今更冤罪だっただなんて、もう遅い
【ご注意】
本作には、地震を思わせる揺れ、火山・火災を伴う架空の災害、住民の避難、建物の倒壊などの描写が含まれます。
本作は架空の世界を舞台としたフィクションであり、現実の災害を題材としたものではありません。
現在の状況を踏まえ、このような描写に心を痛める可能性のある方は、ご無理のない範囲でお読みください。
「貴様は聖女だと偽った上、私の愛するアンジェを迫害した。故に私の妃として相応しくない。貴様との婚約は破棄だ。追放する」
「お待ちくださいませ。それは王命でしょうか」
「うるさい。うるさい、うるさい。父上が外交でいない間は私が全権を握っているのだ。私が言えば王命となるのだ。とっとと、どこぞ消えてしまえ」
私は婚約破棄を突き付けられた。そのまま身をひるがえして家に帰ることも許されず、王子の命を受けた王子直属の近衛兵に両脇を押さえつけられる。そのまま舞踏会のダンスホールから引きずり出されて、王子の用意したみすぼらしい馬車に無理やり乗せられた。
婚約者たる王子から贈られず、お父様とお母様が悩んで卒業式の舞踏会のために選んだ豪奢なドレスはささくれた木の座席にはひどく不釣り合いだ。
ドレスを着ても身から離さなかった小さな女神像を握りしめて祈りをささげる。
今頃、舞踏会の会場横で控えていた従者たちはどうしているだろう。お父様、お母様、兄様は。知らせることもできなかった。
確かにここ数か月アンジェという下級生の男爵令嬢と王子の距離が非常に近く、私は邪険にはされていた。
だが身分差もあるし、身体の接触もないことから学園内で多少親しくしているだけで、卒業すれば王子も節度を取り戻すと思っていた自分の考えが甘かったに違いない。
どこに送られるのかわからず、身を縮ませる。御者が時折、舌なめずりをしながら私を見てくる。
「お嬢様、お召し上がりください」
時折差し出される食事や水を差しだしてくるけれども、穏やかな口調とは裏腹に目が笑っていない。嫌な予感がして、私は口に運べなかった。
人気を避けるためか、街中ではなく山道を進み時折馬へ水をやるために川に寄っていた。逃げだしても命を落とすだけならば追放先に賭けよう。馬とともに川の水だけを啜る。御者がへえとじろじろ眺めてみている視線が気持ち悪いけれども、のどの渇きには代えられない。
何も食してないからか、おなかがすいた感覚はなぜか薄れた。だが少しづつ足元がおぼつかなくなり、馬車から一人で降りることもつらくなってきた。
女神像に縋ったが、助けはまだ来ない。神よ、助けて。初めて自分のために祈った。
辺境に差し掛かった時だ。はるか先に見える火山を越えれば隣国。辺境と隣国の間は魔物が跋扈していると聞く。
そこに捨てられるのか。
女神像は座席と自分の間に仕舞う。目を固くつむり、髪から櫛を外す。これを使うことがなければいい。神へ祈りを捧げる。やがて馬車が止まり、御者がドアを開けて入り込んできた。
「へへ、やっとここまで来たな。お嬢様。へへ。我慢したわ。捨てる時にお嬢様を味わえってね、言われたんでね。なんか魔道具でも仕込まれていたら嫌だったんでここまで我慢したんでね。へへ。抵抗しないほうが痛い目を見ずに済みますぜ」
「誰に命じられたのです。まさか」
「王太子殿下の命令ですぜ。ここまでくりゃ誰も助けちゃくれませんからね。楽しませてもらいましょうかね。へへへへへ」
男の生暖かい荒い息が迫る。手に握りしめた櫛を秘かに私の喉へ突き刺そうとした時だ。
馬が何頭も駆けてくる音。ハッと御者は体を離し、馬車の窓から外を見た。
「何をしている」
「は、いえそれは」
「怪しいものだ。捕縛せよ」
「馬車を検めよ」
馬車の扉を御者は慌てて開かぬように引っ張るも、蹴破られた。そのまま御者は引きずり降ろされる。ぼんやりとした視界に騎士の服を着た男たちが数人映った。
「若い女性が一人」
精悍な騎士が私を見て目を見開いて周りへと報告する。何、と別の声が聞こえた。私は目をきつく瞑る。手の震えが止まらない。
その体へ少し暖かい何かをかけられた。ゆっくり目を開ければ、身体には毛皮でできた外套がかけられている。
「お嬢様、大丈夫でしょうか」
ハッと顔を上げた。先ほどの騎士よりも背の高く、肩幅の広い、目鼻立ちのはっきりした青年が私をのぞき込んでいた。その瞳は私を案じていて、力が抜けていった。
神様、ああ、神様。
涙がこぼれる。
「え、あ」
「辺境伯、怖い顔をしてるのではないですか。泣かせてはなりませんよ」
「違う。そんなつもりはない」
涙が止められない。青年に申し訳ないと思いながらも、溢れてくるものを止められなかった。青年が私へ手を伸ばす。体が強張った。
戸惑うように宙に浮かせ、やがてゆっくり下す。青年は騎士団の中にいた女騎士に声をかけた。
「もう、大丈夫でございます」
女騎士の声にすうっと体の力が抜ける。助かったらしい。そう思ったとたん、青年の焦る声と共に意識は闇に消えていった。
私が起きた時には、2日ほど経っていたらしい。昏々と眠り続ける、ひどく衰弱した見知らぬ令嬢を前に、城の者たちは対応に苦慮していたらしい。側にいたもの皆、目を覚ましたことに安堵したようだ。側で控えていた侍女らしき女性の一人が外に素早く出て行った。
口が乾いている。
もう一人の女性が口元に水差しを持ってきて、杯に入れられた水を差し出す。
「ゆっくり飲んでくださいませ」
毒が入ってないか。恐怖に顔をそむけた。
「いやっ!」
杯を反射的に手で払いのけてしまう。侍女の顔がさっと青ざめた。
ごめんなさい、そんなつもりでは。声が出ず、体が強張った。
「目が覚めたのか。おや」
一人の青年が入ってきた。落ちている杯と私たちの姿を交互に見て、すうっと深呼吸をした。
「新しい杯を用意せよ。令嬢、安心してほしい」
新しい杯を持ってくる。水差しから杯へ注がれた水を青年は一気に飲み干した。こくりと動くのどぼとけの動きから目が離せない。侍女に杯は戻され、もう一度注がれた水を差し出される。
「私が飲んだ後で申し訳ない。この通り、毒など入っていない。安心して、ゆっくり飲みなさい」
低く耳心地の良い声にこくりと頷いた。ゆっくり水を飲む。
「ありがとうございます」
かすれながらも久しぶりに声を出した。そのまま布団へ倒れこんだ。侍女が慌てて体を支えて、青年が何か指示を出す姿が最後に映った。
そこからは一週間ほど、ほとんどの時間を眠って過ごしていた。徐々に起き上がって周りと話せるようになったころ、水を毒見した青年が部屋に入ってきた。
