第四章 蜀の神秘、王道楽土の幻影
西の山々は、雲の海に沈んでいた。
蜀の地。
険しい山岳と深い霧に包まれた国。
外界から切り離されたようなその地で、一人の男が空を見上げていた。
星が見える。
昼間なのに。
いや、正確には違う。
彼の頭の中で星が動いているのだ。
男は静かに呟いた。
「時代が違っても……天は同じか」
羽扇を手にした男。
名は**諸葛亮孔明**。
だがその魂は、別の時代から来ていた。
**石原莞爾。**
日本陸軍きっての異端の戦略家。
「最終戦争論」を唱えた男。
孔明は地面に円を描いた。
円の中に三つの点。
北。
東。
西。
「三極……」
その時だった。
背後から豪快な声が響く。
「軍師!」
振り向く。
そこに立っていたのは巨漢の武将だった。
黒い髭。
巨大な槍。
その姿は明らかに**張飛**。
だが中身は違う。
**辻政信。**
暴走参謀として恐れられた男だ。
張飛は大股で近づいた。
「魏と呉が戦うらしいぞ!」
孔明は静かに頷いた。
「知っている」
張飛は笑う。
「じゃあ俺たちも行くか!」
孔明は首を振った。
「まだ早い」
張飛が不満そうに腕を組む。
その時、別の足音が近づいた。
鎧の音。
振り向くと、若い武将が立っていた。
白い鎧。
整った顔。
名将の風格。
**趙雲。**
その魂は――
**根本博。**
満州の戦場を知る冷静な将軍だった。
趙雲は静かに言った。
「魏軍の動きが妙です」
孔明は興味深そうに聞く。
「どう妙だ」
趙雲は地図を広げた。
「兵が……」
「異常に強い」
張飛が笑う。
「そりゃいいじゃねぇか!」
趙雲は首を振る。
「違う」
「痛みを感じていない」
孔明の目が光った。
「薬か」
趙雲は頷く。
「恐らく」
張飛が唸る。
「気味が悪いな」
孔明は羽扇をゆっくり振った。
「石井四郎だろう」
二人が固まる。
張飛が言う。
「誰だそれ」
孔明は答える。
「医者だ」
そして静かに続ける。
「だが、人間を兵器にする男だ」
風が吹いた。
山の霧が揺れる。
孔明は空を見上げた。
「呉は技術」
「魏は人体」
羽扇で地図を指す。
「ならば蜀は」
趙雲が聞く。
「何で戦うのです」
孔明は微笑んだ。
「知恵だ」
張飛が大笑いする。
「それだけか!」
孔明は地面に図を描いた。
八つの門。
中央。
複雑に動く線。
「**八卦陣**」
張飛が首を傾げる。
「迷路か?」
孔明は頷いた。
「敵は自分がどこにいるか分からなくなる」
趙雲が感心する。
「心理戦」
孔明は続ける。
「さらに情報」
山の向こうを指差す。
「商人」
「旅人」
「僧」
「すべてが目になる」
張飛が言う。
「スパイか」
孔明は微笑む。
「影衛」
そして空を見る。
雲が流れている。
孔明は静かに言った。
「そして最後に」
羽扇を掲げる。
「天」
張飛がまた笑う。
「天?」
孔明は言った。
「天気だ」
趙雲が理解した。
「風……」
孔明は頷く。
「そう」
長江の方向を見る。
その川はまだ遠い。
だが戦場はそこにある。
「東南の風」
張飛が腕を組む。
「そんなもの操れるのか?」
孔明は微笑む。
「操る必要はない」
羽扇を閉じた。
「**来る時を知ればいい**」
山の風が強くなった。
霧が流れる。
孔明は空を見つめる。
そこにはまだ戦争はない。
だが彼には見えていた。
空を飛ぶ翼。
川を進む船。
水の底を走る影。
そして燃える赤壁。
孔明は静かに呟いた。
「赤壁」
張飛が聞き返す。
「何だそれ」
孔明は言った。
「戦争が終わる場所だ」
そして小さく付け加えた。
「あるいは……」
遠く長江の方向を見る。
「世界が始まる場所かもしれない」




