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世界が滅びた後の話をしよう  作者: 辛子高呑
第一章 世界が滅びた後の話
5/6

Friend or Enemy

頭が痛む。頭蓋骨の中で脳が左右に揺れているかのような感覚だ。今朝の寝起きは最悪だったが、こちらの目覚め方だってそれに比肩するくらいよろしくない。



自然と瞼が開き、うっすらと周りの景色が眼の中へと吸い込まれてゆく。周囲が光を浴びて明暗様々な緑を有する大自然であることは確認できた。これだけならば先ほどと何も変わらない。意識を失う前と違うところ。



そう、それは俺の視界の中心で腕を組みながら堂々と仁王立ちでこちらに怪訝そうな視線をよこしていた。



「うっ」



その相手に話しかけようと口を開きかけた瞬間顎に痛みが走る。どうやらよほど強く殴られたようだ。くそったれ。まあ、殴られた原因は止まらなかったこちらにあるのだが。



しかし、その痛みによって意識が覚醒した。相手の全身像がはっきりと分かった。全体的に黒と濃紺を基調とし、肌の露出を極力嫌っているような服装をしている。歳は俺と同じくらいだろう。足には茶色いブーツを履き、その上には少しの隙間もなく長く余裕のあるブーツより薄めの黒色をしたズボンを着用している。肩には何かを背負っているようだがここからでは見えない。右の(もも)にはホルスターがくくり付けられており、腰には小型のポーチをつけている。下のズボンに対して上は濃紺(のうこん)の長シャツを着込み、それと同色の紺色(こんいろ)キャップを目深に被っているため髪の長さは分からない。だが、うっすらとした艶のある黒いもみあげが顎まで伸びていることから恐らく黒髪なのだろう。



それだけでもとても特徴的なかっこうだが、そいつの最も目のいくところはどこかと聞かれれば別の部分を答えるだろう。そう、どこぞの戦国武将のような‘‘右眼の眼帯”だと。本当に右眼が見えないのかコスプレなのかは不明だが、それこそが彼女の印象を濃いものへと仕立て上げている。



そいつは仁王立ちを解き、木の幹に縛り付けられたままの俺に近づいてきた。



「お前はどこから来た?どこかの自治区(コミュニティ)か?それともプランダーか?」



相手は、少し高めの女声で俺に迫った。自治区(コミュニティ)だのプランダーだのの言葉の意味は分からないが、彼女の声には明らかな敵対心、警戒心が含まれている。これは、シェアーマンの時よりも言葉を選ぶ必要がありそうだ。



「えっと、俺の名前は叢雲一馬(むらくもかずま)…です。その…自治区(コミュニティ)とかプランダーとかが何かは分かんないんだけど、今は道に迷ってるっていうかここが名古屋だとか言われて困惑してたらもの○け姫のナゴの守みたいなのに襲われて……」



今の軽口でホントに言葉選んだのかこいつと思うかもしれない。けれども、いつでもどこでも軽口を叩ける、いや、叩いてしまうのが一馬クオリティであり、直しようがないのだ。



だが、眼帯少女は俺の軽口を気にすることもなく俺から離れると、そうか、名古屋まで来たのか、と独り言を呟いた。



「あのー、それでここどこなんでしょうか?名古屋ならビルとかが見えると思うし、人が全くいないのも都市ではちょっとおかしな気がするかなーと」


「ビルがあって当然、人がいて当然、都市があって当然、か」



眼帯少女はまるでなくした玩具(おもちゃ)を懐かしむように言った。そして、俺に向かって言い放つ。



「お前の言っている世界なら…」






‘‘もう滅んだぞ”






「はい?」



今こいつは何て言った?俺の耳が正しければ世界が滅びたって言ったのか?おいおいおいさすがにそれは言い過ぎだろう。ノストラダムスだってもう言わないぞ。きっと、聞き間違えたんだ。そうに違いない。



「ごめん、ちょっとよく聞こえなかった。世界が滅びたとか聞こえて」


「そう言った」


「え?」


「お前の言っている世界は滅びたと、そう言った」



唇を強く噛み締める。この眼帯少女はどうやら俺を殴るだけでは飽き足らず、からかって楽しんでいるのだろう。何て悪趣味だ。



「ちょっと、いい加減にしてくれよ。世界が滅びたなんてあり得る訳がないじゃないか。ホントに滅びたってんなら、なんで滅びたかを教えてくれよ。世界が滅びたって納得できる理由を俺にくれよ」



