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魔導士たちの非日常譚  作者: 抹茶ミルク
天雷の大秘境編1 魔族と人間
143/256

誇りの魔神

ソリューニャ・ミュウサイド一日目。

 


 まるで地上をスプーンで掬い取って、空に浮かべたみたいだ。


 そう、ミュウは思った。


「うまい喩えね」

「あっ、口に出てたですか」

「好きよ……今の」

「えへへ」


 ミュウが照れる。


 そのとき、漆黒の竜が咆哮を上げた。


「グオオオオオオッ!!」


「きゃっ!?」


 漆黒の竜はたった今突き抜けてきた雲へと竜の息吹を放つ。息吹は渦状の穴をあけて雲の中へと飲み込まれてゆく。


「何をして……あっ!」

「ソリューニャ!」


 マオが焦ったようにソリューニャの名前を呼ぶ。今の竜の行動の意図に気付いたのだろう。

 ソリューニャは険しい面持ちで肯定した。


「炎赫は撃ち落とされた」

「そんな! 無事なのです!?」


 ミュウの悲鳴に、ソリューニャが頷く。


「繋がりが切れてない。死んじゃいない、けど……」

「竜、炎赫の助けはもう期待できないのね?」

「……ああ」


 雲の上まで来てしまっては、たとえヒバリでも助けには来られない。

 唯一の希望であった炎赫の魔力もそろそろ限界で、今からソリューニャたちに追いつくことはないだろう。


「いま炎赫が帰ったとしても、また時間をおけばアタシが呼べるようになる。たとえあそこに置き去りにされても……」


 ソリューニャは島を見て言った。

 漆黒の竜があの島を目指しているのは明らかだった。


「島、ね。土と森、滝、山……全部見たことある。あ、悪い夢を見ているのかも?」


 重苦しい沈黙を破ったのはマオだった。

 彼女なりに気を遣っているのだろう。


「悪い夢、か。覚めるといいな」

「ソリューニャー。ちょっとくらい現実逃避させてよー」


 黒い球に閉じ込められて、ソリューニャとミュウ、マオ、そしてハルはただ成り行きに身を任せるしかない。

 こんな時でも、こんな時だからこそ、不安を紛らわすように会話は盛り上がる。


「はぁー。しゃーなし、なんとか生き延びなくちゃね」

「今から三日後くらいに呼べるようになるから、それまではサバイバルかな」

「食べ物とか、あるのですかね?」

「最悪飲まず食わずでも三日なら……うん」

「ひぇぇ……」


 しかしそんな心配は不要になった。

 島に入り、中心の山を越えた先、そこに都市があったからだ。


「うっそぉ……」


 マオが頭を抱える。


 竜はその都市の、巨大な円い建物の上まで来ると、すぅと消えてしまった。


「竜が消えた……!」

「こんな建物は初めて見たです」


 黒球は真っすぐその建物へと降りていく。

 その建物には屋根がなく、均された広い土地を壁で囲んだような構造をしていた。


「コロッセオ……」

「知ってるです?」

「ええ。闘技場よ。これによく似た建物を知っているわ」


 地上には、たくさんの人影が中心を囲むように整列している。

 黒球はまさにその中心へと着地すると、竜と同じようにすっと消えてしまった。




「――――っ!!?」




 その瞬間、ソリューニャの“勘”がかつてないほどの大音量で警鐘を響かせた。



 ゾワリと全身があわだち、汗が噴き出し、奥歯はカチカチと鳴る。

 そのままソリューニャは一歩も動けなくなってしまった。


「ひっ!?」

「っ!」

「……!」


 特性によって最も危険を強く感じてしまったソリューニャだが、その分かりやすい恐怖は彼女のみならず、ミュウたちにも伝わっていた。



 彼女たちは全員、ある“一人”から目が離せなくなってしまった。



 彼は、老人だった。


 深く刻まれた皺。真っ白な頭髪。


 間違いなく老人だ。


 だが、不思議なことに彼からは老いや衰えのようなものが感じられなかった。


 高い身長と鍛え上げられた肉体。ほんの僅かも曲がっていない背。


 高貴なマントに身を包み、威風堂々とした立ち姿はまさに王だった。


 まるで初めから知っていたかのように、一瞬で彼女たちは理解させられた。


 彼は、王だった。



「……」


 王の口が開く。

 もはやその場の誰もが、彼の挙動から目を離せなくなっていた。


「我が名は、ガウス=スペルギア」


 傲慢で尊大。だが聞く者全てにそれが当然だと思わせる声だった。


「誇りを司る魔神である」


 しん……と、再び静寂が訪れる。


「して、なにゆえ人間どもがここにいる?」






 四人の中でいち早く思考が回り始めたのはハルだった。


(魔族……!)


