Memory4 「晶(あきら)」
チャイムが鳴った。
教室のざわめきが一度だけ天井へ持ち上がって
それから机の脚の音や筆箱のファスナーへほどけていく。
窓ガラスはうっすら曇っていて、外の光が白く広がっていた。
担任が教卓の前に立ち、プリントの束を机に置く。紙の角が揃う音が、朝の空気を薄く切った。
「はい、席につけー。今日はお知らせが二つある」
気だるげで、いつも通りの声。
雨野 晶は背もたれから体を起こし、カーディガンの袖を指先まで引っ張った。冷えた手を隠す癖みたいな動きだった。
(寝不足じゃない。朝ってだけでちょっと落ち着かないよ…)
「まずは、ゲノモだ。最近、遺伝子マネー絡みのトラブルが多いからな。学校からの注意喚起。クロナール・パトロール社のパンフも一緒に配るから、ちゃんと読んどけよー。」
前の席から順に、プリントが回ってくる。机の上を滑る紙の音は、やけに生活感があった。
晶のところへ来た表紙には『あなたの未来と記録を守る』という整ったコピーと、クロナールのロゴ。その横に小さく「SPシリーズ家庭用モデル」と書いてある。
(未来と記録?よくわからないけど新しいことが始まるのかな?)
『上の世界の話』と言ってしまえば簡単で、そう言う人もたくさんいる。でも晶は、その言葉で片づけるのが今日は少しだけ嫌だった。理由は分からない。
(たぶん、ただの気分)
隣の席で鷹月 涼がパンフをひらひらさせて笑った。
「でもさ、そういう上の世界の特別枠のやつが、今からこの教室入ってくるんだぜ?」
晶は「そうなんだ」と頷くふりをした。
(こういう時に驚きすぎても、驚かなすぎても、浮いちゃうなあ)
「そこで、二つ目のお知らせだー」
担任がプリントの束を置き、黒板のほうを振り返る。出席簿の後ろに挟まっている書類をめくりながら
眉をひそめた。
「今日からしばらく、このクラスで実証実験が行われることになった。市とクロナールパトロール社の共同プロジェクトだ。」
どよめきが起きる。
椅子がきしみ、誰かが小さく「まじで?」と言った。
(選ばれた感じがして、少しだけ嬉しい!転校生かなってワクワクするあの感じ。)
「書類によるとだな、特別枠の次世代SPシリーズを一体、教育現場に派遣ってあるんだが……」
担任は書類の角を指で押さえ、首をかしげた。
「型番とかモデル名の欄が、なんかグチャグチャでな。俺もよく分かってねえ。とりあえず、新SPシリーズって覚えとけ。」
笑いが起きた。
晶も口角だけ上げた。上手く笑っておく。ここで真顔になると、真面目な人になってしまう。
(でも、『グチャグチャ』って言葉、嫌だな。パンフはあんなに綺麗なのに…)
「じゃ、入ってくれ」
教室後ろの扉が、ギイ、と鳴って開いた。
黒髪の青年が立っていた。
蛍光灯の下でも輪郭が整って見える。短く整えられた髪。姿勢が硬くて、制服ではないのに妙に制服らしさがてあった。
「本日より、このクラスでの実証実験に参加させていただきます。型式番号、SP001と申します。皆さん、よろしくお願いいたします。」
きっちりとしたお辞儀。です、ます調。
教室の空気が一瞬だけ止まって、そのあと笑いが戻ってきた。
「え、人間じゃん?w 転校生??」
「しかも名前、型番かよ!」
「長っ! 覚えらんねーって!」
担任も苦笑いしながら手を振る。
「まあ企業の都合だ。長いけどSP001と呼んでやれー。こいつは見ての通りお前らのとは違って溶けこむタイプだ。あと色んなこと今までのより数倍早く覚えるみたいだし、変なこと言うと全部ログられるぞー。」
(…ログ?)
