Memory1 「記録喰いと存在の校庭」
俺の朝は、何かがおかしかった。
目覚ましの音はいつもと同じだったし、窓の外に広がるのも、見慣れた団地の風景だ。
制服を着て、カーテンを開け、靴紐を結ぶ。
そんな一つひとつの動作も、昨日と変わらないはずだった。
…はず、なんだけど。
胸の奥に、針みたいな違和感が刺さっていた。
それは、言葉にはできないほど小さな『ズレ』だ。
昨日までとまったく同じ世界のはずなのに、空気の匂いや光の揺れ方が、ほんのわずかに歪んでいる気がする。
「……寝不足か?」
自分で自分にツッコみながら、いつもの通学路を歩く。
団地の階段を下り、コンビニの前を抜け、ガードレールの続く坂道に差しかかったところで、俺は立ち止まった。
「……え?」
ガードレールの端にあるはずの
錆びまくった古い標識。
それが今日は、ピカピカの新品に変わっていた。
丸ごと取り替えたにしては、土台のコンクリだけ前のまま、というアンバランスさ。
違和感が、またひとつ増える。
「こんなんだったか……?」
俺は無意識にスマホを取り出し、カメラを起動した。
画面越しに、その標識を…
「……は?」
標識は、画面の中から消えていた。
そこにあるはずの場所には、何も映っていない。
錆びたガードレールだけが、ぽつんと画面の中に残っている。
スマホをおろす。肉眼で見ると、ちゃんと標識はそこに立っている。
もう一度かざす。
カメラの中では、やっぱり何もない。
「……おいおい」
ぞわり、と、背中を冷たいものが走った。
その瞬間から、世界が『別の記録』に切り替わっているような感覚は、ずっと続いていた。
教室に入っても、その違和感は消えなかった。
クラスメイトの声。
机の位置。窓から入る風。
全部「ほぼ同じ」なのに、
「微妙に違う」。
いつもより笑い声が少しだけ高く聞こえる。
黒板に書かれた日付のチョークのかすれ方が、見慣れた形と違う。
……そういう、どうでもいいことばっかりが、妙に気になる。ホームルームのチャイムが鳴り、担任が教卓の前に立つ。
「はい、席につけー。出席とるぞ」
いつも通りの、気だるげな声。
出席簿をめくる音が、やけに大きく響いた。
「出席番号1番、焦神」
「はい」
反射的に返事をし、手を挙げる。
隣の席では、鷹月 涼がスマホをいじりながら、適当に「うっす」と返事をしている。
そこまでは、毎朝繰り返されてきた『いつもの記録』だった。
2番、3番、4番。
担任の声が順番に続いていく。
…だが。
「……出席番号、0番?」
一瞬、空気がざわついた。
0番。
そんな番号、聞いたことがない。
担任の手が止まり、眉間にしわが寄る。
「……あれ、失礼。印刷ミスかな。飛ばすぞー。5番」
笑ってごまかすみたいに、先生は次の番号を読み上げていく。
クラスのざわつきも、すぐに元に戻った。
けれど、俺は見逃さなかった。
教室のいちばん後ろ。
いつもは空席になっているはずの、その場所に
一瞬だけ、誰かが座っていた。
逆光で輪郭が滲んだシルエット。
黒髪で、背が高い。
顔立ちは光の中に溶けてよく見えないのに
そこにいるとだけは、はっきり分かる『存在』。
目を凝らしたときには、もういなかった。
そこにはただ、静かな空席が戻っているだけだった。
「……気のせい、だよな」
自分でそう言い聞かせてみても、違和感の針は抜けないままだった。
放課後。
廊下を歩いていると、窓の外に広がる夕焼けが目に入った。
グラウンドは金色に染まり、部活帰りの生徒たちが点々と動いている。
その景色に、既視感が走る。
……いや、違う。
これはただの既視感じゃない。
前にも見たことがある気がするなんて生ぬるい感覚じゃない。
それは…『記録』だ。
この光景を、俺はどこかで『記録されたもの』として知っている。
