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魔導士たちの非日常譚  作者: 抹茶ミルク
カキブ編1 街並と竜人
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ソリューニャ、その過去 3

 

 

「そうだ……。包帯……」


 ソリューニャが薬や包帯の仕舞ってある棚を探そうとした。

 そのとき、家の中に散乱する木片や瓦礫が持ち上がった。

 はっとして剣を強く握って警戒するソリューニャ。


「ぐ……っつ」

「な……!」


 瓦礫の下から這い出てきたのは、父だった。

 最初に家に飛び込んできたのは父だったのだ。


「と、父さん!」

「ん……ソリューニャ、無事か……」

「あたしは。でも、母さんが!」

「……そうか」


 父は立ち上がって、木片に埋もれていた棚から血止め薬と包帯を引っ張り出した。

 そしてソリューニャに放った。


「これを、使え」

「父さんも!」

「いや、父さんはいい。戦闘中だからな。隙は見せられんよ」


 ははと力なく笑う父は、肩と足から血が出ている。

 まだ、やるというのか。


「そんな……ボロボロで……! アタシも一緒に……」

「ダメだ! 言っただろう? 母さんを頼む、と」

「でもアタシはっ!」


 母さんを守れなかった。

 自分が未熟なばかりに、怪我をさせてしまった。


 娘が言えなかった言葉は。

 父には確かに伝わってきた。


 自分が生きている今しか言えないことがある。

 言わなきゃならないことがある。

 ソリューニャの自責の念を和らげ、心に残るだろう傷を小さくしてやるために。



「ソリューニャ。よく聞いてくれ」


 父はソリューニャに語りかける。


「この先、何があっても変わらないでいてくれ。憎しみも、傷も、怒りも、悲しみもあっていい」

「…………」


「だが、笑顔だけは、忘れないでくれ。ソリューニャの笑顔が、俺は大好きなんだ」

「…………」


 ソリューニャは、ボロボロと涙をこぼしていた。

 父が死ぬかもしれないことは、分かっていた。


 でも、認められなかった。

 認めたくなかった。




「あ、そうだソリューニャ。これは、遺言じゃないからな。娘の笑顔に力をもらっときたんだが、帰ってからのお楽しみにしとくよ」


 父は振り向いてニヤリと笑った。


「あ………」

「そいじゃ、行ってきます。ソリューニャ。母さん」


 その声とともに、父が浮き上がった。

 否。ソリューニャと母が沈んだのだ。


「と、父さ……」

「“土遊び”」


 その言葉とともに、穴が塞がっていく。

 二人は狭い穴に閉じこめられた。

 ソリューニャは思わず土の天井を触る。

 パラパラと土が崩れて、耳の先端に当たった。


(土遊び……。地を動かすだけの、単純な魔導。アタシなら破れる。けど、それじゃ父さんの気持ちを裏切ることになる……)