その単語が、教室の笑いの中で少しだけ浮いた。笑っていいのか分からないまま、笑いの波だけが通り過ぎる。
晶は教室の端を見た。
このクラスには、もう既に既製品のSPがいる。家庭用モデル。
誰かの隣にだけ立つ距離の上手い機械たち。断っているのに拒絶じゃない、あのちょうどよさ。
(便利だよね。)
・鷹月 涼の落ち着きのない横でそっと助言をするSP002。
・伏見 誠士の影みたいに真後ろで佇むSP003。
・神代 紬の隣で言葉の意味を整えるSP004。
・姫野 あやめのテンポを支えるSP005。
・朱音 八雲の波を見ているSP006。
そして彼らは「隣」から動かない。
でも、SP001は扉の前に立っているだけで、教室の中心に置かれる前提みたいに見えた。
(……溶けこむ、って。どこに?)
その問いに答えを出す必要はない。晶は自分のノートの端を指でなぞって、朝の時間をやり過ごした。
昼休みの教室は、午前の硬さをほどいた音で満ちていた。
弁当箱の蓋が外れる乾いた音、袋菓子の擦れる音、椅子の脚が床を擦る短い悲鳴。
窓から入る光は机の角を白く縁取り、埃が糸くずみたいに漂っていた。
既製品のSPシリーズ。
それは誰かの肩越しに寄り添い、言葉の手前で止まり、必要な分だけ支えるための機械だった。
涼の横でSP002がほとんど囁きに近い助言をする。涼は笑いながら首だけ動かし、助言を『聞いたこと』にしないまま受け取る。
誠士の真後ろにはSP003が影のように佇む。
誠士が少し前かがみになるたび、SP003の直立が際立つ。
紬の隣でSP004が言葉の意味を整える。
紬の言い直しが、一拍だけ丁寧になる。
あやめのテンポを支えるようにSP005は笑いのタイミングをわずかに遅らせる。
八雲の近くのSP006は、何かをするというより
『波を見ている』みたいに静かだ。
断っているのに拒絶じゃない。
踏み込みすぎず、離れすぎず。
教室という小さな社会の縁に、彼らは『ちょうどいい距離』で置かれている。
晶は自分の弁当箱を膝の上へ少しだけ引き寄せ
スカートのプリーツを指先で整えた。落ち着きたい時に勝手に出る癖みたいな動きだった。
(別に緊張してるわけじゃない。……ない、はず)
窓際の席で、焦神遊火が弁当を開けていた。涼が隣の席に腰を乗り出す。
「それ、ひとつもらっていい?」
「ダメだ」
「なぜだ」
「今日の俺の幸福度の八割だから。」
「重い唐揚げだな…笑」
くだらない会話。だから安心する。晶は箸を動かしながら、視線だけを弁当箱の中に置いた。
(聞いてないふり。うん、いつも通り。余計なところに顔を向けない)
後ろから椅子を引く音がした。机がわずかに鳴り、空気が一段だけ締まる。
「ここ、座ってもいい?」
斑鳩 セイヤが椅子を片手に立っていた。声は軽いのに、目は笑っていない。晶はその表情に言葉を与えず、ただ一度だけ見て、すぐに弁当に戻った。
(こういうとき、じっと見たらダメな気がする)
「おう。好きにしろ」
セイヤは遊火と涼の間に椅子を置いて座る。それから、後ろをちらっと見た。視線の先にいるのは、今日から入ってきたSP001。
クラス内では既に0番とちらほら呼ばれつつあった。転校生あるあるである。
「0番くん、すごいね。」
セイヤが唐突にSP 001について触れる。
「お前も言うのかよ」
「いや、事実でしょ。SPってさ、本来『補助』のはずだよ」
セイヤの声は軽いままなのに、言葉だけが硬い。
