格闘祭 6
宿のベッドに寝かされたソリューニャは、扉の向こうで今も苦しそうに呻いている。
「なぁ、ソリューニャはどうなんだ?」
「奇妙なことに、何もなかったよ。普通、病気なら熱が出たりとかのサインが出るものだ。でも彼女は激しい頭痛に襲われていながら、ただそれだけなんだよ」
「病気じゃねーのか?」
「頭痛も突然だった。最近寝相が非常に悪くなったというが、恐らくこれは医者の領分じゃないんじゃないかな。魔導の類いは専門外なんだ」
部屋から出てきた医者は、部屋の外で待っていたジンにそう説明した。
この医者は会場でソリューニャが倒れる瞬間を目撃している。その彼が様々な要素を加味して出した結論なのだから、それなりに信頼性も高い推理だ。
「魔導……」
「断定はできないよ。とにかく安静にして、体調の悪化を防ぎなさい。この先に私の出番がないことを祈ろう」
体が弱ったときに病気を発症するのはよくあることだ。手を出せないなりに最善のアドバイスを残して、医者は戻っていった。
「ミュウ」
「ジンさん。ソリューニャさんは苦しそうです。ヒールボールも無駄でした」
ヒールボールは怪我や弱い毒に効果があるが、軽い病症も回復できる。あまり期待せずに試してみたが、やはり効果は見られなかった。
これは逆に言えばソリューニャの異変は肉体的なものではないということだ。魔導という可能性は高い。
「……このまま打つ手がないままじゃ、ダメだと思うのです。何かしないと、でもどうすればいいのか……」
「んー。まあ一つだけ試せることがあるだろ」
「え?」
◇◇◇
前試合の戸惑いを多分に含み、いまひとつ煮え切らない空気で決勝戦は始まった。ソリューニャ対セリアの戦いで張り詰められた気が、その唐突な決着で緩んでしまっているのだ。
「はぁぁ!」
「っ、くぅ!」
リリカが果敢に攻める。セリアは今までのスタイルを大きく変えて、リリカの攻撃をかわしている。
変だ。リリカは攻めながら違和感の正体を探っていた。
セリアの動きにあったキレがない。まるで泳げないのに水の中に閉じ込められているような、苦しそうな表情でリリカの攻撃をよけ続けている。
「あっ!?」
「……!」
リリカが攻撃の選択を誤った。セリアから見れば反撃をするチャンスだ。
(まずっ! やられる!)
一発は覚悟しなければならないだろう。リリカは魔力を集中して攻撃に備えた。
「…………?」
しかし、セリアからの反撃はなかった。自分でもみっともなくなるくらい確かな隙を見せてしまったというのに。
なんとなくそのまま仕切り直しになった。二人は一旦体勢を整えるため離れ、呼吸を整える。
(ケガしてるのかな……? だったら試合を続けるわけにもいかないけど……)
観客もセリアらしからぬ戦いに首をかしげている。やはり誰の目にも彼女の動きはおかしく映っているようだ。
「……しっ!」
「わぁっ!」
するとセリアは、背中を押されたように前に出てきた。今まで見てきたものよりキレがないようにも感じるが、その動きに大きな変化はない。
リリカが防戦一方になるくらい、素早い動きで攻撃を仕掛けるセリア。その動きからは、セリアがケガをしているとは思えない。
「……」
「ふっ! はっ!」
ならばなぜ、彼女から圧力を感じないのだろうか。こんなにも苦しそうな表情なのだろうか。
外からセリアを観察していた時、リリカはそのスピードを驚異に感じていた。だが実際に受けてみると、思考の隙を奪われるほどのものでもない。
「体は大丈夫そうなのに、なんでだろう……」
「つぁぁあっ!」
「せいっ!」
セリアらしくない大振りのパンチをかわしたリリカは、真正面から掌底打ちで弾き飛ばした。
「はぁ、はぁ……!」
「ちょっと、本当にどうしたの?」
なるべくダメージを与えないように突き飛ばすくらいのつもりだったのだが、セリアの様子は不自然に辛そうだ。
これ以上はやっていられない。リリカは返答次第で中止を申し出る気でセリアに聞いた。
「ねぇ、どうしたの?」
「…………」
セリアは答えない。
リリカを見ているようで、見ていない。それはかつてリリカと戦ったどの相手とも違う、リリカの気持ちをざらつかせる視線だ。
このままでは埒が明かないとリリカが思ったときだった。観客席から聞き慣れた声が飛んできた。
「セリアーー! 手ェ抜くんじゃねぇーー!」
レンだ。
(手を、抜く……?)
