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魔導士たちの非日常譚  作者: 抹茶ミルク
時を超えし因縁編
140/256

THOUSAND 3

 

 

 二頭の竜が空を駆ける。


 戦場は火山湖を離れ、雲の霊峰の中心、雷鳴の山に移っていた。


『逃げられんぞ!』


 炎赫を追う双尾が速度を上げて追いつく。

 炎赫はひらりと反転して双尾をかわそうとしたが、振り切れずに組み付かれた。


『くく、捕まえたぞ』

『むぐ!』


 炎赫は振りほどこうともがくが、鋭い爪はがっしりと炎赫を掴んで離さない。


『まだ逃げるか!』

『グア!』


 双尾が炎赫の肩に喰らいついた。鋭いキバがズブリと肉に食い込む。

 炎赫は苦しそうに呻くと、双尾を殴りつけた。


『ぐ、はぁ! ようやくやる気になったか!』

『う……っ』


 炎赫から離れた双尾が嬉しそうに、血の滴る大顎を開く。

 しかし炎赫は再び背を向けて双尾から離れようとする。


『何!』


 双尾はすぐにそれを追って加速した。


 炎赫は大地ののすぐ直上を飛び、そして岩山に沿って昇ってゆく。双尾も後を追って炎赫の通ったすぐ後を飛ぶ。


『ぬ?』


 炎赫がそのたくましい尾で岩山を叩いた。岩山は崩れ、双尾目掛けて岩石の雨を降らせる。


『小賢しい!』


 ぐぁっと口を開き、双尾は竜の息吹を放った。

 息吹は雪崩を吹き飛ばし、その先の炎赫に直撃する。


『ぐ、おお!!』

『この程度か、炎赫ゥ!』

『!!』


 いつの間にか双尾は炎赫を抜き去って、上から炎赫を見下ろしていた。


『時間稼ぎのつもりかァ!?』

『くっ!』

『無駄だァ!』


 竜の息吹が二発、三発と撃ち込まれる。炎赫は右へ左へそれをかわすが、限界はすぐに訪れた。


『っ、避けられぬ! ならば!』


 炎赫は大地に四本の足で降り立つと、双尾に向かって竜の息吹を放った。


『くは! そうだ!』


 双尾は迫る真紅の魔力に、竜の息吹で迎え撃った。

 赤と黒がぶつかり、魔力が弾ける。衝撃波が二頭の竜を呑みこみ、岩山の半分を吹き飛ばした。


 粉塵が晴れた後、そこに炎赫の姿はなかった。


『……また!』


 双尾はすぐに炎赫の居場所を探る。


『そこか!』


 双尾は抉れた岩山に息吹を放つ。岩山は粉々に砕け、旋回する炎赫の姿が現れる。


『隠れていただけか? 何を考えている、炎赫』


 炎赫が逃げる理由は、時間稼ぎだけではない。

 竜と竜の戦いが人に、環境にどれだけの爪跡を残すのか。それは先ほど火山湖で示した通りだ。

 故に炎赫は、あの場所から双尾を引き離すつもりで逃げていた。


『…………』


 しかしそれは、炎赫に逃げ場がないということでもある。もしも双尾が悪意を持って火山湖に向かおうとするならば、炎赫はそれを阻止せねばならないからだ。


『答えろォ! 炎赫!!』


 昇った朝日はすでに雲に隠れてしまった。訪れた灰色の静寂をかき乱す、双尾の咆哮。


『ぬぅ!』


 迫る黒い魔力の奔流に、やむを得ず炎赫も息吹で迎え撃った。これ以上距離を取れば、今度は火山湖を守れなくなるからだ。


『ガァ!』

『グオオッ!』


 魔力が弾けた。


『……衰えたな、炎赫』


 衝撃波をまともに浴びたにもかかわらず、双尾は無傷で佇んでいた。

 一方、炎赫は目に見えて疲弊している。


『オレはもう一度テメェと殺し合いたかったんだ』

『背を向けるような腑抜けじゃねェ。テメェじゃねぇんだよ!』


 双尾が突っ込んでくる。


『グアア!』

『オオオッ!』


 炎赫も正面からぶつかりに行く。と見せかけて、やや上にずれて受け流そうとする。


『これ以上オレを侮辱するなァァ!』


 双尾が身を翻し、二本の尾を鞭のようにしならせて炎赫を打ち付けた。


『グ……ハ!』

『オラァ!』


 よろめく炎赫に、双尾は力任せの腕の一振りを叩きこむ。

 そして怒りのままに至近距離からの息吹を放った。


『グアアアア!!』


 炎赫は吹き飛ばされて、砕けた岩山の上に墜落した。


『ぐ……やはり、敵わんか……っ!』

『なァ、炎赫』


 地に臥す炎赫を冷ややかに見下ろしながら、双尾は語る。


『オレはテメェに封印されてる間、夢を見ていた』


『オレとテメェがやり合う夢だ。オレが勝つことも、負けることも、決着がつかないこともあった』


『だが、今のテメェはそのどれよりも弱ェ!』


『失望したぞ!! 炎赫!!』


 炎赫は、双尾の執着が並々ならないものであることを知っていた。元々好戦的な性質なのだろう。双尾はいつからかむしろ炎赫を倒すことを目的にしているような素振りを見せるようになっていたのだ。