晶は聞き耳を立てて、箸を止めなかった。
(止めたら、聞いてるって分かっちゃう。……別に聞きたくて聞いてるわけじゃないのになあ。)
「でも、自転車に例えたらさらSP001は、補助輪っていうより…最初から『同じ自転車』にされてる」
比喩は分かりやすい。分かりやすいぶん、彼らが何を言ってるかわからない晶は米粒を一粒だけゆっくり噛んで飲み込んだ。
(同じ自転車…?補助輪?意味がわからないよ)
「で、どうよ。『0番』のクラスメイトと一緒の朝は」
「最悪」
即答。涼が笑って、セイヤが肩をすくめる。笑いは戻る。でも、その笑いは『平気なふり』の色が混ざっている。
そのとき。
「焦神さん」
背後から、SP001の声。
凛々しく立つ姿は、昼休みの雑多な気配の中でそこだけが『整列』して見えた。
(……なんでこんなに、きれいに立てるんだろ。人間より人間みたい。)
「ここ、空いていますか」
「……ああ、いいけど」
椅子が引かれ、SP001が座る。『人間の席』に座るという事実が、教室の配置を一つだけ変える。既製品のSPたちが「隣」に留まるのに対して、SP001は「席」を持ってしまう。
涼が半分茶化して言う。
「ねえ、SP001!お前さ、なんで『席』あるの?」
「登録されているためです。」
「…登録って何の登録?」
「学級活動参加個体としての登録です。」
さらっと言う。そのさらっとした言い方が、逆に硬い。
晶はその黒くてショートボブの髪を少し耳にかけ、目線を弁当に戻した。
セイヤが静かに訊く。
「じゃあさ。お前はこのクラスの『クラスメイト』ってこと?」
SP001は、ほんの一瞬だけ間を置いた。
晶にはそれが人間っぽいのかどうか分からない。ただ、教室の空気が一拍止まったのは確かだった。
「学級運用上は、その扱いになります。」
運用上。
言葉が、机の角みたいに冷たい。晶は自分の名札に指先を触れた。意味のない確認。
(『運用』って、私たちにも使う言葉だったっけ)
涼が箸を止める。
「……それ、他のSPとは違うよな」
「はい」
短い肯定。
肯定されると、『違い』は冗談の外へ出る。
「……で、結局」
遊火がSP001を見る。
「俺を守りに来たのか。監視しに来たのか。どっちだよ。」
教室の笑いが一段だけ静かになる。誰かが本気の質問だと理解する瞬間の薄い沈黙。
SP001はまっすぐ遊火を見た。
「監視と防護は、排反ではありません。」
「最悪の回答ww」
涼が吹き出す。
笑いが戻る…戻るが、完全には戻らない。
SP001はそこで少しだけ声を落とした。
「ただし」
晶はその「ただし」が、生活に関係ないはずなのに耳に残るのを感じた。
(こういうの、あとで思い出すよお…気になる…)
「私は監視より先に、焦神さんがどんなふうに『存在を使うかを見てみたい』ですね。」
晶には意味が分からない。
分からないが、教室で使う言葉じゃないことだけは分かった。
セイヤが目を細める。
「ヒューマノイドが私見って、いいのか?」
「問題ありません。私のOSには『主観ログ』の保存領域があります。」
「それ、誰かに送信される?」
遊火が眉をひそめる。
晶は「送信」という単語にだけ、一瞬背中が冷えるのを感じた。怖いというより、生活が勝手に触れられる気持ち悪さに近い。
SP001は首を横に振った。
「第三者送信プロトコルは、現時点では設定されていません」
(現時点では…?)
