逆ギレする元恋人から守ってくれたのは、見知らぬ店員さんでした。
「だって、きみは1人でも生きていけるだろ……!?」
あ、これマンガとかドラマとかでみたことある。
本当にこんなこと言うやついるんだ。
最初に思ったのがそれだった時点で、私も結構マトモではないのかもしれない。
ただ、言い訳をさせてもらうとしたら、それなりにショックは受けていたし現実逃避に近かったんだと思う。
「……で?」
「だから、その、彼女はきみとは違って、」
可愛げもあって、甘えてくれて。だから。
もにょもにょと情けない言い訳を並べるのにため息が漏れる。
それにすらびくりと肩を揺らすのだから、私と付き合っていたのが夢なんじゃないかと思うほどだ。
「1人でも生きていける、だっけ」
「…………」
「そりゃ生きていけるよ。みんなそう。誰だってなんとか1人でも生きていけるんだから」
でも、でもね。
「そんな中でも、あなたと居たい、って思ってたんだよ」
別に付き合うまでは1人だったんだから、当たり前の話だ。
もちろんそういうことを言われてるんじゃないのは分かってるけど。
でも物語であのセリフを聞くたびに、それでも一緒にいたいって思ってたんじゃないの、って考えちゃってたから。
私の言葉に視線を逸らした姿を見て、ああもう本当にダメなんだな、と察する。
それなら長居をすることはない。
さっさと別れて自由にしてあげよう。
すでに別の女がいるようだし。
「まあ、それも私の勝手だね。わかった。別れよ。そっちに置いてある荷物は全部処分してくれて良いから」
「……っ、そういうところが、可愛げがないって言ってるんだよ」
「はぁ? だから別れるって言ってるでしょ。二股なんて相手にも失礼だし」
「本当は俺のことなんて好きじゃなかったんだろ」
「そういう話してないでしょ」
また始まった。
頭を抱えたくなるのを堪えて伝票に手を伸ばす。
彼は時折、こうして思い込みで卑屈になって暴走するところがあった。
それをめんどくさくて可愛いと思ってたけど、別れ話をしている今となってはただ面倒でしかない。
可愛げのない女なんて忘れて、新しい彼女を大事にしてあげたら良いのに。
彼が先ほどから告げているのは、そういう内容だというのに。いったい私にどうして欲しいのだろう。
「っおまえなんてどうせ、彼女と違って愛されることもない」
「はいはい、そうかもね。ここのお会計はしてあげるから、」
「そういうところが癪に障るんだよ!」
「ちょっと、お店で大きな声出さないでよ」
周囲のテーブルから視線が寄せられる。
元々別れ話をし始めてから見られてはいたけど、大きな声のせいでさらに注目を集めてしまった。
もうこのカフェ利用できないなぁ。
あくまでも冷静な顔をする私が気に食わないらしく、彼はぎり、と歯噛みして睨みつけてきた。
怖いとは思わないけど、そこまで嫌われてたんだ、と自分の鈍さに悲しくなる。
恋は盲目とはよく言ったものだ。
「いつもいつも俺のことを見下して! バカにするのもいい加減に……!」
彼の右手がグラスを掴んで、ああさらにベタな展開だな、なんて思っちゃって。
帰りびしょ濡れなのは嫌だなぁ。
せめて夏だったらすぐ乾いたのに。
あ、でもコート着ちゃえばバレないか。……?
