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田舎令嬢がオネエ貴族の力で華麗に変身する話

 進学のために田舎から出てきたばかりのドロテアは目の前の光景が信じられなかった。


 貴族学院にある東屋でふたりの男女が仲睦まじく肩を寄せている。ひとりは上級生のマグダレナ。ストロベリーブロンドが華やかな、顔立ちと性格がきつめのお姉さま。


 もうひとりはケヴィン。麦の穂に似た金髪の従兄弟で背が高く引き締まった体躯をしており、どんなときでも穏やかで幼い頃からドロテアの憧れだった。ケヴィンの方もドロテアを気に入っていた。親同士も仲がよく将来は結婚させようかという話も出ていたのに。


 しかしケヴィンが学園に入学してから少しずつドロテアへの手紙が減っていたので、予感はしていたのだけれど。


 そうか、他に好きな人ができてしまったのか。

 悲しみよりも納得が大きかった。だってマグダレナはあんなにも美しいのだから。


 マグダレナは都会の美人を絵に描いたような令嬢で野暮ったい自分では太刀打ちできるはずもない。

 ドロテアは打ちひしがれた。外見で勝てる部分がひとつもなかった。同じ女であるはずなのに、どうしてこれほど違いがあるのか。


 まず負けているのはこの髪の色。夜を映したような暗い色がドロテアはどうしても好きになれなかった。瞳の色も嫌だった。ドロテアの瞳はアメジストに似た深い紫なのである。珍しい色だ。子供時代に「両親と全然似ていない」「本当はだれの子なんだか」と噂されているのを聞いてから目を合わせるのが苦手になった。


 うまれつき、できそこないなのだ。


 両親を愛していたため声に出すことはなかったが、前髪を長く伸ばして目を隠しうつむいて過ごすようにしていた。


 だからだろうか。外見に劣等感があるドロテアは美しいものと戦う気持ちが湧かないのである。

 しかし悲しい。心を支えていたものがごっそりと奪われた気分だ。ドロテアはふたりが自分に気がつく前にこっそりとその場を離れることにした。ここは庭園。薔薇の生け垣を屈んで進めばこちらの姿は見えないはずである。


 ドロテアはこれ以上ふたりを見たくなくて、目を閉じ回れ右をして駆け出した。


「ぶふっ!!」


 しかし何者かにぶつかって盛大に尻餅をついた。すぐ近くに誰かが立っていたらしい。その誰かに顔面から思い切りぶつかってしまった。


「ちょっと、なにやってんのよ」


 呆れた声が空から降ってくる。前髪のすきまから制服のズボンと高そうな革靴が見えた。


「怪しい子がいると思って近寄ってみたら。はあ、一瞬刺されたかと思って焦ったじゃない。なんなのアンタ。新入生? 制服の丈がダッサイわね。校則を守りすぎてダサくなってる典型だわ」


 短時間で的確にけなされドロテアはよく喋る人だなと感心した。


「やだ。泣いてるの?」


 男の顔を見なくても眉をしかめているのが伝わってきた。白いハンカチを持った手が視界に割り込んでくる。


「さっさと泣き止みなさい。アタシが泣かせたように見えるじゃないの。それあげる。鼻をかみなさい」


 優しい口調。人に命令するのに慣れている。ドロテアは指示通り渡されたハンカチで鼻をかんだ。見知らぬ男の言う通りにすることに一切の戸惑いがうまれなかった。


「ほら、つかまって。さっさと立つの」

「は、はい。ありがとうございます……って」


 ドロテアがようやく顔を上げ言葉を失う。目の前にとんでもなく顔立ちが整った男が立っていて、息をするのを忘れてしまった。


「あわ。あわわ」


 頭が真っ白になった。ドロテアにとって美しい人は恐怖の対象だ。そういう意味ではこれ以上に恐ろしい男は見たことがない。高い鼻梁、涼しげな目元が絵画のようだ。絹糸のような銀髪は鎖骨下で切りそろえられており、瞳は薄い青。宝石のような透明感で覗き込むと吸い込まれそうになる。


