悪夢の館 3
リリカが意識を取り戻したのは、あれから相当の時間が経った後だった。
「あれ……生きてる」
リリカはそう言って周りを見た。どうやら屋敷の一部屋のベッドに寝かされているようだ。
敵地の真っ只中で意識を失ったのだから死んでいてもおかしくなかった。それでも生きているということは、生かされているということだ。
「これはもしや、いただかれる!?」
リリカは真剣である。真剣に食べられてしまうのではないかと怖がっている。
初めて見るタイプの亜人族。大きな犬、大きな男。それに、ここに来て最初に襲ってきた二人組のこともある。
「あわわわわわ」
どうにかして逃げなければと焦っていたところ、ノックをして一人の女が入ってきた。
尖った耳の女だ。女性にしては珍しいほどの長身で体つきも極めて良く、同性のリリカも見惚れるほどの色気がある。
「んびゃぁ!?」
「おや、起きたのかい」
「あっあっ」
「おっと、動くんじゃないよ」
女は近づくと、リリカの手を取った。
そのときリリカは鋭い痛みを感じて思わず手を引こうとしたが、女の力は強く、それを許さなかった。
「痛っ!?」
「ああ、すまない。じっとしてな」
女はリリカの左腕に巻かれていた包帯を剥がしていく。
「アンタ、傷だらけだったけどさ。特に左の肩と腕の傷がひどかったよ」
「あ……」
「まったく、無茶したんだねぇ。よく生きてたよ」
包帯が完全に取られると、赤く腫れた腕が出てきた。
リリカが軽く力を入れようとするとズキズキ痛む。痛めた記憶はないため、気絶する直前、壁に打ち付けられたときに痛めたのだろう。
女は怪我の具合を少し診ると、言った。
「さて、いろいろ話さなきゃいけないことも多いだろうけど、まずは体洗ってきな」
「え?」
「薬草を浮かべた湯を沸かして貰ってるから。よく効くよ」
「え?」
「あ、着替えはあとで用意しておくからね」
「え?」
「……え?」
あれよあれよという間にリリカは脱衣所にいた。
「ええええ?」
リリカが寝かされていたのはやはりあの屋敷の一室だったようで、そこから少し離れたところにある、高い木の柵に囲まれた施設がいわゆる浴場なのだった。
(言われるがままに来てしまった……)
彼女を信頼したわけではない。しかしながらただ突っ立っているわけにもいかない。
(手当してくれたのはありがたいけど……信じても大丈夫なの?)
リリカはまだ迷いながらも、着ていたものを脱いでゆく。下手に逃げようとするのも下策に思われたし、ここは大人しく風呂に入ることにした。
ぱさり、とベルトを抜き取られたズボンが落ちる。脱いで丸まった靴下はそのまま近くのカゴに投げ入れ、最後に下着も外して入れる。ところどころ包帯が巻かれているだけの姿になったリリカは覚悟を決めた。
(いざ!)
リリカはタオルを巻いて、カーテンを開けて浴場に踏み出した。
「おお~……」
リリカは思わず感嘆の声を漏らした。
雲一つない夜空に十三夜月と無数の星が浮かんでいる。湯煙に霞む夜空は言いようもなく綺麗だった。
「広いなぁ。あれ、ちょっとイイかも」
単純なリリカは少し開放的な気分になったことで警戒心を薄めてゆく。
あの女性が本当に善意のみでリリカを助けた可能性だってあるのだ、そう楽観的な考えになってくる。
「ふふっ。さてさて湯加減はどうかな~?」
大きな浴槽の側までペタペタ歩いて、ご機嫌なリリカは中を覗き込んだ。
お湯はぶくぶくと泡立っていた。
「鍋だコレ!!」
思わずツッコんだ。
熱々の湯気に顔を撫でられて、急いで下がる。ぶあっと汗が噴き出した。
(油断した~! 煮られる! 食べられる!!)
そのとき、カーテンの向こうから先ほどの女が声を掛けた。
「アタシも入るよ~。その腕じゃ色々不便だろう、体洗ってあげるよ」
「ひぃ!?」
リリカは思った。
(逃がさないつもりだ!!)