眼帯少女はじっと俺を無表情のまま見つめていた。そして、鮮やかなピンク色の唇をゆっくりと開く。



「分かった」



眼帯少女はただそれだけを言い、俺に指を指した。



飛鳥(あすか)、こいつの縄をほどいてやってくれ」



はいはーい、という声と共に一本の木の後ろからもう一人の少女、というか幼女が現れ、俺を拘束していた縄をほどきにかかった。飛鳥と呼ばれた幼女はショートボブという髪型に白い花柄のついたピンク色の甚平を着ている。年齢も2桁いったかいってないかという具合いだ。



「でもいいの、神門(みかど)?こんなに簡単にほどいちゃって」



飛鳥が縄をほどきながら尋ねる。あの眼帯少女の名は神門(みかど)と言うらしい。



「心配ない。こいつはどこの自治区(コミュニティ)出身でもなさそうだし、プランダーってツラじゃない。どうやら本当に頭のネジが吹っ飛んでるだけのようだ。それに、もし私達を殺そうとしたらその前に殺ればいい」



神門の周りの空気が変わった。ここから見える彼女の左眼には生気やその他生物として本来あるべき輝きが宿っておらず、暗く沈んでいる。何より、先ほどのナゴの守もどきよりも研ぎ澄まされた野獣のような鋭い殺意が込められていた。だが飛鳥は動じる様子もなく、淡々と縄をほどき続けている。



「神門怖いよー、スマイルにしてなきゃ将来シワくちゃババアになっちゃうんだぞ」



飛鳥が縄をほどき終わり、俺の身体は自由になった。身体が自由になって立ち上がると飛鳥はそそくさと神門の後ろへ逃げ込む。どうやら俺は相当警戒されているらしい。本当はいきなり殴られたこっちがその反応をとるべきなんだが…

さっきまでの殺気は消え去っていったが、未だに神門の表情は固い。その表情のまま、彼女は俺に話しかけてくる。



「さてお前、確か名をえっと、確か、そう………なんて言った?」



某お笑い劇場よろしくのノリでずっこけそうになる。てか、俺の名前覚えられてなかったのか。胸が多少痛む中、俺は本日二度目の名乗りを上げた。



叢雲一馬(むらくもかずま)だ。か・ず・ま」



神門は理解したのかしてないのかよく分からない顔をして、覚えておこうと言った。先ほどの殺意に満ちた顔つきとの違いとかなりの落差を感じえない顔だ。しかし、俺が立ち上がった瞬間からさらに距離を開けていることから分かるが警戒心は全く薄れていないのだろう。だが、あちらからこちらを積極的に殺そうという感じはしないし、こちらが努力すれば心を開いてくれる可能性もある。とりあえず、初歩的なところから始めることにした。



「えっと、そっちの2人は何て名前なんだ?」


「名乗る必要はない。どうせお前とはすぐ別離するのだから」



ずきっ、と心の芯にヒビが入る音が聞こえた。



「いや、まぁ、それはそうかもしれないけどさ、やっぱり名前が分からないと不便だし、な?」



神門はふむ、と手を口に添えながら考え、再び鋭い眼を向けてきた。



鎌枷神門(かまかせみかど)だ。それでこっちは、」


神奈川飛鳥(かんながわあすか)でーす」



神門がしぶしぶといった感じで静かに告げ、飛鳥は対照的に元気いっぱいハツラツといった感じに名乗った。



「呼び方は…」


神門(みかど)でいい」



神門がぶっきらぼうに答える。人をつっぱねる性格なのか、俺が特別嫌われているのかはまだ分からなかった。



「あっ、そうだ。聞きたいことがある」



俺が声をかけると神門は言えと、冷淡に答えた。今まで通り過ぎて泣けてきそうだ。



「さっきのナゴの守もどき、あれはなんなんだ?」


「さっきの?ああ、キラーウォッグのことか。お前の住んでいた所にはいなかったのか?」



あんなバカでかい猪見る訳ないだろ!と、答えそうになるのをのどちんこの辺りで抑え、



「イヤ…ミタコトナイデスネー」



と感情の欠片もなく答えた。



「そうか、中々可愛かっただろう?」


「へ?」



おいおいおい、ちょっと待てよ。今なんて言った?可愛いだって?可愛いって女子の方々が小さい子やゆるキャラに対して連発するあのKA.WA.II.?KO.WA.I.ではなくて?しかも神門の場合、普通の女子のようにきゃー、可愛い!とキャピることなく真顔で、可愛かっただろう?と投げかけてくる。……まあ、ここは話を合わせることにしよう。