助けてくれた人であるのに、男の人というだけで体がすくむ。辺境伯フェンネルであると名乗った青年は、ここから近づきはしないと離れた位置からいろいろ聞いてきた。
「では、あなたはフェンネル公爵家のエリザベス嬢で間違いないのか」
私のドレスに縫い付けられていた紋章から察していたようであったが、派手なドレスをぼろぼろに着た令嬢がおんぼろ馬車に乗せられて辺境まで来たことに警戒はしていたらしい。使い魔を使って王都の公爵家へ問い合わせしたようだ。
さらに私の話を聞き、間違いないらしいと分かったが故か、私を助けてくれた辺境伯はため息をついた。
こめかみを叩きながら天井をにらみつける。私はうつむいた。
「ああ、申し訳ない。あまりにも常軌を逸した話ですぐに信じられないのだ。フェンネル公爵令嬢」
「・・・・・・私もいまだに信じられないのです」
辺境伯はゆっくりと息を吐いた。しばらくお互いの息だけが聞こえる。おもむろに辺境伯が声をかけてきた。
「フェンネル公爵曰く、まだ情報が集まっておらず確実ではないが、配下の者を王子の側近の家に忍び込ませている中で、勝手に追放したというのに追放先から連れ戻そうという動きを見つけたとのこと。傷物だから何でも言うことを聞くだろうと。フェンネル公爵より保護の依頼も受けた。だからフェンネル公爵令嬢、保護という形ですが辺境で療養したらどうか」
私は瞬きをした。
誘われてからも何日もベッドから起き上がれない。だが辺境伯は何度も情けない私を見舞ってくれた。その度に辺境で療養することへの返事をしていないと焦る。焦れば焦るほど、ベッドへ身体が重く沈む。
夢現の中、返事は急がないという言葉をかけられなければ、どれほど情けなく思ったか。
ようやく起きられるようになった時には少しでも口にできるものをと、クタクタに形も崩れた野菜のスープをすぐに温めて飲めるように用意されていた。薄いスープを数口しか口にできなかったのが、徐々に一皿食べられるようになった。食べては寝るだけという日々の繰り返しというのに、辺境伯は何人も交代で侍女や女騎士を部屋に置いてくださった。
目が覚める度に過不足なく世話をしてもらい、私は申し訳なさと有り難さを噛み締めた。
ようやくベッドから立ち上がれるようになった頃、公爵家から手紙が届いているが見るか、と声をかけられた。
恐る恐る開いた手紙には、私の身を心配し、辺境伯から無事を聞いた件、王子が勝手にやった婚約破棄の件、そのまま現在は正式に婚約破棄された件、冤罪事件について調べなおして王に問いただしている件、辺境で捕らえた御者と王子との関係や何を私にしようとしたか辺境伯と調べている件、まだ起き上がれないようであるからゆっくり辺境で療養せよとの件など、何十枚にわたって書かれていた。私はその手紙を見るだけで涙が流れてきた。
「大丈夫か?」
辺境伯クリストファー様が不安げに聞いてきた。私は微笑みを浮かべて頷いた。
「大丈夫です。もうここで休ませていただいて1か月経つというのにお礼も申し上げられず、今まで申し訳ございません」
「いや、あのようなことがあったのだ。致し方ない」
「あの、父に手紙を送りたいです。辺境なのに早くやりとりできているようですが。使い魔のやり取りにしては長い手紙でございますし」
「ああ、辺境で研究中の独自の魔道具がある。まだ安定をしてないが故、早くて1日、遅くて10日はかかる。今回は魔道具の魔力が安定しなかったから10日以上かかったな。場合によっては人のほうが早い時もある」
「まあ、それでも安定さえすれば早く届くのですか?」
「ああ。王都では従僕か使い魔、もしくは冒険ギルドを使う。今まで我らもそうだったのだがやはり機密を奪われかねなかった。使い魔だと分厚い手紙を送れなかったりするのはよく知っているようだね。まだ魔道具を持っている者同士しかできないがゆえ、手軽には使うことが難しかったりもするがフェンネル公爵には先日魔道具を送ってな・・・・・・ああ、少し話しすぎたな。顔色が悪い」
「まあ、そこまでお話されましたら気になりますわ」
「いや、顔が青くなってきた。もう休んだほうがよい。辺境の魔術の開発となると口が緩む私が悪いな。あなたはやっとベッドから起き上がれたのだろう? 無理はするな。それに今言った魔道具は公爵にも渡したから手紙がかけたらすぐに送る」
眉根を顰め、もう休めと言う姿が何ともくすぐったく思う。
「わかりましたわ。ありがとうございます。今日のところはお言葉に甘えて休みます」
恥ずかしさをごまかすように顔を背け、布団を肩まで引き上げた。ゆっくり休め。毎日のように見舞っては去っていく床の靴音が今日はひどく淋しく感じて布団を握りしめた。
ベッドから起きられるようになって一月が経つ頃には、侍女に支えられながらも庭に出て散歩できるようになった。女神への祈りを捧げることも欠かさない。侍女たちは祈りを捧げる姿を静かに見守ってくれた。
王都にいた時より穏やかで静かな毎日が過ぎていくある日、昼下がり庭園の四阿に腰を掛けて休んでいると遠くから精悍な顔が見えた。
「大丈夫か」
「ふふ。大丈夫ですわ。ここまで歩けるようになりましたのよ」
私の言葉に辺境伯の口が緩む。しかし、すぐに引き締めてキリッとした。
「病み上がりだ。無理はするな」
「ええ、ありがとうございます」
本当にありがたい。侍女たちも辺境伯のつけてくれた女騎士たちも私を支えてくれているのだ。
「そうだ。ここでゆっくりするならば少し私のお茶に付き合ってくれないか」
唐突に言われた言葉に目をシパシパ瞬いた。畏まりました、と侍女たちが言うやいなや、女騎士たち以外の気配が消える。
驚いて周りを見渡すうちにお茶の準備が整っていた。
「まあ、手品のようですね」
「手品?」
「もうお茶会の準備ができましたもの」
「ああ、そうか。確かに手早く手配してくれたな。ふふ、貴方もそんなふうに笑うのだな。可愛らしい」
私は可愛いなどと言われると思わず、顔が熱くなった。
「まあ、戯れを」
「戯れてなどないが。あなたは可愛らしい」
「ご、ご冗談を」
ますます顔が火照る。そっと扇子で隠そうとする手に辺境伯は手を伸ばしかけて止めた。
「ああ、許可なく触れてはいけなかったな。どうだ」
「もう、大丈夫でございますわ」
「それでもあのようなことがあったのだぞ。大丈夫ではない」
辺境の、それも騎士団ならば男のほうが多いというのに私の側にわざわざ女性ばかりつけてくれた上に、ずっと遠くから声をかけてくれた方だ。怖いよりも今は安心する気持ちのほうが強い。