 と、ソリューニャの指先が何かに触れた。

 生臭い鉄の臭いもする。


「母さん!」

「ぅぅ……」


 ソリューニャは即座に切り替えた。

 今は、母を助けることが最優先だ。


 しばらくして、ソリューニャの目が暗闇に慣れてきた。

 穴は、二メートル四方ほどの空間となっているようだ。

 足元には、薬と包帯があるのが見える。


「母さん、今手当てを……」


 ソリューニャは薬のビンを開けた。

 そして粘度のある中身を手に垂らして、母の腹部に当てた。

 温かい血液が薬と交わった。


「ぃっ!」

「ご、ごめん!」


 ぬちゃり……。

 そんな触感とともに、指が埋まった。

 母の、腹の中に。

 温もりが伝わる。


 慌てて指を引き抜いた。

 呼吸が荒れ、震えが全身を襲った。


 “死”というものに、初めて触れた気がした。

 ソリューニャは叫び出したい衝動を必死にこらえる。

 吐き気も、無理矢理飲み込んだ。

 喉がカラカラと乾き、チリチリと痛みが湧く。


「……っ! っふぅー、ふぅー……」


 落ち着くため、今一度深呼吸をした。

 足りなかった。四度も、五度もして、ようやく震えが止まった。


「ごめん母さん……。ちょっと我慢してね……」


 ソリューニャは先に包帯を巻くことにした。

 母の衣服を破り、慎重に包帯を巻いていく。

 つらいのは、背を浮かせなければならないところだった。


 細心の注意を払い、ソリューニャはようやく包帯を巻き終えた。

 見えないが、包帯はすでに真っ赤に染まっているだろう。

 ソリューニャは包帯の上からも血止め薬を塗った。


 たっぷりと塗っても余ったので、自分にも塗った。

 あの小刀がかすった傷は浅くはなかったが、不思議と痛みを感じていなかった。


「父さん……」


 ここからは、地上の様子は分からない。

 足音や建物が崩れる音だけが伝わってくる。

 ソリューニャにはそとへ出たい気持ちがあったが、母を一人にすることもできなかった。

 ソリューニャはじっと待つことにした。


 父が外から、ここを開けてくれることを期待して。

 そうしたら、「お帰りなさい」と笑顔で迎えると決めて。


 ソリューニャは、暗い土の中で待った。


 ◇◇◇




 ソリューニャは息苦しさを感じて、目を覚ました。

 土が冷たい。音もしない。

 朝、だろうか。


 戦いは終わったのか。今出ても大丈夫か。

 だが、穴の中の空気も限界だ。そのうち呼吸もできなくなるだろう。

 ソリューニャは意を決して天井を破った。

 細かい土塊つちくれがソリューニャに降った。


「うわ、眩しい」


 朝だ。日が昇っている。

 朝日が、闇に慣れたソリューニャの視界を一時だけ奪った。

 湿っぽくて冷たい空気を吸い込んだ。

 朝の匂いと、焦げ臭い匂いがした。


 視力が徐々に戻っていく。


「な…………あぁ!」


 ソリューニャは、思わず叫んだ。

 ソリューニャの見知った景色が、どこにもない。


 家は焼け焦げ、建物は一つも残っていない。

 ソリューニャが顔を出しているところには台所があったはずだが、黒くなった鍋が炭に埋もれているだけだ。


 人は一人も残っていなかった。

 死体すら見当たらない。


「回収……されたってことか……?」


 そこには初めから焼けた跡しかなかったかのような雰囲気があった。

 所々に黒いシミが地面を飾っている。

 ソリューニャはしばらく、多くを失ったという実感に打たれていた。





 ソリューニャはふと、まだ起きない母に違和感を感じた。

 いつも朝は早い母にしては珍しい。


「母さん、母さん……」


 呼んでみた。

 が、返事がない。まるで……


「母さん! 母さん!!!!」


 血は、止まっていた。

 だが、起きない。


「いやだいやだいやだ! 母さん!」


 思わず触れた母の腕は。

 朝のひんやりとした空気より冷たく、鉄のように無機質な質感をしていた。


「起きて! 起きてよ!」


 ソリューニャはその事実を認めることがいやだった。

 微笑んだ母の顔がもう二度と動かないなんて、いやだった。

 だから、残党がいる可能性も忘れて叫び続けた。

 どこかに受け止めようとする自分がいる。

 それをかき消すように、無心になりたくて、ソリューニャは泣き、叫んだ。


 ◇◇◇





 自分以外の全てが、一夜にして壊れた。

 壊れて、どこかに消えた。


 声が出ない。喉が壊れたかもしれない。

 目が痛い。もう涙は一生出ない気がする。


 ソリューニャが全てを受け止めたのは、もう昼も過ぎた頃だった。

 黙って穴から這い出し、穴を埋めた。

 埋めてから、そのへんの焼けた瓦礫を被せた。


 歩き出そうとすると、裸足の指先に何かが当たった。

