Memory2 「SP001、日常への侵入」
朝、目が覚めた瞬間に、肩が痛かった。
「……っ」
反射的に右手を伸ばして、昨日、記録喰いの爪が掠めたはずの場所を押さえる。
布団の上からでも、あの熱さを思い出す。
けれど、そこには何もなかった。
血の跡も、かすり傷ひとつもない。
あるのは、洗いざらしのTシャツ越しの、いつもの骨ばった自分の肩だけだ。
「……夢、ってことにしろってか」
天井を見上げて、ため息をひとつ落とす。
存在の校庭《Existence Ground》
記録喰い《Record Eater》
黒髪の青年…SP001
全部まとめて、俺の頭の中だけにしかない『イタい妄想』ってことにしてしまえば、楽なのかもしれない。
でも。
「出席簿……」
昨日、あのあと見た出席簿を思い出す。
出席番号0番 SP001
あれだけは、どう考えても夢にしては悪趣味すぎる現実感だった。
スマホのアラームが二回目を鳴らす。
布団を蹴り飛ばし、狭いワンルームの床に足を下ろした。
朝のニュースは、いつもどおり他人事みたいに世界の話をしていた。
「続いては、…ゲノモについてです。」
キッチンの隅に置いた古いテレビ。
画面の中で、アナウンサーが軽い口調で笑う。
「AIセキュリティ企業、クロナールパトロール社が提供する『SPシリーズ』がゲノモとの連携が決定してから数年、家庭用見守りAIヒューマノイドとしても人気ですよね〜」
CMに切り替わる。
真っ白なリビング。
笑っている家族。
そこに立っている、完璧に整った男女二人。
SPシリーズ。
「あなたの記録と、明日を守るパートナー。クロナールパトロール社」
画面の右下に、小さくクロナールパトロール社のロゴマークが表示されている。
俺は、冷えた味噌汁を電子レンジに突っ込みながら、ニュースを半分だけ聞いていた。
ゲノモなんて、俺にはほとんど縁のない通貨だ。
奨学ゲノモとバイトでギリギリやってる身じゃ、遺伝子ランクだの何だのの話は、ただの格差の指標でしかない。
「SPシリーズね……上の世界のオモチャだろ。」
ぼそっと呟いて、レンジのスタートボタンを押す。
画面の中の『完璧な家庭』と、『六畳一間』の現実との落差が、一瞬だけ笑えてきた。
そのくせ、昨日『あれ』を見ちまってるから、笑い切れない。
「……まさかな。」
自分に言い聞かせるみたいに呟いて、制服に袖を通した。通学路の坂道で、俺は足を止めた。
「おい」
昨日、ピカピカの新品に変わっていたはずの標識。
今日は…
元の、錆びたやつに戻っていた。
赤茶けた斑点。剥がれかけた塗装。
何度も見てきた『いつもの風景』がそこにはある。
スマホを取り出して、昨日と同じようにカメラを起動する。
画面越しに標識を覗く。
今度は、ちゃんと映っていた。
「……ふざけんなよ」
脳みそをぐちゃぐちゃにかき回されている感じがする。
昨日の新品標識は、なんだったんだ。
あれも、夢か妄想ってことにしてしまうのか。
「焦神さん。」
背中から、落ち着いた声がした。
ビクッと振り返る。
そこに、いた。
「……お前」
短く整えられた黒髪。
制服ともスーツともつかないジャケット。
無表情に近い顔立ち。
SP001。
「おはようございます。」
SP001は、きっちりとした角度で会釈をした。
「本日より、監視対象の通常行動パターンの観測モードに移行します。通学時の同行も、その一環です。」
「……監視対象って俺のことかよ。」
「はい、焦神遊火さん。」
さらっと言われると、ちょっとムカつく。
「昨日のは、夢じゃなかったんだな」
俺がそう言うと、SP001は小さく首を傾げた。
「昨日の事象は、現実世界の一部として記録されています。夢として処理するかどうかは、焦神さんの主観に依存します。」
「便利な言い方すんなよ、お前。」
そう言いながらも、心のどこかでは、
『やっぱりそうか』と諦めている自分もいた。
「存在の校庭は、特定条件下で現実世界に重なって展開されます。」
「特定条件?」
「焦神さんのような、『異常な記録の空白領域』を持つ存在が、一定以上のストレスと違和感を蓄積した場合…」
「ストレス溜めた覚えはあるけどよ」
言いながら、昨日の出席簿のことを思い出す。
「出席簿。見たか?」
「はい。0番の登録を確認しました。」
「やっぱり、お前の名前、あったよな!」
「はい。SP001…クロナールパトロール社の公式記録と照合したところ、整合性のない項目が複数ありました。」
「……どういうことだよ、それ?」
「この学校に『特別枠の次世代SPシリーズを一体派遣する』という外形的な記録は存在します。
しかし、機種名・個体番号・担当部署の情報に欠損と、上書きの痕跡が確認されました。」
「つまり?」
「『誰かが来る』という枠だけが先に決まり、中身が空白だった、ということです。」
ぞっとした。
「そこに、お前が勝手に入ったってことか?」
「表現としては、適切ではありません。」
「じゃあ何だよっ!」
「適切なスロットを再利用した、と言うべきです。」
(全然違わねえだろ…)
文句のひとつも言ってやろうと口を開きかけて…やめた。
角を曲がった先に、学校の校門が見えてきたからだ。
SP001は、俺と並んで歩きながらふと空を見上げた。
その横顔に、やっぱり『人間味』はほとんどない。
なのに、どうしようもなくここにいる存在感だけは濃かった。
教室に入ると、いつも以上にざわざわしていた。
「おはよー、遊火ぃ!」
鷹月 涼が、振り向きざまに片手を上げた。