 黒い目に、金の瞳。尖った耳。

 彼はこれが魔族であることを知っていた。目の前のガウスも、隣の男も、微動だにせずハルたちを取り囲む兵たちも、ほとんど全員が魔族だ。


 魔族でない一部のもの、その一人。

 この緊迫した静寂の中、最初に動いたのが彼女だった。


 彼女はガウスと四人の間に出てくると、ガウスに向き直った。


『「おっと、まだ殺すなよ。連れてきたのには訳があるんだ」』

「!!」


 女性の声に被さるように、しゃがれた低い声が響く。

 その一言で、ソリューニャが我に返った。


「アンタ……双尾か……!?」

『「炎赫の主。また会ったなァ」』


 彼女は、振り返ってにやりと笑う。


 竜人族だった。眉を剃り落とし、紫のルージュを塗っている。

 青い髪を刈り上げるように剃り、後頭部に残した髪の束を編んで垂らしていた。


「どうやって……」


 双尾は誰とも血の契約を交わすことなく消えたはずだ。もはやこの世界には二度と来られないはずだ。

 はずだった。


『「契約なら、この一族の、先祖と交わしてある。はるか昔、俺が封印される前にな」』


 ソリューニャは当然、炎赫も知らなかっただろう事実だった。


「そん……」

「竜よ」

「ッッ!!?」


 言葉を続けようとしたソリューニャは反射的に口をつぐんだ。

 皮膚がチリチリと焼けるように痛む。いま口を開けば、殺されると思った。


「貴様は、我に命令するのか?」

「っ!!」


 ガウスの怒気に当てられてミュウが息を詰まらせる。

 ミュウは相手の強さを直感できないし、危険に人一倍敏感というわけでもない。

 単純にガウスが、誰にでも分かるほど圧倒的な存在感を放っているのだ。


(いけない、ミュウちゃん!)