「もう大丈夫ですわ。それにかわいいなど冗談を言わないでくださいませ」
「そうか。だが無理をするな。それに私は王都の口説き文句などわからぬ。見たまましか言えないのだ」
「あ、あ、えっと。あの、お、お茶をいただきましょう」
どう返答したらよいか分からなくなってしまい、顔をうつむけながらお茶の話に無理やりした。王子に捨てられた私を慰めるために言ったのだろう。それでも頬が熱くなるのが止まらない。辺境伯は気まずげに手を離し、カップに手を伸ばす。
「申し訳ない。勝手に手を取ってしまった。では気を取り直して。この茶は辺境で採れるハーブを混ぜたものだ。気分を落ち着かせ穏やかに過ごせるとのことだ」
「まあ、柔らかな花の香がしますわ。甘くて美味です」
「よかった。ああ、菓子も持ってきたか。フェンネル公爵令嬢、こちらをどうぞ。辺境の大麦を粉にして混ぜたクッキーだ。小麦があまりとれぬ地であるから、王都のものと味も違うだろう。口に合えばよいが」
飾り気もないクッキーに手を伸ばす。辺境伯が食べるのを見て、私も口に運んだ。サクリと音を立てて砕けたクッキーは口のなかでほどけていった。香ばしい香りが鼻を突き抜ける。
「お茶とよく合いますわ」
「よかった」
しばし辺境伯と歓談をしていると、許しを請う間もなくひどく汚れた姿の騎士が駆け込んできた。穏やかな顔でほほ笑んでいた辺境伯の顔が引き締まる。
「すまない。魔物がでたらしい。討伐に出かける」
「まあ。気をつけてくださいませ」
さっと立ち上がるやいなや、急ぎ足で去る背へ声を掛けた。
その日からしばらくは辺境伯に会えない日々が続いた。いつもならば2,3日で終わる討伐が今回は長くかかっているらしい。
「心配なさるな。時間はかかってますがあの方はお強いですから」
「ですが魔物は恐ろしいものと聞きます」
「ええ。恐ろしいです。しかし、辺境では恵みももたらされますゆえ」
「めぐみ?」
驚く私の手のひらへ侍女は首に掛けたネックレスを外して差し出した。ネックレスには宝石にも似た、虹色の光を放つ石が取り付けられており、私は目を丸くした。
「魔石でございます。魔物によって大きさは異なりますが、宝石よりも美しいものも取れますから」
「このように大きいもの、私、初めて見ましたわ」
「これは私の夫がジャイアントグリズリーにとどめを刺したときに取れたものでございます。私は魔物討伐に行ったことがないので聞いた話ですが、魔物を倒したら魔物の姿は消えて魔石だけが残るとか。夫曰く自分の倒した魔物の魔石を拾って認められれば報奨として渡されるそうです。そしてそれを加工して私へ贈られたのですわ」
「まあ、だから肌身離さず大切にかけてるのですね」
「ええ。夫の誇りでもありますから。それに魔石は不思議な力があり、大切な人の命を一度だけ守る力があるという伝承から守り石と言われることもあります」
「まあ。そのような伝承が。王都では魔物から採れたものだからと魔石を忌避する者や魔石を実験道具としてしか見ない者が多いですわ。ほとんどが研究材料として使われていると聞いたことがあります。私も魔石を宝石として使えると思ったことなどありませぬ」
これが王都で流行ってしまったならば。騎士団どころか街の治安部隊まで魔物狩りに駆り出されてしまえば、王都の治安を守るものが街から減ってとんでもない混乱に陥るに違いないわ。独りごちた。
「ねえ、辺境について知りたいわ。本などあります?」
「ええ、この城の蔵書室にご案内いたしますわ」
そこからしばらくは庭での散歩はやめ、蔵書室に何日も本を読むようになった。元々王子妃教育を受けていたからか、新たな知識を得るのが楽しく、気づいたら夜になってしまう。
かろうじて侍女の呼びかけで食事はとっているけれども、食べることよりも知識を得たくて時折呆れた無言の視線が突き刺さった。
何冊も読むなかで1つ、目が離せない記述があった。本から顔を上げ、近くで控えていた侍女に尋ねる。
「ねえ、この火竜の息吹の話、王都で劇にもなってますが全く話が違いますわ」
「フェンネル公爵令嬢様、火竜の息吹の話をご存知なのですね」
「ええ、王都では劇にもなってますから。劇では急に起きてそこにいた聖女が浄化したとなってまして。ここで読んだ本では突然起こるものではないとのことで驚いてしまいました」
背後に控えていた女騎士は少し首を傾げる。長くなるかもしれませんが私の分かる範囲で説明しましょうか、と言われて頷いた。
「まず火竜の息吹の胎動が起こります。地震と見分けがつかぬような揺れが続くなど、様々な出来事がすべて胎動と言われてます。最初の胎動を観測してから半年から2年以内には火竜の息吹が必ず起こるとされてます」
何かを思い出すように眉根を寄せながら告げられた言葉は知らないことばかりだ。女騎士をじっと見つめた。
女騎士を見つめすぎてしまったらしい。照れてしまったのか少し顔を赤らめ、早口になっていった。
「胎動は小さな揺れから大きな揺れとなったり、腐臭が漂ってきたりと起こる直前になればなるほど異変が多くなります。また火竜の息吹が起こるたびに場所が変わってます。伝承から確かな記録に至るまであらゆる資料を集めて調べたもの曰く、複数の街が襲われることはあれど記録上同じ土地が連続で襲われたことはないとのことです。また一つの街を襲った後別の街を襲った例も度々あります。まだそれ以上は関連性を調べ切れてはないとのことですが」
「まあ」
「そしてある程度予測して被害が抑えられないか、辺境の学者の中には研究するものもいましたので80年前の火竜の息吹の被害は180年前の時よりかなり抑えられたとのことです。王都の劇は80年前のエリファラの街での出来事がモデルであったはずです。辺境では80年前に被害を抑えたのは聖女ではなくて騎士団の女騎士と言われてますが」
「まあ!エリファラの街は昨日届いた父の手紙に書いていた街ですわ。その街が劇のモデルであると。興味深いですわ。どの資料に書いてますの?」
「右から二段目の、青の背表紙のものでございます。すぐにお持ちいたします」
差し出された本を大事に抱えた。
「それにしても詳しいわね」
「そ、祖父がその著者でして。祖父と、祖父の父が研究していたので、幼い頃より聞かされて育ちましたので」
「まあ、素晴らしい方のご子孫でしたのね」
さらに赤くなった騎士の手を取る。
