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からころと、坂道を硬い木の実が転げ落ちるような音が街中に響いている。

住人が空を見上げれば、青と鐘の音を両断するように、流線型の影が視界を横切っていった。

それは一つ、二つ……両手では数えきれないほど。


「竜だ!」


「ああ、今年もそんな季節なのね」


人々は空を見上げて目を眇めた。

相棒を持たない竜はアストレイナ山に住んでいる。

そして一年に一度、自らの片翼に相応しい乗り手を自ら選ぶため、町はずれの練兵場へと降りてくる。

その儀式に挑めるのは騎士として認められた者だけだ。竜の訪れは騎士たちにとって待ち焦がれる瞬間であり、騎士は街中の人達の期待であり、男の子たちの憧れであった。




「おい、竜が来たってよ! 早く行くぞ」


「あっ、ちょっと待って」


ノイレンは魚のほぐし身を、布袋から欠けた皿の上に移し、恐る恐ると近寄ってきた野良猫たちに目をやってから練兵場へ走り出した。

石造りの城壁は堅牢で暗く、入り組んでいて迷いやすい。だが、それも既に慣れたものだ。

騎士団に所属して、既に五年。下っ端の雑用から初めて、今年初めて騎士見習いになれた。

周囲に開拓地を抱えるこの街は、新大陸を切り開くための橋頭保だ。本土から海を隔てて、先祖がたどり着いたこの土地に、先住する竜たちを発見し、共に化け物を倒して生活圏を広げてきた。


余りに多い敵の数に勢力圏はそうそう拡げられはしないものの、蹂躙されることなくそこそこ安定した暮らしができている。

それは人々の研鑽の証であり、竜たちの惜しみない献身の結果でもあった。


「遅いぞ!」


「すみません!」


ノイレンが広場に到着すれば、ちょうど竜たちが舞い降りてくるところ出会った。

鎧を着こんだ男たちが整列して、選ばれる瞬間を今かと待ってソワソワしている。

その最後尾に滑り込み、胸に手を当てて深呼吸しながら、ノイレンは竜たちに目を向けた。


差の光を反射する鱗は青とも緑とも取れない色合いで宝石のようにきらめいており、彼らの動きに合わせてひとつらなりにうねっては、透き通る海の創造力とも風に荒ぶる森の深慮ともつかない光景が広がっている。

