新月の祈り
……新月の祈り……
あの人に出会えますように……
二つの記憶があるといったら、貴方は信じますか?
私には現在の記憶、そしてもう一つ、前世の記憶、がある。
愛しい人と一緒になれなかった、悲しいけれど、
とても綺麗な記憶。
そして、私は探している。
愛しい人を。
必ず会えることを信じて。
それは色褪せることのない恋
「……なんて静かな夜……」
珠姫が格子を開けて夜空を見上げる。
今日は新月。
月明かりは届かず、音もなく、辺りは静まり返っていた。
珠姫はしばらく格子を空けて、
黒い世界の遠くに見える、小さな、それでいて力強い光を見つめていた。
どのくらいそうしていたのか……
おもむろに立ち上がり、格子を閉め、部屋を出る。
長い廊下を歩く。
静かな夜に衣擦れの音だけが微かに空気を揺らしていた。
珠姫は辺りに誰もいないことを確認し、屋敷から外へ出た。
外は少し肌寒い。
しばらく行くと少し草臥れた建物が見えてきた。
歩調を少し速める。
扉に手をかけようとしたとき、中から扉が開いた。
中から男の人が珠姫の手を取る。
「桂様」
珠姫が男の名を愛しそうに口にする。
「珠姫、会いたかった……」
桂は珠姫をそっと抱きしめる。
珠姫は桂の腕の中、瞳を閉じる。
「わたくしも……お会いしとうございました、桂様……」
お互いをしっかりと、それでいて優しく抱きしめあう。
桂が静かに珠姫を横たえる。
珠姫はすべてを桂に任せる。
「珠姫……」
「桂様……」
どちらとも無く二人の唇が重なった……
真っ暗な空気の中、窓から入ってくるひんやりとした風が二人を優しく包んでいた。
「そろそろ夜が明ける……」
桂が珠姫の身体を支える。
「桂様、そろそろお帰りになりませんと……」
珠姫は桂の手をそっとはずす。
「桂様、」
珠姫が桂の名を呼ぶ。
「わたくしたち、これを最後にいたしましょう」
桂が息を呑む。
「貴方様とわたくしでは身分が違い過ぎます」
珠姫が悲しげな笑みを浮かべる。
「わたくしは、十分幸せでした。桂様に愛していただき、とても幸せでした」
桂が珠姫を覗き込む。
「ですが、いつまでも今のままではいられません。桂様わたくしたちこれを最後にいたしましょう」
珠姫の口調は静かだった。
桂は苦しそうに顔を歪ませる。
「私は自分の愛した者ですら幸せにすることは出来ない……」
桂は下を向いてしまう。
珠姫が桂の頬に手を添わせる。
「そんなことはありません。わたくしはとても幸せです」
珠姫が優しく微笑む。
「貴方様に出会えたことがわたくしの幸せなのですから」
桂の手が珠姫の手に重なる。
「私達のいるこの世の中がもっと自由だったなら、私達はこんなにも苦しまずにいられたのだろうか……」
桂の瞳から一筋の涙がこぼれた。
「笑ってください。桂様。最後に貴方様の笑顔を覚えておけるように」
珠姫の瞳も潤んでいる。それでも笑みを絶やさない。
「……珠姫、私はそなたに誓う。現世では叶わなかったが、来世では一緒になろう。私は必ずそなたを見つける」
珠姫の瞳から涙が溢れ出た。
「……お待ち、しております……」
その言葉を聞いた桂はとてもとても優しい笑みを浮かべた。
珠姫も涙に濡れた頬に笑みを浮かべた……
「お母様?」
珠姫が我にかえる。
どうしたの? と不思議そうに珠姫を覗き込む小さな女の子。
「桂奈」
珠姫が桂奈を抱く。
「なんでもないのよ」
珠姫が桂奈に向かって微笑む。
「お母様、お父様のお話して」
桂奈がニッコリと笑いながら珠姫にせがむ。
「そうね。桂奈はお父様が大好き?」
「うん! でも桂奈会いたかったなぁ〜お父様。今お空の上でなにしてるのかなぁ〜」
桂奈は空を見上げる。つられて珠姫も空を見上げる。
桂様、貴方様は喜んでくださるでしょうか?
桂奈が生まれていること。
貴方様が知ったらどう思われるのでしょうか?
桂奈には貴方様は亡くなったと伝えていること。
あの子がかわいそうだから……
わたくしは後悔はしていません。貴方様の御子を授かったことを。
貴方様とわたくしの唯一つの証。
神様がわたくしに唯一与えて下さった、桂様に愛された証。
「?」
何か向こうのほうが騒がしい。
「桂奈、ちょっと待ていてね。見てくるから」
珠姫は桂奈に優しく笑いかける。
「うん、後でお父様のお話してね」
珠姫うなずく。桂奈はうれしそうに笑った。
「何事ですか?」
珠姫の声が響き渡る。
一人の女中が珠姫の言葉に応える。
「珠姫様、またあのお方です。今度は珠姫様を自分の屋敷にお連れしろと……」
女中の言葉が次第に小さくなる。
「お屋敷に……」
珠姫の顔が曇る。
「そうでなければ……この屋敷を潰すとまで……」
「なんということを……」
珠姫は口元を着物の袖で覆う。
そして、しばらく考えた後、
「わかりました。お屋敷へ参ります」
珠姫のその言葉に、その場に居た女中達が泣き崩れた。
「お〜よく来た」
珠姫を出迎えたのは良く太ったこの屋敷の主人。
ニタッとした笑いを珠姫に向ける。
珠姫は言われるままに屋敷の中に足を踏み入れた。
「珠姫殿」
主人が珠姫に近づく。
「このような身分の低い女に、何用でございましょうか」
珠姫は前を向いたまま、無表情で言葉を紡ぐ。
「わかっているのであろう。」
そう言いながら主人は珠姫の手首をつかむ。
主人に手首をつかまれ、珠姫は倒れこむ。
「何をなさるのですか!! おやめください!」
珠姫は主人の下から抜けようと暴れるが、力で叶うはずもなく、
珠姫は帯の部分から短刀を取り出し、主人に突きつける。
珠姫の顔は悲しみに溢れていた……
主人はそれを見て、珠姫から離れる。
「わたくしから離れてください。わたくしは誰のものでもない、わたしくしだけのものでございます」
珠姫の声に迷いはなく、凛とした力強い声だった。
「な、何を」
主人の声は上ずっていた。
「わ、私に、は、歯向かうのか? そんなことすればそなたの娘も無事ではないぞ!」
その言葉に珠姫の動きが止まる。
「……卑怯です……」
動作の止まった珠姫に対して、主人が勢いを取り戻す。
しかし、その瞬間、
珠姫の身体はゆっくり崩れていった……
珠姫の首筋からは絶えず血が流れ出していた……
桂奈、ごめんね。
幸せになってね。
桂様、わたくしはとても幸せでした。
このようなことで命を絶つわたくしをお許しください。
もし、生まれ変わることが出来るのなら……
珠姫のもう開かない瞳から一筋の涙が零れた……
悲しいけれど、
とても、綺麗な記憶。
そして、私は探す。
あの人を。
今でも愛しく思うあの人を。
それは色褪せることのない恋
……新月の祈り……
あの人に出会えますように……
ちょっと綺麗すぎるような気はしますが……
満月ではない、新月だけに合うことのできる恋人たち。
というのを書いてみたかったんです……(^^)
いかがだったでしょうか?