「あれ、」
いつまで経っても想像していたものが来ないのでそっと目を開ける。
視界を埋めていたのは丸いトレイだった。
「お客様、店内での暴力行為はお控えください」
視線を上げれば、最初に案内をしてくれた店員さんが困ったように笑っている。
守ってくれたのか、と銀色のトレイを伝ってぽたぽたと流れ落ちる水を眺める。
私にかけられるはずだったそれは、テーブルの上に置かれたままのランチパスタのお皿に流れて溜まっていった。
「ぼ、暴力なんて、」
「こんな寒い日にずぶ濡れにさせるおつもりですか?」
「〜〜っくそ」
「えっちょっとお会計は!?」
店員さんが驚くのも構わず走り去って行った元恋人を見送り、ほっと息を吐く。
なんにせよずぶ濡れで帰宅する未来は避けられたわけだ。大変助かる。
「すみません、ご迷惑をおかけしました」
「ああいえ、こちらこそ割り込んでしまって……」
「いえ。あいつのせいで店内の空気も悪くしてしまいましたし」
実際そこそこに賑やかだった店内はすっかり静寂に包まれている。
周りのテーブルだけでも軽く頭を下げつつ、荷物を手に取った。
伝票は先に取っていたから濡れずに済んだのが幸いかも。
テーブルに飛び散ってしまった水は、申し訳ないが店員さんにお任せしてしまおう。
店員さんに声をかけてレジまで案内してもらう。
私のせいで彼まで悪目立ちしてしまって大変申し訳ない。
せめてものお詫びとして、その場から自然と移動できるお手伝いくらいはしてあげようかなって。
「会計くらい、あいつに吹っかけたらよかったのに」
「ふ、いいんですよ別に。手切れ金です」
「……それならまあ、安いか……?」
素直な反応を可愛らしく思いながら、レジを操作する姿を見る。
パーマなのかふわふわの茶髪に、垂れ気味の瞳。全体的にやわらかな印象の青年だ。
若そうだし学生バイトさんとかなのかな。
三千と五十円です。カードで。ではそちらにタッチか差し込みをお願いします。
……うん、あんなことがあっても仕事がスムーズで申し分ない。
彼からレシートを受け取って店を出る。
ここのランチパスタ、いろんな味があって美味しかったのになぁ。
いつか全種類制覇してやろうと思ってたのに。
気を遣ってか店先まで出てきてくれた彼に向き直り、頭を下げる。
「庇っていただき、ありがとうございました」
「いえ、……あ、の、〜〜?」
「え?」
先ほどまでハキハキと喋っていたというのに、急に聞き取りにくくなって顔を上げる。
ちょっとだけ気まずそうな顔をした彼は、視線をそっと私に合わせてから口を開いた。
「また、来ていただけますか……?」
「えっと、さすがにご迷惑では、」
「迷惑だなんてそんな! 悪いのは先ほどの男性のほうで、あなたは何も!」
まあそれはそうなのだけど。
あいつと同席していたから私も同罪ではあるだろう。
ただそう伝えるには彼に対して少々申し訳なくて。
「……まあ、助けていただきましたし。お礼がてらまた食べに来ます。今度は、ひとりで」
元々ここのお店、私が好きなお店だったし、働いている人が良いって言うなら良いんだろうし。
「嬉しいです! お待ちしておりますね!」
懐っこい笑顔を見せた店員さんに、犬みたいな人だな、と笑った。
***
後日、平日の休みが取れたので、カフェタイムに例のお店に立ち寄った。
流石に土日や、平日のランチタイムのような混んでいる時間に利用する気にはなれなくて。
謝罪の菓子折りでも持って行ったほうがいいか悩んだけど、結局のところあいつの問題だし、私がそこまでする必要もないかとやめてしまった。
そういったことをするよりは、ちょっと良いケーキと飲み物を頼んでお店に貢献したほうが良いだろう。
お店に入れば、遅めのランチタイムなのか、1組のサラリーマンがいるくらいで他に利用者は見られなかった。
こんな時間に入るのは初めてだけど、意外と穴場の時間だったかも。
「いらっしゃいませ。お好きなお席にどうぞ」
あの時の店員さんが来て笑顔を向けてくれる。
流石に覚えて、は、ないのかな?
それなら大変ありがたい。
「……もし、ご迷惑でなければカウンターはいかがですか?」
ああいや、覚えていそうだ。
まだあれからひと月も経ってないし、そもそもあんな派手なことをやらかしたんだからそうそう忘れられないだろう。
案内されるままにカウンターにつけば、ケーキに悩んでいるうちに唯一のお客さんだったサラリーマンたちも出て行ってしまった。
「すみません、これと、……あとカフェオレボウルで」
「追加料金となりますがよろしいでしょうか?」
頷けば彼は微笑んでメニューを下げてくれた。そのままカウンターに入り、ヤカンを火にかける。
ぼんやりと作業しているのを眺めながら、私は再度謝罪をしたほうがいいかどうか、考えていた。
「お砂糖は入れますか?」
「いえ、なくて大丈夫です」
手際の良さにすこし感動してしまう。
思えばじっくりこうして見るのって初めてだ。
いつもはカウンターになんて座らないし、彼と付き合ってからは彼のことばかり見ていた気がする。
まさか浮気されるなんて、思わなかったけど。
「お待たせいたしました、どうぞ」
「ありがとうございます。あれ、クッキー?」
「そちらは俺からサービスです」
「えっ、でも」
「代わりに、お客さん途切れて暇なんで、良ければお話付き合ってくれません?」
店員さんはあの日と同じように懐っこい顔をして笑った。
そう言われてしまえば断りにくく、可愛らしい色をしたメレンゲクッキーと、チョコチップのクッキーをそのままお皿に置いておく。
カフェオレには可愛くココアパウダーで模様付けされていたので、とりあえず写真を撮っておいた。
ここ来るのも最後かもしれないし。
ここで甘いもの頼んだの初めてだし。
つやつやと輝くチョコレートでコーティングされたオペラ。
薄く削られたチョコでデコレーションされているのもオシャレだな、と思いつつ口に入れれば、しっとりとした食感と濃厚なチョコの香りに思わず頬が緩んだ。
「ふふ、美味しいですか?」
その言葉と微笑ましげな顔で、一連の動作を見られていたことに気づく。
いやそりゃ、1人しかお客さんいないし、目の前に座ってるんだからとは思うけど。
「……美味しいです、とても」
「あなたがすこしでも幸せになってくれるならよかった」
「甘いものは幸せになれますもんね」
甘いもので得られる快感は一瞬だと聞いたことがあるけど、あとで「あれ美味しかったな」と幸せに浸ることもあるし、刹那ではないはずだ。
ミルクのやさしい甘さとコーヒーの香りがうまく調和しているカフェオレも、このケーキによく合う。
ほう、と息を吐いたところを見て、店員さんがまたひとつ笑った。
「あの日、あの後大丈夫でしたか?」
「その節は大変お騒がせしました。あの後は、はい、特に何もなく」
「あっいえ、謝ってもらいたいってわけではなくてですね!?」
店員さんは慌てて手を左右に振りながら否定してくれたが、どう考えてもお店の中であんなに騒ぎ散らかしていたら迷惑だろう。
騒いでいたのは私じゃないけど。
あの後はお互いに何もなく、私も連絡先をブロックしてしまったし、同棲してたわけではないから荷物とかに困ることもないし。
そういえば、たまに泊まりに行っていた時に置いておいた荷物は結局どうしたんだろう。
捨てて良いとは言ったけど、新しい彼女が見たら気まずいんじゃないだろうか。……いや、それこそ私が心配することじゃないか。
「トラブルになってなくてよかったです。最近は物騒ですしね」
「ふ、確かに。でもあいつにそんな度胸ないですよ」
「分かりませんよ? 咄嗟に水かけようとなんてしたんですから」
たしかに。2度目はしっかりと頷いた。
まさかドラマみたいなことされると思わなかったな。
ベタすぎて、今思い返したら笑ってしまうほどだ。水って。
「助けていただいて、ありがとうございました」
「いえ。何もなくて何よりです」
店員さんは柔らかく笑うと、サラリーマンたちの席から回収してきたお皿を洗い始めた。
この時間は1人で回しているんだろうか。
となると、この人はバイトとかじゃなくてえらい人なのかな。若く見えるのに。
しばらくはかちゃかちゃとお皿を洗う音と、私がケーキを食べる音だけが流れる。
穏やかなBGMも相まって、のんびりとそれらを堪能した。
「クッキーって買って帰れます?」
「ええ、レジ横にありますよ。良ければ帰りにどうぞ」
「そうします」
ふわりとレモンの香りのするメレンゲクッキーが美味しかったので、帰りに買っておこうと心に決める。
ごちそうさまでした。そう声に出せば、店員さんも笑って「お粗末さまでした」と返してくれた。
人懐こい印象はそのままだけど、この人との会話はとても穏やかだ。
このお店みたいな、やわらかで暖かい空気を感じる。
だからつい、口が緩んだのかもしれない。
「1人で生きてられて、何が悪いんですかね」
ほろりと落ちたそれに店員さんが振り向いて、私も驚いて口元に手をやった。
出てしまったものは取り返しがつかない。
どうやって誤魔化そうかと頭を巡らせたものの、何も策なんて浮かばなくて。
「悪いことじゃないですよ」
「なんか、すみません。独り言だと思ってもらって、」
「それでもあなたと居たい、って言っていたでしょう」
「……そうでしたっけ」
「そうなんです。……それがね、いいなぁって」
ふ、とやわらかく顔をゆるめて、彼は私を見つめた。
そんな甘ったるい顔を向けられるのは久しぶりのことで、すこし戸惑う。
視線を逸らした私を気にしたふうもなく、彼は言葉を続けた。
「ひとりでもいいけど、あなたと居たい、ってすごい口説き文句じゃないですか」
「どう、ですかね」
「俺にはめちゃくちゃ刺さりました」
え。視線を戻せば、まだ甘ったるい顔をした店員さんがこちらを見ていた。
「俺がその相手になりたいな、って」
一目惚れってやつですかね。だからつい、身体が動いちゃって。
照れたようにはにかんで、今度はあちらが視線を逸らす。
それがかえってその言葉が嘘ではないと示していて、私の顔にも熱が上がった。
「まあ、これは勝手な話なんで、無視してくれて良いんですけど」
「え」
「……あれ、もしかして俺、チャンスあります?」
「え、あ、いや、どうだろ、?」
あっさりと無視して良いと言われたことに落胆を覚えたのは否定できない。
だからと言って、すぐに気持ちを切り替えられるとも断言できなかった。
そんな私の気持ちすらも見透かしたように、店員さんはちょこっと悪戯っぽく笑う。
「ベタですけど、お友達から、なんてどうですか?」
まだお互いに名前も知りませんし。
そう言って、手を差し出してくるのに笑ってしまう。本当にベタすぎる展開だ。
都合が良すぎて、嘘なんじゃないかってくらい。
「それなら、ぜひ」
「ほんと? えっ、まじか嬉しい、やった」
「ふふ、そんな喜びます?」
「いやいやまじで嬉しいですよ。だってあんなことがあって、今日も来てくれないかと思ってましたし」
「……それは、まあ」
「約束、守ってくれたんですよね。そういう真面目なところも素敵だなと思います」
あまりにストレートすぎる言葉に眩しくなる。
こんな言葉をもらえるようなタイプじゃないと思うんだけどな……とは思うものの、否定するのも変な話なので曖昧に笑っておく。
店員さんはカウンターの端からメモとペンを取り出すと、さらさらと何かを書いていった。
「これ、俺の名前と連絡先です。登録しておいてもらえると」
「しののめ、かなめ? よう?」
「かなめ、です」
東雲要、とSNSのIDの羅列が並んだ紙を受け取り、そのままスマホにIDを打ち込んでいく。
検索に出てきた相手を追加して、私のほうからスタンプをひとつと、軽く挨拶を送った。
「私は西宮一花です。先ほどメッセージを送ったので、あとでお願いします」
「いちか? 漢字はどう書くんですか?」
「ひとつのはな、と書いて一花です」
「へえ……ふふ、お似合いですね」
そうだろうか。
この説明をするたびに、自分にはもったいない名前のような気がしてならないんだけどな。
ああでも、ひとりぼっちな感じは合ってるかもしれない。
親に由来を聞いたときもはやりの歌から取ったと言っていたし、まあそういうものか、くらいの思い入れではあるんだけど。
「ひとりでも凛と咲くあなたにぴったりのお名前だ」
それなのに、どうしてだろう。
その言葉だけで今まであまり思い入れのなかった名前に意味がついたような気がして。
「素敵な解釈をしてくれますね」
「ええ? そうですか?」
「東雲さんって結構ロマンチストですか?」
「ああ、それはよく言われるかも。男なのに、って思います?」
「別にそこに男女はないんじゃないですか?」
私は割と現実的に考えてしまうので、そういった考え方をする人は新鮮だな、くらいで。
ちょっとだけ、気恥ずかしい気持ちがないとは言えないけど。
「それこそ、私なんて女なのに可愛げないとか言われますし」
「こんなにも可愛いのにね」
「へ」
「見る目ないですよね」
ぶわりと今度こそ全身が熱くなる。
だってそんな、そんなことを言われるのなんて初めてで、しかもそんな甘くてとけそうな顔をして。




