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魔導士たちの非日常譚  作者: 抹茶ミルク
天雷の大秘境編1 魔族と人間
151/256

悪夢の館 2

 


『ァ……ぁあ……』


 女の両目の周りはズタズタに引き裂かれたような傷跡があり、本来なら眼球が収まっているはずの場所には太く黒い釘が打ち込まれていた。


「きゃあああ!? それすっごく痛いよ!」


 あまりに痛々しい様相にリリカは思わず目を押さえた。


「何このお化けぇぇ~……。怖いし痛いし、アイツの攻撃!?」

「うがあ! 消えろ!」

「でも苦しんでる……なんで?」


 リリカが悩んでいると、生首が音も無く浮かび上がった。

 そしてリリカと同じくらいの高さまで来ると、


『んべぇ~』


 眼球が埋まった舌を出した。

 ギョロリ。舌の上の眼球が確かにリリカを見た。


「ぎゃーー!?」

『ぇ……んえ……』

「くくくく来んなーーーー!!」


 舌を見せながら近づいてきた生首に、リリカは無我夢中でハイキックをくりだした。

 生首は簡単に吹っ飛び、天井に跳ね返ってまた床に転がった。蹴り飛ばされたというのにケタケタと笑っている。


『アハハハハハ!』

「とととにかく逃げるる……!」


 リリカは勢い余ってバランスを崩し、尻餅をついた。

 その足元に、べちゃりと何かが落ちてきた。


 舌だった。


「ひゃぎッ!?」


 リリカは飛び上がって変な悲鳴をあげた。

 顎を蹴り抜かれたときに噛み千切ったのだろう。眼球のついた舌が絨毯の上でのたうつ様はまるで陸にうちあげられた魚のようだ。


『ん、メ…………?』


 生首が浮かび上がった。

 そして首の切り口が盛り上がったかと思うと、それを突き破って昆虫のような関節肢が1本生えてきた。黒く濡れてテカテカと橙の明かりを映しているそれは、先端の鉤で跳ね回る舌の、眼球部分を串刺しにした。


