口から発せられる「言葉」には、その人間の内臓の匂いがする。
今しがたの出来事 ――
月曜の特売で混雑するスーパー。
60代ほどのくたびれた男が怒声を上げる。
「ほんま中国人は民度が低いのおっ!」
何事かと見てみると、前には中国人の家族。
小さなこどもがオモチャを床に落とし、泣きそうな顔で慌てふためき、親が頭を下げている。男は、家族が日本語を理解できないのを確認しながら言い放ったつもりかもしれないが、周囲の客はドン引き。
ここで引っかかるのが「民度」という言葉だ。
男は、民度を「マナー」くらいのつもりで使ったのかもしれない。だが、大声を張り上げる方がマナーも悪いし、民度も低い。
筆者の記憶が正しければ、一般人たちが「民度」という言葉を使い出したのは、排外主義的な発言で人気を集めた、前時代の都知事の発言から。特定国の人々を無分別に揶揄してのものであったが「悪貨は良貨を駆逐す」よろしく、「汚染された言葉」ほど、愚かな大衆には刺さったらしい。―― ちなみにこの石原の発言は、ちょうどミレニアムの頃にあり、すでに四半世紀ほど、生き残っている汚染言語である。
最近、口から出る言葉から、腐臭のする人間が増えてきている。筆者自身も気を付けねばならぬことであるが、反射的に出てくる言葉には、その人間の品性が如実に現れる。無造作に使われる言葉や言い回しに注意すれば、相手の知性も伺い知れる。
頻出する語彙は、思考ではなく、個人的な信仰(=思考未満の感情)から発露する。以前は、ギリギリ会話が出来た連中も、近頃では、野良犬のように獣の言葉しか吐かなくなった(こんなことを言うと「野良犬差別」になるか)。
精神的損耗から来る「感情の劣化」なのだろうが、極めて知性が低く見える人間ほど、民度という言葉を好んで使うのは、いったいなぜなのだろうか?―― おそらく彼らは自己を見つめる鏡を持たない。
「あっちが先に仕掛けてきたからだ」という言い分も、その「あちら側と同じ土俵」で戦おうとしている時点で、ただの泥仕合だ。苛立つにしても、もう少しマシな言葉や態度くらいは、仮初めにでも保ってもらいたいものだ。自身を「礼節ある、誇り高き日本人」という虚像に当てはめたいのであれば。
実際、対外的に日本のイメージを悪くしているのは、こういった連中自身なのだから。
物事を「単純化」する言い回しを好んで使う人間は、知性の劣化も極めて速い。単純化された言葉=汎用性が高いと勘違いしている。実際には「自身の思考の浅さ」と軽薄さをアピールする言葉のチョイスにしかならないのだが。




