◇第三十話 底辺令嬢、そして騎士 ③
次の日、聞いていた通り第二王子が遅れて来訪した。一体何が理由で遅れたのか聞いていないけれど、私達には関係ない。それよりも目の前の仕事に集中しなくては。
「テレシア、聞いたか? 近衛騎士団長、今来日なさってる隣国の第三王女と結婚するんだとよ」
昼休憩中のガストン先輩のその話題で、食事をしていた手が止まった。
昨日の今日で、先輩の耳に入った。いや、私が聞いていなかったのかもしれない。
「隣国との友好関係を強固にするのであれば王女をもらった方がいいよな。こっちには王女はいらっしゃらないんだから。まぁ、王太子殿下はいらっしゃるが今ご婚約なさってる。例え侯爵家であってもこの国の軍事力を管理するお方なら釣り合ってるってわけか」
政治って難しいよな~、と唐揚げを一口で食べるガストン先輩。けれど、私の視線は目の前にあるカツレツにしか向かない。
隣国は医療技術が進んでいる先進国。ならこの国としても関係をずっと持っていたいところではある。
「……テレシアお前騎士団長に気でもあったんか?」
「……第三王女殿下、すごく可愛らしかったし、純粋というか……だから、心配というか……なんというか……」
ガストン先輩の質問に、かろうじて上がりそうになった肩をぐっと抑えた。平常心、と言い聞かせてもなかなかに難しい。
咄嗟に出た、嘘。けれど、すぐに否定が出来なかった自分に呆れてしまいそうになる。
「……言いたくはないが、生贄……」
「ストップ」
「この国の未来は明るいな! そんなところで剣を振るえる俺達は幸運だ!」
そう高笑いしているが、何を言いたかったのかはよく分かった。皆にとって近衛騎士団長は怖くて恐ろしい人だという認識だから。けれど、私は知ってる。そんな怖い近衛騎士団長でも、優しい面があるという事を。
……何馬鹿なこと思ってるんだろう。
きっと第三王女は知らない、私が知っている事。……だなんて思ってる私は大馬鹿者だ。そんなわけがない。
やっぱり、駄目だ。頭が言う事を聞いてくれない。
今までの事は忘れるべき。そう自分に言い聞かせても、勝手に脳内に映し出される。今までの、リアムとの思い出が、溢れてくる。
リアムに抱いてしまった、この想い。消したくても、むしろ大きくなってしまっている。
これを止めるには、どうしたらいいのだろう。
本当に、馬鹿だな……
第三王女を連れた使節団が来訪し、遅れて次の日に第二王子が到着した。そして明後日にはお帰りになる事になっている。
果たして、最後まで何事もなく終わるだろうか。そう願うだけだ。そうすれば、またいつもと変わらぬ日常に戻る。
あの婚約破棄事件前の、いつもの日常に。
ようやく警備を交代し、今のうちにしっかり寝とけと言われ女子寮に戻った。皆さん大忙しだから女子寮に帰っている人は何人いるだろうか。
私のように短時間の睡眠だったとしたら大きな音で起こしては悪い。だから静かに部屋に戻った。もうさっさと寝て先輩と警備を交代しよう。
その、はずだった。
背中が、温かくなった。後ろに引かれた感覚がして、誰かに抱きしめられた。
これ、この前にもあった。そう思い出すと、期待してしまった。
「テレシア」
ずっと、ずっと聞きたかった声が、耳元で囁いた。
ずっと、聞きたかったはずなのに……恐ろしかった。振り向いて自分の方から抱きしめてしまいたいと思ってしまったから。
「10分」
「……」
「たったの10分しかなかったが、それでもテレシアに会いたかった……」
10分。それは一日で考えるとだいぶ短い時間ではあっても、今の私にはとても長く、そしてとても短い時間に思えた。
それだけ、団長様といる時間が怖くて、そして嬉しく思った。
「……近衛騎士団長様」
「テレシア」
「今は隣国の使節団の方々がご来訪なさっています。ただの騎士団員の部屋にいらっしゃる時間はありますでしょうか」
「……」
「早くお戻りになられた方がよろしいかと存じます」
本当は、こんな事は言いたくない。そう、言いたくない、はずなのに。けれど、怖かった。
「それに、ロドリエス侯爵は今回いらっしゃった第三王女殿下とのご婚約が決まっているではありませんか。こんなところに来て変な噂にでもなれば大変です。あなたは、この国の近衛騎士団長です」
「……」
「……我々騎士団の憧れで、目指す先にいらっしゃる方です」