「民の為に素晴らしい研究をしたお祖父様方には感謝致しますわ。それにこの本、今話してくださった研究がまとめられているのではなくて?」
「ええ。図説も多いので読みやすいかと」
「ありがとうございますわ。ゆっくり読ませてもらいます」
青い背表紙に書かれた"辺境の魔獣と火竜の息吹について"の文字をなぞる。
きっと捨てられかけた私を助けたあの方──辺境伯クリストファー様──へ恩を返さねば。そのためには知ることから始めよう。
時間の許す限り、本と向き合った。
2日ほど過ぎたであろう、日差しの暖かな昼下がり、遠くから馬のいななきと甲冑の触れ合いが近づいてきた。陽気な歌声すら天に響く。
急いで城の窓から外を見れば、討伐に向かった一団が近づいてくるのが目に入った。背筋を伸ばした辺境伯が城下の人々へ手を振りながら騎馬隊の先頭で戻ってきている。
安堵してその場にしゃがんでしまったがゆえ、その日、すわ体調が崩したかと城では違う騒動となってしまった。
「無事のお戻り、お疲れ様でございました」
「ああ、主が不在で申し訳なかった。不便なことはなかったか? 体調はもうよいのか? 先ほど倒れたと聞いたが」
「あ、えっと。先ほどのことは忘れてくださいませ。無事皆様が戻って安堵してしまっただけでございます」
「そうか。ならよかった。ところで辺境について、本で調べていたとか。つまらなくなかったか?」
「勉強になりましたわ。時折実際の物を見せてもらったり、連れて行ってもらったりもしたのです。王子妃教育は王都を離れれば離れるほど、学んだとはいえ座学であることを痛感しましたわ」
「ああ、教会にも連れて行ったと言ってたな。あそこはこの周辺でもかなり大きな教会だ。硝子の反射が綺麗であっただろう?」
「ええ。美しかったです」
辺境伯が目尻にしわを作って笑う。快活な笑みに私はなぜか胸がざわついた。ざわつきを抑えながら、一つの手紙を辺境伯へ差し出した。
「父より私宛に手紙がありました。エリファラの街というところがあるとか」
「ああ、辺境の中でも別荘地として商人や貴族たちが集まっている街だ。確かあの街は前回の火竜の息吹から早く蘇った地としても有名だな」
「ええ。父が馴染みの商人から療養に最適であると聞いたようでして」
辺境伯は目を瞬かせた。
「フェンネル公爵はそのように申したのか」
「ええ。なので行ってみたいのです。どうでしょうか?」
「フェンネル公爵が勧めているのならば、よいでしょう。あの地には我が別荘もいくつかあるのでそこで療養できるよう手配しましょう。何人か人をお付けします」
「ありがとうございます」
別荘地エリファラの街まで、辺境伯がわざわざ送ってくれた。道中、さまざまな特産や魔物の特徴について詳しく面白く語る姿が少年のようで可愛らしく思ってしまった。
その一方で、何かあれば私を気遣う姿に心臓が飛び出るほど拍動する。女神に祈る時間は教会があれば道を反れても寄ってくれ、なければ馬車を停めてまで時間を取ってくれる。馬車の乗り降りで手を取られれば頬が熱く火照った。
5日ほど城から馬車で揺られた先、賑やかな話し声があちらこちらで聞こえる街に辿り着いた。
「どうだ。ここがエリファラの街だ」
「まあ」
石畳の大通りが街の中央をまっすぐ貫いている。中心に大きな像が建てられた噴水が陽の光を浴びてきらきらと輝いている。中央の噴水広場から放射線に道は伸びてその沿道に商店が軒を連ねている。道はほとんど馬車がすれ違えるほど広く、別荘地まで行き来しやすいようだ。
そうかといって街の安全性がないとは言い切れない。街に入る門は二重になっており、その外には大きな堀が囲っている。身分証もなければ誰何に時間がかかると聞いてもともとなのか私が療養するからなのか思わず尋ねてしまった。
「明るい街なのですね」
「ああ。燃え尽きてなお、よみがえった自慢の街の一つだ。噴水の像がフェンネル公爵令嬢の申した王都の劇のモデルだ」
「あれが」
近くで見れば、槍の乙女像は非常に大きく、天を突きさすように伸ばされた槍は騎士団の使う槍の倍以上はありそうだ。遠くからもよく見えるように、復興の印として本来の計画より3倍大きくしてしまったらしい。
巨大すぎて計画から20年かかって、完成したのがつい3年前と言われて思ったよりも最近できた憩いの場所なのだと像の乙女を見上げた。凛々しくも天を睨む乙女の白い石膏の肌は太陽に輝いていた。
「ここでは槍の乙女ともいわれている像だ。白い光をまとった槍で龍と相打ちしたとか。竜もたまらず天に昇って逃げ出したと伝えられている」
「完全に倒したわけではないのですか」
「ああ。もし封印ができるならばあなたのように聖女といわれる人間ではないだろうか」
「聖女でも難しいかと。確かに魔物を浄化したり、呪物を封印したりしますしけれども、龍を倒すような剣術はありませんわ」
「確かにな。王都の劇とは違うが、別の伝承では聖女と龍の戦いについて書かれていたが、封印して何とか100年以上龍の出現を防いだ伝説があるくらいだな」
「ええ。本に書いてありましたわね。それにしても聖女ではないとはいえ、この槍の乙女様は命を賭して龍を撃退したのですね」
「聖女でなかったとは言い切れないとか。一説には槍に聖なる力が宿っていたとかも言われている」
「まあ。そうなると槍が聖遺物だったのでしょうか」
「それ以上はわからないな。すべて燃えてしまったらしいからな。さて、街の長に挨拶して別荘へ案内する」
街の長の紹介と、簡単な街の案内をした後、街の中心近くの一軒家に馬車が止まる。馬車からエスコートされて連れられていった家は白く洗練されていた。
「ここは我が屋敷の一つだ。自分の屋敷のようにゆったり過ごしてほしい」
「よいのですか」
「ああ。ここが一番中心地であり、街の自警団の集まり場にも近いから安全なのもある。ゆっくり体を休めてもらえたらうれしい」
「何から何までありがとうございます」
辺境伯は別にと言って目を背ける。その耳は真っ赤に染まっていた。
一室一室案内された後、辺境伯からすぐに城へ戻らねばならないのだと告げられた。
「慌ただしくなり済まない。また来る。そうだ。先日言っていた手紙のやりとりの郵送魔術だがこの魔道具に手紙を入れて我が城を示す数字を入れる。詳細は長くなるのだが、早くて1日、長くても10日以内に我が城の魔道具が反応することで手紙が届くのだ」
「これがお父様と連絡を取っていた魔道具なのですね」
「ああ。フェンネル公爵にも番号を変えれば繋げることができる。側につけている侍女や騎士たちも慣れているから手紙を送る際は頼めばよい」