「ひっ!!」


 ドロテアは幽霊を見たかのように怯えて、尻餅をついたまま後ずさった。度を越した美形は彼女にとって毒でしかない。


「あっ、こら! そんなことしたらスカートが汚れるでしょ」

「すみませんっ。すみません、すみません!」

「とりあえず立ちなさい。まったく、見苦しいわね」


 ドロテアは国宝級の美形を目の前にして混乱していた。そして、これだけ騒いでいれば当然東屋にも声が届く。


 若葉の季節の今。鮮やかな薔薇を背後に従え、ケヴィンとマグダレナがドロテアと謎の美形に視線を送っていた。マグダレナは鬱陶しそうに。ケヴィンは信じられないようなものを見る目で。


「ドロテア、なのか……?」


 名を呼ばれたにもかかわらずドロテアは返事ができなかった。

 できるならこのまま消えてしまいたい。ドロテアがくちびるを噛み締めていると、マグダレナがわざとらしくケヴィンの腕によりかかるのが見えた。好戦的な光がその目に浮かんでいる。


「ケヴィン。あの方はお知り合い? 親しげなご様子ね」


 マグダレナが優雅にくちびるを動かした。ケヴィンが青ざめた顔で「妹のようなものです」と弁解している。


 妹のようなもの。そうか。妹か。将来も考えていたのは私だけだったのか。

 再びポロポロと涙が出てきた。謎の美形はドロテアの涙を見るとマグダレナをじっとりとした目でにらみ、やれやれと息を吐いた。


「あーああ、しょうがないわね」


 突然身体がふわりと浮いてドロテアは目を丸くする。思わず近くにあったものにつかまるが、次に視界に入ったのが謎の美形の顔だったのでパッと手を離した。ドロテアがつかまったのは謎の美形の首だったのだ。


「あわわ」

「おバカ! 動くんじゃない!」


 命じられ、ドロテアは石のように固まった。素直に言うことを聞いてしまうのが不思議だった。

 謎の美形はマグダレナに「男遊びもほどほどにね」と言って歩き始めた。どこに行くかはわからない。ドロテアは謎の美形の肩越しにケヴィンの顔を見た。


 ケヴィンはこちらを見ていなかった。マグダレナに言い訳するのに必死なようだ。


 自分は見る価値もないような人間なのだろうか。

 再び気持ちが地に落ちそうになったとき、背中をトントンと叩かれる。謎の美形がドロテアを抱き上げながら器用に背中を叩いていた。


「未練がましく見るんじゃない。みじめになるわ」


 寄り添うような響きに再び目頭が熱くなる。言葉が喉でつかえていたため首を縦に振って感謝を伝えた。ハンカチで目元を強くこすって涙をぬぐい、これ以上泣くものかと気合を入れる。


 ドロテアの頭の上で謎の美形の口元が薄くほころぶ。「いい子ね」とあやすような声が聞こえた。

 しばらく歩いただろうか。庭園を抜けると謎の美形は「もう立てるわね?」と声をかけ、ドロテアが「はい」と頷くと静かに下ろす。


 ドロテアは美形と離れられることにホッとしつつ、それほど筋肉質には見えないのに謎の美形に力があるのに驚いた。彼は背が高く顔が小さいので細身に見えるが実際はかなり鍛えているに違いなかった。


 ドロテアは自己紹介を忘れていることに気が付き、スカートの裾をつまんで膝を折った。


「助けていただき、ありがとうございました。ドロテアと申します」

「そう。アタシはフェリクス」


 フェリクスは言いながら素早くドロテアを観察した。顔色は良くないが取り乱してはいない。これならば多少、刺激が強いことを言ってもいいだろう。


「あの金髪は諦めなさい。マグダレナはとんでもない性悪なの」

「……ッ」


 ドロテアはスカートの裾を強く握りしめた。生涯で覚えがないほど強い感情が喉元にせり上がってくる。


「フェリクス様。どうすれば美しくなれるのでしょうか」


 ドロテアは彼女にしてはものすごく珍しいことに人の目を見てまっすぐ喋った。

 フェリクスは漆黒のすだれの隙間にアメジストの美しい瞳を見た。この子は綺麗になるかもしれない。骨格もいい。美に精通したフェリクスが手を入れ、ドロテアが言うことをよく聞けば稀に見る美少女が作り出せると確信した。


 しかしフェリクスは他人のやる気を信用しない。これまで美しさの秘訣について聞かれたことは多々あるが、本気で取り組んだものはとても少ない。みんなフェリクスの美しさは天性のもので、努力したって追いつけないと勝手に結論を出してしまう。


