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Memory7「時空の狭間で」

(……まさか、こんなことになるなんて夢にも思ってなかった。)


(あの頃は、()()()()()()()()()()()()()のが当たり前でその当たり前が、ずっと続くと思ってた。)


俺とSP001は、人気の少ない階段踊り場にいた。


……そういうことになっていた。


さっきまで俺は、あの頃の教室を思い出していたはずだ。

涼の笑い声。紬の目の強さ。あやめの明るさ。伏見の静けさ。朱音の勢い。

セイヤの…妙に綺麗な「縁がない」の言い方。


なのに今、視界の中には夕焼けに染まった窓枠と、古いコンクリの壁と、階段の段差しかない。


呼吸はちゃんと自分のものなのに「ここに来た理由」だけが、薄い膜みたいに剥がれている。


(……俺、どうやってここに来たっけ)


隣には、黒髪の青年……SP001が立っていた。

いつも通りの無表情。

いつも通りの距離感。


「焦神さん」


「ああ……わかってる。やるんだろ『存在強度トレーニング』」


口に出した瞬間、俺は自分に驚いた。

俺が言ったのに、俺が言わされたみたいな感覚。


SP001は静かにうなずく。


「その名称を、あまり口に出さないでいただけると助かります。」


「なんでだよ。俺が恥ずかしいから?」


「恥ずかしさも要因の一つです」


「要因って言うな」


俺は壁にもたれ、窓の外を見た。

校庭は金色で、空はちゃんと空で…ヒビが入っていない。


昨日と同じ夕焼け。

昨日と違う静けさ。


「具体的には、何やるんだよ。存在強度トレーニング」


「……」


SP001が、ほんの少しだけ言いよどんだ。

いつも即答するこいつが。


「まずは、昨日と同じディスプレイを安定して出せるかどうか。そこから始めましょう」


「了解」


目を閉じる。


雨の日の公園。

水たまり。

「泣いていいよ」という声。


昨日と同じように、その光景を思い出そうとした……そのとき。


空気の重さが、変わった。


「……ん?」


耳鳴り。

視界の端で、何かが揺らいだ気がした。


目を開ける前から、嫌な感覚が背筋を撫でていく。


「SP001?」


呼びかけようとして、言葉が途切れた。


そこはもう、階段踊り場ではなかった。


世界が、静止していた。


時間が止まった、というほうがまだ近い。

さっきまで赤く染まっていた夕焼けは、色を奪われたみたいにモノクロになっている。


風も、音も、気配もない。

ただ、空間だけが何層にも重なって、じわじわとねじれていた。


存在の校庭とも違う。

あそこはもっと『自分の中』って感じがした。

ここは、外側だ。

世界と世界の間を無理やりこじ開けて、その隙間に落ちたみたいな感覚。


「……また、来たか」


俺は思わず呟いた。


隣でSP001が、小さく言葉を落とす。


「時空の狭間タイム・ギャップ……」


「正式名称ついてんのかよ、ここ」


「便宜上です。時間と空間のレイヤーが、不自然に剥き出しになっている領域。本来の存在の校庭とは、構造が異なります。」


「つまり、イレギュラーってやつか」


「はい。それも、かなり良くない種類の」


SP001は周囲を警戒するように視線を巡らせる。


モノクロの廊下。

静止した埃。

遠くで止まったままのチャイムの針。


世界のポーズボタンを押したみたいだ。


その中心に、ぽっかりと『穴』が空いていた。


黒でも白でもない。

色を失った何かの、抜け落ちた跡。


そこから、誰かが歩いてきた。



最初に見えたのは、コートだった。


黒いロングコート。

風も吹いていないのに、裾だけがゆっくり揺れている。


次に男か女かわかんない雰囲気。

紙みたいに白い肌。

感情の読めない灰色の瞳。

真っ黒な唇とまつ毛、髪の毛。


長身。

病的なほど細いシルエット。


『人の形』をしているのに、

『人の記録』から抜け落ちたみたいな存在感。


そいつは、まるで散歩の途中でたまたま通りかかったみたいな足取りで、俺たちのほうに近づいてきて……立ち止まる。


「……やあ」


小さく笑ったように、口元が動いた。


声は中性的でどこか乾いていて。

耳ではなく、脳の奥に直接響いてくるような感じがした。


()()()、二人とも『ちゃんと見えてる』んだね」


「今日はってなんだよ。」


反射的に言い返した自分に驚く。

さっきまで世界の異常さに押し潰されそうだったくせに。


男は、少し首を傾げた。


「ああ、やっぱり。君は覚えてないほうが正常なんだろうね」


