれるでもなく紡がれた。

 いつものような飄々としたそれではなく、見た者を恐怖させる妖しい笑顔を浮かべて。

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