「美は総合的なものよ。簡単に説明できないわ」


 ドロテアはフェリクスの返事を聞いてあしらわれたと感じた。それでも、はい、そうですか。とは諦められない。


「私は今日ほど、自分が嫌いになったことはありません」


 決して大きな声を出しているわけでもないのにドロテアの声は際立ってよく聞こえた。周囲のすべてが彼女を引き立てる舞台装置のようだった。


「これまでずっとみじめな気持ちで生きてきて、この先も自分と折り合いをつけながら生きていくしか無いと諦めていました。でもこれ以上は耐えられそうもありません。私は変わりたいのです。死にものぐるいで取り組みます」


 ドロテアの瞳が強い光を放ってフェリクスの背骨がぞくぞくと震える。口元がにんまりと弧を描いた。


「いいわよ。ただし条件がある。まずアタシの言うことには絶対服従。逆らうことは許さないわ」

「わかりました」


 ドロテアは迷わなかった。どんな無茶をふっかけられてもイエスと言うつもりだった。


「次に期限。アタシも暇じゃないからね。アンタの面倒を見るのはマグダレナの誕生パーティーまで。アタシ、あのマグダレナから招待状を貰っているの」


 フェリクスはドロテアの瞳を観察した。彼女は緊張こそすれどその瞳は一瞬たりとも気弱な光を放たなかった。


 むしろ戦う意志が、覚悟が、彼女の瞳に深みを生んで一秒毎に暗い輝きが増していた。ドロテアにとって美を磨くことは生き延びるための手段なのだ。


「誕生パーティーまで一月もないわ。

 マグダレナはあの金髪坊やにエスコートをさせるでしょう。アタシはマグダレナの悔しがる顔が見たいの。アンタが綺麗になって会場中の視線を奪ったら、日頃の鬱憤がパーッと晴れるでしょうねぇ」


 ぬるい風がふんわりと二人の髪の間を通り抜けた。ドロテアの前髪が持ち上がる。陽光の下、鮮やかな緑の中でドロテアの瞳が異彩を放っていた。


「その役目、やらせてください」


 ドロテアは無理やり笑ってみせた。笑い慣れていないのだろう。ぎこちなさが目立ったがその分誠実に見えた。彼女の笑顔はフェリクスの心をつかんだ。フェリクスは洗練されたものを好むと同時に、泥臭い地道な努力を評価していた。不器用なものが必死にあがく姿は美しいから。


「よろしい。でもアンタ。よく初対面のアタシに賭けてみようと思えたわね。いつもそんななの?」

「いいえ。このような申し出をしたのは初めてです。

 私は美しさの価値を知っています。フェリクス様ほど美しい人を見たのは初めてですから、教えを請いたいと思いました」


 ドロテアの返事はフェリクスを深く満足させた。


「アタシを信じなさい。アンタの判断は、とても正しい」


 フェリクスはドロテアを自分の屋敷に連れて行った。

 もちろん、年頃の令嬢が男とふたりきりというのは外聞が悪いので側仕えも一緒にである。側仕えはカミラという初老の婦人でフェリクスに似た薄い銀髪を複雑な形に編み込んでいた。


「あらあら。坊ちゃまが女性を連れてお戻りだなんて珍しいこと」


 穏やかな婦人は口元に手を当ててころころと笑った。くだけた態度からフェリクスに長く仕えているのがわかる。


「坊ちゃまはやめて。カミラ、アタシこの子を磨くことにしたの」

 カミラは「まあ!」と瞳を輝かせた。


「他人に時間を使うのをお厭いになる坊ちゃまが、どういう風の吹き回しでしょう。ごきげんよう、愛らしいお嬢様」


 カミラはドロテアに膝を折って挨拶をした。ドロテアも慌てて挨拶を返す。


「お世話になります」

「ふふ。本当にお可愛らしいこと」


 カミラは初々しいドロテアをすっかり気に入ってしまった。長く見栄と虚勢の入り交じる世界で暮らしているせいか、礼儀正しく素朴な子を見ると庇護欲を掻き立てられて仕方がない。フェリクスの母に通じる雰囲気も気に入った。