「そ、そうだな、あの目とかよく見たらウルウルしてて可愛かったかもな」



(しかばね)となったナゴの守もどき(キラーウォッグ)をちらちらと見ながら告げる。よく見れば見るほど目は全然ウルウルしてないし(むしろかっさかさ)、文字通り逝っちゃった目でこっちを見ているその様はホラー以外の何者でもなかった。



「じゃあ、何で可愛いのに殺したんだ?」


「うん?それはよく言うだろ?可愛いものほど食べちゃいたいと」



ちげぇ!それ絶対ちげぇから!一般ピープルの言う食べちゃいたいは冗談かあっち系な意味だけどあんたのは食べちゃいたい(物理)だから!


声には決して出さないが心の内でそう叫びを上げた俺は、



「アハハ…ソウカモシレナイデスネー」



と、またもや感情の欠片もなく答えた。



「そういえば私もお前に聞きたいことがある」



今までと変わらない冷淡な口調だが、あっちから話題をふってくれただけでもちょっとした進歩に感じられた。思わず何でも聞いてくれ、と調子に乗ってしまう。



「お前、さっき誰と話していた?」


「うん?」



「あぁ…そうか、大丈夫だ。その、今までの会話からお前がちょっと、その…なんだ、変わった奴だというのは分かった。だからさっき話していた相手もお前の、えっと…そう!エア友達と言うものだろう?」



「違うわ!勝手に人を可哀想な奴みたいに言うな!これだよ、これと喋ってたんだよ」



自らに突然ふりかかってきたぼっち疑惑を晴らすために俺はズボンの左ポケットからシェアーマンを取り出し、神門にかざした。



「何だそれは?」


「スマホみたいなもん、だけど」


「スマホ?スマホとは何だ?」



何だと問われても困る。また俺をからかっているのかとも思ったが、その表情は名前を間違えた時同様、素で分からないと言った感じだ。



「何って言われてもな、多機能な携帯電話としか言いようがないが…」



自らの語彙(ごい)を絞って多機能な携帯電話という結論を出したのだが、神門はたきのー?けーたい?と頭の上にでっかいクエスチョンマークを浮かべている。



「ああ、もう焦れったい!ほら、触ってみろ」



こういう物は実際に使ってみるのが一番早いと思った俺は神門にシェアーマンを差し出した。やはりまだ警戒されているのか神門が訝しむが、飛鳥が大丈夫だよっと口にすると恐る恐るながらも手に取った。



「ばあ」


「わぁぁぁぁあああ‼︎」



シェアーマンが急に声を出し、神門がシェアーマンを地面に落とした。まるでホラーゲームに驚いてコントローラーを投げ捨てる人みたいだった。というかシェアーマン、誰に対してもこんな態度なのか。



神門は一歩下がると背中に担いでた物を慣れた手つきで構える。黄緑色の強化プラスチックによって構成される銃本体に、ボルトアクション機構には珍しいストレート・ストックが(かも)し出すどこか未来的で機械的な雰囲気をもつそれは、L96A1という狙撃銃だった。神門はL96の銃口をまっすぐ俺へと向けた。多分俺が驚かしたのだと誤解している。本当に最悪だ。さっきのナゴの守もどきを(たお)したのがこの銃ならば撃たれたら死ぬ、確実に死ぬだろう。ここは誤解を早急に解く必要がありそうだ。



「ち、違うんだ。俺が驚かしたんじゃなくて、そいつが、シェアーマンがやったんだよ。そいつはその、AIで…とにかく謝れ」


「ゴメンちゃい」



「真面目にやれよ!俺が撃たれるだろうが!」


「あはは、本当にごめんなさいね神門ちゃん、一馬さんと喋ってた犯人のご登場だよー」



反省など毛頭感じさせない謝罪だったが、神門は銃口を下げてシェアーマンをもう一度拾い上げた。



「機械が喋るのか?興味深い」



どうやら銃口を下げたのは好奇心が警戒心を上回ったからのようだ。その証拠にシェアーマンを突っついては感嘆の声を上げている。しばらく触っていると満足したのかシェアーマンを俺に返した。



「なるほどな、お前はこれと話していたのか。私には仕組みは分からんが旧文明の遺産でこのようなものがまだ残っているとは」



旧文明?神門はあくまでも世界が滅びたというスタンスを貫いていくようだ。神門から手渡されたシェアーマンは小声で話したいことがあると言い、俺は音が漏れないようシェアーマンを耳に密着させた。