『殺してやりてェ……殺してやりてェが』


 炎赫と双尾は、この世界で死んでも元の世界で生き続ける。

 ただしこの世界でのルールに従い、二度とこの世界には来れなくなるのだ。朽ちた肉体、亡んだ命は二度と返ることがないように。


 ではこの世界で彼らが戦うのはなぜか。

 それは人類を滅ぼすためであり、守るためである。もし炎赫がこの世界での死を迎えれば、もはや双尾は止まらない。


『時間がねェ』

『……!』


 双尾は気づいていた。

 炎赫がまだ余力を残していることを。残された時間で炎赫を仕留めようとすれば、それは非常に厄介なリスクを負うことになるだろう。


『いや。こうなることを望んで、わざと手を抜いたのかもしれねェ』


『この世界の体はこれだから面倒だ。見えねぇ気分の影響が強すぎる。不愉快だが、人間臭さってやつだ』


 双尾は心底憎々しげに、しかしどこか楽しげに吐き捨てた。


『じゃあな』

『待て! どういうことだ!』


 双尾はそう言い残して飛び去った。


『この方角……主!』


 双尾が残された時間で、これほど執着していた炎赫との戦いすら後回しにして何をしようとしているのかは分からない。分からないが、それがよくないことであるのは間違いない。

 炎赫は翼を広げ、後を追う。






 争う気はない。

 そう言ったその青年は、自らをNAMELESSのハルと名乗った。

 ミュウとマオはNAMELESSが襲ってきたことをリリカに聞いて知っていたが、ソリューニャもすぐにカキブの依頼を受けた刺客という可能性に気が付いた。


「争う気がない、だって?」

「……取引がしたい」


 ハルはあと一人、カルキという仲間がいることも打ち明けたうえで、自分たちを見逃してほしい旨の取引を持ち掛けた。代わりにハルからは手を出さないという。


「……それは、アタシたちを殺せるっていう自信があるってことかな」


 この取引は、ハルがソリューニャたちを相手にできるという自信がなくては成り立たないものだ。

 ソリューニャの問に対して、ハルは即座に肯定した。


「……その通りだ」

「なら、それをやらない理由があるのか?」


 ソリューニャは考える。

 相手はかなり傷を負っており、ここで三人相手に勝てるとしてもそれなりに危険を伴うだろう。それでも自信があるのが本当ならば、何か今は認知できていない隠し玉があるはずだ。