そんな、意味の分からない確信があった。
校庭の夕焼け。
誰もいないグラウンド。
空に走る、黒い亀裂。
ガチャン、と。
金属のきしむ音がした。
廊下の照明が一斉に落ちる。
世界が、瞬間的に静止した。
「……え?」
次の瞬間、視界が大きく揺れた。
足元の感覚が消え、何かに引きずり込まれるような浮遊感。
耳鳴り。
心臓だけが、やけにうるさく鳴っている。
そして…
俺は、校庭に立っていた。
そこは、現実の延長のようでいて、明らかに異常な空間だった。
校舎もグラウンドも確かに『ある』のに、輪郭が薄く、ガラス越しに見ているみたいに遠い。
空にはヒビのような黒い線が何本も走り、空気が何層にも重なって歪んでいる。
風が吹いているはずなのに、木の葉は一枚も揺れない。
音も、人の気配もない。
ただ、静寂だけが支配していた。
言葉が、ふっと頭に浮かぶ。
存在の校庭《Existence Ground》
誰かに教わったわけでもないのに、ここがそう呼ばれている場所だと、なぜか知っていた。
そのときだ。
空のヒビのひとつが、ぐにゃりと広がった。
黒い『亀裂』の奥からノイズの塊みたいなものがにじみ出てくる。
やがてそれは、人の形を取った。
全身を黒い靄に包まれた、それ。
骨のように細い腕。
顔の部分は、テレビの砂嵐みたいなノイズで覆われ、目も口も分からない。
そのくせ『見られている』という感覚だけは、やたらはっきりしていた。
「……なんだよ、あれ」
喉が勝手に震える。
一歩、後ずさる。
『それ』は、音もなく地面を滑った。
グラウンドの白線が、その足元から黒く剥がれ落ちていく。まるで、世界そのものを削って進んでいるみたいだった。
「記録喰い《Record Eater》です」
静かな声がした。
俺は、びくっと肩を揺らして振り返る。
そこに人影が立っていた。
夕焼けのせいじゃない。
光をきれいに飲み込むような、短く整えられた黒髪が、最初に目に入った。
俺より頭ひとつ分は高い、185cmくらい。
制服みたいなジャケットを着ているが、どこか既製品っぽくないラインで、妙に体に馴染んでいた。
顔立ちは整っていて、同年代のはずなのに
どこか大人びて見える。
けれど…表情がない。
怒っているわけでも、笑っているわけでもないのに
口元も眉もほとんど動いていない『無表情』。
なのに、不思議と『怖い』という感じはしなかった。
目が合った瞬間だけは、別だったけど。
カメラのピントが合うみたいに視界の中心がカチリと締まる感覚がした。
[ナニモノダァ…キサマハァ?]
黒いノイズの顔が、こちらを向く。
記録喰いが、空間をきしませながら問いかけた。
「対象:記録喰い《Record Eater》」
黒髪の青年は、淡々と告げる。
「この『存在の校庭《Existence Ground》』への干渉は、許可されていません。」
ガキン、と。
空気がぶつかり合うような音がした。
記録喰いと呼ばれたそれが、青年のほうへとじりじりにじり寄っていく。
「質問への回答」
青年…黒髪のそいつは一拍おいてから
今度は俺のほうを見る。
無表情のままなのに、その視線だけはやけにまっすぐだ。
「私は、焦神遊火さんのボディガードヒューマノイド、SP001です。」
「……は?」
何を言われたのか、一瞬理解できなかった。
「……ボディガード?」
「はい。あなたの存在を、『記録喰い』から保護するために設計されました。」
さらっと、とんでもない自己紹介をしてくる。
[キサマァ……]
記録喰いが、空気を振るわせた。
その一歩ごとに、世界の色が削れていく。
「時間がありません。」
青年…SP001は、俺にだけ聞こえる声のトーンで続ける。
「説明は後に回します。
先に、あなたの『記録』を確定させる必要があります。」