「一馬さん、気付いたことがあるんだけど」


「教えてくれ」



シェアーマンが今までとは違ってヒソヒソと話すのでこっちまで声が小さくなってしまう。



「何であいつ、実銃を持ってるんだってことか?」


「うん?いや、違うよ。そうじゃなくて」



こんなのがあったんだ…とシェアーマンは1枚の画像を出した。



「これは…」



そこに写っていたのは俺と神門だった。いや、よく見ればその神門のように見える少女の髪はツインテールで神門を象徴する眼帯も着けていない。一瞬別人かもと思ったが、顔は間違いなく神門そのものだ。2人で仲良くピースをし、笑っている。しかも画像には女の子特有の柔らかなタッチで決して忘れないと書かれていた。すまないが俺はこんな写真を撮った覚えがないし、もちろんの事ながら神門と会ったのは今日が初めてだ。一体これは…



「おい」



不意に声をかけられ、意識が戻る。声のした方を見ると神門の顔には何勝手に話してるんだと書かれているように見えた。



「そろそろ行くぞ、これ以上時間をかけると日が暮れる」


「行くって、どこに?」


「お前の欲しがっていた理由とやらへだ。しっかり見せてやる」



神門はやけに自信たっぷりにそう言い、歩き出した。飛鳥も神門の側へと小走りで近づいてゆく。いいだろう。世界が滅びたなんて冗談が解けてやっと日常へと戻れる。俺はそう思いながら2人の少女を追いかけた。



そこからはひたすら森の中を歩き続けた。てか、そう言うしか表現する方法がない。360度どこを見ても葉の緑色と土の茶色ばかり。しかし、陽光が光の筋をつくって木々の合間から侵入し、それらを照らす(さま)は心を和ませてくれる。だが今はちょうど春が終わり、夏が始まる初夏と呼ばれる季節だ。緑がいくら綺麗で目が癒されようとも、気温は上がり続けて身体をくたびらせる。ましてやTシャツの上にパーカーなんて羽織っている俺なんかはすでに汗だくになりかけていた。パーカーの袖をまくりながら前方を注視する。すでに歩き始めてからかなりの時間が経過しようとしてしているが、神門達はてってこてってことペースを落とさずに歩いていた。俺だって1時間かけての山道自転車通学なのでそれなりに体力には自信があったのだが、彼女らには疲れそのものが全く感じられない。もしかして生まれてからずっと0円無人島生活をしていればああなれるのかもなと切に思う。



その時、飛鳥がこっちをチラッと見た。少し何かを考えたのち、神門に耳打ちをする。神門は険しい表情で飛鳥と口論し、最終的にはやれやれと頭を抱えて勝手にしろと言った。すると飛鳥がくるりと回転し、俺に向かってきた。幼い子供ならではの純粋な瞳と満面の笑みで近付いてくるもんだから、純粋さを失ってくるこの歳になると何だか後ろめたい気持ちが浮かんでくる。



「ねぇねぇ、一馬」



満面の笑みを崩さずに飛鳥が話しかける。いつも不機嫌そうな顔で定評のある叢雲一馬だがこんな時にはこちらまで笑顔になれそうだった。



「何、飛鳥ちゃん?」



保育実習で幼稚園児にしたのと同じようにちゃん付けで接したが、それが不満だったのか頬を膨らませて飛鳥って呼んでと怒られてしまった。



「一馬ってさぁ、私達と違うよね。なんか不思議な感じがする」


「そうか?同じ人間なんだけどな」


「いや、絶対違うよ。何かあたし達と育った環境が違うってゆうか」



口には出さないがそりゃ、1時間くらい歩きっぱなしで疲れの見えない人達とは育ちが異なってるでしょうよとは思う。



「でさ、何であんな事言ったの?」


「あんな事って、世界が滅びたなんてあり得ないって事か?」


「うん」


「それは、言葉通りだな。逆に神門が世界が滅びたなんて今時通用しないような冗談を言った方が疑問に思うくらいだけど」



飛鳥は少し困惑した表情を見せた。何故困惑するのか俺には分からない。やはり、小さい子の気持ちを理解するのは俺にとってまだ難易度が高いようだ。



「そっか…じゃあさ、一馬の知ってる名古屋とかってどんな場所だったの?」


「そうだな、俺自身はあんまり名古屋に行ったことないんだけど、こことは違ってガラス張りの高いビルが立ち並んでてな、人も店もどこ向いても必ず視界に入るくらい沢山あるんだ。まさに都会って感じかな」



