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魔導士たちの非日常譚  作者: 抹茶ミルク
天雷の大秘境編1 魔族と人間
157/256

夢の中の少女

ソリューニャ・ミュウサイドから二日目がスタートです

 



 人々の悲鳴が聞こえる。

 見上げた父の最後の顔と静かな母の表情。

 血濡れの手のひらが生温い。じっとりと土の壁が冷たい。


(また、この夢だ)


 ソリューニャは自覚していた。

 竜と契約を交わしたあの日から、この夢を見ることが増えた。


 最初に記憶が流れる。断片的に、忘れられない瞬間が次々と。

 ソリューニャは耐えがたい胸の痛みに膝をつき、血濡れの銀のナイフを呪う。

 しかし心の深いところでは安堵している自分がいることも知っている。

 怒り、恨み、憎む。この感情があの日から消えずにに生きていることを確認することで、彼女は自分の生きる意味を見失わずに済む気がするのだ。


 次にソリューニャは荒廃したパルマニオに立っている。擦り切れてはいるが一切の汚れはない、眩しいほどの純白のドレスを身にまとい、裸足で立ち尽くしている。

 黒煙昇る廃家。見知った広場。その中心にソリューニャは立って、いつもそこで目が覚めるのだ。


 しかし、この日は違った。

 ソリューニャは森の中へ入った。

 見覚えのある木々と土の色。幼いころにかくれんぼをした森。初めて狩りをした森。

 記憶の木々の間を歩き抜ける。


(なんだ……?)


 歩いても歩いても代わり映えない景色。そしてソリューニャのあらゆる感覚が歪みだした頃、ソリューニャは森を抜けた。


(湖……か? こんな場所は見たことがない……)


 そこはどこまでも続く平面だった。

 まるで波のない湖のような、空を映す鏡のような、動きのない平面だった。

 すぐそこに、しかし遥か彼方に水平線がある。

 振り返ると森は消えていた。

 ソリューニャはいつの間にか湖の上に立っていた。

 赤い湖と赤い空の間に取り残されているようだった。


 水面はまるで一切の歪もないガラスだった。

 ソリューニャは一歩進んでみた。水面(みなも)に波紋が広がった。


「…………」


 確かに呼ばれた気がして、ソリューニャは振り返った。

 赤い髪の幼い少女が立っていた。少女の綺麗な瞳には縦長の瞳孔が浮かび、尖った耳が髪から伸びている。ソリューニャのそれとは対照的に綺麗で赤いドレスを着ていた。


(…………)

「…………」


 よく似た少女はただ黙ってソリューニャを見上げていた。

 しかしそれでいて饒舌に少女は語り掛けていた。

 小さく結ばれた唇、宝石のような曇りなき無垢な瞳。それらすべてが何かを訴えかけるように真っすぐにソリューニャに向けられていた。


 少女はソリューニャの目の前まで歩み寄った。

 そして剥き出しのソリューニャの肩に手を伸ばす。


(ぃっ……!?)


 少女の爪が喰い込んでいた。

 血がなだらかな曲線を伝いドレスに染みてゆく。ドレスに赤が広がってゆく。


(体……動け……ない!)


 穢れてゆく純白がなぜかとても苦痛で、しかしソリューニャは少女を引き剥がすことも身をよじって逃れることもできなかった。

 次第に呼吸もできなくなってゆく。


 少女のドレスと同じ色のシミは浸食を続け、ソリューニャは呻くようにくぐもった絶叫を上げた。




「アアアアアアアアアアッ!!」

「ひゃわああーー!?」

「~~~~っ!?」


 ソリューニャは荒い息をつきながら汗でぐっしょりの肩を抱いた。

 傷はない。当然だ。あれは夢だった。

 しかし思わず確かめずにはいられないほどに、いつの間にかソリューニャは夢だという自覚を失っていた。


「そ……ソリューニャさん……。大丈夫です?」

「あ、ああ……」

「魘されていたのです」


 ひっくり返ったミュウが言った。


「うっ、頭が……痛い」

「ああー。すごい音だったです」

「~~~~っ!」


 マオが額を押さえてじたばたと転げ回っている。

 ソリューニャが身を起こした時にぶつかったのだろう。


「ど、どんな夢だったのです?」

「夢……」

「~~~~っ!」


 ミュウがソリューニャの汗を拭いながら訊ねる。


「…………」

「……ごめんなさい。忘れて欲しいのです」

「~~~~っ!」


 ミュウはソリューニャがたまに過去の夢を見て苦しんでいることを知っている。

 今回もそうだと思ったのだろう。ミュウは無神経な発言を詫びた。

 ソリューニャは何も言わなかった。黙ってミュウに甘えた。


「~~~~~~~~っ!」




 事実上の幽閉である現状、彼女らにできることはほとんどない。炎赫を呼び出せるなら話も変わったのだろうが、このメンバーだけで都市から脱出できる可能性は無く、大人しくジンたちの到着を待つしかない。