だんだん、私を抱きしめる腕に力が入る。耳に彼の髪が当たり、くすぐったく感じる。
この、抱きしめる手に触れたい。そう思っていても、怖くて、触れられない。
「お戻りください」
隣国は医療技術の高い先進国。この国にあるいくつもの大きな病院は、隣国との友好関係があってこそ実現した、いわばその証でもある。それは、稼ぎの少ない平民であってもかかる事が出来る病院もある。
そのおかげで、家が貧乏だった私でも昔熱病にかかった時に病院のお世話になることが出来たのも覚えている。
だから、隣国との友好関係を悪くすることは、絶対にしてはいけない。
「近衛騎士団長」
その時だった。コンコンッ、と私の部屋にノックがされた。テレシアちゃん、と呼ぶ声が聞こえてくる。この声は、寮母だ。
私は抱きしめる手をガシッと掴み、外した。私だけの力で出来る事ではない。きっと彼が手の力を緩めたんだ。
けれど、顔を見ることが出来ず、彼をドアの死角に押しやりドアを開けた。
「ごめんなさいね、疲れてるのに」
私は寮母を数歩下がらせ私は部屋から出てドアを閉めた。寮母は何か気が付いただろうか、と内心焦りつつも平常心で「どうしました?」と返した。
話している寮母は目の前にいるのに、声が少し遠く感じる。それよりも、先ほどの事で動悸が収まらない。
せっかく、来てくれたのに。たった10分の空いた時間でも、来てくれたのに。残り時間は聞かなかったけれど、きっともうそろそろだと思う。
ずっと護衛に他の騎士団員達への指示にと働き詰めでお疲れのはずなのに、がっかりさせてしまっただろうか。……はは、自分で言ったくせに、自分でも分かってるくせに。嫌だな、本当に。
「テレシアちゃん?」
「……あぁ、いえ、何でもないです。それも大丈夫なので気にしないでください」
「そう? ごめんなさいね」
「いえ。じゃあ、おやすみなさい」
「ありがとうテレシアちゃん。おやすみなさい」
そうして、話が終わり寮母は一階に降りていった。
……私は、どうしたらいいだろう。この部屋のドアを、開けたくない。顔を合わせたら、変な事を言ってしまいそうで怖い。
前に団長様は窓を開けて帰ったって言ってたっけ。じゃあ、もし時間になっていたら窓から帰っていったはず。まだ、いるだろうか。
つい、ドアに背を預け、そのまましゃがみこんでしまった。
会いたいと思っていた。けれど、団長様には婚約者がいる。じゃあ、今までの事は全部忘れた方がいい。
でも、どうして来てくれたのだろう……?
団長様だって、分かっているはずなのに。私のところに来るのであれば、言う事は一つ。今までの事は全部忘れろ、のはずだった。
それなのに、彼の口から出てきた言葉は、それとは全く違った。
「……はは、馬鹿だなぁ……私……」
何、期待してるんだろう。
それから、何分経っただろうか。もういいだろうかと部屋を開けると、彼の姿はなかった。その代わりに窓が開いていて、そしてとあるものがテーブルの上に置いてあった。
それは、ハンカチ。しかも……ロドリエス侯爵家の家紋が描かれたもの。
「……ちょっと待て、これダメでしょ」
さっきまで、感情が頭の中でグルグル渦巻いていたのに、これを見た瞬間ぴたりと止まった。一気にサァァァ、と血の気が引く。
いやちょっと待て、これはさすがに私が持っているわけにはいかない。もしこれを私が持っているところを知られてしまったら、恐ろしい事になってしまう。
お相手は近衛騎士団長でロドリエス侯爵家ご当主。しかも今回婚約が決まった。そんな方のハンカチをこんな身分の女性が持っていた。となると……浮気とまではいかないかもしれないけれど、よからぬ噂が立ってしまうのでは?
そんな事、あってはならないに決まってる。
この場合、お届けに行くのが一番なのだろうけれど……一体どこに行ったんだあの人は。今から探しに行こうか。いや、いつもの王城ならまだしも、隣国の方々がこの王城にいらっしゃる。しかも、彼は今大忙しで、もしかしたら陛下のそばにいらっしゃるかもしれない。
私にだって仕事はある。それに、団長様のタイムスケジュールは全く知らない。
……返すタイミングは、全くないのでは?
そしてそれを、分かっていて置いて行った……?
「あんの人は……っ!!」
はぁ……あの人は一体何を考えてるの? もう全く分からない……
でもどうせ、本人に聞いたとしても答えずはぐらかすんだろうな……はは。