『ァー……』

「おえぇー……もうやだぁ……!」


 ぶちゅりと潰れて白い液を滴らせるそれを口元に持っていき、含み、そして味わうように口の中で転がす。舌もないのに、じっくりと。


 少し膨らんだ右頬がにわかに粟立ち浮腫(むく)む。

 そして沸騰でもしているのかという勢いでボコボコと膨張した浮腫みは、顔と同じ大きさになってもまだ膨張し続け、ついには元の首の方が腫れものに見えるほどになった。


「大きいは怖いんだけど! 大きいは怖いんだけどっ!!」

『ケヒヒ……』


 リリカはとにかくここから逃げ出そうとして壁を殴る。薄い壁ならば抜けるだけの威力があるはずだが、しかし壁には傷一つつかなかった。

 その間に、生首の浮腫みには変化が起きていた。


「な、なんで!?」

『ヒヒヒヒ!』

「うがあああああ!」

「あーーもーー! なんなのーー!?」


 男の悲鳴と生首の嘲笑、出られない焦りが重なってリリカの心を追い詰める。


 振り返ったリリカは巨大な浮腫みに無数の小さな切れ目が浮かび上がっていることに気付いた。

 そのうちの一つからドロリと赤黒い液体が漏れ出してきたかと思うと、切れ目が開いてそこに埋まっていた眼球が震えた。

 切れ目は瞼だったのだ。そうリリカが理解したと同時、他の瞼も赤黒い粘液を零しながら一斉に見開かれた。


「怖、ちょ、ぎゃああああああ!?」

『カ……カ……』


 怖いのに、目が離せない。今すぐに目を背けて壁を壊したいのに、足腰に力が入らない。


 無数の目がギョロギョロと不規則に動き、赤黒い涙を流しながら、それらすべてがリリカを見つけて止まった。

 生首はさらに6本の関節肢を生やすと、カタカタ、カタカタ。素早い脚の動きでリリカに迫る。


「イヤ……ちょ、嫌ぁーーーー!?」


 めちゃくちゃに振り回した手の軌跡が固まり、魔力のバリアとなる。

 生首の脚はそれを叩くが、貫通まではしない。


「戦っ、やっぱ逃げっ!?」

『ア……ア』

「あああもう! もう! このやろーーっ!」


 バリアが消え胸めがけて振り下ろされる脚を掴む。

 そしてそれを振り回して壁に叩きつけて、ヤケクソ気味に言い放つ。


「ど、どぉだー!」

『ア、ゥア……』

「えいやっ!」


 掴んだ脚は根元から千切れた。それを生首の化け物の後頭部へと突き刺す。

 驚いたことにそれは、あれほど頑丈だった壁にも深々と刺さって生首を壁に縫い付けた。


「えっこんなのに刺されるとこだったの!? 怖っ!」


 テンションが振り切れたリリカが叫ぶ。

 生首は昆虫の脚をジタバタ動かすが抜け出してくる様子はない。


「あがあああ!」

「ひぇ! 次はどうすればいいんだろ」


 リリカはこの隙にどうにかここから抜け出す方法を思案する。


 橙の蝋燭に囲まれた、扉のない部屋。

 奇怪でグロテスクな生首の怪物。

 椅子の上で苦しむ大男。


「っ、あれが来る前に早く……!」


 どれが鍵か。

 どうすれば脱出できるのか。


「あいつに聞こう!」


 しかし即決。


「お願いどうやって出るのか教えて! てゆーか大丈夫!?」

「う、ぐぁ……!」


 リリカが男の膝に触れる。


 その瞬間、彼女の視界がブラックアウトした。





「へ?」


 上も下も前も後ろも右も左も真っ暗という言葉では生温いほどただただ黒い。

 なぜか自分の体だけがはっきりと見えるのが不思議だった。


「ちょ、え? 何……どこ?」


 手を伸ばしてみるが、正面にあったはずのソファーと男が指先に触れた感覚はない。

 歩いてみるが、まるで前に進めている気がしない。


 リリカはたまらず駆け出した。

 不安だったのだ。真っ暗で、自分と世界を繋ぐ実感としての境界は曖昧で、自分がまるで何者でも無い恐怖に襲われた。

 ここには誰もいない。今闇に怯える心すらもその闇に溶けて、このまま消えてしまいそうで、リリカは走った。叫んだ。


「誰か! いないの!?」


 そして一際大きな不安が胸を締め付けると、リリカはしゃがみ込んで呪文のように名前を唱えた。


「あたしはリリカだリリカだリリカだ……!」


『おう! 何してんだ?』


 リリカが顔を上げると、そこにはレンがいた。

 相変わらずの真っ暗闇だが、そこにいるレンは確かに見えた。

 リリカは涙でぐしゃぐしゃの顔を綻ばせた。


「レン! 来てくれたんだ!」

『……』

「聞いてよ! あたし……!」

『……』

『……』


 いつの間にかジンもいた。ソリューニャもいた。ミュウもいた。


「みんな!」


 四人は無言で、リリカを見下ろしている。


『リリカぁ。お前、弱いよなぁ』

「え、レン……!?」


 レンが言った。


『リリカさんは役に立たないのです』

「ミュウ……ちゃん?」


 ミュウが言った。


『全然強くなった気がしないね』

「ソリュ……ニャ……」


 ソリューニャが言った。


『そうやって震えてればいーぜ』

「ジン……」


 ジンが言った。


「あたしが、弱い?」


 四人はそれ以上何も言わず、リリカに背を向けて歩き出した。


「あ…………」


 それを追いかけることもできず、小さくなってゆく背中を眺める。


「そうだ。そうだよね……」


 弱いと言われたことは苦しかった。悔しかった。心臓は爪を立てて握られているようだった。


 だが、リリカの表情は憑き物が取れたように穏やかだった。リリカは涙を拭って立ち上がった。


「知ってる、知ってるよ」


 四人の背中は闇に溶けた。

 もう見えない。見つからない。きっと追いかけても追いつけやしない。

 だけど構わない。追いかける気なんてないから。


「知ってるんだ。あたしが一番……!」


 リリカは拳を握り締めて叫んだ。


「あたしを弱いって言うのはいつも! あたしなんだってこと!」


 レンはそんなこと言わない。ジンも言わない。ソリューニャもミュウも言わない。

 だからあれは、リリカ自身の心が見せた、リリカが抱える弱さだ。


 振り抜いた拳が深い黒をあっさりと振り払った。



「やった!」


 リリカは部屋の真ん中に立っていた。


 壊れた扉の向こうには黒犬がいる。壁際に並べられた燭台の上の蝋燭は一つとして灯っていない。大きなソファーに沈み込むようにして大男が呻いている。


 生首なんてなかった。光のない道なんてなかった。


「なんか分かんないけどチャンス!」


 一連の悪夢はすべてこの男の仕業だと理解したリリカが、男に飛びかかる。


「大変だったぞくっそーー!」

「さっきからうるせぇぞォ!」

「え!?」


 ソファーを蹴飛ばして立ち上がった男がリリカを殴りつけた。

 リリカの拳と男の拳がぶつかり合う。


「げ……っ!」

「おおお!」


 拮抗は一瞬。

 消耗しきったリリカが押し切られ、殴り飛ばされた。


(重、ア……だ、ヤバ……!)


 壁に頭を打ち付けて混濁する意識。最後に聞こえたのは女の声だった。


「ちょ……と! 何……てん……い!?」


(ごめ……み……)


 そしてリリカは気を失った。



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