人殺しの眼 2
カルキの放った一撃は、今まさにハルを斬ろうとしていたミツキを襲った。
「うぁ!?」
「っ、カルキ……!」
寸前で気づいて防御の構えを取らなければ真っ二つになっていただろう。
そうでなくとも、ハルにとどめを刺せたはずの距離。それはまたハルにとっても同じで、今、眼前にはハルに無防備を晒すミツキの姿がある。
ピンチはチャンスに一転した。
「……はぁ!」
ハルの細剣がミツキを斬る。
「がぁあ!!」
ミツキが肩を押さえて後方に飛び退いた。血は指の間からとめどなく溢れ、半身を真っ赤に染める。
ミツキはたまらず膝をついた。
「う……!」
しかしハルもまた膝をついていた。刀の雨による致命傷こそ避けたものの、全身についた切り傷がハルを大きく疲弊させている。
「は……ははっ。とんだ仲間思いだな、相方は……!」
「……ハァ……ハァ……!」
ミツキが刀を支えに立ち上がる。
ハルも傷口に魔力を纏って凍らせ、応急処置をして立ち上がる。
「へぇ。ズルいな……それ」
「……っ」
軽口を叩きながら、ミツキも傷口を縛る。
多くの血液を失った。勝てる確率もかなり落ちただろう。結果はもう分からなくなった。
だが、それでもやることは変わらない。勝って、生き残るのだ。
「やれやれ、おれも人の心配してられないね……。みんな、耐えてくれよ……」
そう言って、ミツキは刀を構えるのだった。
「ハルっ!」
目の前の敵から意識を逸らす。
戦闘のプロたるカルキの、普通ならばあり得ないミスだ。
否。ミスというにはあまりに短い意識の途切れ。並の敵なら全く影響はなかったはずだった。
「っ!」
意識の外側から、ぬらりと。
気づいたときには、ジンがいた。
「うぉ!?」
超人的反応速度。
カルキは腕で急所を隠す。
「おおっ!」
ナイフが腕に刺さった。
首を掻くつもりだったのだろう。ナイフは腕から肩までを斬り裂いて消えた。
「ぎぐ……あ!?」
ジンと目が合う。
ただ自分を殺すという感情のみが籠っている、その眼差しに、カルキは思わず笑った。
「……ははっ」
「ごは!?」
畳み掛けようとしていたジンを蹴り飛ばす。ジンは吹っ飛ばされ、受け身を取ってすぐに立ち上がった。
だが、警戒していた魔導は来ない。
かわりに言葉が飛んできた。
「ふ、ふふ……! 今のはよかったよ」
「あぁ?」
「君のことは好きになれそうだな!」
「俺は嫌いだ。くたばれ」
まさにそういうところが、とでも言うように、カルキはニィと笑った。
そして確信を持った一言を投げかけた。
「君、人を殺したことあるだろ」
「……!」
「その眼は、人は殺せば死ぬことを知っている眼だ」
カルキは血濡れの指で目元をなぞる。
「そしてそれを知ってなお人を殺す覚悟をした……」
赤い目を細めて嗤う。
「人殺しの眼だ」
ジンが叫んだ。
「黙れ!」
「なぜだい? 僕らの同類じゃないか」
「テメーらとは違ぇ!」
「違わない」
カルキは今にもジンを殺してしまいそうな「人殺しの眼」でジンを見る。
「君は奇襲がうまいね。油断したとはいえ、二度も不意を突かれた」
「……」
「殺す気だったろう? 仲間を逃がしてからは特に強くそれを感じたよ」
カルキが感じていたことが正しければ、ジンは最初、自分が生き残るために殺す気で戦っていたはずだ。
そしてレンとリリカが傷ついてからは、むしろ自分を犠牲にしても構わないという、もっと純粋に殺す気で戦っているはずだ。
「…………」
そしてカルキの推論は正しい。
「無駄がない……紙一重で死なない……まるで、そう。世界が君たちを生かしたいみたいに。一度はそう思った」
ジンとレンは、神懸かった勘と反射と判断でいくつもの死線をかい潜ってきた。それは訓練に裏打ちされたものではあるが、それ以上に“生きたい”という気持ちが無意識のうちに、しかし強烈に肉体を動かしているところが大きい。常に“生きる”ためによりよい行動を選択し続ける、それが二人の肉体に課せられた最上位の命令なのだ。
「けど、そんなことは絶対にあり得ない。仲間を逃がしてから、“殺せない”は“殺しにくい”になったから」
レンとリリカが来て、それまで“生き残る”ことを最優先していたジンの体は“殺す”ことを最優先にと無意識に刻み付けた。
そしてカルキはやりにくさを感じるようになったわけだが、それはむしろカルキにとって都合のいい変化だった。