と。
「おーい、返事ないけど大丈……何やってんだい!?」
「見つかったぁぁ!」
カーテンを開けて入ってきた女が目をむく。
リリカは高い柵に足をかけて乗り越えようとしていたところだった。
「ちょ、降りてきな!」
「うわあ~~!」
「えええええ!?」
焦りすぎて足を滑らせたリリカは顔から外側に落ちたが、しかしすぐに立ち上がって走り始めた。
繰り返すが、リリカは真剣である。
「うわ~~ん! 誰か助けてぇ~~~~!」
リリカの声が夜の森に木霊した。
所変わって、食堂。
「ばっはははははは!!」
事の顛末を聞かされたその大男は大口を開けて大爆笑した。
「それで裸で飛び出したってか!? ぶふっ、ぶふっふふっふっふ! 傑作だな!!」
「笑い事じゃないよぉ!」
真っ赤な顔をしたリリカが噛みつく。
「なんかお風呂は鍋だったし! 食べられるのかと思ったんだよ!」
「あれはいつもあのくらいの湯加減だし……」
「なんか変なもの見えたし! 大きい犬が出るし!」
「あー……」
「もーなんか、怖い! 怖いー!」
テンションが振り切れているリリカから大男は決まり悪そうに目を逸らした。代わりに答えたのは、リリカを介抱してくれたあの女性、テレサである。
「簡単に言うとコイツの魔法さ。悪夢を無差別に、起きてる人にも見せるのさ」
「悪夢……あ、苦しそうだったのって」
「それさ。コイツは寝ると必ず悪夢を見るから、三日に一度しか眠らないんだよ」
悪夢に怯えて眠れない。これがとても辛いことなのは彼の目の下を見ればよく分かった。
が、さらにその下には笑いを噛み殺せずににやけている口があるのでどうも複雑な気分のリリカである。
「寝る日は屋敷が大変だからね、誰も近寄らないようにするのさ。明日になれば活気づくよ」
「だから真っ暗で誰もいなかったんだぁ」
「アタシはちょうど地下の食糧庫にいたよ。ほら、アンタがつまみ食いした調理前の食材とか」
「あっ、ごめんなさい……」
「冗談。構わないさ」
テレサはしゅんとなるリリカをみて笑った。怒ったり凹んだり、リリカの表情がコロコロ変わるのは見ていて面白い。
「じゃ、じゃあ犬には? 効かないの?」
「犬も幻覚だぞ」
「えっ」
「昔飼ってた。死んだ」
「えっ」
リリカが静止する。
「そそそれって幽霊!?」
「だから幻だって……」
「臭いしたし! じゃれつかれたし! あれは本物だったよ絶対!」
「そういう魔法だって……」
錯乱したリリカが落ち着くまで、もう幾ばくかの時間が過ぎた。
その間、二人はずっと笑っていた。
「あーー笑わせてもらった。悪いな、こんなにも笑わせてもらって」
「悪いよっ!!」
「詫びと言っちゃあれだが、歓迎するぜ。人間のお嬢さん」
この屋敷の主であるこの男は、グラモール=ダリオと名乗った。隣のテレサはグラモールの妻。二人は大きな体が特徴のオーガという亜人である。
「ありがと。でもあたし、行かなきゃいけないの」
「まぁ掛けろや」
「でも……」
「コイツの言う通りさ。座りな、リリカ。アンタは知らなきゃいけないことがたくさんあるよ」
しぶしぶリリカが掛けると、テレサが奥から料理を運んできた。
配膳が終わってテレサも席に着いたところで、グラモールが切り出した。
「まずはリリカ。お前はなぜこの島に来てどうしてここにいる? 何があって、何がしたい? それを聞かせてくれ」
リリカは話した。
竜に仲間が連れていかれたこと。仲間が囚われていて、そこを目指していること。二人組に襲われたこと。都市を目指していたらここに迷い込んだこと。
「ふーん。竜は初めて知ったね」
「なかなか奇妙なこと体験してるじゃねぇか」
「あたしのことはもういい?」
「ああ、だいたいわかった」
「じゃあたしの番! ここは何? なんで黒い目の人がいたの? あの町はなに?」
「ストップ。順番に話すから」
グラモールは大きな手でリリカを制すると、話を始めた。
亜人、オーガ族。
彼らはかつて地上でとある人物に忠誠を誓い、その人物の国で生活をしていた。
その人物の名はイリヤ。彼女は強大な力を持ち、魔族の上位の存在である魔神族だ。
彼女には対立する存在がいた。
同じ魔神族にして彼女と対立する思想の持ち主が一人、ガウス=スペルギア。
