◇第三十四話 秘めた想い ③
「あ、あの、団長様……今、お仕事中……」
「何か言ったか?」
「……」
声が、恐ろしい程に怖いと感じた。これは抵抗しないほうがいいと、警告音が脳内に響く。
行き先が休憩室だったなんて、恐ろしいにもほどがある。団長様は静かに入って、器用に鍵をかけてから中にあったソファーに私を降ろし……迫ってきた。
「さて、浮気をした可愛い恋人にはお仕置きをしなくてはな」
にっこりと微笑んではいるけれど、目が笑っていない事に寒気を感じた。
けれど、ちょっと待ってほしい。今、この方は恋人と言っただろうか。
「……あの、どこのどなた、でしょう……?」
「貰ってあげようかと聞いて了承したのはどこの誰だ?」
「え……」
貰ってあげようかと聞いて、了承した……?
一体、いつの事を……いや、待てよ。
「ま、さか……」
「酒が入っていたとはいえ、ちゃんと覚えていなかった君が悪い」
待て待て待て待て、思い出せ、あの時の記憶を。あ、あの時は……
その部分が全く思い出せず、むしろ恥ずかしい記憶ばかり出てきて顔が火照ってきてしまった。こんな時に何てことをしてるんだ私はっ!
「あ、あの、も、申し訳、ございま、せんでした……」
「一体どれに対しての謝罪だ?」
「……先ほどの、男性の、件で……」
その言葉で、今度は冷ややかな視線を向けてきた団長様。笑顔のはずなのに、おかしいな。
全く、目が向けられない。
「……僕のものだと勘違いさせて、あんなにベタベタ触らせて……私が許すとでも思ったか?」
声が、怖い。笑顔のはずなのに、怖っ……
でも、妾になると言ってしまったから、これはどうにもならない。相手は隣国の王族なのだから。
「絶対に、もう君の視界に入れさせない」
「……」
「テレシア、君は私だけを見ればいい。いいね」
「……ハイ」
「よし、いい子だ」
ようやく柔らかい笑顔に戻ると、キスをしてきた。
でも、視界に入れないというのは、さすがに無理がある気がする。そもそも、侯爵家当主の団長様でも王族相手には敵わないはずだ。というところで、思い出した。そういえば、団長様は彼の前で詰めが甘いと言っていた。
それに、あの話はもしかして以前の潜入捜査で捕まえた外国人商人の事なのではないだろうか。隣国の国王陛下に、文書を送ったと言っていた。一体どんな内容の文書だったのだろう。聞きたいところではあるけれど、聞いてはいけないような気もする。
けれど、団長様だけを見ればいい、だなんて……どうしたらいいのか分からないけれど、何故か嬉しくもなってしまう。
こんな時に何を考えているんだろう、自分は。
「どうした、テレシア」
「えっ、あ、いえ、何でも……」
「いいよ、何でも言ってくれ。何でも答えるから」
何でも、いいんだ。
ちょっと、いや、さっきのでだいぶ怖かったけど……今の団長様は、とても優しく感じる。
だから、だろうか。口からポロリとこぼれた。
「……私のところにいては、第三王女との婚約に……」
「婚約? 婚約届にサインすらしていないが?」
「……する予定、では?」
「するつもりは毛頭ない」
そうはっきり言った団長様は、眉間にしわを寄せさも嫌そうな顔をしていた。自分の立場を踏まえて、そう言っているのだろうか。
「テレシアがいるというのに、するわけがないだろう。陛下に言われても断るつもりだが?」
ここまではっきり言われてしまうと……顔が火照って仕方ない。
あそこまで悩みに悩んでいたのに、そんな事はしなくてよかったのだと思うと……安堵したと同時に、嬉しさが込みあがってくる。けれど、その中には不安もある。
「……その、私は騎士ですから、他の令嬢とは、かけ離れていますし……男爵家の、娘ですし……」
「王国憲法の中に、侯爵家当主と男爵家令嬢が結婚してはいけないとどこに書いてあるんだ。何章の何ページの何行目だ」
さ、さぁ……? 王城騎士団に入るための入団試験で筆記試験があったから勉強したけれど……あったっ……け……?
ズバッと即答で答えられてしまい、何章の何ページまで言う人だったのかと呆気に取られてしまった。
「か弱く他人に頼ることしか脳がなく、四六時中目をやってやらなきゃ死んでしまいそうなご令嬢なんかよりテレシアの方がずっといい。騎士の誇りを持ち己を守れる強さを兼ね備えた凛々しいご令嬢の方がよっぽど魅力的だ」
そこまで褒められて恥ずかしいのもあるにはあるけれど、私はご令嬢への随分な言われように、ツッコミを入れた方がいいのではとも思ってしまった。死んでしまうとか、どうなの……?
でも、嬉しかった。
〝騎士の誇りを持っている〟
その言葉を他人に言ってもらえた。しかも雲の上のような近衛騎士団の、しかも騎士団長に言ってもらえるのは、名誉と言ってもいいくらいかもしれない。
だから、つい、つい目の前の団長様を……抱きしめてしまった。昨夜、我慢に我慢して蓋をしていたから、解放された事への嬉しさからだろうか。背中を優しくなでてくれる手が、温かい。
今更ながらに恥ずかしい事をしてしまったけれど、高揚感に浸ってしまった。
けれど……
「可愛いな……食べてしまいたいくらいだ……」
一瞬にしてそれは壊されてしまった。しかも、ご本人様によって。
た、食べてしまいたい……?
「さ、テレシア。忘れていたとはいえ浮気は浮気。お仕置きだ」
「……」
身体を離され、力強く、顎を掴まれてしまった。目の前の団長様の目が光った事に、危機感を覚えた。
私の目の前にいらっしゃるのは、団長様ではなく静かに狙いを定める猛獣のように見える。そんなオーラと、鋭い視線に、恐ろしく感じた。
「えっ……あ、あの、お仕事、は……?」
「さて、どんな言い訳にしようか」
「はぁ!?」
「陛下の近くには副団長がいるし、他の奴らにも指示を出してある。だから気にしなくていい」
気にしないわけないでしょう!! 近衛騎士団の団長様がこんな所でサボってていいんですか!!
今は隣国の使節団が来訪されている大変な時に、こんなところにいていいのかと言いたいところではあっても、この目だけ笑っていない笑みを前にしては私は何も言えなくなる。身震いまでしてしまいそうだ。
「そうだな……外で伸びていた猫に声をかけたら可愛くてすぐに帰れなかった、にしようか」
「はぁ!?」
猫!? 近衛騎士団長様が猫なんかになんてことを……!?
そんな危機感を覚えていると、懐に仕舞っていた懐中時計を出してきて、笑顔でふたを開き私に見せてくる。
「20分だ。20分で勘弁してあげよう」
「……」
一体どんなお仕置きが……と思うと寒気がしてきた。けれど、顔が良すぎて抵抗出来ない。
公私混同に、仕事放棄。あの冷徹無慈悲な悪魔の騎士は一体どこに行った。
「――好きだよ、テレシア」
いや、悪魔で間違いないかもしれない。
私の心を、甘い言葉で堕とした、悪魔だ。