「ったく、わざわざ残った甲斐がねぇよ」
リリカはレンの言葉を反芻した。そして自分の心のざらつきの正体に気がつく。
「もしかして、迷ってるの?」
「……仕方ないじゃん! 対戦相手があんなことになって、それで何もなかったようになんて、できるわけない!」
セリアは迷っていた。どうしたらいいのか、分からなくなっていた。
彼女は剛気なように見えてその実繊細な心の持ち主だったようだ。目の前でソリューニャが変調をきたしたのは自分に無関係だと、そう割り切ることができなかったのだろう。
「……あたしは」
リリカは自覚した。自分は今、腹を立てている。
「なんだかいや! 気に食わない!」
「な、じゃあどうすればいいんだよ! これで勝っても誇れやしない、そんな不毛な戦い……」
「あたしは勝ちたいんじゃない!」
レンの気持ちが少し分かった気がした。彼はいつも好戦的で、だけどそれは相手を負かして勝ち誇りたいからではない。
「あたしはっ! あなたと戦いたいの!」
「……!」
「ソリューニャのことはあなたのせいじゃないよ。それにあのときも真っ先に心配してたよね。だからさ、気にしないで」
初めこそセリアに食って掛かったものの、誤解と分かってからはすぐに忘れてしまったリリカだ。
「やろうよ! 思い切り!」
何事かと黙って耳をそばだてていた観客たちが一斉に沸いた。この熱い想いのぶつかり合いに盛り上がっているのだ。
歓声が潮のように押し寄せてくる。そしてその熱量が最高潮に達して、
「しっ!」
天を向く鋭いパンチがリリカの前髪を掠めた。
「バカかよお前……! あたしの全力が勝ちよりも欲しいなんて」
「うん! きて!」
「……ちょっと、嬉しいじゃん!」
上体を反らした不安定な体勢から、起こすのではなくそのまま倒れこむ。そして体をひねってリングに両手をつけると、捻じれを戻すようにして蹴りを繰り出した。
セリアはすぐに下がり、脚が通過した直後の隙に攻撃をねじ込む。
「よし、捕まえた!」
「っち! なんてバランス感覚してる!」
死角に打ち込むはずの拳が受け止められている。リリカははじめから片手で体を支えて、蹴りの遠心力にも耐えていたのだ。
ぐっと引っ張る。小細工がハマり、これで一気にリリカの流れになった。
「たやっ!」
「うが!」
リリカが低い姿勢のこともあり、セリアは大きく体勢を崩す。フットワークを戦法の要としているセリアにとっては苦しい状況だ。
リリカは捉えた手をしっかりと掴んで、地面での攻防に持ち込む。力では自分の方が上だという自覚がある。
「く……」
「離さないよ!」
「ふん、結構だよ!」
セリアがするりと動き、リリカを組伏せるように背後に回った。掴まれた手をリリカの背中に当てて肩を押さえ、簡易的に関節を極める。
パワーでセリアに優るリリカも、肉体は人間だ。関節の動きには限度がある。
「いたた!?」
「離さなくていいよ。負けてもいいならね」
「しまった……!」
離さないことを意識しすぎて、セリアにまんまとしてやられた。リリカがセリアを解放すれば抜け出すことができるが、それは同時にチャンスを手放すということでもある。
リリカの弱点が出たといえる。その場その場での判断力は非常に高いが、先の展開を予想したり、長期的な視点で戦況を見るには経験が足りないのだ。動きを封じたはいいが、そのあとのことまで頭が回らなかった。
「うぅ……!」
リリカはセリアの拳を離し、無防備に見せている背中への攻撃を防ぐ目的で両足を跳ね上げる。手応えはない、つまりセリアを遠ざけられた。
自由になった腕で体を支え、足の勢いを使って起き上がる。
「隙ありぃ!」
「あっ!」
体勢を立て直すまでのわずかな時間、そこに攻撃をねじ込まれた。
改めてセリアの実力を痛感する。経験もあり、読み合いにも強く、そして自分の武器をしっかりと認識できている。
(やっぱり強い! あっという間にひっくり返された!)
ふと、リリカは自分の口角が上がっていることに気づいた。よく見るとセリアも笑っている。
「ちょっと、楽しい」
「いいじゃん? あたしもだよ」
「えへへ。命がけじゃないからって、気が抜けてちゃだめだよね」
「なんだそりゃ」
リリカは今の自分を気が抜けていると表現したが、その実いい具合に肩の力が抜けている。
セリアが出てくる。リリカはそれを見ている。
セリアが手を出した。リリカは軽く手を動かして受け止める構え。
セリアが手を引っ込める。リリカはこれがフェイントだったと理解する。
セリアが本命のパンチを逆の手で放つ。リリカはしかし慌てることなくそれを払う。
まるで空を飛んでいるような浮遊感、全能感。追い詰められているわけではないのに、全開の集中力が発揮されている。世界を追い抜いた錯覚に溺れるほど、時間を長く観察している。
リリカは思った。
「あたし……負ける気がしない!」
「それって慢心じゃん!」
「まん? よくわかんないけど、身体が軽いの!」
リリカが攻める。相手に何もさせないくらい激しく、息をつく間も与えぬように。
しかしスピードならまだセリアに分がある。この先に勝利が見えたのか、真っ向から殴り合いに応じる。
「はあああああああああ!」
リリカは歓喜した。これだけ打ち込んでいるのに、ただの一発も当たらない。掠ることすらしないのに、なぜか分からないが歓喜した。
「てあああああああああ!」
セリアは感謝した。心のモヤを吹き飛ばしてくれた言葉に、そして空を切り裂く拳の雨をかいくぐるスリルに。拳から伝わる重さが心地いい。
「あはっ!」
「……!」
リリカの拳がセリアを捉えた。ようやく当たった一発だが、体勢を崩すための威力は十分だ。
二発、三発。流れるような連撃がきれいに決まり、勝負を決するとどめの一発を打つ。
『勝負あり! 勝者は』
リリカが鼻血を拭う。互いに最後まで全力を出し切った。
『リリカーーーー!』
全身に歓声を浴びて、自然と両の腕が上がった。
「やったぁーー!」
リリカ、格闘祭初出場にして優勝を飾る。