顔は巌のように硬質で、立ちはだかる岸壁のような厳しさを持っているものの、眼窩に収まる金色の瞳は確かな知性とわずかな慈悲を湛えていた。

強く恐ろしい存在、にもかかわらず人といることを選択した種族。

一年に一度、こうして新たな友誼のために訪れるほどに、竜たちは人類に対してだけ寛大だった。


知らずと生唾を飲み込んで、ノイレンは呼吸も忘れていたことを思い出した。

どきどきと、胸を高鳴らせているのは自分だけではない。そう確信が持てる。


「竜よ!」


やって来た彼らの全てが練兵場へ降り立ったことを確認して、騎士団長が前に出た。

彼は既に相棒を得ているので、本来ならばここへ来ることはないのだが、団員たちの取りまとめのために立ち会っている。


「今年もまた、この場所でまみえたこと、嬉しく思う。貴方がたの変わらぬ友情に感謝を」


『構わぬ。この地に人の国を取り戻すのは我らの悲願でもある』


「ああ、よろしく頼む」


初めて聞く竜の声にノイレンは竦み、その内容に瞠目した。

友好的であることは知っていたが、目的自体は初耳だ。長らく騎士団に所属しているのに、そういったことは誰からも聞いたことがない。


「……なあ、元々、ここに人の国があったのか?」


「知らなかったのか? まあ、常識みたいなもんだし、改めて言う事でもないからな」


こっそりと隣の友人に聞けば、なんでもない事と返される。

訓練校で三年の学習をすれば卒業後はすぐに見習いだ。その過程で竜たちの生態も目的も学ぶことになる。ノイレンのように雑用から見習いという経緯を持つ者は珍しかった。


「それより、竜たちが騎士を選ぶ時間だ。間を取って立つんだぞ」


「ああ、わかった」


訓練を行う時よりも距離を置いて一人一人練兵場に立ち尽くす。

それを見た竜たちの多くが飛び上がり、数頭が目指す先を知っているかのように歩き出した。

どうやら、目当てを見つけた竜だけが残って吟味をするようである。そのほとんどは、前列に並んでいたベテラン騎士たちに顔を近付け、少し匂いを嗅いでいる。

そのうちの一組がどうやらパートナーとなったらしく、竜が下げた頭を騎士が撫でていた。


羨ましいな、と思いながら、ノイレンは自分が選ばれるのは早くても数年先であると理解していた。

いや、どちらかと言えば、生涯選ばれない可能性の方が高い。

それでも、騎士以外と比べればわずかながらの希望はあるのだから、諦める理由にはならないけれど。


『おい』


「ひっ……?」


一頭、自分のいる方に近付いてきているのは見ていた。

しかし末席に近いここまで来るようなモノ好きな竜などいないとも思っていた。

なので急に声を掛けられて、そして間近に見る竜に思わず悲鳴が漏れた。

遠目で見ていた時にはわからなかったが、その体高は優にノイレンの三倍近くある。

ただ巨大なだけでも恐怖を感じるのに、上から振り下ろすように睨み下ろされて、体は素直に縮こまった。


『お前……ではない』


「え……?」


『お前に近しいものだ。感じる、真の相棒の気配だ』


「え、ええと……?」


『真の相棒だ、我が求めてきたものだ』


『おいおいギドウ、そいつはいけないってじっさんに言われてんだろ』


得意げに語る竜の元に、空を滑るようにもう一頭が近付いてきた。

そのまま隣に降り立ち説教するように顔を近付けている。

間近で二頭の激突を見る形になり、ノイレンは腰を抜かしてへたり込んだ。


『知るかそんなこと。何十年経ってもなかったことだ、この機会を逃す手はない』


『騎士連中が集まってるここにいないってことだろ。諦めたほうが良い』


『断る! お前だって本当の相棒が欲しいだろう、デルティーク』


そりゃそうだが、と諦めたようなため息をつくデルに構わず、ギドウはノイレンに向き直った。


『それで、どこにいるのだ。案内しろ』


「え、いや、その……」


そう言われても、誰がそうなのかわからない。

ノイレンは本土から開拓民として送られてきた孤児である。船内で進んで雑用をこなし、騎士として同道していた人たちに顔を売り、そのまま騎士団に採用してもらった口だ。今の家も城壁内部にある小さな部屋を与えられているだけで、家族なんてものは縁遠い。

騎士団で働く人員以外に親しい人はおらず、知り合いはすべてここに集まっていると言っても過言ではないくらいだ。

他の選択肢となれば、出入りの商人や職人になるが、それであればノイレン以上に親しい間柄の騎士がいるだろう。

わけがわからずに困惑していれば、ギドウはすっと視線を城壁の方へと飛ばした。


『向こうから気配がする』


『おいおい、やめておけ。赤ん坊が出てきたらどうするんだ』


『契約だけして育つのを待てばいい』


酷くゆったりと歩いていく、そう見えるのに、進む距離は人とは比べ物にならないくらいに早い。

気が付けばギドウは練兵場の端、城壁部分との接合部に顔を近付けていた。

騎士団員は竜とノイレンの動向を見守っている。選ばれた騎士以外は契約に手出しをしないことが鉄則だ。ただ言葉を交わして約束を取り付ける場合もあれば、何かを請求されることもある。

それは相棒になるための試練とみなされていた。

他の誰かに頼ることはできない。ノイレンは震える足腰に喝を入れて動かなくなった竜の元に向かった。


ギドウは呆けたようにずっと城壁の一点を見つめている。

その隣で様子を見ていたデルは、今しも笑い出しそうに相貌を細めてにやけていた。

竜の表情とはこんなにもわかりやすいのかと場違いの事を想いながら、ノイレンは竜の視線を追って、いったい何を見ているのかと目を向けた。


「え……ねこ?」


少し崩れて穴になっている壁の所に、錆模様の猫がちょこんと座っていた。

翡翠の瞳を好奇心に輝かせ、じっと見つめる竜に同じだけの目を返している。

……通常、これだけの体格差があれば毛を逆立てたり、逃げ出してもおかしくないはずだ。

だが、何より興味深そうに見つめている姿が、ただの猫というには威風堂々とし過ぎていた。


「……あ、餌を食いに来てたやつ?」


この街に働きに出されて、慣れない環境でノイレンが見出した癒しは猫と戯れることだった。

もちろん、飼うことはできないので、こっそりと食べ物を差し入れて、野良猫たちが食べ散らかす様子を遠くから見ることしかできなかったけれど。いつかは頭を撫でたいと考えて数年が経っている。