「……どういう意味だよ。」


「焦神さん、警戒を。」


SP001が一歩前に出た。


「あなたは、何者ですか。このレイヤーに、不正に侵入している存在と判断します。」


「不正か…いい言葉だ」


男はくすりと笑う。


「じゃあ、そういうことにしておこうか。不正アクセス、幽霊、バグ、影法師。好きなものを選んでいいよ」


「ふざけているようですが、ここは危険領域です。あなたの意図が不明な……」


「意図?」


その言葉にだけ、男の目が少しだけ鋭くなった。


「意図なんて、大したものはないよ。ただ、落ちていく途中のものを眺めるのが、好きなだけさ」


「落ちていく、途中……?」


思わず口を挟むと、男は俺のほうを向いた。


灰色の瞳が、まっすぐ刺さる。


その瞬間、胸の奥に、強烈な『未視感(メジャヴ)』が走った。


初めて会うはずなのに。

どこかで何度も、すれ違ってきたような。


そんな、気持ち悪い感覚。


男は、笑ったまま……まるで詩をこぼすみたいに言う。


「見たことがないのに、懐かしい。それが未視感(メジャヴ)だよ。……君は、それを武器にできる」


喉の奥が、ひゅっと鳴る。


「……占い師かよ、お前。」


俺がそう返すと、男は少しだけ楽しそうに目を細めた。


「そういう言葉で処理してくれるなら、安心だ」


SP001がさらに一歩前に出る。


「あなたは、記録喰い(レコードイーター)ですか?」


「いいや」


男は瞬きもせずに否定した。


「喰うほどの記録が、そもそも僕のところには届かないからね。僕はただ、『残りかす』みたいなものを眺めてるだけ」


「残りかす……」


「君たちみたいな、『まだ落ちきってない』連中は、なかなか美しいよ」


その言い方が、妙に優しくて、逆にぞっとした。


「じゃ、確認」


男は指を一本立てる。


「君は、『消えた友達』のことを、まだ覚えている」


晶のことだと、すぐに分かった。


「……だったら、どうした。」


「悪くない」


男は、その答えに満足したように頷いた。


「君がまだ上にいる限り。落ちていった誰かに、手を伸ばすことができる」


「当たり前だろ。落ちたまま放っとく気なんか…」


「でもね」


男は俺の言葉を遮る。


「手を伸ばすってことは、自分も一緒に引きずられるかもしれないってことだ」


モノクロの世界で、男の声だけが妙に鮮明だった。


「それでも君は、手を伸ばすんだろう?」


少しだけ、興味をにじませたような目で、俺を見てくる。


胸の奥で、何かがカチリと鳴った。


「当たり前だ」


今度は、迷わず言えた。


「俺はもう、選んだんだよ。俺の存在を守るって。だったら、その存在で救えるもんがあるなら、全部掴みに行く。」


「……ふふ」


男は小さく笑った。


「やっぱり、君はそうなんだね」


SP001が静かに口を開く。


「あなたは、焦神さんを試しているのですか」


「試すなんて、おこがましい」


男は首を横に振る。


「ただ、見ているだけ。僕はいつも、端っこから見ているだけなんだ」


その言葉には、不思議な重さがあった。


「覚えておくといいよ」


男は、俺とSP001を順番に見た。


「存在を守るってことは、どこかでん『切り捨てるもの』を選ぶことでもある」


「……は?」


「全部を救おうとすると、君自身がバグる」


軽く肩をすくめる。


「だから、その時が来たら。何を諦めないかを先に決めておきなよ」


「何を、諦めないか…」


「そう。何を諦めるか、じゃない」


男の灰色の瞳が、ほんの少しだけ柔らかくなった気がした。


「君はきっと、諦めないものを選ぶほうが性に合ってる」


その瞬間、世界の端がひび割れた。


音もなく、モノクロの景色に、色が戻り始める。


「……時間だ」


男は、ひとりごとのように呟いた。


「ねえ、SP001」


「何でしょう。」


「君は、羨ましいよ」


ふっと、意味の分からないことを言う。


「忘れられることも、覚え続けることも、ちゃんと故障として記録できるから」


SP001の目が、わずかに揺れた。


「あなたは……」


「じゃあ、またね。忘れた頃に会おう」


男はくるりと背を向ける。


黒いコートの裾が、ありえない方向へ風に流される。


次の瞬間。


世界が、切り替わった。


「…さん。焦神さん。」


SP001の声で、我に返る。


気づけば、俺たちはまた階段踊り場に立っていた。


夕焼けはちゃんと色を持っている。

廊下の向こうからは、部活の掛け声が聞こえてくる。


……今の、何だ。


頭の中が、妙な空白で埋まっていた。