「まずは見た目を変えましょう。アタシが髪を切る。カミラは採寸とこの子に似合いそうな髪飾りの準備をお願い」


 フェリクスがテキパキと指示を出す。カミラが「かしこまりました」と明るい笑みで応じた。


「さ、ドロテアお嬢様。こちらへどうぞ。坊ちゃまがハサミの準備をする間、わたくしにお付き合いくださいませ」

「はい。よろしくお願いいたします」


 ドロテアの喉がごくりと動いた。もう後戻りはできない。




 それからというもの、フェリクスはドロテアを磨き上げた。


 猫背がなおるまで頭に本を乗せて過ごすように命じ、風呂上がりに顔や足のマッサージをするように義務付けた。フェリクスの命令の中にはドロテアが理解できないものもいくつかあったが、ドロテアは疑うこと無く真面目に取り組んだ。


 失恋の痛みから目を背けるためになにかに没頭したかったのもある。周囲の人間は遠巻きにドロテアの様子を観察していた。野暮ったいのが急に美少女になって頭に本を乗せだしたのだから注目を集めるのは当然だった。


 しかしドロテアがフェリクスの弟子のような存在でマグダレナを見返すために努力しているという『噂』が流れてから周囲の視線は柔らかくなった。女性陣からの評価は自然と上がったし、相手のいない傷心の美少女というのは男心をくすぐるものだ。


「アンタ、もう本を頭に置かなくていいわ」

「はい」


 再びフェリクスの屋敷に呼ばれたドロテアは嬉しそうに微笑み、借りていた本をフェリクスに返却する。フェリクスの私物を落とさずに済んで本当によかった。周囲から笑われるよりも尊敬する人の本を汚すほうが恐ろしい。


「そこでじっとして」

「わかりました」


 フェリクスはドロテアの周りをゆっくりと一周した。


 夜を切り取ったようなドロテアの髪は低い位置でまとめられ、フェリクスに与えられた髪飾りが添えられている。前髪は左右に流され涼し気な色の造花がアメジストの瞳を際立たせている。ドロテアには自然が生み出した神秘的な風情がある。人工的な美の極致であるマグダレナとは対象的だった。


「一皮むけたわね。長く見ていられる」


 フェリクスに微笑まれドロテアの瞳が星を散らしたように輝いた。


「頑張りました。認めていただけて嬉しいです」


 ドロテアが自分の心を素直に口にするのは珍しい。それだけ嬉しかったのだろう。

 フェリクスはドロテアが可愛くなっていた。自分の言葉に一喜一憂する姿がいじらしい。一切の弱音も吐かず、辛そうな顔も見せないくせに、褒められると喜びを隠せないのが愛らしかった。


 同時にフェリクスはドロテアの覚悟を見直していた。他人を見返すために自分を磨くなんて浅ましいとも思っていたが、結果を見るとなかなかどうして馬鹿にできない。


「パーティーまであと3日というところね。例のアレ、仕上がったから着てみて頂戴」

「私の鎧ですね」


 ドロテアがいたずらっぽく目を細める。口数が少ないのは相変わらずだが、フェリクスの冗談に付き合うようにはなっていた。


 ドロテアが着替えている間、フェリクスは紅茶を飲んで物思いにふける。


「どうしたものかしらね」


 手塩にかけて育てたドロテアをマグダレナたちに見せるのが惜しくなっていた。

 特に金髪の元婚約者。あれは良くない。


 フェリクスは味のしない紅茶で舌をしめらせた。ドロテアは……元婚約者のことをどう思っているのだろう。まだ情があるのだろうか。フェリクスはもう、あんな男にドロテアを渡す気がないのだけれど。


「坊ちゃま。準備が整いましたよ」


 カミラの声に顔を上げるとドロテアが用意させたドレスに身を包んで立っていた。贅沢に布地が使われた菫色のドレスで、裾のあちこちに複雑な銀の刺繍があしらわれている。


「悪くないわね」


 目が見えるものなら誰でも見惚れるくらいの仕上がりだった。


 しかし無邪気に喜べない。虚しさがあった。目標を達成したら深い満足が得られていると思っていたのに、心に隙間風が吹いている。仕事の成果を他人にかっさらわれる予感がした。もしそうなったら面白くない。


 いつの間にかマグダレナの悔しそうな表情なんてどうでもよくなっていた。


 それくらい、フェリクスはドロテアに情が移っていた。他の女じゃ駄目なのだ。自分が女に入れ込むなんて絶対ありえないはずだったのに、彼女が離れる日を考えると胸がざわつく。