「ありがとうございます」
「あと、こちらを」
辺境伯の懐から私の手のひらに何かを渡された。深い藍色のベルベットで覆われた、四角い小さな箱。その中には虹色の石が2つ並んで入っていた。
「先日の魔物の騒動で取れた魔石だ。番だったのか2匹まとめて倒さねばならなくて倒したのだが、どちらも美しい魔石が取れてあなたに渡すものが選べなくてどちらも渡すことにしたのだ。一度は致命傷を防ぐとか、大切な人を守るとかいう話は聞いたか? あなたのここでの日々が平穏でありますように」
優雅に騎士の礼をする。私は両手に包んで抱きしめた。
「大切にしますわ」
「慌ただしいですが、最後に。私のことはクリスと・・・・・・ああ、いや、今のことは忘れてくだされ。これにて失礼します」
「いえ、忘れませぬ。ク、クリス様」
「あ。あ、ああ。最近頻発している魔物の出現が落ち着いたらまた来ますゆえ、その時はゆっくりお茶をしましょう」
「ええ。気を付けて行ってらっしゃいませ」
「では」
屋敷を慌ただしく去っていく辺境伯の背中が遠くなるのをひどくさみしく思った。追いかけて玄関から外を見ると、颯爽と馬に乗って辺境伯は去っていく。
「フェンネル公爵令嬢、お戻りくださいませ」
「ええ。そうね。戻りますわ」
とてもさみしくて仕方なかった。
辺境伯と別れて一月と数日。平穏でゆったりとした日々を過ごしていた。人の手を借りずとも動き回れるまで回復すると、神に祈ったり散歩したりするだけでは飽き足らなくなった。
もともと聖女と言われるほど豊富な聖なる力があるのだ。人の助けになりたいと、周りの侍女や女騎士たちに掛け回っていた。
それに気づいた人々に自然治癒で治るものは聖なる力で治してはならない、聖なる力に頼り続ければ自分で治す力を失うのだと口を酸っぱく咎められた。
聖なる力を使ったり仕事をしたりしないと落ち着かなくなってしまった私は王子妃教育の合間にやっていた聖なる力の訓練を永遠に行っていた。小さく濃密な完全なる球を作る練習だ。初めは一つ作るのも苦労していたが、綿密に操れるようになった今では複数作ることも余裕でできる。
しかしそれすら飽きてしまって屋敷の本も読みつくし、侍女の仕事に興味を持って手伝おうとしたら、呆れ顔の侍女たちが編み物や刺繍の手ほどきをしてくれた。
王子妃教育では手慰みなど不要と言われてきたがゆえに初めてやることすべてが楽しくて、街で糸を買っては編み物をするようになっていた。編むうちに聖なる力を糸に通すことで聖なる糸となり、守護や呪術反射など付与できると気づいく。
それも長時間聖なる力が保てるらしく、普通に浄化や結界を張るよりも体力も使わないため編み込むたびに周りのものに配った。魔石にも聖なる力が付与できるけれども、さすがに魔石だけあって糸よりも聖なる力を貯めこむようだ。もらった魔石に何度も付与していくうちに、虹色の光が白く輝くようになっていった。
ただ、周りには何をするにも聖女の力につなげてしまうのかと、あきれられてしまった。
ふと、辺境伯にはたくさんの平穏をもらったというのにお返しをしていないことに思い至る。
私はお返しをしようと侍女に聞きながら耳飾りを編み始めた。
数日前から鼻の奥へ張り付くような臭気が立ちこめていた。小型の魔物たちは人を襲うこともなく、火山から街を通り過ぎて反対の山の外へと逃げていく。スタンピードなら人に牙を向けるはずだ。街の長や自警団は何かあってはならないと馬車を集めたり、周辺へ何か異変がないか聞きに行ったり、調べたりとあわただしく動き回っている。
潰れた酸っぱい果実を腐らせたような臭気に私は何度も吐いた。
地面も時折震える。これが胎動だろうか。だがこの街は前回火竜の息吹に襲われた地。また襲われることはないと、本には書いていたはずだ。
預かった魔道具に手紙を載せて辺境伯へ送るも、何度も跳ね返された。
何かがおかしい。
落ち着かない気持ちを静めようと、耳飾りを編む。細やかに聖の力を糸へ通す。そのたびによどんだ空気がすうっと清涼なものになった気がした。夢中で編んでいるうちに1対の耳飾りとなった。
その耳飾りへ最後に守り石として聖なる力を込めた魔石を取り付けよう。そう思い、宝箱から白く美しく輝く魔石を取り付ければ、聖なる糸にも淡い光が宿り、天使の羽のような一対の耳飾りが完成した。
ふと顔を上げ、時計を見る。すでに暗くなっているはずの空が、赤黒く染まっていた。
やはり、何かがおかしい。
翌日、私は辺境伯につけてもらった女騎士の一人に最近のおかしな様子について書いた手紙を託した。完成した耳飾りも渡すように託そうとしたけれど、侍女や女騎士たちに「あなたの命を守るために渡された魔石なのです」と止められてしまう。確かに。辺境伯クリス様が私のために渡してくれた魔石を使ったのだ。
確かに初めて作った耳飾りだ。もう1回作ればよりよいものができるに違いない。その時は別の石をつけよう。
女騎士には手紙だけ託した。早馬ならば3日で着くと聞いている。辺境伯のもとに無事届いてほしい。できれば一度来てほしい。そう祈る。
完成した耳飾りをしばらく眺めていた。
「身に着けてはいかがです」
「そうね」
侍女が大切そうに持って私の耳へ取り付ける。鏡を見れば聖なる力が滞留する魔石がゆったりと揺れた。この姿をあの方に見せたい。あの方のために守りになるものを作りたい。
このおかしな状況が落ち着けば、お父様に魔石を買ってもらって辺境伯クリス様へお守りを作ろう。
そう考えにふけっている時だった。
カタカタ。玄関の扉を必死にたたく音がする。侍女がそっと立ち上がり、手を掛けた。
「聖女様、体調はいかがでごぜぇますか?」
街の長がわざわざ来てくれたらしい。親切なことだ。大丈夫です、そういいながらも真っ青な顔に何か具合が悪いのではないかと軽く癒やしの力をかける。後ろから護衛の女騎士が頭を抱えていた。
疲れを癒しただけだ。かけた後で気づいて、少し気まずく思った。
「ああ、もったいのうごぜぇやす。しかし助かりやした。ところで聖女様、えらく異変が続いているでごぜぇます。街のものを皆避難させねばと。聖女様のところに辺境伯様の魔道具があると、辺境伯様からも聞いてましてな。使いたいのでごぜえやす」
「それが、なぜか使えないのです。赤い炎が上がって、燃えはしないのですが手紙が跳ね返されてまして」
なんですと、と街の長はかなり難しい顔となった。頭を下げて慌てて帰る背に首をひねる。やはり何かおかしいのだろうか?
