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厨房の方へ向かうと程なくしてチキンのいい匂いが鼻をかすめる。
薄く開いたドアの隙間から覗くと中ではシェフやコック達がガチャガチャと色々な音を立て忙しそうに夕食の支度をしていた。見つからないようにその隙間から手を伸ばしテーブルの上にあるカゴの中の赤い林檎を一つくすねる。
それをそっとポケットにしまい、今度は厨房横のワイン貯蔵庫へ続く階段を下る。下に行くにつれ、だんだんと気温が下がり湿度が上がっていく。ワインの保存のためいつも一定の温度に保たれているここは少し肌寒い。
古い物から新しい物まで様々な種類のワインがずらっと並んでいるこの貯蔵庫の中には値段をつける事が出来ないほどの貴重な物もあるという。
そんな中を突っ切った先にある今は使われていない地下牢への裏口。両手で錆びかけている茶色い取っ手を強く引くと重い扉がゆっくりと手前に開かれる。
この先は真っ暗だ。
そばにあったランプに火を灯しその弱々しい光を頼りに汚れた土壁を伝って暗闇の中ひたすら下へと下って行く。そうこうしているうちに広めの踊り場に着いた。ここから下らずに右へ曲がり先へ行くと行き止まりになっている場所がある。穴の空いたバケツや割れた空き瓶に何かの骨、山積みにされている空の木箱……一見ただの物置にも見えるここが目的地だ。
木箱をどかしランプをかざして土壁をよく見ると少しだけ色の違う場所が出てくる。
そこにそっと手をかざすと押した場所が少しずつ奥へ窪んでいく。同時にガコンッという何かが外れた音が暗闇に響く。すると間も無く足元から現れる不思議な文字が書かれた石板。この文字は僕と祖父だけが知っている秘密の暗号だ。
それをゆっくり読み上げていく。
「Pinky promise, Pinky promise…
Cross my heart and hope to die, stick a needle in my eye……」
ゴゴゴゴッ……という大きな音と共に現れた古い石の扉。
暖かい光が漏れるこの扉の向こう、ここが祖父と僕だけの秘密の場所。地下の楽園。
ゆっくりとその重い石の扉を開くと見えてくる暖かな春の景色。
色とりどり花が咲き乱れ美しい蝶が舞うここはまさに楽園だった。
中央に置かれている真っ白のグランドピアノのすぐ横に腰を下ろすと聞こえてくる鳥のさえずりや川のせせらぎ。
辛いことや悲しいことがあってもここに来ればそんな事全部忘れてしまえる。
先程厨房から貰ってきた林檎をポケットから出してひとかじりすると口いっぱいに広がる甘酸っぱく優しい味。
窮屈なベストと靴を脱ぎ捨てうーんっと伸びをする。