「守りたいんだね。ジンにとって殺す気は守るために最良の心構えなわけだ」
結果として不運が重なり二度の攻撃を受けたが、幸運にもカルキはまだ戦える。
否、三秒後にもジンを殺しているかもしれないとすら思っている。戦況は変わっていない。カルキは今度こそジンを殺せる。
「今からでも自分のために殺さないかい? 僕はそっちの方が楽しいよ」
「うるせえ……!」
「……これだけ力の差があってそれでも抗う。殺す気で。蛮勇と言われちゃそこまでだけど、僕はそれを笑わない」
「あぁん?」
「残念だよって意味さ」
カルキはだらりと右腕を垂れる。鮮血が腕を伝って、握った刀の切っ先から地面に黒いシミをつける。
痛々しい姿で、しかし衰えぬ殺気を纏ってカルキは平静だった。
「……テメェこそ、何なんだ」
「んん?」
「気に食わねー、人殺しかと思ったら仲間を助けたりしやがって。そんで死にかけたりして」
「あはは、なんだか底を見られたみたいで嫌だなあ。いや、お互い様かー」
でもさ……とカルキは続ける。
「殺し屋に命よりも大事な仲間がいるってこと、そんなにおかしいかな?」
「そんなに痛いの知ってて、なんでだ! クソが!」
ジンとカルキは、似ている。そして絶対に相容れないほどに違っている。
「認めねーぞ! 気に食わねェ!」
「だったらさあ! 来なよ!」
「おおおおお!」
だからこそ。
こうしてぶつかり合うのは必然だったのかもしれない。
二人の瞳が交錯する。
◇◇◇
上空、火山湖。
大岩を迂回すると、そこには美しい大自然が広がっていた。
「わぁ……!」
岩も草木も、その中心の湖も。深い霧に覆われていたのだろう、その霞すら朝陽は染めて、ミュウの視界を金色に塗りつぶす。
そこにはまるで動たる者の気配はなく、静謐に、ただただ粛々と佇む湖だけが漣に揺れている。
「キラキラなのです!」
戦いに臨むつもりで来たミュウも、思わず感嘆の声をこぼしていた。
もう少しで雲に隠れてしまう太陽は、毎日、日の出と日没の僅かな時間だけこの地に光を当てるのだ。そして空から見渡したその瞬間の、なんと美しいことか。
「ここに悪い竜さんがいるなんて、嘘みたいなのです……」
それでもこのどこかで、漆黒の竜は復活するのだろう。
「……そうでもないみたいだ」
「え?」
ソリューニャは気づいていた。
景色が美しすぎる。
眷族がいないのだ。
「あっ、皆さんがきっと……!」
「っ、散って!」
先頭を飛んでいたヒバリが叫ぶ。
ヒバリが指笛を吹いて指示するまでもなく、ぽっぽたちの動きは迅速だった。
「あえっ、わぁぁ!?」
急加速したキャップに振り落とされぬように、必死にしがみつく。刹那、ミュウの視界に飛び込んできたのは巨大な王蛇の頭だった。
「シャァァァァァァ!!」
「「!?」」
バクン!
口を閉じただけで、爆発したように空気が震える。一瞬でも反応が遅れていたらミュウたちはあれに喰われていただろう。
「キチキチ!」
「シャァァア!」
「眷属もっ!?」
飛行型の眷属が王蛇に群がる。王蛇はそれを硬い鱗で弾き飛ばし、大きく隙を見せた眷属をまとめて一咬した。
「ギチ……」
「蛇と戦ってる!」
「だから……眷属も岩で隠れてたんだ……!」
王蛇は鬱陶しそうに飛び回る羽虫を散らしていく。
「ヒバリさんっ! あれって王蛇!?」
「でしょうね! あの大きさは不味いわ、ここまで届く!」
マオとヒバリはすぐにそれを王蛇だと見抜いた。しかし、その大きさや本来の生息地などの異常はあえて無視をする。
少なくとも何かは起こっていたのだ。
優先はレンたち先行組との情報交換、それと同時にソリューニャの援護。
こういった緊急時には、とにかく判断の早さが結末を変えることを、全員理解していた。
「ソリューニャさん! 行くのです!」
「ああ! 行くぞ、グレイ!」
ソリューニャとミュウは湖の中心へと向かう。
「アイ! 何か見える!?」
「ぽっぽもお願い! ミツキ君たちが心配だわ!」
マオとヒバリは、人間以上の動体視力を持つ鳥たちの眼を頼りに仲間を探す。
王蛇も、突如現れた鳥たちに感じるものがあったのだろう。ヒバリたちを追って湿地を這う。
NAMELESSの乱入で一変した状況は、ここで二度目の急展開を見せるのだった。