「焦神さん、大丈夫ですか」


SP001が覗き込んでくる。


「顔色が良くありません」


「いや……その……」


言いかけて、言葉に詰まる。


さっき、誰かと話してた気がする。

背の高い男。黒いコート。灰色の目。


そこまでははっきり浮かぶのに

名前も、声も、話した内容も、霧みたいに指の間からこぼれ落ちていく。


「……あれ?」


額に手を当てる。


「頭の中が、なんか変だ。」


「時空の狭間の影響です。」


SP001は落ち着いた声で言った。


「一時的に、認知レイヤーにノイズが走っています。無理に思い出そうとすると、頭痛がひどくなります。」


「お前、見えてたよな。あの……誰だっけ?」


「はい。しかし、私もログが完全ではありません」


SP001は、自分の胸のあたりにそっと手を置いた。


「映像データの一部と、感情ログだけが残っていて。名称やIDは、綺麗に抜き取られています」


「そんなこと、あんのかよ」


「本来はあり得ません。あれほど明確に認識しておきながら、『記録されない』存在など……」


一瞬だけ、SP001の瞳に、ごく弱いが確かな恐怖の色が宿った。


「…特殊な存在です。」


「敵か?」


そう訊ねると、SP001はすぐには答えなかった。


少し考えてから、首を横に振る。


「現時点では、敵とも味方とも判断できません。ただ一つ言えるのは……」


「言えるのは?」


「焦神さんに対して、『期待している』ように見えました。」


「はあ?」


「私と同じように、です。」


その言葉に、変な疲労感がどっと押し寄せる。


「……なんかさ。」


壁にもたれて、天井を見上げる。


「世界には、俺のこと買いかぶってる変なのが多すぎないか。」


「世界全体ではありません。今のところ、確認されているのは…私と、記録喰いと、あの未識別者の三つです。」


「十分だよ。」


思わず笑ってしまった。


笑ったはいいけど、胸の中には確かに何かが残っている。


何を諦めないか、先に決めておきなよ。


誰かがそう言ったような気がする。

その誰かの顔だけが、どうしても思い出せない。


「…よし」


軽く頬を叩く。


「とりあえず、今日はやめとくか、トレーニング。」


「賢明な判断です。認知リソースが乱れている状態での訓練は、かえって存在強度を削る可能性があります。」


「だよな。……でも、」


階段を降りながら、呟く。


「何を諦めないか、くらいは考えとくよ。」


「もう決まっているのではありませんか」


「え?」


振り向くと、SP001はまっすぐ俺を見ていた。


「あなたはすでに、自分の存在と仲間を、諦めないと選んでいます。」


「……まあ、そうだけど」


「そこに、もう一つ加えるとしたら…」


少しだけ間を置いて、SP001は続けた。


「これからの自分も、諦めないでください。」


言葉が、胸の奥にすとんと落ちた。


「過去と他人を守るために、今の自分を切り捨てる人は多いです。」


SP001は、どこか遠くを見るような目をした。


「それは一見、美しい選択に見えますが。『記録』としては、とてももったいない。」


「……お前、たまにずるいこと言うよな。」


「そうでしょうか?」


「そうだよ。」


階段の踊り場から見える夕焼けが、少し前より濃く見えた。


晶のこと。

世界のどこかにいる元凶。

そして、さっき出会った記録されない誰か。


全部まとめて押し寄せてきそうになる。


それでも。


何を諦めないか。

その問いだけは、はっきりと胸の中に刻まれていた。


「なあ、SP001。」


「はい。」


「そのうち本当に『友達』ラベル登録しろよ。」


「検討しておきます。」

「今すぐ登録しろ。」


「では、次回のトレーニングまでに、友達ラベルの定義を精査しておきますね、遊火さん。」


「……やっぱ鬼仕様だな、お前。」


俺は笑いながら、階段を降りていった。


背後で、モノクロの世界の残滓みたいな気配が、一瞬だけ揺れた気がした。

けれど振り返っても、そこにはもう何もなかった。


[SP001 内部ログ]

対象:---

MEM・EMO・THK 影響:---

事象:未識別者との接触

状態:記録未検出

コメント:遭遇を確認。

焦神《-ASEGAMI-》

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本記事が最新の意思表示です

(変更時は活動報告で告知します。)


最終更新:2026/03/10

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