 ソリューニャは拾わなかった。

 そのまま足跡を残さないより気をつけて、なるべくパルマニオから離れるように、森に入った。



 泣き叫んでいるときも、母の死に触れたときも、どこか冷静な自分がいた。

 常に冷静な、自分がいた。

 悲しいことがあったはずなのに、苦しんでいるはずなのに、冷静に状況を理解しようとする自分がいた。


 何もかも忘れてしまいたい自分が落ち着くと、今度は冷静な自分が自分を支配した。

 生き残りがいたことを悟られぬように、気を張って行動する自分だった。


 同じ自分のはずなのに、分からなくなって、もう一度泣いてみようとした。

 結局、泣けなかった。


 忘れられない、13歳の記憶だ。


 ◇◇◇





「パルマニオは決して弱くない。それなのにたった一晩で壊滅させるなんて、並みの兵力じゃない。そしてただ殺すだけだったのもおかしな話だ。襲撃者にメリットがない」


「だけど、それで得する奴がひとつだけいたんだ」


「国。カキブ王国。覇権を維持するために、有力な組織を次々と消してるって噂もあったみたいだ。恐らく、カキブが糸を引いているのは間違いない」


「……っ、おかしいだろ!? 証拠さえ出なければ……いや、もみ消すことができれば、なんだってしていいのか!?」

「…………」「…………」




「ごめん、取り乱した。…………けど、憎い以上に、悲しかったんだよ。初めはね」


「一年くらい笑わなかったよ。誰もいないから、一言も喋らない日もあった。生きるために忙しかったから、特に何も思わなかった」


「でもさ。一年してようやく、修理した小屋の修理した屋根の下で、食器を使って食事をして、汲んできた水を沸かして風呂に入って、シーツにくるまって眠れるようになってさ。思い出したんだよ。父さんの言葉」


「最低限の生活が確立して、ある程度の稼ぎも得られるようになって、復讐のための鍛錬ができるくらいに余裕ができて。ようやく振り返る余裕ができたんだよ」


「『笑え』って。『笑顔が好きだ』って。ようやく気づいたときにはもう一年も笑ってなかったんだよなぁ」


「…………」「…………」


「そんなわけでアタシは国が嫌いだ。いつかきっと、カキブも、そしてみんなの仇も、殺してやる。だからアンタたちには修行を手伝ってもらいたいのさ。これで話はおしまい」


 ソリューニャの話が終わった。


「うぅ~! そんなことがぁ~!」

「いきなり泣かせるんじゃねぇよぉ~!」

「ソリューニャー……」


 こらえきれずに、三人とも号泣。落ち着くまでは時間がかかった。


「そっか。それで、仇ってのは結局誰だったんだ?」

「国内にパルマニオを短時間に壊滅できる奴はいないみたいだから、少なくとも国外の人間。それも、国王が接触するくらいの。そして組織である可能性が高い」

「ふーん。見つけんのは大変そうだな」

「けど、国王フィーユ。あいつなら知ってるだろうから、まずはフィーユから狙ってる」


 ところで、とソリューニャには急に不安げな顔になる。


「なあ、アタシが復讐するのって、どう思う?」

「あん?」

「アンタたちは、止める?」


 これだ。自分は人を殺すと言っているのだ。たとえそれが無謀だとはいえ、その殺意は本物だ。時間の経過とともに色あせることもなく、今でも夢に見る。

 復讐は当人すら不幸にするだけという考え方などもあるのは知っている。その上で復讐を選んだことはどう思われるのか、気になっていたのだ。


「別に。俺が止めるこっちゃねーだろ」

「うん。口出しはしねーよ」

「あたしはその復讐ってのがよく分からないけど……。ソリューニャにとっては大事なことなんだよね? なら……」


 それに対し、レンたちの反応はあっさりしたものだった。


「でも勝ち目が全くないなら絶対止める」

「え?」

「恩人……っつーか、もう友達だな。その友達が死にに行くってんなら。殴ってでも止めてやる」

「あ、あたしはそこまでしないけど……。死なれるのはいやかなーって……」

「…………」


(友達、か。懐かしい……)


 ソリューニャは早くも自分が心を開きかけているのを感じた。不思議な人間だと思う。なぜなら彼らは初対面であるにも関わらず、すでに心を開いているからだ。それはとても危ういことだが、とても温かい。


「そっか……。変なこと聞いてごめんね」

「いーよいーよ! 気にすんなって!」

「だから強くなりたいんだろ? 死なないくらいに。いくらでも付き合うぜ!」

「あたしも、できることならやるよ!」

「へへっ、ありがと」


 こうして今日の日は暮れた。

 欠けた月が見下ろす屋根の下、三人は一週間ぶりに野宿をせずに済み、ぐっすりと眠った。またソリューニャも、穏やかな気持ちで目を閉じるのだった。

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