 ソリューニャはミュウを膝にのせて髪を梳かしながら考え事をしていた。


「ねーねーソリューニャ。今日はこんな髪型にしてみましたっ、ジャン」


 窓ガラスを鏡代わりに髪を弄っていたマオが、振り向いて見せてきた。

 いつもは流している前髪をまとめて束ねている。お気に入りだというヘアピンは今日はサイドを彩っていた。チャームポイントの綺麗なおでこを大胆に出した髪型だ。


「似合っているのです!」

「デコ赤いよ」

「ソリューニャああ!」

「あはは。ごめんごめん」


 冗談を言えるほどには落ち着いたソリューニャが笑う。

 うなされるソリューニャを心配して覗き込んだ直後の頭突きだったというのだからたまらなかっただろう。チャームポイントは仄かに朱を帯びていた。


「だいたいソリューニャの頭が固すぎるのよ……」

「石頭です?」

「ちょっと」


 マオは唇を尖らせながら、ハートのピアスを耳につける。

 ミュウとソリューニャはその最後の仕上げの作業を見て、手際の良さに改めて感心する。


「いつも着けてるですね」

「ああこれ? 妹から貰った宝物だもん」

「そっか、妹がいるんだったね」


 マオには少し年の離れた妹が一人いる。両親を早くに亡くしているため、マオは親に代わって妹に惜しみない愛情を注ぎ、妹もマオをこの上なく慕っていた。


「このピアスも、赤い髪留めもね。妹の贈り物なの」

「へぇー。よく似合ってるよ」

「えへへ~。ありがとう」


 マオは嬉しそうに笑った。

 妹が待っているから、絶対に生きて帰る。その気持ちを忘れないために、任務などで遠出するときはいつもこれを着けるのだという。


「出先でもオシャレなんだ」

「あの子の憧れだからねー。お姉ちゃんとしちゃいつでも憧れでいたいのよ」

「いつも早起きで支度してるのです」

「女の朝は戦だからね!」


 こともなげに言い放つマオ。彼女の女の子らしくあろうとする姿勢はこんな時でも変わらない。


「かっこいいのです!」

「かわいいよね!」

「ちょっと何なの急に……!」

「マオさんのそういうところ、女の子っぽくて好きなのです」

「うんうん」

「ちょ……褒め過ぎないでよ、もー! もーー!」


 相変わらず女三人寄れば姦しい。


 しかし、ここは敵地で今は囚われの身。楽しい時間も長くは続かない。


「おい、人間どもォ!」

「きゃっ!?」

「なっ!」


 乱暴に扉が開かれて、魔族が入ってきた。

 マオが怒るが、魔族は悪びれる風でもなく三人の前まで歩み出た。


「ちょっと、ノックくらいしなさい!」

「ああん? 調子乗るなや?」


 魔族はギョロギョロと大きな目を動かしてマオ、ミュウ、ソリューニャと順にねめつけていく。


「今日はちょっとしたショーがあってなァ。ゲストが欲しいんだよ」

「ゲスト……?」

「そうだ。ショーを盛り上げる……死んでもいい奴がなァ」

「!?」


 この魔族はそのゲストを選びに来たのだろう。

 ソリューニャは慌てて声を上げた。


「待て! それが許されるはずないだろう!」

「オォ。お前は除外だ、安心しろ」

「……ッ!?」


 ソリューニャは一瞬安堵してしまった自分が耐えがたいほど醜く憎く思われて、半ばヤケになって簡単に自分の命を張った。


「そんなことしたら舌を噛み切る! アタシが死んでもいいのかッ!?」

「けっ」


 その内罰的で覚悟の伴わない叫びを、魔族は鼻で笑った。


「嘘をつくなよォ? それくらい下っ端の俺にも分かるぜぇ?」

「う……ぐ……ッ!?」

「だが、そうだな。命までは取らねぇよ、たぶんな」


 魔族は首を曲げて、呆然とするソリューニャを下から厭らしく覗き込んだ。彼は目の前の竜人に死ぬ意思が微塵もないことを見抜いていた。


「それなら死ねないよなぁ? 何事もなく生きて帰ってくるかもしれないもんなァ?」

「あ……あぁぁ……」

「やめて!」


 ミュウが魔族を突き飛ばして、マオが震えるソリューニャを抱きしめる。

 魔族はよろめいて、驚いて両手を挙げるジェスチャーをした。


「おおっとぉ。こりゃ驚いたな」

「近づくな! ですっ!」


 すかさずミュウは杖を魔族に向ける。

 魔族は満足そうに頷くと、ミュウを指差した。


「なかなか度胸あるな。お前、お前でいい!」

「えっ」

「来い」

「ちょっと!」


 マオが今度はミュウを庇う。


「ああ、お前が代わるか?」

「っ、ええ! だからミュウちゃんに手は出さないで!」


 魔族はまたも満足げに笑う。

 しかし手を伸ばして掴んだのはミュウの腕だった。


「だめだな、こいつがいい」

「ちょっと……! 離しなさいよ……ッ!」


 マオが魔族の腕をひっぱるも、力が足りない。純粋な戦闘魔導士でもないマオは魔術もそれほど強力ではない。真っ当な力比べでは下っ端を自称するこの魔族にも敵わないようである。


「わ、私が……い」


 ソリューニャは放心していて、マオは魔族を無理矢理どうこうできるだけの力がない。

 自分しかいないならばと、ミュウは意を決した。


「え?」

「…………」


 ハルがミュウを掴む魔族の腕を取っていた。傷だらけでボロボロではあるもののその立ち姿は落ち着いている。


「ほぉー……」

「俺を……連れていけ」


 ハルは言う。

 魔族は少し驚いたようだったが、品定めをするようにハルを観察するとミュウの腕を離した。


「あの出血じゃあ動けまいと思っていたが……いいじゃねぇか」

「…………」

「来い」

「ああ」


 魔族とハルが部屋を出ていく寸前、ミュウはハルに声をかけた。


「ハル……さん! マントは……」

「構わない」


 ハルは武器を仕込んであるマントを羽織っていなかった。

 ボロボロの体で最大限の武器も持たずに出ていくその後ろ姿は、ミュウにはまるでこれから死にに行く者のそれのように見えた。

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