 マオがはっとしてミュウの肩を抱き、背中を擦ってやる。

 ミュウは徐々に落ち着きを取り戻し、荒い呼吸を繰り返した。


『「炎赫との決着がまだだ。殺すな」』


 パチッ。

 ガウスと双尾が睨み合い、二人の間で魔力が激しくぶつかり合う。


「この我に、二度も言わせるのか?」

『「こればかりは譲れねぇな」』


 一触即発。

 しかしここでもう一人、前に出る者があった。


「お待ちくださいませ、ガウス様」


 黒い長髪の、すらりとした男の魔族だった。一目で位が高いと分かる服装で、ベルトから剣を下げている。

 男はガウスよりやや後ろで立ち止まると、片膝をついて頭を垂れた。


「発言をお許しいただけますか」

「聞かせてみよ」

「は。ここで彼女らを殺してしまうのは、少々惜しいかと」


 男は跪きながら続ける。


「もしここで赤髪を殺せば竜の行方を見失い、“作戦”において不意の襲撃を意識せねばならなくなります。いつでも殺せます。ここは生かし利用すべきです」


 ソリューニャが死んでも、炎赫は次の主を見つけだすことで再びこの世界へと現れることができる。


 男の提言を、ガウスはあっさりと受け入れた。


「よかろう。下がれ」

「は」


 男が下がる。

 ひとまずソリューニャは生かされると判断したのだろう。双尾は小さく鼻を鳴らす。


『「……ふん。俺はしばらく寝る」』


 青髪の竜人の体から黒いモヤのようなものが消えていき、彼女はその場に崩れ落ちた。


「うぅ……ひっ!?」


 すぐに気が付いた彼女は、自分がガウスの前にいると分かった瞬間に小さく悲鳴を上げて硬直した。


「ガ、ガウス様……!?」

「下がれ、コルディエラ」

「は、はいっ! レインハルト様!」


 先ほどの男、レインハルトが命令する。

 コルディエラと呼ばれた青髪の竜人は悲鳴のように返事をすると、慌てて隊列に戻った。


「さて、もはや言葉は不要だな」


 ガウスが緩慢な動きで腕を伸ばす。

 マオとミュウには、それは永遠のような時間に感じられた。マオがミュウをきゅっと抱きしめる。

 今度はレインハルトも止めようとはしなかった。


「ま、待て!」


 ソリューニャが三人の前に進み出た。

 足が震えて、それでも両腕を広げて叫ぶ。


「こいつらを殺すなら、アタシも死ぬ! それじゃ困るんだろう!?」


 先ほどのやり取りで自分がどうやら生かされると分かっていて、それでもガウスの正面に立つことはとてつもなく勇気が要る行為だった。


 そして、賭けでもあった。

 ガウスがソリューニャを絶対に殺さない保証はなかったし、ソリューニャを無視してミュウたちを殺してしまう可能性もある。


「空言だな、小娘」

「っ……!」


 ガウスは決死の覚悟を嘲笑う。

 極限の駆け引きの中、


「嘘じゃない」

「っ!?」


 ハルがソリューニャの隣に立っていた。


「……俺たちは」

「なっ!?」


 ハルは氷でできた淡い群青のナイフで自分の手首を切り付けた。

 真っ赤な鮮血が溢れ落ちて、足元の砂に吸われてゆく。


「仲間だ」

「……!!」


 ハルはソリューニャの背後から、彼女の首に腕を掛けてナイフを当てた。


「共に死ぬ覚悟なら……ある……!」


 ソリューニャの左手首を掴む手は真っ赤に血濡れている。

 淡い群青のナイフを伝って、ソリューニャの首からも赤い血が流れる。


「ほぅ……?」


 ガウスは小さく声を漏らすと、興味深そうに目を細めた。


「…………!」

「なにかが近づいて……!?」


 その時、最初にその魔力の接近に気が付いたのは、ガウスとレインハルト、コルディエラ。そしてソリューニャとハル、マオだった。

 はじめは気のせいにも思えるほどだったが、近づくにつれてそれは確信に変わる。少しづつ気づく人も増えていき、その場は騒然とした空気に包まれた。


「これはっ」

「炎赫!」


 ソリューニャたちに炎赫のことを気に掛ける余裕はなかったため、すっかり頭から抜けてしまっていた。

 その炎赫が、近づいてきている。


(たしかに消えてなかったけど……来てくれたのか……!)


 本来なら限界がこれば自然と還るはずだ。しかし、まさかここまで来るとは想像もしていなかった。

 ソリューニャたちは突如差し込んだ一筋の希望に縋った。


「竜か」


 ガウスは淡々と言うと、ソリューニャたちに向けていた腕を頭上に掲げる。


「うっ!?」


 瞬間、希望はかき消された。

 ガウスが凄まじい魔力を発して数秒、竜の魔力が消えたのだ。


「あ……」


 たった今、炎赫がこの世界から。

 希望を持ってから失われるまで、結局十秒もかからなかった。


「下らんな。さて、人間どもよ」


 しんと静まり返った場内に、ガウスの荘厳な声が響く。

 ガウスは腕を下ろすと、鋭い眼光で四人を射抜いた。


「気が変わった。貴様らの覚悟に敬意を払い、猶予をやるとしよう」

「……え?」


 命が助かったと理解できるのに、一瞬の間を要した。

 それほど張り詰めた状況だった。

 ハルの手首からはとめどなく血が流れていた。


「レインハルト。愚かな客人どもを連れてゆけ」

「はっ!」

「残り僅かな命、せいぜい楽しむがよい。クハハハ!」


 ガウスは残忍に笑った。






 この時はまだ、誰も知らない。


 “希望”はまだ潰えていないことを。

 この地に降り立った“希望”がいることを。


 この時はまだ、誰も知らなかった。

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