レンとエリーン
レンサイド一日目
ソリューニャたちのいる謎の都市、そこから最も離れた場所に落ちたのはレンだった。
「んーっ。息苦しさにも慣れてきたな」
島の中心の山を挟んで都市とほぼ対角にある大森林にて。
お守りだけを頼りに彷徨って早半日。空腹と疲労が否応なく足を重くさせ、レンは少し開けた場所の倒木に腰を下ろした。
「あーあ。みんな無事かなぁ」
真上を通り過ぎたくらいの太陽に照らされ、レンは空を仰ぐ。
「カルキっつったっけ。アイツ仲間に手ェ出しやがったらタダじゃおかねぇ」
レンは落下する直前、竜にしがみついているカルキの姿を見た。彼が何をするつもりなのかは分からないが、少なくとも地上ではレンたちを殺そうとしていた相手だ。当然危険視もする。
とはいえ、今のレンにできることは一刻も早くソリューニャたちのもとへ辿り着くことだけだ。
山の向こうにはソリューニャたちがいて、もしも山がなかったのならば直進してしまうのが最も早い手段だったろう。しかし現実に山は聳えているわけで、それならば山につき当たったところで山裾に沿って迂回するのが最短である。
また、先にジンたちと合流してもいい。レンから見て左に島を回ればリリカとジンと合流しつつソリューニャたちのもとを目指せる。もっとも、ジンにしろリリカにしろ目的地は同じだろうから結局遠回りになるだけの可能性もあるのだが。
「とにかく腹減ったなぁー……」
と、ここで腹を鳴らしたレンが辺りを見回す。
森で食べられるものといえば、動物か木の実くらいのものだろう。しかしさすがに火も通さずに得体の知れない獣の肉などは食えない。レンの座る倒木にはキノコが生えているが、毒の危険も考えるととても食べる気にはならない。
「しゃーねぇ、ちょっと探してみっかな」
レンはひとまず補給するために辺りを探検し始めた。極めて鋭い嗅覚を頼りに、食べられそうな実が生る木を探す。
「にしても……すっげーな」
レンが感嘆したのは、ここが彼も知っている“森”だったからだ。
土がある。川があって山がある。雲の上だというのにそこは地上と似たような環境なのだ。
ただし地上とは異なる点も当然ある。
鳥がいない。木は枝が少ないものが多く、硬くて丈夫な葉を付けている。中には葉すらなく緑の茎だけのような低木もある。
また、風が安定している。安定した空気の流れと環境は、空気の流れで簡単な索敵ができるレンにとってメリットが大きい。
「……ん、甘い匂い! どこだ?」
レンの鼻が甘い香りを嗅ぎつける。
匂いを頼りに、レンは一際高い種の木を見つけた。見上げると、黄色く丸い木の実がなっているのが確認できる。
「よっしゃ! 降ってこい!」
レンが幹を蹴りつけると衝撃はきっちり上まで伝わり、いくつかの木の実を降らせた。
「おおぉ! けっこーデカいな……ん?」
木の実に何かがひっついている。
それは小さな動物だった。茶色の柔らかそうな毛が全身を覆い、体長の半分もある大きな尻尾と細長い耳が特徴的だ。
「なんだぁ? ウサギ……キツネ……」
そのウサギモドキはキーキー高い鳴き声でレンを威嚇する。よく見ると木の実にはかじられた跡があり、餌を取られると思っているのかもしれない。
だがレンは実よりもウサギモドキをつまみ上げた。
「うまそうじゃんか!」
「キッ!?」
「やっぱ果物より肉だよなぁ」
火は無いがここで絞めておけば後で食べられるかもしれない。
ウサギモドキは自分が餌を守るどころではない危険な状況にいることを感じたのだろう。ジタバタと身を捩り、レンの手をひっかいた。
「キー!」
「痛っ!」
「キィー!」
「あっくそ逃げられた!」