気まずい暗い沈黙が流れた時だった。地面が何かが這い出してくるようにぐらりぐらりと揺れる。そして空が真っ赤になったと思ったら、火山のてっぺんから町に向かって一直線の黒い影が現れた。
街の長は「まさか」と青ざめる。「まずい。まさか。前回この街で起きたというのに。しかも胎動が起きてから早すぎる」
火竜が現れた。警戒と騎士団の派遣を。そう領都や周辺の街へ伝えてくれと、私の目の前で若者たちに声を荒げ、急げとばかりに声をかけられたものはみな走り出す。だがここは辺境の中で幾つかある避暑地。辺境の領都からは割と遠い位置となるのだ。すぐに使者が辿り着くかは不明だ。
夕暮れ、空は赤黒く濁り、街並みまで色を失ったように見える。
街の長がハッと私を振り返った。こわばった顔で、私の家まで乗ってきたであろう馬を差し出す。
「聖女様は貴族でごぜぇます。はよう、お逃げなさいませ」
必死に丁寧な言葉を使おうとする老人の声は、ひどく強張っている。眉根を顰めた。
「何が起きてるの。火竜とはまさか」
「火竜の息吹、わしらの街の伝承の通りなら火竜の息吹が起こるでごぜぇやす」
火竜の息吹。聞いたことはある。噴火とどう違うか、王都では議論されたりしていた。まさか身近で起こるとは。
地の底で眠る火竜が目覚め、炎と毒霧を吐き散らす災厄。黒煙のように見える姿は確かに実態を持っていて、人によっては巨大すぎて人の目がとらえきれないから体が煙をまいたように見えるのだという。
私は奥歯を食いしばった。逃げるのは簡単だ。だけれども。
「私は聖女です。私が最後に逃げますわ」
「しかし」
「どのあたりまで逃げれば火竜の息吹から逃れると?」
「伝説いわく馬で半日行った先の街まで逃げれば」
「今すぐ乗り物を用意したら皆逃げれるの?」
「火竜の息吹次第ですな。速く襲い始めれば、皆は難しいかもですじゃ。あの黒煙が落ちてくれば、あっという間に飲まれると」
「では今すぐ私は結界を張ります。気休め程度にしかならないかもですが」
「あ、ありがてぇ。しかし」
「歩けない者たちから乗り物に乗せて先に逃して。もし街から逃げる前に体調に異変があれば私が見ます」
私は言い切りやいなや、長を街の皆を集めて逃がすようにと言い含めて追い出し、部屋の小さな女神像を握りしめる。
私に力添えください。
女神像をドレスの隠しポケットに収める。
昔の伝説曰く、聖なる力は火竜の息吹を封印したこともあるとか。自分の力が封印するほど強いかと言われれば自信がないけれども、今襲われて対抗できるのは私だけだ。自分ならば時間を稼ぐことができる。
クリス様はきっと私にすぐにでも逃げよ。療養中の預かっている令嬢であるというだろう。だが私は貴族だ。民を守る者だ。
この街の人を無事逃がさねばならない。
手を握りしめて神に祈る。
白い光が一瞬にして空へ広がった。
——のちに語った人曰く、逃げ出そうとてんでバラバラに外に出て混乱する街の空へ白い光が広がり、村へ叩きつけようとした黒煙の尻尾を跳ね返したのを見たと。これならここにいても助かるのではと足を止めそうになったと。——
安堵の声が私にも聞こえてきた。
だから扉から外に出て、大声を上げた。
「長くはもたないわ。いつ破れてもおかしくはないの。皆様、早く逃げなさいませ。今の一撃でもかなり結界は脆くなりました。早くお逃げなさい」
その時だ。黒煙の尻尾が何十倍にも数を増やし、結界がぴしりとひび割れた。慌ててポケットの神の像を握りしめる。せめて皆逃れるまでは持たさねばならないのです。どうか。
人々は顔を見合わせ、何十人、何十人と荷馬車や荷車に乗って自警団の指示に従いながら去っていった。
徐々に街から声が消えていく。空は赤黒く染まり、黒いうねりが結界にぶつかってははねかえってるのがよくみえた。ひび割れてはそこに力を注いで修復し、だましだまし何とか耐える。
ふと人々が去っていくのに気付いたのか黒煙の尻尾は私の結界から人々のほうへ向かおうとした。
——だめ。そっちはだめなの
——ミツケタ。オイシソウナモノ、マズハ、オマエヲ、タベヨウ
強く祈った途端、ぐるりと龍がこちらを振り向き、私を見つめた気がした。そのとたん気を緩めれば一発で敗れるほど攻撃が増してくる。歯を食いしばって結界を強化すると、耳につけていた魔石から聖なる力が私に流れてきた。その分いつもより強い聖なる力が使える手ごたえがあった。
これならいけるのではないか。
側に控えていた侍女や女騎士はすぐに逃げましょうと何度も誘ってくれたが、私はその度に首を振った。
やがて壊れないことに怒りを覚えたのか赤く燃える石が時折上空から振り注いでくるようになった。結界に触れた火石は砕け、燃え尽きる。それでも完全には消えず、小さくなった火片が街へ降った。
もう少し。もう少し。
神の像に祈りをささげる。
「我らが最後でごぜぇやす。貴方様も」
ふと顔を上げて横を見れば街の長とその息子だけだ。馬車と馬2匹。御者として長が操るから、乗って逃げろとのことだろう。周りを見れば誘導に手を貸したがゆえに侍女も2人、女騎士も1人。確かに私も乗って逃げることはできるのだ。だけれども。
「火竜の狙いは私かもしれません」
「そ、それは。あり得ませぬ。そんなわけが」
「獲物が逃げれば魔物はどうするかわかりますね」
「そ、そりゃ」
「たしか獲物を追っていつまでも追いかけてくる。ねぇ見てみなさい」