へー、と飛鳥は目をキラキラさせて話に食い入っている。もしかしたら彼女は都会に行った事がないのかもしれない。



「食べ物は?食べ物はちゃんとあるの?美味しいの?」


「ああ、適当に歩けば絶対に店があるからな。名古屋に限らず飯は日本の食べ物は美味い。名古屋なら手羽先ってのがあってな、骨を上手く取って肉を食うやつなんだけど、味付けも濃いしタレも染み込んでるしでとっても美味いんだ」


「本当に?本当にそんな物がいつでも食べられる所だったの?」



飛鳥が目だけでなく唾液もキラキラと垂れ流しながら尋ねてくる。もちろんだ、と俺が答えた後なんて、行きたい!飛鳥もそこ行きたい!と俺のズボンを引っ張りながらねだるようになってしまった。だが、そんな楽しい会話もいつかは終わりを迎える。冷徹な声がそう宣言した。



「着いたぞ、ここだ」



今まで歩き続けていた森が途端に消え失せる。ほのかに香る潮の匂い。上空にはもくもくと湧き立つ積雲が散在しており、その下には積雲と同色で彩られた海鳥達が高い鳴き声を発しながらゆったりと旋回を続けている。さらに下へと目を移せば透き通るような瓶覗(かめのぞき)に染まった海水が流れ、沿岸部に乱立した岩へとぶつかり波打っていた。死にたくなる、そう思ってしまう程にその海は美しかった。



ただ一点を除いて。



初めはそれを岩かと思った。いや、実際岩に引っかかっており、そのまま動かなくなっている。恐らく全体の3分の1しか出していないだろうその胴体もゆうに50mは超えている。



隠密、機密の塊、別名究極のステルス兵器とも呼称されるその兵器の名は潜水艦。より詳しく言えばアメリカ海軍の保有する世界最大の潜水艦、オハイオ級原子力潜水艦だろう。原子力潜水艦はでかいとよく聞くが、これだけ近付くことによって改めてそのでかさを身に染みさせられる。だが、その巨体はでかいだけであって、かつて持ち合わせていただろう威厳などは全く感じられない。巨大な鉄くずと相違ないだろう。ただでさえ船体は傷だらけなのに海面との境界部分には茶色い錆が線のように引かれ、艦橋(ブリッジ)よりも後ろの船体上部では鳥の糞なのか塗装が禿げたのか、白く濁った色が浮き彫りになっている。そこから分かることはこの潜水艦がかなり長い間この状態のままで放置されていたという事だ。殴られる直前に見たミサイルランチャーとまるっきり同じ状態なのを見ると、これも放棄されたのか?だが機密の塊である潜水艦を原型をとどめたまま放棄するなどどんな国であってもあり得ない。では一体何故だ。何故機密を捨ててでも放棄した。もしかして、機密が既に意味を持たなくなってしまったのか?そんな状況はあるのか?



あるじゃないか。全てを説明できる可能性が。だが異常だ。こんな可能性を考えてしまうのは異常以外の何ものでもない。そう、‘‘世界が滅びてしまった”なんて可能性は異常だ。その可能性を振り切るように頬を叩き、深呼吸をする。



横を見ると、神門は誇ることもなく今まで通りに冷めた声をかけてきた。



「どうだ?これで分かったか?世界は滅びたんだ」


「いや、まだ俺は信じれない。何で世界が滅びたのか。俺には分からない」



もう半分意地を張っているだけのようになっていた。何でこんなに世界が滅びたなんてあり得ないと思うのか。それだけは分かる。もし、本当に世界が滅びたのだとしたら俺の居場所はどうなるか。答えは簡単だ。無い、無くなるのだ。俺は一人この世界に残されてしまう。そんなの生きていける訳がない。まあ、だからと言って現実を否定しようとも決して前には進めないのだが。



「一馬、まだ認められないのか?」



神門が俺の深刻なお悩みタイムをぶち壊す。



「ああ、まだ俺は…」


「ならば見せてやる」


「見せる?何を?」


「世界が滅びた瞬間をだ、連いてこい」



神門はそう言い、飛鳥と共に潜水艦の船体を歩いていく。言っている意味がわからない。世界が滅びた瞬間を見せる?