 しかし、それを見透かしたようにハルは言った。


「カルキは……怪我をしている」

「つまり仲間を見逃してほしいから、アタシたちを見逃してくれるってことか」

「ああ」

「ど、どうするのです?」


 不安そうにミュウが囁く。


「……マオ。どう思う?」

「五分五分、ね。判断材料が足りないわ。もしハッタリなら戦った方がいいかもしれないし、本気にしろ私たちが信じる根拠にも乏しい」


 マオも首を横に振る。

 煮え切らないソリューニャたちに、平静だが少し焦っているような声でハルが急かす。


「……早くしろ。俺はカルキを、探さなければ……」


 正確を推理するにしても、どのみち判断材料は足りない。ならば、あとは勘だった。

 ソリューニャは前髪で隠れがちなハルの目を見た。


「…………分かった。アタシは信じる。二人はどうだ?」

「ええ、私もいいわ」

「私も。ソリューニャさんを信じるのです」

「ありがとう。聞こえただろう、交渉は成立だ」

「そうか……」


 ハルは取引が成立したことを確認すると、手に隠していたカートリッジをソリューニャの足元に放った。


「!?」

「っ、コイツ!」


 攻撃か、それに準ずる行動だと思ったのだろう。マオが一瞬でバリアを張ってカートリッジと三人を隔離する。


「白のコート、金髪。剣士……」

「何?」

「カルキの情報だ。もし……見かけたらそれを見せろ」

「そうすれば信じてもらえる、か。マオ、拾うよ」

「っ、気をつけてね」


 マオがバリアを解除すると、ソリューニャが慎重にカートリッジを手に取る。

 木と金属でできた、平たい直方体の道具だ。確かにこんな道具は見たことがなく、これがハルを証明するに足る持ち物であることは間違いないように思えた。


「まだ……気を抜くなよ」

「ええ、分かってる」


 ハルは無防備にもソリューニャたちに背を向けた。ソリューニャたちはその一挙一動を警戒しながら、離れてゆくハルを見送る。



 その時だった。


「オオオオオオオオオオオオオオオッ!!」



 耳をつんざく咆哮が轟いたかと思えば、直後。漆黒の竜が降り立った。

 地面が揺れ、その衝撃でソリューニャたちは吹き飛ばされる。


「きゃあああああああ!?」

「くぅぅっ!?」


 すぐに起き上がったソリューニャとマオは、自分たちを丸ごと飲み込む黒い魔力を見た。


「なん……っ!?」


 魔力は収縮し、やがて一つの球になってソリューニャたちを閉じ込めた。その中にはミュウと、ハルの姿もある。

 そして訪れる浮遊感。


「浮いてるです!?」

「ちょっと、何するつもり!?」


 球の中心でもがきながら、ミュウとマオが叫ぶ。鋭い勘などなくとも、恐ろしい目に合うのだろうことは確信できた。


『少々余計なものが付いたが……まあいい』

「!?」


 そのとき双尾の瞳は、確かにソリューニャを射抜いていた。

 双尾が翼を広げ、飛び立つ。しかしそれを邪魔する存在があった。


「シャアアアアアア!」

「っ、ナーガ……!」


 王蛇だ。


『蛇の王よ……オレに楯突くか!』


 王蛇は竜に絡みつき、双尾が飛び立つのを阻止しようとする。

 白と黒の鱗がこすれ合い、耳障りな音がソリューニャたちの元にも届く。


「蛇さん……!」

「く、今のうちに脱出を……!」


 王蛇は双尾の足から体、そして首へと巻き付いてゆく。双尾もただやられるばかりではない。その鋭い爪で蛇を引き剥がそうとする。


『ぐぅ!?』

「シャアアアアアアアア!」


 しかしこの体勢は蛇に有利だ。全身が筋肉ともいえる蛇は、こうして巻き付いて得物を絞め殺す戦法を得意とする。

 王蛇はとどめとばかりに双尾の首元に噛みついた。


『ぐ、おおお!』


「きゃああ!」

「ああっ!」


 魔力の球が不安定に震え、ソリューニャたちを揺さぶる。王蛇の攻撃が双尾を苦しめている証拠だった。

 王蛇はますます締め付ける力を強め、いよいよ仕留めにかかる。


 しかし。


『蛇の王……ごときがァァ!!』


 双尾が長い首を曲げて、王蛇の胴に喰らいついた。

 歯は純白の鱗を貫き、肉にのめりこむ。

 そしてそのまま、双尾は竜の息吹を撃ち込んだ。

 傷口から直接体内に流し込まれた魔力が、一瞬胴を膨らませ


「シャアアアアアアアアアアアアア!!」


 弾けた。


 王蛇の断末魔が響き、血の雨を降をらせる。

 血の雨は肉片とともに黒球の表面を叩くが、その中で静かに涙を流すハルに届くことはなかった。


「ナーガ……」

「うあああ!?」

「きゃあ!」


 王蛇の首は吹き飛び、火山湖に落下した。

 王蛇の胴は力を失い、大地へと打ち捨てられた。


『けっ。オレに楯突いた報いだ』


 どれだけ尊い存在だったとしても、散った命に価値はない。骸は

 双尾は王蛇だったそれを踏みつけると、今度こそ飛び立った。


「惨い……です」

「ミュウちゃん……」


 大地が離れてゆく。代わりに近づく雲。


「っ、炎赫!」

『むっ?』


 そのとき、双尾の後を炎赫が追ってきているのが見えた。


『貴様! 主らを放せ!』

『くくっ、そうはいかねェ。これ以上逃げられちゃあ困るからなァ!』


 双尾は雲に向かって息吹を放つと、その中へ突っ込んだ。


「きゃあああ!」

「ぐ、どこへ行く気だ!?」

「……っぐ!」


 稲妻が双尾と黒球に襲い掛かる。

 黒球の中まで稲妻が通ることはないが、圧倒的な自然の驚異はただただ恐怖として四人をいたぶる。音も、闇も、光ですらも、それらは洗礼のように異物である彼女らへと向けられていた。


 しかし双尾はそれを苦ともせず、ついに雷雲の上へと突き抜けた。

 瞬間、訪れた静寂。


「…………!」

「雲の……上……」


 下には延々と広がる雲。上には燦々と輝く太陽。

 空があんまりにも穏やかに包むから、彼女たちは一瞬、今の危機的状況も忘れて魅入ってしまった。



 ふと、何かを見つけたソリューニャが目を擦った。


「……なぁ、ミュウ。マオ。あれは……幻か?」

「私にも、見えるのです……」

「私も……」


 穏やかな世界は、「そんなもの」まで当然のように受け入れていた。


「陸が……浮いてる……」

「まるで……島だ」


 雲の海に浮かぶそれはやはり何度見返しても「島」だった。

 そしてどうやら竜はそこを目指しているようだった。




 ……天雷の秘境編に続く。

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