そんな餌付けをしていた猫たちの集団の中に、確かに目の前の子がいた。


『なんだ……お前は? お前から確かに真の相棒の気配を感じるが』


鼻先でつつくように顔を近付ける、その瞬間を待っていたかのように、錆猫はひょいとギドウの頭に飛び乗った。


『あっ、こら!』


「にゃおう!」


一言高らかに鳴いて、勝手知ったるとばかりに頭の上に居座る。

堂の入ったその姿にノイレンは自分よりもよっぽど肝が据わっていると思わず感心した。


『な、何だこいつは……! くっ、いやそんな、相棒には違いないが……!』


『ぐふっ、ぐふふっ、ねこ、ねこだと!』


混乱するギドウに、大笑いするデル。

背後では騎士団が状況を把握できずにざわついており、いつまでもこのままにはできないと思いノイレンは焦って竜たちに声を掛けた。


「あのう、では、今年の儀式は見送るということで良いでしょうか」


気に入った相手が見つからない場合、騎士とは契約しないこともある。

共に戦うと決めた場合は竜に人が騎乗して戦うことになるが、契約がなくとも竜だけ、人だけでも戦うことは可能だ。

ただ、単体であるよりも竜騎士であるほうが、竜自体の強化がなされる。元より人と協力関係にあるため、騎乗者たる相棒がいる方が力が出る種族らしい。また、騎士たちも契約の恩恵により身体強化がなされ、熟練の竜騎士であればまさしく一騎当千の強者である。