どうやってだ。



…けれど俺が彼女に要求した。納得できる理由を寄越せと。なら、彼女がせっかく何かを見せてくれるのなら、俺はそれを目を逸らさずに直視しなければいけないはずだ。神門達の後ろ姿を追う。ゆっくりと、虚脱感に苛まれた足を一歩ずつ踏み出した。








後ろを見るまでもなく神門は感じていた。あの一馬とか言う男は気怠そうに足を動かして自分達の後を追っていると。最初に出会った時から変な奴だという認識は変わっていない。軽い口は叩くし、旧文明の世界は滅びてないなどといつまでもぬかす。まるで喚き散らして手の付けられない幼子(おさなご)のようだ。だが、飛鳥曰く冗談でなく本気であの男は世界が滅びてないと思っているらしい。と、すれば出てくる答えは2つ。元々おかしな奴で住んでいた自治区(コミュニティ)を追い出されたか、本当に世界が滅びたことを知らないのかのどちらかだ。だがどちらにしろ神門自身にとっては関係のない話、ここでさっさとやる事をやって立ち去ればいい。いつもならば神門はここまでしない。飛鳥を除いて他人と関係を構築したり、他人の為に動くなど反吐が出る程気持ちの悪い。だが、どうしてか飛鳥自身が奴を気に入ってるし、信頼できる飛鳥の能力(アビリティ)が大丈夫だと言っている。だから今はやるしかない。ならすぐ終わらせよう。神門はそう自分に言い聞かせながら潜水艦のハッチに手をかけた。






数歩先を歩いていた神門達がハッチをこじ開け、そのまま艦内へと入っていくのが見えた。俺もすぐに追いつき、ハッチの中を覗き込む。電力は既に切れているのか中を見渡しても底抜けな暗闇しか確認できず、ニーチェの言葉通り暗闇に見つめられているような気がする。恐る恐る下半身を暗闇の中に(ひた)し、その中にある梯子に足をかけた。そのまま下に降りていくと眼前には光がなくなり……いや、わずかながらだが()びれた梯子がぼんやりと昔のゲームでよくあったドット絵のように見える。足が床に着いた。360度どこもかしこもが暗闇に包み込まれている。ズボンのポケットへと手を突っ込み、シェアーマンを取り出す。あの森の中を歩いている間に気付いたことだが、シェアーマンも一応スマホとしての基本的な機能は一通り備わっているようだ。俺の持っていたスマホに入れたアプリや音楽(あのワーグナー含む)も入っていた。ただ一つ問題があるとすれば機内モードにしていないのに他と一切通信ができないことくらいだろう。


そのシェアーマンのライトを点ける。ライトに照らされている範囲だけがくっきりと見てとれた。鉄の錆はやはり酷く、赤茶色に剥がれた部分が通路を通る太いパイプなどに点在している。天井の隅で白く光を反射しているのはおそらく蜘蛛の巣。さらにはライトの光からカサカサと逃げてゆくよくわからない虫までいる。うへー、気持ち悪い。



気持ち悪いと言えばこの潜水艦内の温度もそれに該当するだろう。放棄されてからロクな換気がされていなかったのか湿度と温度がうなぎのぼり状態だ。むしむしとしたこの環境は集中力を散漫にさせたり、気持ち悪かったりと、人が住むのには絶対に適さないと断言できる。汚らしく朽ち果てている艦内はまさに、人の創造物が人の手を離れるとどうなるかを無言の内に語っていた。



早く出たいという思いから無意識の内に足早になっていた。通路の突き当たりにある開いたままの扉をくぐると、ライトに神門と飛鳥の背中が写し出される。よく見ると二人の着ている服も綺麗とは言えず、泥などの汚れがこびりついていたり、しわが目立っていた。まるで何日も洗濯していないようだ。



ライトで周りを見渡す。先ほどまでの通路に見られた太いパイプはなく、代わりに機器類やモニターが部屋を埋め尽くしている。まあ、それでも蜘蛛の巣や虫は既に進入していたが…



「ここは…?」


「おそらく、艦橋(ブリッジ)に当たる部屋」



冷淡にそう答えられる。なるほど、艦橋(ブリッジ)か。確かにこれだけ設備が充実しているのなら、可能性はあるだろう。が、



「これが‘‘世界が滅びた瞬間”なのか?」



おそらく、顔はニヤリと笑っているのだろう。これは俺の意思でない。信じてもらえないだろうがこれは自然になってしまうのだ。いわゆる癖というやつだろう。だが、そんな事を気にする様子もなく、神門は自身の左手を差し出した。



「握れ」


「は、はあ?一体どういうことだ?まず質問に答え…」


「この手を握れ」



二度目の神門の声には有無を言わさぬ凄みが含まれていた。話が唐突過ぎるし、関連性が全く見えてこない。けれども、この場は握るしか前に進む方法がないだろう。俺は神門の手を握った。SAGをはめているからだろうか?神門の手はとても小さく、冷たかった。