言葉の端が、机の上に落ちた針みたいに残る。刺さるほどじゃない。けれど、拾わずにいられない。
晶は箸を動かし直した。
(分かんない。分かんないのに、なんでこんなに引っかかるんだろ)
午後の授業は、どこか上滑りしていた。
チョークの粉が指先に残る音、教科書をめくる紙の摩擦、窓の外の雲の流れ。
全部いつものはずなのに。
晶は集中できないというより、集中するための足場が少しだけずれている。
(気のせい。今日は色々あったから)
そう言って済ませるのが、いちばん安全。
五時間目の終わり、担任が教卓に小さな紙束を置いた。
クロナールのロゴが入った、細い用紙。保護者確認、同意、連絡先…そういう単語が並んでいる。
「実証実験の同意書な。形式だけだから、家で親に見せてサインもらってこい。提出は明日。」
担任が名簿を開き、提出の確認を始める。呼名は軽いのに、紙をめくる音だけがやけに正確だった。
「……雨野」
晶は「はい」と返しかけて、担任の声が止まるのを見た。担任は名簿を見下ろしたまま、眉をひそめる。
「……雨野、えーと……」
教室の空気が一瞬だけ晶のほうへ寄る。視線の針が刺さる前の、あの間。
(やめて。お願いだから、そこで止まらないで)
晶は椅子から半分だけ立ち上がり、笑ってしまいそうな口元を堪えた。
「……私です。雨野晶です」
言った瞬間、自分の声が思ったより大きく聞こえて、頬が熱くなる。
担任は「あー」と短く言って、何事もなかったように続けた。
「そうだ。悪い悪い。……次、鷹月」
笑いが少しだけ起きる。
晶も笑っておいた。笑っておけば、痛みは小さく見えるから。
(先生が間違えただけ。私が気にしすぎ。そういうことにしておく)
それで終わるはずだった。
六時間目の途中、提出物が返される。
プリントが前から順に配られ、机の上に“自分のもの”が積まれていく。
晶の机だけ、一枚足りなかった。
「雨野、悪い。お前のだけ印刷が足りなかったっぽい。あとで渡す。」
担任が軽く言って、別の束を探す。
晶は「はい」と答えて、ノートの端を指で押さえた。
(また? いや、たまたま。今日はたまたま続いてるだけ)
たまたまが続くと、たまたまじゃなくなる。
放課後。
廊下は部活の声と足音で満ち、教室の中だけが少し空っぽに見える。窓に夕方の光が差して、机の天板がやわらかく反射する。
「実証実験の記録用に写真撮ろーぜ」
誰かが言って、黒板の前に人が集まる。
それっぽい顔をみんなが作る。カメラの前の顔は、誰でも少しだけ嘘が上手い。
「晶も入る?」と声が飛ぶ。
晶は一歩前へ出た。
その瞬間、別の声が重なる。
「あ、ごめん、もう人数足りてるわ。」
悪意のない軽さ。むしろ気を遣った軽さ。
晶は笑って頷き、「うん、いいよ」と言って後ろへ下がった。
下がり方が妙に滑らかで、自分でも驚く。何度もこういうのをやってきた動きみたいに。
(別にいい。こういうの、よくある)
よくある、で片づけたほうが平和だなのかもしれない。
晶は黒板の前の輪から少し離れ、窓の外を見た。夕方の空は、ちゃんと夕方の色をしている。世界は普通だ。普通のまま流れている。
シャッター音。笑い声。
その輪の端に、SP001が少しだけ離れた場所に立っているのが見えた。
「…じゃ、提出物。明日の朝出せよ」
担任が名簿を閉じながら言う。
晶は帰り支度をして、鞄の中に同意書を差し込んだ。
紙の角が指に当たって痛い。
痛いほどの痛みじゃない。
教室を出る直前、担任の机の上に開いたままの配布リストが見えた。
名前が並んでいる。出席番号が並んでいる。丸がついて、チェックがついて、誰かの字で世界が整理されている。
晶は見るつもりがなくて、でも見えてしまった。
雨野晶の欄だけ、空欄だった。
(……え?)
見間違いだと思った。
紙は白い。白いところが目立つだけ。たまたまチェックを付け忘れただけ。そういうことだ。
晶は自分にそう言い聞かせながら、視線を逸らした。
その瞬間、背後から声がした。
「雨野晶さん」
振り向くと、SP001が立っていた。
きれいに整った姿勢で、当たり前みたいに名前を呼ぶ。
「同意書の配布、確認しました。提出期限は明朝です。」
「……うん。ありがとね。」
晶は頷いた。
頷きながら、さっきの“空欄が、頭の中で白く残って消えない。
(私の名前、ちゃんと呼ばれた。呼ばれたのに、なんで……)
答えは出ない。
晶は廊下へ出て、夕方の人の波に紛れた。
人の波は、誰の存在も確かめないまま流れていく。
確かめないことが、日常の優しさでもある。
でも、その優しさの中で…
配布リストの白い欄だけが
いつまでも目の奥に残っていた。
焦神《-ASEGAMI-》
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最終更新:2026/03/8




