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魔導士たちの非日常譚  作者: 抹茶ミルク
時を超えし因縁編
139/256

THOUSAND 2

 

 

 幾星霜、幾星霜。

 赤き竜は眠り続けた。

 この日が来ないことを願って。


 幾星霜、幾星霜。

 黒き竜は眠り続けた。

 この日が来ることを願って。




 湖の中心が爆ぜて、姿を現したのは漆黒の体躯の竜。

 大きさは真紅の竜と変わらず、ソリューニャなど一口で飲み込んでしまえるほどだ。

 針のような牙を覗かせる大きな顎、敵を切り裂くためだけにあるような四肢。巨大な翼、二本の長い尾。全体的に鋭利なフォルムは、荒々しい敵意を体現しているかのようである。



『久しいなァ! 炎赫(えんかく)!』

双尾(そうび)! おのれ、なぜ……!』


 二頭の竜は湖の上で旋回しながら、互いを睨みあう。


「ぐうっ! なんて圧力!」


 湖は荒れて渦を巻き、木々は根からへし折れる。土砂は巻き上げられ、生き物たちは逃げ惑う。

 一度の羽ばたきで巻き起こる旋風はまさに天災、嵐として大地を駆け巡っていた。


「竜! どういうこと……いや、勝てるのか!?」


 予想では漆黒の竜の復活にはまだ幾ばくかの時間が必要だったはずだ。しかし現実に、こうして竜は復活した。いや、わざと待っていたような口振りから察するに恐らくはもっと早くに復活できたのだろう。

 しかしソリューニャは沸き上がる疑問の様々を飲みこんで核心に触れた。


『難しいだろうな』


 そして返ってきたのは、冷酷なまでの現実。


『真っ向から戦えば、負けるのは間違いない』


 衰弱するだけだった真紅の竜に対し、漆黒の竜は封印された空間でもごく少量ずつ魔力を回復できた。たった三日の回復では、封印を破れるほどの力を取り戻した竜に及ばないのだ。

 だからこそ、ソリューニャたちは竜の復活を阻止したかった。戦闘になれば厳しいことを知っていたから。


『だが奴には主がいない』


『故にいつか、奴はこの世界から弾き出される』


『その時はすぐに訪れる』


 それは絶望の中に残された一筋の可能性だった。


「つまり、耐えるしかないのか」


 竜たちはこの世界に存在するために竜人族の魔力、それも極めて稀にしか発現しない二次魔力“竜の祝福”を必要とする。そのため、主がいない竜は“竜の祝福”の供給を受けられず、やがて元いた世界に引き戻されてしまうのだ。

 しかし戻りさえすれば自身の魔力やダメージは回復できるうえ、非常に困難ではあるが再び主を探すこともできるようになる。だからこそ漆黒の竜はこの世界でも元の世界でもない空間に封印されたのであり、また真紅の竜は世界の移動をできないような呪いをかけられ閉じ込められたのだ。