「飛鳥、もしもの時は頼む」



神門がそう言うと、飛鳥は見るからに不機嫌になった。



「大丈夫って言ってるじゃん。ちょっとは私の言うことを信じてよ」


「すまん、だが念には念を、だ」



反省など微塵も感じられぬ平然とした面持ちのまま、神門はポーチから先のへこんだ奇妙な体温計のようなものを取り出した。



そしてそれを、自分の左腕に指し、上部に付いたボタンを押す。プシュッという音と共に中に入っていた液体がみるみる神門の体内へと注入されてゆく。



中身が空になると神門は容器を捨て、彼女の象徴である、‘‘眼帯”を外した。



「なっ、」



彼女の右眼が(あら)わになる。アニメや小説などで頻出する虹彩異色症(オッドアイ)なんて生易しいもんじゃない。黄色い眼球に縦に切られたような黒い隙間、それは間違いなく人間のものではなく、およそ爬虫類の眼のようだった。



俺の驚く顔を見て、神門は口を歪める。



「さあ、見ろ。これが‘‘世界が滅びた瞬間”だ」



眼前が光に包まれる。何デジベルなのか見当さえつかない(まばゆ)い光。それはあっという間に全てを包み込んだ。








「…そげ!」


「……よ…入で…」


「さ……防…線突破……た」


「部隊残ぞ……25%」


「負け…のか?」


「もう…終わ…だ」


「いや、アレ…ぶちこ…ば」




声が聞こえる。一人ではない。何人もの人間がざわざわとひしめき合う音だ。恐る恐る目を開ける。すると目の前には目を閉じる前とは全く異なる光景が広がっていた。ディスプレイには明かりが灯り、慌ただしく走る人が幾人も見える。その人達は全てが前にどこかで見たことのある海上自衛隊の制服を着用していた。何故アメリカ海軍の原子力潜水艦に海上自衛隊が?という疑問も沸いたには沸いたが、周りの光景に圧倒されてそんな疑問はすぐに脳の片隅へと押しやられた。



「これは一体…」



ホログラムでも何でもない、実際に彼らは生きている。走り、怒号をかけ、新たな指令を下す。その様子から彼らが何かと戦っていることが伺える。それが何なのかは不明だが。



「お前は今、過去を見ている」



隣で沈黙を保っていた神門が口を開いた。



「過去?何言って…」


「過去は過去だ。これは実際に起きた過去の事実であり、お前が見たがっていたものだ」



神門は人間のものではない右眼を見開きながら冷淡に仕上げの言葉を口にする。



「そして、世界は滅びた」



俗にはこれをタイミングが合ったと言うのだろう。神門がそう言った瞬間、艦長とおぼしき初老の男が立ち上がり、しわがれた声で話し始めた。



「HQから連絡が入った…作戦は失敗、花火を打ち上げろとのことだ」



忙しく働いていた船員が動きを止める。‘‘花火を打ち上げろ”とは何らかの作戦を表す符丁なのだろう。全ての船員が悔しそうな顔を見せるが、その手は‘‘花火を打ち上げる”ためにまた忙しく働いている。



「VLS(垂直発射システム)用意よし」


「座標固定!発射コード入力」


「 ミサイル発射準備完了!いつでもいけます」



艦長は歯ぎしりをした。きっと、これから行う事は今後の歴史を変える、艦長の姿が俺にはそんな風に見えてしまった。



息を吸い、息を吐く。四回程その動作を繰り返した艦長は再び息を大きく吸い込んだ。



「撃て‼︎」



その簡潔な号令と共に潜水艦外を映すモニターを見ると、艦体が四角くくり抜かれたようにVLSが開かれる。その中から現れた巨大なミサイルは、大量の推進剤による煙を引き連れながら空の彼方へと消えていった。



それからどれくらい経ったのか、モニターの一つが、空から神々しい光を伴った物体が真っ直ぐ都市に落下してゆくさまを映し出した。すると、船員の一人が叫ぶ。



「だんちゃ〜く、今!」



原子力の臨界時に見られると言われている青白い光がモニターを覆う。しばしの静寂の後、火山の噴火でさえも比にならないような大爆発が爆心地より発生した。俺は全てをこの目で見た。次第に形成されてゆくキノコ状の雲、辺りを瞬く間に制圧してゆく爆風に衝撃波。それらに飲み込まれ、都市は跡形も無く消滅、いや、消失した。そしてその中にそれはいた。全ての崩壊から必死に逃走しようとして、爆風の中へと消え去った一機のヘリコプターを。