竜の相棒であれば、何もしなくても強くなれる。

だからといって、猫はないだろう。強化されたとして、やせっぽちの野良猫が化け物に立ち向かえるほどになるのか。

ならば、今年は契約はせずに見送るか、他の相手を見つけるべきだ。

そう思っての話で合ったのだが、ギドウは顔をしかめると、両眼を上に向けて頭の上にいる猫を見ようとした。


『……いや、こいつは我の真の相棒だ』


「え、ええと」


『我はこやつと契約をする。なあ、こいつの名前はなんという』


『マジかよ! お前の事は前からアホウだと思ってたが、やりやがったな!』


『うるさいぞ! それより名前だ。おい、この猫とか言うのは喋れんのか』


「あ……名前はなくて、人の言葉は、喋れない」


『そうか。では、我が名付けてやろう。……そうだな、レオデだ。我の相棒のレオデ、これからよろしくな』


「にゃおう」


ノイレンの戸惑いも、デルの爆笑も、ギドウの得意げな鼻息も意に介さず、レオデは毛づくろいをしていた。

こうして、竜騎士隊初めての猫隊員が誕生したのである。






アストレイナの竜は、相棒を持つと同じ屋敷に住むこともある。

その際に元の大きさでは不便なので、相棒に合わせた背丈に身体を変化させる。

なので、城壁の一室、正騎士に与えられる比較的広めの部屋に、小さくなったギドウと、部屋の主であるレオデ、そして従者である見習いのノイレンが住むこととなった。

竜の主として、レオデは野良から騎士猫への昇格と相成ったわけである。

お世話係のノイレンはそれに便乗する形での引っ越しだ。いつかは移動したいと思っていた場所への思いがけない移住である。どうにもモヤモヤするが。


「それで、真の相棒っていうのはなんですか?」


ベッドで気持ちよさそうに伸びているレオデを優しくブラッシングしながら、その隣で丸くなるギドウへと質問すれば、彼はふんっと荒々しい鼻息を吹いた。


『竜たちの憧れだな。魂の共鳴者、最も能力を引き出せる相棒、一族に伝わるおとぎ話であり伝説だ』


ギドウの話では詳細はわからないが、ともかく、より身体強化がなされる相手のようだ。

最も相性がいい相手という事なのだろう。


『生涯のパートナーともいえる。信頼で結ばれ、死するときも旅路を共にすると言われている。竜生、最後は穏やかな心地で相棒と果てるのは長生きするほど憧れるものよ』


「え……」


ノイレンはギドウを見て、そしてレオデを見た。

元より猫の事を知らなかった竜である。寿命の事なども念頭にないのかもしれない。

いや、竜騎士はみな、年をとっても頑強だ。それであれば、レオデも普通の猫より長生きする可能性がある。

いや、寿命よりも戦いの中で命を落とす確率の方が高い。


「あ……待って、レオデも出陣することがあるのか……?」


竜騎士であれば、人々の希望として最前線で戦いに明け暮れることになる。

猫だけど、レオデは竜騎士だ。

だが前例がない。であれば、扱いも変わるかもしれない。

何より見習いであるノイレンが付いていくことになる。であれば、戦いに出るとしても、危ない所にいくはずがない。ギドウ単体でなんとかなる場所がせいぜいだろう。


だが、どのような扱いをするかは団長や幹部が決めることだ。

今日は儀式があったから訓練は休みになったが、ノイレンは他の連中や先輩から情報を集めることにした。これからの身の振るまい方について、早めに考えたほうが良い。

見習いという身分は変わらないが、従者になったのだから、するべきことは多くなる。


『む、どこに行く』


「ちょっと食堂とか談話室に。今後の事を誰かに相談したくて」


『そうか、人間は大変だな』


それだけ言うと、ギドウは呑気に眠るレオデの隣で目を瞑った。

人の世界の事など知らないと言わんばかりの二人の態度に苦笑を残し、ノイレンは部屋を出る。

向かった先の食堂では、竜に選ばれた騎士に対して友人たちがささやかなお祝いをしていた。


「あのう、すみません」


「おう、ノイレンか」


「残念だったな」


近付いて挨拶をすれば、半笑いで慰められた。曖昧に笑って返す。

レオデに対してのお祝いはなかったが、世話係になったノイレンに対しては多少同情的であり、面白がっている雰囲気がある。

それもそうだろう。叫び出したいような気持を我慢して、ここに来た目的を果たすことにする。


「それで、今後はどうなるのでしょうか」


「どうって?」


「その、前例がないわけですから。訓練とか、討伐戦への参加とか……」


「あー、どうなんだろうな」


「団長とかが考えるんじゃないか? しかし討伐ねえ」


「和んじゃいそうだな」


何とも言えない表情の先達たち。

誰もが戸惑っており、明確な答えは得られそうにない。

ともかく、追い出すような雰囲気ではないことだけは救いなのだろう。最初から否定されないだけ御の字だ。


「わかりました、沙汰を待ちます」


「ああ。お前も頑張っているしな、変な話にならないといいな」


「あ、そうだ。竜騎士になったらまず鞍を作らないとな」


「え?」


さすがに猫に伝えてもどうしようもないと、新人竜騎士への通達がなされていなかったらしい。

代わりに話を聞いて、ノイレンは慌てた。

ただでさえ、竜に跨ることのできない猫である。特殊な鞍が必要なことは明白だ。


「ご教示感謝します」


「本当は教官が指示するんだけどな」


「さすがに焦ったんだろ」


「それで、どこで作ればいいんでしょうか」


「今の時期なら街出口の広場で職人が市を開いているはずだ。気に入ったところに声を掛ければいい」


確かに、竜騎士がうまれるこの時期には市が立っていた。雑用として区画の割り振りや職人たちとの中継ぎをしたこともある。

ノイレンは礼を言って、出口方面へと足を向けた。人気の職人への声掛けは早いもの勝ちだ。新人騎手だけでなく、ベテランも装備を一新するために職人たちへと声を掛ける。

一点モノを作り上げるには時間がかかるので、何人もの装備を請け負う工房はそうそうない。一括での発注を請け負えるだけの設備はまだ整っておらず、職人連合はあるものの仕事場は独立しているものだ。気性が荒いため、ひとところに置いておくには統率者が必要だが、そういった人材はまだいないらしい。