「ドロテア。アンタはもう、どこに出しても恥ずかしくない一級品だわ」

「いいえ、まだまだです。フェリクス様の隣に並べば、私の存在など霞んでしまうでしょうから」

「お世辞もうまくなったわね」

「私は嘘がつけません」

「まあいいわ。じゃ、アンタを横に並べるためにアタシが魔法をかけてあげる」


 フェリクスは視線をカミラに送り小箱を持ってこさせた。

 亡き母の遺品である。ベルベッドで覆われた小箱の蓋を開けると真珠のイヤリングとネックレスが並べられていた。


「これね。元の持ち主は結構いい女だったのよ。男運がなかったけどね」




 そして、マグダレナの誕生日当日。


 会場では今宵の主役の美しさをだれもが褒め称えていた。マグダレナはこの日のために仕立てた真紅のドレスを着こなしている。布地越しにも体の線の美しさが目立ち、豊満な胸のふくらみが強調されていた。


 マグダレナのそばにはケヴィンが控えている。マグダレナが用意したのだろう。仕立ての良い夜会服に身を包んでいた。


 ふたりは広間の奥、数段高いところに陣取っており先程から来客の長い挨拶に対応していた。マグダレナが客たちと談笑していると急に入口付近がざわめき始める。マグダレナはフェリクスが到着したのだろうと当たりをつけた。


 でも妙ね。フェリクスが来たにしては女の声が少ないわ?


 それどころか息を呑むような妙な緊張感が漂ってきた。見てはいけないものを見てしまったような軽い興奮が入り口から伝わってくる。


 妙な雰囲気を警戒してケヴィンがマグダレナに半歩近づくのと、人の波がふたつに割れて間にできた道を客人が進んでくるのは同時であった。


 客人はふたり。片方はフェリクスで彼は優雅な所作の令嬢をエスコートしていた。流れるような黒髪にアメジストの瞳が印象的な令嬢はマグダレナと目が合うとにっこりと微笑んでみせた。媚びのない可憐な微笑みにしばし目を奪われてしまう。『自分は好かれている』と錯覚してしまう不思議な微笑みだった。


 しかし、ケヴィンの反応は真逆であった。観衆がうっとりと令嬢に見惚れる中で、彼だけが恐れの入り混じった視線を向けている。


「ドロテア」


 マグダレナはケヴィンのつぶやきを聞き記憶の底を探って目を見張った。

 ドロテア。ケヴィンに好意を寄せている彼と同郷の女。


 マグダレナは瞬時に意識を切り替え、上に立つものの笑みを浮かべて招かねざる客人を見下ろした。しかしドロテアは威圧的な瞳を真正面から受け止めて、やわらかく微笑み続けている。周囲は圧倒されていた。どうなるのか先が読めない。


「お誕生日おめでとう、マグダレナ。あいかわらず豪勢ですこと」

「来てくれて嬉しいわ、フェリクス。そしてそちらのお嬢さんも。貴女には招待状を出していなかったはずだけれど、わざわざお祝いを言いに来てくれたのかしら」

「はい。お祝いの言葉だけお伝えしたくて参りました。お誕生日おめでとうございます、マグダレナ様。よき一年となりますように」


 凛とした佇まい。一月前まではろくに目を合わせて喋ることもできなかったのに、これでは別人だ。それにあの耳飾りには見覚えがある。どうやらフェリクスにずいぶん気に入られたらしい。


 たいしたものね、アナタ。マグダレナは感心した。


 今宵のドロテアには綺麗では終わらない輝きがあった。ドロテアにしか無い魅力が内側からにじみ出ていて見る人をうっとりさせていた。美しいとはそういうことだ。美しさには感動がある。


 この場で一番美しいのは間違いなくドロテアだった。

 マグダレナは扇で口元を隠しながらケヴィンを見た。ドロテアはそのタイミングを狙ってケヴィンに微笑んでみせた。何も言わず、ただ親しみを込めて。


「……ッ」

 ケヴィンの顔がわずかに赤くなったのをマグダレナは目撃した。扇を持つ手に力が入るのを止められなかった。取り乱してとんでもないことをしでかさないように、大きく息を吸うしかできない。


「楽しい夜になるといいわね。それじゃ」

「失礼いたします。マグダレナ様」


 フェリクスはそれだけ言うとドロテアを連れてさっさと背中を見せる。律儀に飲み物を一杯だけ飲んで会場を去っていった。


 マグダレナはドロテアが見えなくなるまで目の端で彼女の姿を追いかけていた。ケヴィンもマグダレナほどではないにしろドロテアを気にしているようだった。彼女が立ち去ったあとも、しばらく出入り口を見つめていたから。