ああ、この光景は見たことがある。



そう、あの‘‘ただの悪い夢”の中で。



世界は滅びたんだな、と思いながら再び全身が光に包み込まれる。そして、いつの間にかあの元の廃墟と化した潜水艦の中に俺は戻っていた。



さっきまでの光景がまだ鮮明に頭の中に残る中、呆然としているとパシッという音とともに手が引き剥がされた。隣を見ると神門が小さく丸まり、小刻みに身体を震わせている。今まで見たことのない、初めての神門の姿だった。



「神門…」


「触るな!」



心配して手を伸ばすと急な大声を出され、少しビビってしまう。



「気にしなくていいよ、一馬。しばらくすれば治るから」



飛鳥が俺をフォローするように言う。その言葉通り神門は段々と呼吸のリズムを整え、眼帯をあの不可思議な右眼に付けながら立ち上がった。



「大丈夫…か?」


「無論だ。ところで一馬、さっきの私は見なかった事にしろ。分かったな?」


「けど、かなり悪そ…」


「分かったな?」



迷いなく縦に首を振る。神門の言葉には握れと言った時と同じような有無を言わさぬ(すご)みがあったからだ。



神門の状態も確かに気になる。だが、今は俺にとって他により重要なことがあった。



「本当だったんだな…。本当に、世界は滅びたんだな」



神門は同情するような視線を俺に向け、その通りだと呟いた。



それからは俺達の間で会話は無かった。あのシェアーマン含め、誰一人として口を開こうとはしない。暗く閉塞な空間を抜けて再び雄大な自然の広がる森の近くへと引き返した。ゆっくりと腰を落とし、手で顔を覆う。まるで、心の奥底から湧き上がる絶望を抑えるかのように。



敵が何だったのか、何故そうなったのかは分からない。だが、これだけはもう確定事項、認めざるをえない紛れもない事実だ。‘‘世界は滅びた”。



そう、一言で言えてしまう簡単な事。だがいくらその上っ面だけを理解したとしても全体を飲み込むことはできない。なんて大した事を言って取り繕っても俺の心配事はただ一つ。これからどうすれば良いのか?それだけだ。今日起きてから、いや、あの夢を見たときからか。いつもと何もかもが異常だった。シェルター、猪神もどき、不思議な能力を持つ少女、荒廃した世界。人間の順応力とはおそろしいもので、そんな環境に何時間も晒されていると世界が滅びたなんて突拍子もないことさえ簡単に認めてしまう。けど、これから生きていくためにはどうしていけば良いのかは全く頭に浮かばない。



今までは簡単だった。幼稚園から小学校、中学校へと進み、それから各自自らの能力にあった高校へと進学していく。そしてこれからも、それは続いていくはずだった。大学から社会へと羽ばたき、より多様な人生が展開される、はずだったのに。いきなり世界が滅びたと言われ、それが本当と実感し、それから?そこから先など未知の領域だ。見当もつかない。この世界のシステムについてより深く知っていかなければ断定はできないが大学や企業、もっといけば政府さえもが機能していない可能性だってある。絶望だ。光など見えない。暗闇にたった一人残された孤独に何重もくるまれる。



ー本当に?



声が聞こえた。俺の声ではない。この声はあの…



ー本当に、光は、希望はないの?



そう、この声はあの夢の最後に聞こえた声と同じ声だ。俺はその声に従って思考を巡らす。見つけた。光とは呼べないかもしれない。微かな霞みとしか言えないのかもしれない。それでも、闇ではない。



いいだろう、この際だ。藁だろうが雑草だろうがしがみついてやる。顔を覆っていた両手を解く。固めた決意を抱きながら立ち上がった。



「なあ、神門」


「何だ」



神門の口調は相変わらずぶっきらぼうで、俺の方を向きながら仁王立ちしている。けれどもなんだかんだ言ってそこにいる。神門は俺を見捨てずにずっと立っていてくれたのだ。実は彼女も根は優しいのかもしれない。そう思うといつもならにやけてしまうのだが今は違う。キッと神門の眼を見つめる。そして、膝を畳むように折り曲げながら地面に着け、手も顔の横へと持ってくる。顔は地面から1cmの位置で固定した。つまり、俺は日本における究極の懇願法、土下座を決めた。息を吸い、腹からの声を上げる。



「お願いです!仲間になって下さい!」



森全体に響き渡るような大声で、俺は叫んだ。




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