「……記録?」
「はい、あなたの人生の履歴です。
ただし焦神遊火さん。あなたの記録には、異常な『空白』があります。」
SP001は右手を軽く持ち上げた。
掌に、光が集まる。
「だから、勝てる…」
光が弾け、俺の足元に『映像』が広がった。
幼い俺が、校庭みたいな場所で笑っている。
夕方の光。鉄棒。砂埃。
誰かに名前を呼ばれて、振り向く俺。
けれど、その『誰か』の顔だけが、ぼやけて見えない。
「これは……」
「あなたの『核心記憶』のひとつです。
記録喰いは、それを食らって、あなたを『なかったこと』にする。」
記録喰いが、空気を裂いて突進してくる。
世界がノイズまみれに歪んだ。
頭の中のどこかが、ズタズタに引き剥がされていく感覚。
…ああ、これ喰われたら、『俺という記録』は、本当に最初から無かったことになる。
「選んでください。」
SP001が、俺の肩に手を置く。
その手は、ちゃんと温かかった。
人間と変わらない体温。
でも、震えは一切ない。
ただ、問いかけられた。
「自分の存在を、守るか。それとも…手放すか。」
「……そんなの」
言われるまでもなかった。
ガッ、と。
俺は足元に映し出された『記憶』を思いきり掴んだ。
見えないはずのそれが、確かに指先に触れる。
熱くて、痛くて、でも懐かしい感触。
次の瞬間、視界に火花が散った。
記録喰いの腕が、俺の肩を掠める。熱いものが弾けて、制服の袖が真っ赤に染まる。
「っ……!」
膝が折れそうになる。
それでも、俺は叫んでいた。
「俺は……!」
掠れた声を、無理やり押し出す。
「俺は、俺を忘れたくねえ!」
SP001が手をかざす。
俺の手の中の記憶と、世界のどこかにある記録が共鳴する。
空間が爆ぜ、光とノイズが入り混じった衝撃が、記録喰いを飲み込んだ。
[グ……ア……]
声にならない呻き。
ノイズの塊が、空へと引き裂かれるようにして消えていく。
静寂が戻った。
気づけば、俺は教室の席に座っていた。
机。椅子。窓の外の夕焼け。
さっきと同じ、いつもの教室。
「遊火、帰らねーの?」
涼の声で、ハッと我に返る。
「……あ、ああ。」
心臓だけが、まださっきの戦いの続きをしているみたいにバクバクしている。
右肩に触れる。血も傷もない。ただの制服の布だけ。
夢、だったのか?
そう思いかけ、俺は黒板の横に置かれた出席簿に目をやった。
「……先生、それ、ちょっと見てもいいですか」
「ん、出席簿か?」
担任が帰り支度をしながら出席簿を机に置き、そのまま職員室へ出ていく。教室には、俺と涼しかいない。
そっと近づき、出席簿を開いた。
出席番号1番、焦神遊火。
2番、3番、4番…と視線を滑らせていく。
その、少し上。
そこに
「……マジかよ」
細い文字で追記されていた。
出席番号0番 SP001
目を瞬いた次の瞬間、涼が後ろからひょいと覗き込んできた。
「なにそれ、都市伝説? 0番なんて載ってたっけ」
「……今、見えない?」
「は? お前何言ってんの、1番からしかねーだろ」
涼の目には、0番は最初から存在しないらしい。
出席簿を閉じる。
心臓の鼓動が、少しだけ落ち着いた。
…確かにそこにいた。
あの黒髪の青年。あの声。あの問いかけ。
(自分の存在を、守るか、手放すか)
俺はもう、選んだ。
世界がどう変わろうと、
俺の存在は、俺のものだ。
だから。
「……また来いよ、記録喰い。」
誰にも聞こえないように、俺は窓の外を見ながら呟く。
「次はちゃんと、迎え撃つ。」
夕焼けに染まった校庭が、静かに揺れて見えた。
焦神《-ASEGAMI-》
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最終更新:2026/03/3