私が指さした先では結界に当たっては白い煙を出して退散しているうねり。聖女の力である程度対応できるに違いはないだろう。
「二人は私の侍女と騎士を連れてお逃げなさい。私は大丈夫よ」
「し、しかし」
「……私は聖女ですもの。最後に逃げれば十分ですわ。皆様、これは命令です。早く、早く行きなさい。そして助けを求めて。あと、クリス様へこれを」
逃げようとしない侍女へ無理やり片耳の耳飾りと手紙を渡す。本当ならば父に言って何とか魔石を手に入れ、同じものをクリス様に作って渡したかったけれど、もう間に合わない。せめて片方だけでもあの方の手へ。
私は残ってる皆へにっこり笑う。
討伐隊が来るまでは必ず持ちこたえますから、早くお逃げなさい。
私は背を向けて街の中心に向かう。私の意思が曲がらないことが分かったのだろう。2匹の蹄の音が遠くなっていった。
手紙には聖女の役目を果たすためにのこったこと、何が起きても侍女や女騎士たちへは、私を一人残したと、罪を問わないでほしいと書いた。罰しないでほしいと。
ねぇ、私はあなたを倒すためにここに来たみたいね。
生きて帰れればあの方の側にもう一度。
本格的に火の玉が降り注ぎ始めるなか、私は自分だけを覆う結界を張り、神に祈りを捧げた。
私に力を。
龍は私が一人とわかったからか怒り狂った咆哮を挙げて、炎を漏らしながら私を喰わんとした。
私に力を。
私は小さな女神像に祈る。聖なる力を竜にすべて注ぐ。
黒煙の尻尾から流れ出してくる毒煙は浄化する。竜の炎も浄化し、竜の猛攻は結界で防ぐ。ここは私を助けてくれた場所。クリス様の大切な領地の一つ。力尽きようとも、止めやしない。
さすがに伝説にもなっている火竜だ。聖女の力で幾らかよろめいているとはいえ、まだまだ力が有り余っているようだ。だが、たった一人私が喰えないと、駄々をこねるように咆哮を挙げる。結界を喰らわんと迫ってきた龍の片目へ、私は聖なる力を纏わせた箒の柄を突き出した。
ギャオン。
火事場の馬鹿力というべきか。運が良いというべきか。戦ったことがないというのに箒の柄は龍の目に突き刺さった。龍は悲鳴を上げて火山へ身をひるがえす。聖なる力は効いているのだろう。いったん引いてくれるのか。私も騎士であったならば龍の急所を狙ってもっと強く攻撃できるのに。次同じことはできないからどうしよう。そう息を吐いた時だ。
体が真横に吹き飛んだ。たまたま隣の花屋の軒先に並べられた若木へ突っ込んだ。
黒煙の尻尾で私を叩きつけたらしい。二撃目が私をめがけて振り下ろされた。
慌ててうずくまる。耳が熱い。
頭を尻尾が掠める。躱しきったつもりであったが、尻尾の風撃で体が浮き上がり、地面に真っ逆さま。
耳が熱く燃え上がるように思った。
「え」
街の中心の泉の側へ何かに守られるようにふわりと降りる。守り石は本物であったらしい。一気に白い聖なる力が私に戻ったと思ったら一度きりの命の危機を守ったとばかり、ぽとりと色を失った片耳の耳飾りが足元に落ちた。体を覆うように聖なる力が普段の何倍もの濃さで覆っている。耳飾りを拾って女神像を入れたポケットへ納めた。
私をお守りください。そしてこの街を、クリス様の愛するこの領地を助けてください。
どうやって聖なる力を龍にぶつける。そうだ。私は今出せる最大限の浄化の力を小さな弾丸として目の前に顕現させる。練習していた時より一粒一粒の力は濃密だ。これを龍に一粒でも当てられるように狙わなければ。戦ったことのない私でも数打てば当たるだろう。
龍は不機嫌そうに尻尾を街に叩きつけた。つぶれてないほうの目で私をにらみつけ、すうっと息を吸う。
口元の紫の靄からするに、火炎ではなく毒霧だ。
「そうはさせないわ」
浄化の弾丸を次々と口元へ打ち込んだ。絶え間なく。
竜は小さな弾丸を避けきることもできず、体から真っ赤な炎の血を流しながら、私に大きな口を開けて迫ってきた。弾丸を放ちながら、泉の槍の乙女像に力を注ぐ。私の聖なる力を宿した槍を持った槍の乙女像は徐々に白くこの世界の何よりも清浄に輝いた。
「ねえ、こっちにおいで」
私の手招きに、竜はカンカンになったらしい。大咆哮を挙げ、一度空へ体を跳ね上げると直下して降りてきた。私が瞬きする間もなく。
そのまま槍の乙女像の槍に貫かれた。槍の乙女像は轟音とともに龍を巻き込んで崩れる。それと同時に白い鎖のような光が龍の全身に巻き付いた。
龍はじたばたと藻掻くも逃げられないようだ。私はほっと息をつく。
やったわ。もう力なんてないけれども、私は手の中の神に祈りを捧げる。
このままこの龍が目覚めることがありませんように、と。
だが、龍も最後の力を振り絞ったのか尻尾を巻き付けて私を口に運ぼうとした。
今、聖なる力がいつも以上にある今ならば。
最大限の浄化を龍にぶつけた。龍は悲鳴を上げて私の体を宙に放り出す。地面に叩きつけられてもなお、聖なる力を注ぐのはやめなかった。
顔を挙げれば黒煙が消えて赤い龍の姿が現れる。その龍もゆっくり消えかかっていた。這いながら龍の側に行けば心臓付近から虹色に輝く石が輝いていた。きっと、きっと、倒せた。
そう思ったとたんに叩きつけられた全身に激しい痛みが走った。息が苦しい。
目を閉じればおしまいだ。そう思いながらもこれで皆を救えたと神に祈りを捧げた。
領都から辺境伯クリストファー率いる討伐隊がついた時には街の建物の大半は焼け落ち、黒い残骸だけになっていた。