『そうだ。奴が我の到着を待ったのは残された時間が少ないからだろう』

「なるほど……!」


 どちらにしても、こうなることは決まっていたようだった。


『炎赫! オレはずっと待っていた!』


 二人の会話が終わるのを待っていたかのように、漆黒の竜が仕掛けた。


『テメェを殺せるこの日をなァ!』


 無理矢理引き裂いたかのような巨大な口をいっぱいに開いて、真紅の竜に向かって突進する。


「うああああ!!」

『ぬぅ!』


 真紅の竜は一つ羽ばたいて上へ逃げる。

 漆黒の竜は破壊を楽しむようにそのまま直進し、大地を抉りながら大岩に沿って真紅の竜と同じ高度まで上がってきた。


『オレはなァ! むしろテメェが生きてくれることも望んでいた!』

「竜!」

『ああ、なるべく離れる!』


 ソリューニャの眼下には、美しかった景色の残骸と、白い蛇。

 ソリューニャの胸中には、地上で戦う仲間のこと。


 それを汲み取った真紅の竜は、漆黒の竜から逃げるようにさらに上空へ。

 漆黒の竜もそれを追って羽ばたく。


「ぐぅぅぅ!!」


 ソリューニャの肉体にかかる負荷は、空飛ぶ魔法使い(フライングウィッチ)を使ってなお大きい。鱗にへばりついて額をつけて、何とか呼吸をするだけで精一杯だ。


『主よ』

「……いや、アタシのことはいい!」

『そうはいかぬ。主には我との契約がある。我はそれを果たすための、主の未来を案じる』


 真紅の竜は、人を愛する。主であるソリューニャも例外でない。


「……ありがとう」


 真紅の竜は今度は急降下を始めた。漆黒の竜も追ってくる。


「そうだ……えん、かく?」


 ソリューニャはふと、二頭がお互いを呼ぶ言葉を思い出した。

 炎赫と双尾。

 双尾は二本の尾からだろうか。


 ソリューニャの考えを読んで、真紅の竜が答える。


『いつかの主に貰った名だ。炎のように赤く輝きを放つ……という意味らしい』

「そうか。なら、炎赫」

『どうした、我が主よ』


 地上が近づく。


「みんなを……人を、守ってくれ」

『承った』


 炎赫が廻旋した。

 地上へと弾き飛ばされたソリューニャの体が炎赫の魔力に包まれ、ソリューニャの勢いを弱めてゆく。やがて地上に近づくとそれはシャボン玉のように割れて、ソリューニャは着地した。


「頼んだぞ……」


 ソリューニャが見上げる曇り空を、二頭の竜が横切った。


「さて、まずは仲間と合流か」

「ソリューニャさん!」


 探すまでもなく現れたのは、ミュウだった。


「怪我はないです!?」

「ああ……ミュウ、アンタこそ大丈夫か?」


 真っ先にソリューニャを心配する相変わらずの優しさに苦笑しながら、ソリューニャは泥だらけのミュウを抱きしめる。


「はわっ! どうしたのです!?」

「……少し、怖かった」


 ソリューニャは正直に弱音を吐いた。

 漆黒の竜、双尾。あれから向けられる害意を間近で感じたのだ。無事なはずはない。

 ミュウは微かに震えるソリューニャの背中を優しくさすった。


「……ふぅ。ありがとう、落ち着いた」

「えへへ、いつでも頼ってほしいのです!」

「ミュウちゃーん! 急に飛び出してどうしたのー?」

「マオ!」

「あら、ソリューニャさん」


 ソリューニャが離れたタイミングを見計らったようにマオとヒバリが顔を出した。


「無事だったのね、ソリューニャさん」

「やっほー。いやー、命は尊いねぇ」


 ヒバリが安心したように笑う。マオもおどけて軽口を叩き、努めて明るく振る舞った。彼女たちも漆黒の竜が復活してしまったところを見ているのだ。それがどれほどの危機か、荒らされた大地を見ればわかる。