20年ほど前。彼女はついにガウス率いる軍勢と戦った。強大な敵に対し、一時は同じ派閥の魔神族、ミカロスの協力もあって善戦したものの、最終的にはイリヤは討ち取られた。
イリヤが死に、主を失った同志たちはガウスの軍門に下るか死ぬかの決断を迫られた。
オーガ族も我が国と主を守らんと死力を尽くして前線で戦い、壊滅的な被害を受けていた。彼らは一族の命運の決まる瞬間に立って、生きることを選んだ。
しかし支配は長くは続かなかった。ガウスがミカロスとの戦いに敗れたのである。
「へぇー。やっぱり二対一だったから?」
「それもあるだろうが、一説じゃミカロス様にもまた協力者がいたらしい」
深刻なダメージを負ったガウスは、魔神族ネロの力でこの空の島へと逃げた。
「どういう話がガウスたちの間にあったかは知らねぇが、何かはあったはずだ。もともとネロはガウスの仲間じゃなかったからな」
「ふーん。それで? グラモールもそうやってここに来たの?」
「いや、俺たちが来たのはもっと後だ」
ここでグラモールは衝撃的な事実を口にした。
「ここはな、この島そのものが巨大な“兵器”なんだよ」
「へーき?」
「ああ。人間を皆殺しにできるかもしれないってくらいの、とびきりヤバい奴だ」
「えええええーーーーーー!?」
どうやって知ったか、ガウスはここを療養のための隠れ家とすると同時に報復のための計画を進めていた。
グラモールらオーガ族はそのための労働力として、彼らの里ごと移転させられた。そして島の開発に携わり、初めてガウスの計画を知ったのである。
「この兵器はずいぶん昔に造られたものらしくてな。起動のためにやらなきゃならねぇことが山ほどあった」
「どんなこと?」
「例えばこの島の地下には“空を渉る船”が千隻ほどある」
「千! たくさん!」
「ああ。中にはダメになってる船もあったが、使えそうな船は整備した。全部だ」
おおよそ15年。彼らが今まで働かされていた期間だ。
もともと島には少数の原住民がいたが、増えたガウスたちの人口分を賄えるほどの食料は生産が追い付かない。そこで求められるのは少数精鋭。いかに少ない人数で、より大きな力を使えるか。亜人族の中でも特に頑強な肉体を持つオーガは非常に質のいい労働力だった。
「ま、そういうわけで俺たちはここにいるんだな」
「ひどい話! ガウスって奴やっつけて帰ればいいんだよ!」
「滅多なこと言うもんじゃあないぜ。だいたい帰る手段が……ねぇ」
「そういえばどうやって来たの?」
純粋な疑問。
グラモールは信じられないことを言った。
「転移魔法だ。ネロは都市ごとガウスを転移させ、里ごと俺たちを飛ばした」
「都市……あぁ! あのでっかい白い街!?」
「そうだ。魔神族にはあんな芸当もできる」
「ネロは、どこにいるの!?」
「ふっ、無駄だぜ。会える場所にはいない」
リリカはもっと方法を考えれば何か見つかると思ったが、グラモールとテレサの落ち着きぶり、まるで考えつくしたと言わんばかりの態度を見て引き下がった。
話は再びガウスの計画の話に戻った。
ガウスの計画はほとんど完遂し、あと数日で最終段階。すなわち地上への攻撃が始まる。
壊滅的な被害がでるだろう。突然空飛ぶ島が現れて、そこから千隻の船が飛び立つ。人々は驚き恐怖し、ただ逃げ惑うことしかできないだろう。そうやって一方的な破壊を残し、島は次の場所へと移る。そこでもきっと同じことが起きる。
「あと……十日くらいか」
「大変だ!! 知らせないとっ!!」
「待て」
椅子をひっくり返して立ち上がったリリカの手をグラモールが掴んだ。
「だって時間ない! 知らせなきゃ!」
「誰に、どうやって?」
「……ッ、そうだソリューニャ! もう一回竜を呼んでもらって……!」
「落ち着け!」
グラモールの怒声とともに、リリカの視界が真っ黒に塗りつぶされた。闇はすぐに晴れた。
「手荒なやりかたで悪いな。落ち着いたか?」
テレサが椅子を立ててリリカを座らせる。
「でも、でも! やっぱりソリューニャたちを助けなきゃ! それで、下の人たちに教えてあげなきゃ!」
「ああ、そうだ。だがお前が生きてなくちゃあそのどっちも叶わん」
「……っ」
「安心しろ」
グラモールは静かに言った。
「方法はある」
リリカサイド一日目ラスト。