「追いかけてもよろしくってよ。あの子、まだアナタに気があるかもしれませんわ」


 マグダレナがそっぽを向きながら話しかけるとケヴィンは出入り口から視線を外した。マグダレナに向き直って苦笑する。マグダレナは拗ねているのか明後日の方向を向いており、決してケヴィンと視線を合わせない。


「どこにも行きたくありません。貴女の許しがある限り今夜はここに控えています」

「あら、殊勝ですこと。逃した魚の大きさに胸を痛めていたのではなくって?」


 ケヴィンは笑みを深くした。


「俺の目には貴女が一番美しいです」


 ケヴィンは照れる素振りも見せずに言ってのけた。その言葉だけでマグダレナの不安や焦りは吹っ飛んで、頭の中がケヴィンの言葉で埋まってしまう。慌てて扇で顔を隠したが首筋の赤みはごまかせない。男からの褒め言葉など浴びるように聞いてきたのに、どうしてこうも彼の言葉が響くのか。「ただ、そうですね」とケヴィンがため息をつく。


「長く時間を共にしていたのに、俺ではドロテアの引っ込み思案を直せませんでした。それを一月であそこまで。フェリクス様の手腕や人柄には追いつけないものを感じます」


 しょんぼりと言われマグダレナの眉間にシワが寄った。複雑である。恋心はないが情はあると言われたようなものなのだから。この苛立ちをどうしたものか。マグダレナはシャンデリアを睨みつけながら小さく息を吐いた。


「物好きな人ですわね。わたくしのような性悪より、あの子といたほうが幸せになれそうですのに」

 ケヴィンは肩をすくめ憎まれ口を聞き流す。そして彼女の首筋が赤いのを可愛いと思った。




「フェリクス様。よろしかったのですか」

「なにが」

「こんなにすぐ帰ってしまっては、マグダレナ様に失礼ではないでしょうか」


 背後から華やかな演奏が聞こえる。ドロテアとフェリクスは待たせている馬車に乗り込むために、無駄に広くて長いパーティー会場の廊下を歩いていた。


「別にいいわよ。マグダレナとは従兄弟同士だし、毎年こんなもんだから」

「えっ!?」


 ドロテアは棒を飲み込んだように硬直した。ドロテアが急に立ち止まったものだから、フェリクスも片方の口角を上げて立ち止まる。


「やだ。アンタ知らなかったの?」

「はい。考えもしませんでした」

「お馬鹿さん。貴族の学校なんだから血縁が集まっていてもおかしくないでしょう」


 言われてみると、確かに。ドロテアとケヴィンだって従兄弟同士だ。


「相手の家柄や社会的な繋がりはよく調べておきなさい。次から喧嘩を売る相手は選ぶのよ」

「肝に銘じます。……それにしても従兄弟ですか。ケヴィンがマグダレナ様に惹かれるのも納得ですね」


 ドロテアがフェリクスに惹かれるのと同じようにケヴィンもマグダレナに惹かれたのだろう。どうも自分たちの血筋はフェリクスたちの血筋に惚れやすいようだった。


「ねえ、そんなことより。念のため聞くんだけどアンタあの場にいたかった?」

 フェリクスは首の後ろをひっかきながら少し早口で喋った。


「あの金髪坊や、アンタの変わりように目を剥いていたわ。もう少し押せば奪えたんじゃないの」

「ええっ? それはどうでしょう」


 ドロテアがありえないと言わんばかりに目を見張る。彼女の呑気な反応にフェリクスの眉間のシワが深くなる。


「いけるわよ。なに、アンタ、アタシの仕事の結果を疑うってワケ? アンタくらいの見た目ならそのへんの男がなびかないわけ無いでしょう。謙虚も程々にしておかないと嫌味になるわよ」


 フェリクスの不器用な賛辞にドロテアは満面の笑顔を見せた。心からの信頼と感謝が顔全体に溢れている。


「私、もう好きな人がいるから大丈夫です」

 フェリクスは「はー!?」と叫んだ。彼の叫びは高いラの音に似ていた。


「誰!? つまんない相手だったら承知しないわよ!?」

 フェリクスの剣幕を目にしてドロテアはしばし沈黙した。


「自分のことが好きになりました」

「ごまかすんじゃない!」


 ドロテアは白い歯を見せて笑った。

 嘘はついていない。それがとても嬉しい。

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