自由になったそれはあっという間に茂みの向こうへ隠れてしまった。
仕方なくレンは齧られていない木の実を拾い上げる。肉を見つけてしまった今となっては少し見劣りするが、貴重な食べ物であるのは間違いない。空腹もいい加減限界を迎えており、レンは硬い果皮を剥くのもそこそこにかぶりつこうと大口を開けた。
「だ、駄目です!」
「んあ!?」
声がかかるのとほぼ同時、レンは声の主に気づいていた。少し距離はあったが、彼女は確かにレンへと呼び掛けている。
「それはだめナんです!」
「魔族……!」
直後、レンは戦闘態勢をとっていた。
しかし構わず黒い目の少女は駆け寄ってくる。
「それ! 毒です!」
「!?」
レンは驚いて、木の実と少女を交互に見た。
少女はレンのすぐ近くに来ると、膝に手をついて肩で息をする。レンを見つけたから走ってきたというより、もっと前から走っていたような疲れ方と髪の乱れ方だ。
「毒って……ホントか」
「ほ、本当です!」
「おおう、そっか」
敵意のようなものはない。が、レンは警戒したまま様子を見ることにした。
少女は、幼さを残してはいるがかなり整った容姿をしていた。やや垂れ気味の瞳がどこか気弱さや不安げな印象を与えるが、それは地味な身なりと相まって妙に板についている。
とはいえ、初対面のレンにぐいぐいと迫るあたり性格まで気弱ではないのかもしれない。
「これを食べられルのはファーナスだけなんです」
「ふぁーなす」
「まさか知らナいので……あっ!? あなた、誰ですか!?」
「えっ、今更!?」
今度は逆に警戒されたようで、少女はレンから離れた。どこかコミカルなその動きに思わず毒気を抜かれてしまう。
その時、先ほどのウサギモドキがひょっこりと茂みから顔を出した。
「あっ、ファーナス」
「コイツがそうだったのか。戻ってきてくれたのかぁ~」
「キーー!」
「えっ、あっ! ここって……」
「ん!」
言い終わる前にレンも気が付いた。
茂みから、木のうろから、木の上から。いたるところからファーナスが現れて、高い声で鳴き始める。
「ナワバリか!」
「デて行けって怒ってる! はヤく離れなきャ……」
「……? 違うな」
レンは気づいた。
あわただしく駆け回り、毛を逆立てる。どうもファーナスたちの警戒はレンたちだけに対して向けられているものではないようだ。
レンは神経を尖らせ、肌で空気のどんな動きも見逃すことがないように集中する。
「…………」
「あなたも早く!」
「っ!!」
「キャ!?」
レンが腕を振るう。
突風が吹き抜けて少女は目を閉じ顔を腕で守った。
「なっ……ナニを……!」
「囲まれてるぞ。いったい何だってんだ」
「え、ひっ!?」
「オレに向けられたもんじゃねぇなそりゃ」
レンに指を差され、少女は足元に刺さっている矢を見つけて顔を青くした。レンが気づいて風を吹かせなかったとしたら少女に刺さっていただろう。
「わ、私、追われて……でもあなたが危ないのを見つけて、それで……」
「はぁ?」
少女はもともと自分が追われている身だということを告白した。
レンは背後から飛び出してきた魔族を裏拳で殴り飛ばしながら、言った。
「じゃあお前、自分が追われてるのも忘れてたのか?」
「は、はイ」
「知らねーオレを助けるために?」
そのまま風を纏い、もう一度突風を起こす。
後に続いて飛び出してきた二人の足が止まったところをそれぞれ片手で掴むと、少女の方へと投げ飛ばした。
少女を後ろから狙っていた二人組は、投げ飛ばされた仲間にぶつかってひっくり返った。
レンが笑う。
「あははは! お前、バカだなぁ~~」
「う」
立ち上がった四人が少女に飛びかかる。