蔓延してるはずの毒霧がどこにも残っていない。エリファラの街と真逆の街で別の討伐があったがゆえに来るのが遅れたことを後悔しながら辺境伯クリストファーは心臓が痛いほど震え上がる。エリザベス嬢、生きててくれ。その祈りとは裏腹に。
中央の泉の槍の乙女像と思わしき崩れた残骸の下。今までに見たことがないほど大きな虹の石。その横で座って動かない女の人。
辺境伯は駆け寄る。黒く焦げて石の欠けた耳飾りと小さな女神像を抱きしめたエリザベスは穏やかに眠っているように見えた。近づいて手を取った時だ。辺境伯は息を飲む。
呼吸をしていない。手がひどく冷えている。
「エリザベス嬢、エリザベス嬢、目を開けてくれ」
震える指を首筋へ当て、脈を図る。何も感じられない。
「間に合わなかった。なぜだ・・・・・・なぜ、この地が狙われたのだ。あなたが、あなたが」
彫刻のように微動だしないエリザベスの体に縋り付き、辺境伯は静かに涙を流した。
祈る姿のまま息絶えた顔はほほ笑みが浮かんでいた。
その数日後。辺境へ来る予定のなかった王都の使者が辿り着いた。その中に王族が紛れていたことに、上から下への大騒ぎとなった。王子の元側近の手引きで王都の使者を装ってきたらしい。辺境伯は苦々しい顔で王子を応接間に案内した。
目の下には、眠れていないことを示す濃い隈を刻んだ辺境伯を王子は鼻で笑った。
自分をすぐもてなしもしない、田舎領主め。それにしてもきれいな白の飾り石のついた耳飾りをしてるのだな、しかし片耳だけとはと王子は内心思いながら口を開く。
「冤罪が確定したから、追放刑を取り消すと?」
「ああ」
王子が傲慢にうなずく。辺境伯は眉をひそめ、ため息をついた。
「遅うございますな」
王子は机に手を打ち付ける。辺境伯をギロリと睨みつけながら怒鳴り散らした。
「え。まさか、貴様、あやつを」
「何を想像しておられるのか。エドワード殿下。わざわざ迎えに来られたみたいですが」
余計に疲れたと首を振られたことに王子は歯軋りした。慇懃無礼な奴め。何だ、なぜすぐにあいつを出さないのだ。早く連れ帰って婚約を結びなおさなければならない。エリザベスさえ戻れば、剥奪された王子の身分も戻してもらえるはずだ。そのために、わざわざ迎えに来てやったというのに。
ああそうか。反省の色がないと?
王子は怒鳴って悪かったといいながら、穏やかに聞こえるように話す。
「冤罪と分かった。俺が悪かったと謝らねばと思ってな」
その瞬間、身体が固まる。全身の血が凍るような寒気を覚えた。
「そう言えばあの方が喜ぶと思ってか?」
辺境伯が冷たく言い放った。冷や汗を流しながら王子は平静を装う。
「そうだろう。だから早くあいつのところに案内しろ。あいつがいないと俺が王族から外されてしまうのだ」
先ほどから聖女と分かった。冤罪で聖女を断罪したから謝る。そして王子の妃として迎えて名誉を取り戻す。何故、何故、そうだと言ってるだろう?だから早く案内してくれ。
「もうあなたは王族から外されただろう。王子殿下ではなく平民となった上、毒を賜ったというのに逃げ出した。そうだろう? 」
辺境伯は唾棄した言葉に王子は目を見開いた。初め真っ青になった顔色はすぐ真っ赤に染まり、机にこぶしを叩きつけて、叫び声をあげる。
「貴様、無礼であるぞ」
「ごまかしたって無駄だ。とある方からの手紙であなたを捕縛するよう命じられているからな」
辺境伯の合図とともにすっと現れた辺境騎士団が王子の体を押さえつけた。王子は離せと暴れようとするも、びくともしない。辺境伯は歯ぎしりする。
王子を睨みつけながら冷ややかに口を開けた。
「それに、処刑を待たず王都から逃げ出した卑怯者が何の権限を持って彼女を連れ戻すのだ。あなたが真実の愛とか王都でほざいていたアンジェとかいう女は王族を欺いたことを認めて処刑を受け入れたというのにな」
「あ、あ、あの嘘つき女に俺は騙されたんだ。俺は悪くない。悪くない。それにエリザベスさえ俺のもとに戻れば父上だって考え直すはずだ」
ダン、と机が揺れる。辺境伯は手を机に打ち付けて、歯を喰いしばった。声が一段と低くなる。
「貴様の考えなしのせいで、あの方がどれほど傷ついたのか。それにたくさんの人に迷惑をかけたのか」
「うるさい。父は俺を見捨てやしない。俺は返り咲けるんだ」
「貴様の教育が失敗し貴様が勝手に権限を語った責任で陛下は退位し、王弟殿下への譲位が宣言されている。貴様が返り咲けるわけないだろう」
「うそだ」
「それに、もう戻るわけない、戻るわけないんだ。あの方は、あの方は」
辺境伯は肩で息を吐く。
「我が領の別荘地として名高いエリファラの街で火竜の息吹が発生した。あの方はそれを一人で防いだ末に命を」
「な」
「この度の火竜の息吹は予兆からの襲撃の間がなかった。本当ならばあの方の滞在していたエリファラの街は襲われるはずのない地。使者から聞いて急いで向かったけれども、エリファラの街の隣町まで着いたのが火竜が現れた翌々日だった。間に合わなかった。あと3日、せめてあと3日襲撃が遅ければあの方を助け出せたかもしれないのに。あの方一人で戦わせなかったのに。だから申し訳ないが」
ことり。辺境伯は白い箱から布にくるまれた何かを取り出した。
王子の目の前に置かれたのは。
「今さら冤罪だったなんてもう遅いのです。あの方はこれを残して散ってしまったのです」
冷たく、重いもの。それは聖女が最後に抱きしめていた小さな女神像だった。