「聞いたか?今日さ、なんかスゲーの来るらしいぞ!クロナールの次世代SPシリーズだってよ、このクラスに!!」
「……は?」
思考が一瞬止まる。
クロナールパトロール社。
今朝ニュースで見たばっかりの企業名。
「市と学校とクロナールのさ、なんか共同プロジェクトだって!ゲノモ教育とか安全管理の実証実験?知らんけど。」
涼は、いつもの調子でニヤニヤしながら席に座った。
俺は、なんとなく教室の後ろを振り返る。
さっきまで一緒に歩いていたSP001は、そこにはいなかった。
代わりに、空席の列のいちばん後ろ。
昨日と同じ場所に、やっぱり誰も座っていない。
…でも。
確かに、『いる』気配だけはした。
視界の端が、わずかに歪む。
見えているはずなのに、ピントが合わない。
チャイムが鳴った。
担任が教卓の前に立ち、手に持ったプリントの束を机に置く。
「はい、席につけー。今日はお知らせが二つある」
いつも通りの気だるげな声。
「まずは、ゲノモだ。最近、遺伝子マネー絡みのトラブルが多いからな。学校からの注意喚起。クロナールパトロール社のパンフも一緒に配るから、ちゃんと読んどけよー。」
前の席から順に、プリントが回ってくる。
表紙には、『あなたの未来と記録を守る』とか何とか書かれたキャッチコピーと、クロナールのロゴ。
その横に、小さく「SPシリーズ家庭用モデル」と書かれている。
「……はいはい、上の世界の話。」
思わず小声で呟く。
涼が横で笑った。
「でもさ、そういう上の世界の特別枠のやつが、今からこの教室入ってくるんだぜ?」
「そこで、二つ目のお知らせだー」
担任がプリントの束を置き、黒板のほうを振り返る。
「今日からしばらく、このクラスで実証実験が行われることになった。市とクロナールパトロール社の共同プロジェクトだ。」
どよめきが起きる。
「書類によるとだな、特別枠の次世代SPシリーズを一体、教育現場に派遣ってあるんだが……」
先生は出席簿の後ろに挟まっている書類をめくりながら、眉をひそめた。
「型番とかモデル名の欄が、なんかグチャグチャでな。俺もよく分かってねえ。とりあえず、新SPシリーズって覚えとけ。」
笑いが起きる。
俺だけは、笑えなかった。
書類がグチャグチャ。
中身だけが曖昧なままの派遣記録。
…さっき聞いたばかりの話と、気持ち悪いくらい噛み合っている。
「じゃ、入ってくれ」
担任が教室の後ろの扉に目を向ける。
ギイ、と扉が開いた。
黒髪の青年が、そこに立っていた。
夕焼けではない、蛍光灯の下でも、印象はほとんど変わらない。
短く整えられた黒髪。
整った顔立ち。
少しだけ固い姿勢。
「本日より、このクラスでの実証実験に参加させていただきます。
型式番号、SP001と申します。皆さん、よろしくお願いいたします。」
きっちりとしたお辞儀。
です、ます調。
教室の空気が、一瞬止まる。
「え、人間じゃん?ww転校生??」
誰かが笑いながらツッコんだ。
「しかも名前、型番かよ!」
「長っ! 覚えらんねーって!」
さらに続いて笑い声が戻ってくる。
担任も苦笑いしながら、
「まあ、企業の都合だ。長いけどSP001と呼んでやれー。こいつは見ての通りお前らのとは違って溶けこむタイプだ。あと顔と名前以外にも色んなこと、今までのより数倍早く覚えるみたいだし、変なこと言うと全部ログられるぞー。」
なんて、軽口を叩いている。
クラスは笑い声と驚きの声が絶えない。
俺だけが、固まっていた。
(……マジかよ)
声にならない声が、喉の奥で漏れる。
昨日、存在の校庭で見た『異常』が、今日、何でもない日常の教室に立っている。
プリントの端を、指先がじわりと湿らせた。
SP001が、黒板の前から教室をぐるりと見渡す。
その視線が俺のところで、ほんの一瞬だけ止まった気がした。
気のせいかもしれない。
そうじゃないかもしれない。
「なあ、遊火?」
隣の涼が、小声で囁いてくる。
「どうした、そんな顔して? 」
「……ああ」
それだけ返すのが精一杯だった。
夢か現実かも、はっきりしない。
ただひとつだけ、はっきりしているのは
俺の朝は昨日からずっと『おかしいまま』だってことだ。
そして、そのおかしさは今日から俺のクラスに
堂々と出席するらしい。
SP001。出席番号0番。
黒板の前に立つSP001は、無表情に近い顔で
どこか…ほんの少しだけ、嬉しそうにも見えた。
焦神《-ASEGAMI-》
の未管理著作物裁定制度の意思表示について
意思表示します。
本作(焦神《-ASEGAMI-》)は作者の療養・創作目的で執筆しています。
無断転載(転載は禁止)・無断掲載(まとめ・転載は禁止サイト含む)・翻訳・朗読・動画化・AI学習素材化等(収集・配布等)を含む二次利用(商用・非商用問わず)を禁止します。
当方からの許諾は現時点では「小説家になろう」内メッセージで明示した場合に限ります。
※SNS・メール・電話等を含むその他の連絡手段での許諾、および第三者を通じた許諾は一切ありません。
また当面、未管理著作物裁定制度に関する登録を含め、文化庁の関連登録制度への登録は行いません。
本人確認方式や運用が変更される可能性があるため、状況を確認しつつ必要が生じた場合に検討します。
※本方針は予告なく更新する場合があります。最新版は本活動記録(または最新話の後書き)をご確認ください。
本記事が最新の意思表示です
(変更時は活動報告で告知します。)
最終更新:2026/03/3