それを、目が離れた一瞬のうちに少女の前へと現れたレンが空気砲でまとめて吹っ飛ばした。
「でも、いい奴だ!」
「……!」
驚いた顔で見上げる少女に不敵な笑みで返すと、レンは少女をかばうように前へ出る。
「さて、後は……」
レンが感知したのは八人。そのうち一人は裏拳、四人は空気砲で倒した。
「三人……と一人くらい!」
レンは飛んできた矢を神懸かった動体視力で見切ると、掴んで止めた。鏃が濡れている。ツンとした青臭い臭いもする。それが毒だろうこということは言うまでもなかった。
この「一人くらい」が厄介だった。レンのセンサー範囲の外から毒矢で狙ってくる。
「うわー。嫌だなこういうの」
「あ、あのっ!」
「ん、心配すんな! すぐ終わらせるから」
少女に声をかけるレン。
それを隙と見たか、魔族の男が剣を振りかぶって突っ込んできた。
しかしレンは気づいている。男はそれを叩き込まれた右ストレートで理解する。
レンは圧縮した空気を破裂させながら、振り抜く。男はふっ飛び、風が吹き荒れる。
「ぐおはっ!?」
「ほら、よっと!」
「きゃああ!」
「キーー!」
少女は思わずしゃがみ込み、ファーナスたちも逃げ惑う。
レンの魔導は特性上周囲への影響が大きい。有り体に言ってしまえば、巻き込まれる。
本気のレンと肩を並べて戦える者はずっと共に生きてきたジンくらいのものである。
「あ、悪ぃ」
だからレンは一対多での戦いを得意とし、逆にこういった仲間をかばいつつ遠距離攻撃を必要とする状況下での戦闘は苦手なのだ。
「くそう。やりづれぇな」
「人間族が……!」
「調子に乗るんじゃねぇぞ!」
残る二人の敵は、隠れていても意味がないと悟ったのだろう。木の陰から姿を現した。
「人間族が……調子に乗るな!?」
「お、ラッキー」
レンは空気砲や竜巻などの飛び道具を持つが、それは先述の通り少女にも被害が出る。よって敵から近づいてくる分にはただただありがたい。
「喰らえ!」
「む!」
男が掲げた手に魔力が集まると、土や木くずなど軽いものが引き寄せられてゆく。それらは魔力を中心に球状に寄り集まってゆく。
「キー!」
「キッ!?」
「キキーー!」
逃げ遅れたファーナスもふわりと浮かび、球に張り付く。ファーナスは逃れようともがく。
「なんだ? あの魔導」
「いくぜぇ!」
「おうよ!」
もう一人が球に触れると、球は命を吹き込まれたように動き出した。
「わ、飛んでくる!」
「来ますよ!」
レンは少女の手を引いて球をかわす。しかし球に触れた男が手を動かすと、球は手の動きに合わせて再びレンたちに向かって来た。
「合体技か!」
物を引き付ける魔導とそれを操る魔導を組み合わせたのだろう。
一人でできることに限りがあるのは至極当然のことである。イメージをなんでも具現化できるジンや多彩な技を持つミュウの方が全体から見れば異端なのであり、このように仲間と協力して一つの技を放つことは珍しいものではない。
「ふはは、いつまで逃げられるかな?」
「デカくなってる……!」
一回り大きくなった球をよける。
球は飛び回りながら周囲のものを引き寄せ成長している。レンが落とした木の実も、地面に刺さっていた毒矢も引き付けられて球は歪に大きさを増してゆく。
「キッ……!」
「あぁ! ファーナスが!」
囚われのファーナスの上にもそれらは重なり、やがてファーナスを押し隠してしまった。このまま球が成長すれば圧死か窒息死、少なくとも無事ではいられないだろう。
「た、助けてあげて!」
「おまっ……はは、マジかよ」
こんな状況でも自分以外を心配する少女が可笑しくて。
「いーぜ、やってやらぁ」
残りの敵は二人と一人くらい。レンは不敵に笑って迎え撃つ。