臨時市場に着けば、職人たちは早々に店じまいをするところだった。

騎士たちも既に引き上げており、情報交換も終わったからだ。

ノイレンは一番近くにいた人物に声を掛ける。


「すみません、鞍作りをお願いしたいのですが」


「ああ?」


振り向いたのは眉間に深い皺の刻まれた女性。

若かりし頃は豊かな紫髪だっただろうそれはほとんど白髪になっており、短く刈り込んでタオルを巻いているので性別がわかりづらい。酒焼けした声も拍車をかけている。

しかし、ほかの職人と比べて少しばかり体格的に丸っこい。鷲鼻で険しい顔であるが、それでも目じりにまだ優しさが残っていた。


「あんた、あたしは革職人だよ。竜の鞍なら鍛冶屋に頼みな」


グイッと親指で示す先に居るのはまだ年若い職人たち。おそらく見習いだろう。

出遅れた竜騎士がいると思って、仕事を任せてもらえるかと目を輝かせている。


「あ、いえ……全て皮の方が良いです」


「ああ?」


「その、実は……」


依頼をしたいのは猫用の鞍になる。

であれば、全体を覆う形の柔らかいものの方が良い。

当然ながら空を飛ぶので、必要なのは落ちないための装置だ。

人であっても訓練中の落下事故は良く起こる。訓練だけでなく、実戦で墜落死する竜騎士は存在する。

できるだけそのようなことがないように、せめて振り落とされないようにと固定するための器具はあるのだが、その規格は人のものだ。


当然ながら初めての試みとなる。

革職人の女性は不機嫌に眉をしかめて、後ろ頭をがりがりと掻いた。


「駄目でしょうか……」


「あー、本人、いや猫? を見てみないことには何ともね」


「じゃあ」


「まずは会わせてもらおう。話はそれからさ」


「では、連れてきます」


「そうさな、ここは引き払うし、裏口の方が良いだろう。そっちに出てきてくれ」


場所を指定され、ひらひらと手を振る女性にノイレンは礼をして素早く部屋に戻る。

室内ではシーツに爪をひっかけたレオデが、何とかしようと手を引っ張っている所だった。

近くに畳んで置いておいたはずのタオルも散乱している。どうやら少し運動をしていたらしい。


『おい、遅いぞ下僕。レオデが大変なことになっている、なんとかしろ』


「にゃおう!」


「………。暴れないでください」


手を取って、ゆっくりと爪を外す。

引っ掛かりがなくなって安心したのか、レオデはぺろぺろと手先を舐めた。


『それで、どうだった』


「レオデさん専用の鞍を作ります。さすがにギドウさんの上で自在に動けることもないでしょうから」


『そういうものか?』


「はい、それで、職人の方に寸法を測ってもらいます。なので、裏口までお願いします」


『だそうだ、レオデ。聞いていたか?』


レオデは構わずベッドに飛び乗ると伸びをして、そこで爪を研ぎ始めた。

そしてまた引っかかって、文句を言いたそうにノイレンの方を見上げる。


「お連れしますね」


爪を研ぐための道具が必要だ。それに、装備も何か必要かもしれない。

それもまとめて職人に相談するつもりで、ノイレンは有無を言わさずレオデを連れ出した。





革職人の女性はエルテと名乗った。

彼女はレオデをさっと持ち上げる。そのままじろじろとその体を観察した。


『何をする娘』


「うるさいね、測ってるんだよ……にしても、随分と軽いじゃないか」


「元々は野良です。たまに食事を与えていました」


「そうか。生後何か月かわかるかい?」


「いえ、そういったことは全く」


下ろされたレオデはエルテの足元にすり寄ると、そのままコロンと寝ころんで纏わりついた。

両足で蹴りつけたり、足に腕を回したりと忙しい。

じゃれつくレオデを見て、エルテは顎に手を当てて考え込んだ。


「まあ、一年未満ではあるだろう。多少の成長を見込んでおけばいいかね」


「返す返す、すみません」


「いや……受けると決めたのはこっちだからね、気にしないでいいよ」


適当に返しながら、今度はギドウをみやる。

今の彼はレオデに合わせた大きさだ。人里にいる見慣れた竜より二回りは小さい。

エルテかて、一度も装具の作成をしたことがないわけではないが、このサイズは初めてだ。

使用目的に合わせたデザインも、全体を作るのも未知の領域。職人として工房を持っているとはいえ、普段は金属部分を止めるベルト部分がメインだ。

竜体への固定は問題ない。それ以外の部分が、どのくらいで出来上がるかわからなかった。


「ちょっと時間がかかるね」


「わかっています」


『どういうことだ? それがないとレオデを乗せられないのか?』


「飛ぶのは無理です」


『なんでだ。レオデ来い、飛んで戻るぞ』


ギドウが声を掛けるが、レオデはエルテが気に入ったのか、足元に身体を擦り付けている。

竜に選ばれようと猫なのだ。声掛けなんて知ったことじゃない。


「試作品ができたら持ってくる。手紙をよこすよ、ええと……」


「騎士レオデ、付き人のノイレンです」


「わかった。じゃあ今日の所は帰るとするよ。……レオデ、それじゃあまた今度だね」


足元の猫には少しだけ優しい言葉をかけて、エルテは工房へと帰っていった。

不貞腐れた竜と、遊び疲れたのか大人しく腕に収まった猫を連れて、ノイレンは部屋へと戻る。

鞍や装備についてはこれで何とかなる。

それ以外の扱いについては、おそらく団長や事務官が協議している。

それであれば、できることはとりあえず待つことだけだろう。

レオデに訓練をつける、にしても何をすればいいのかわからない。


「ああ、爪とぎ用の道具を頼み忘れた」


騎士団の中に、猫を飼ったことのある人はいるだろうか。

必要な道具も、躾の方法も、詳しいことは何も知らない。

貸し部屋暮らしでは野良猫を遠くから眺めるのが関の山であったし、実際に一緒に暮らすとなると、食べるもの以外にも用意すべきものは多いだろう。

それを怠れば、ズタボロにされたシーツのようなものが量産される。

これは明らかに急務であった。





部屋に設置された爪とