第五章 赤壁、時空の臨界点
長江の夜は静かだった。
月が水面を銀色に染めている。
だがその静けさの下で、三つの軍が動いていた。
北岸。
魏軍の陣営。
巨大な艦隊が川を埋め尽くしている。
船は鎖で繋がれ、まるで一つの巨大な城のようだった。
甲板の上で、曹操が立っている。
背後には司馬懿。
そして華陀――石井四郎。
曹操は長江を見つめていた。
「静かだな」
司馬懿は答える。
「嵐の前です」
曹操は笑った。
「風は吹くか」
その時、石井が言った。
「風など関係ありません」
彼の後ろには、奇妙な兵士たちが並んでいた。
目が血走っている。
鎧を着ていない。
代わりに筋肉が異様に膨れている。
「虎魂丹」
石井が誇らしげに言う。
「恐怖を消しました」
曹操はそれを見て、何も言わなかった。
ただ長江の闇を見ている。
その川の底では、別の兵器が動いていた。
小さな船。
人が一人乗る。
爆薬を積んだ棺桶。
**回天。**
黒木博司が微笑んだ。
「呉の艦隊は朝には沈む」
水中の影がゆっくりと進む。
長江の底で、戦争が始まっていた。
---
南岸。
呉の艦隊。
巨大な船が並んでいる。
その甲板の上で、源田実――周瑜が地図を見ていた。
菅野が近づく。
「どうだ」
源田は空を見た。
「風が弱い」
菅野は笑った。
「そのうち吹くだろ」
杉田が滑空機の翼を撫でている。
竹の骨組み。
絹の翼。
**真・紫電改。**
堀越二郎が最後の点検をしていた。
「美しい」
彼は呟く。
杉田が笑う。
「飛ばなかったら泣きますよ」
堀越は言った。
「飛ぶ」
そして菅野を見た。
「君が乗るなら」
菅野は翼に触れた。
軽い。
だが確かに翼だった。
「久しぶりだな」
遠くの空を見る。
そこにはまだ何もない。
だがもうすぐ。
杉田が言う。
「敵来ますよ」
その時だった。
海面が揺れた。
呉の船の下で爆発が起きる。
水柱。
兵が叫ぶ。
「水中攻撃!」
武藤金義――周泰が刀を抜いた。
「来たな」
水の中へ飛び込む。
長江の底で、回天が進んでいる。
武藤はそれに向かって泳いだ。
水中の戦いが始まる。
---
夜明け。
赤い太陽が昇る。
源田が言った。
「発進」
甲板の上で滑空機が押し出される。
菅野が乗り込む。
杉田も。
二機の翼が風を受ける。
「行くぞ」
船の先端から飛び出す。
滑空機が空へ舞い上がった。
江東の空に、初めて翼が現れた。
菅野は叫ぶ。
「空は俺たちのもんだ!」
魏艦隊が見えた。
巨大な船団。
菅野は笑う。
「でかい的だ」
急降下。
陶器爆弾を投下。
爆発。
魏の甲板が吹き飛ぶ。
杉田が笑う。
「最高っす!」
だがその時だった。
西の空から、風が吹いた。
強い風。
山から。
源田が空を見上げる。
「……来たか」
西の山。
霧の中で、諸葛亮が羽扇を振っていた。
張飛が叫ぶ。
「風吹いたぞ!」
孔明は静かに言う。
「東南の風」
火炎船が長江を流れ始めた。
炎が広がる。
魏艦隊へ突っ込む。
船と船が鎖で繋がれている。
火は一瞬で広がった。
赤壁の炎が夜空を染める。
曹操はそれを見ていた。
炎の海。
空には滑空機。
川の底では回天が沈んでいく。
曹操は笑った。
「見事だ」
司馬懿が言う。
「撤退しますか」
曹操は頷く。
「退く」
だがその時だった。
戦場の中央。
白い旗が上がる。
火の中で、一人の男が立っていた。
魯粛。
その魂は――
**樋口季一郎。**
彼は叫んだ。
「やめろ!」
炎の中で声が響く。
「もう十分だ!」
兵士たちが動きを止める。
呉も魏も蜀も。
樋口は旗を掲げた。
「**人道回廊を開く!**」
源田がそれを見た。
菅野も空から見ている。
孔明も山から見ている。
樋口は言った。
「救える命は救う!」
炎の海で兵たちが動き始めた。
敵味方関係なく。
人を救うために。
赤壁の火は、ゆっくりと弱まっていった。
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その夜。
長江の空は静かだった。
戦争は終わった。
だが世界は変わっていた。
三つの国。
三つの思想。
技術の呉。
知略の蜀。
統制の魏。
そして空を見上げた菅野が呟く。
「まだ終わらねぇな」
源田が頷く。
「これからだ」
歴史は、この赤壁から分岐する。
三国志ではない。
大東亜戦争でもない。
新しい世界。
三つの国が拮抗する――
**三極の時代が始まった。**