「三人は一緒だったのか?」

「マオさんがバリアで守ってくれたのです!」

「なるほど、それでケガ一つないのか。ありがとうな」

「どういたしまして」


 ソリューニャと別れたミュウはマオたちと合流を済ませ、それが彼女を暴風から守ったのだった。


「リリカたちは?」

「それが、吹き飛ばされて散り散りに」

「そうか。……反応はある、大丈夫」


 お守りの力で、誰も欠けていないことを知る。


「さて。私はあの子たちのところへ行かなくちゃ」

「ヒバリさん?」

「あの子たちは繊細なの。ソリューニャさんが竜を召喚したタイミングで耐えきれなくなったのね。飛んで行ってしまったわ」

「そんなことあるのか……」


 たしかに、ここにヒバリはいても彼女の相棒たちはいない。


「薄情なんて思わないであげてね。元々彼らは野生の命、私たちは力を貸してもらっているだけなの」

「ああ、そうだな。その通りだ」

「実際ここに留まってたら私のバリアじゃ守れなかったと思うわ。侮れないものね、野生の勘って」


 マオの言うとおりだった。

 あの突風に巻き込まれてしまえば、彼らの大きな体には無視できないダメージがあっただろう。


「もう行くわね」

「一人で大丈夫なのです?」

「ええ。あなたたちこそ気を付けて」


 ヒバリは鳥を探しに行った。


「さて、ソリューニャ」


 ヒバリを見送ったマオが真剣な顔でソリューニャを呼んだ。何を話すのか知っているかのように、ミュウもまた表情を硬くしている。


「このどこかに敵がいるわ」

「……!」


 ちょうどその時、ソリューニャは近づいてくる人影に気付いた。


 ゾワッ、と皮膚が粟立つ。


「……あいつ、だろう……!?」

「えっ!?」


 マオとミュウも振り向いて、それを確認する。


 左に流れた白髪の、黒いマントに身を包んだ長身の男。前髪で隠れがちの目元からは、涙の跡をなぞったような二本の赤い線が描かれている。


 ソリューニャは敏感に敵の強さを感じ取り、腰に差していた二振りのカトラスを握る。ミュウとマオも即座に戦闘態勢に入った。

 敵との距離はまだ遠い。それでも一歩近づいてくるたび、襲い掛かるプレッシャーは強くなる。


(逃げられるか……!? いや、マオとミュウはきっと逃げ切れない。やるしかないのか!?)


 だが。

 敵はソリューニャが飛びかかろうとしていた寸前で足を止め、口を開いた。


「……争う気はない」


 ◇◇◇







 レンたちとNAMELESS。

 どちらも休戦を望んでいながら、叶うことはなかった故に生まれた緊迫した睨み合い。



「グオオオオオオ……ッ!!」


 それは竜の召喚によって揺らぎ、


「グオオオオオオ……ッ!!」


 二頭目の出現によって簡単に崩れ去った。


 旋回する竜たちの羽ばたきで巻き起こる突風は、所詮人間である彼らを易々と吹き飛ばした。

 空を飛んでいた虫人間も、斬られた手足も、泥も、草も。


「うわあああ!?」

「ぐうっ!?」


 見えざる巨人の腕に殴られたかの如く。

 ミツキも、ハルも、レンも、カルキも、ジンも、誰一人、何一つの例外なく、風はすべてを薙ぎ払う。


「がっ!?」


 転がったジンの上に湖水が降り注いだ。


「寒っ! くっそ、何がどーなって……」


 水を拭って立ち上がったジンに、今度は津波が襲い掛かった。


「のわぁぁーー!」


 流されて、ようやく水の勢いが止まったかというところでまたも吹っ飛ばされた。

 空中で天を仰いだジンは凄まじい速度で頭上を通った巨大な黒い影を見る。


「あーくそ」


 竜は高く昇っていく。


「あれが竜か……やべぇな」


 ジンは身を起こすと、レンたちを探し始めた。


「ん!」


 ほどなくして、横たわるリリカを見つける。

 目を閉じているが、呼吸はある。気絶しているようだ。


「おい、リリカ!」

「ん、ぅ」


 リリカはすぐに気が付いた。


「ジン!! よかった無事で!!」

「耳が無事じゃねぇ!」


 耳を塞ぐジン。


「いつつ、頭に石が当たったみたい」

「ん、こぶになってるな」

「痛い触るな!」

「ぶはぁ!」


 張り手がクリーンヒットした。


「何やってんだよ……」

「ミツキ!」「レン!」


 あきれた表情でミツキとレンが現れた。互いに肩を貸しあって、フラフラと近づいてくる。

 もう全員ボロボロだった。四人は腰を下ろして、上で戦う竜たちを見上げた。


「ソリューニャの方でなんかあったんだろうな」

「あれが竜の戦争かぁ。とんでもないな」

「リリカ。他のみんなはどうした?」

「うー、いきなり飛ばされて、それどころじゃなくて……」


 ばつが悪そうに目を逸らすリリカを、ミツキがフォローした。


「マオがいたなら大丈夫だ。むしろ君が心配されてるさ」

「うん……」

「さて、どーすんだ。とりあえずあいつら探してーけど」

「ソリューニャ、いつの間にか降りたらしいな」


 レンがお守りを触りながら言う。予定はもはや跡形もなく、少なくともソリューニャとミュウが生存していることくらいしか分からない。


「NAMELESSもいる。少し休んだらすぐに動こう」

「あいつらが心配だ! すぐ動くべきだ!」

「焦るなよ。敵も手負いだ、大丈夫。マオたちを信じよう」

「むぅ。それもそうだな……」


 もはや事態は彼らの手の届かないところにある。

 彼らに許されたのは仲間の無事と、赤き竜の奮闘を願うことだけであった。

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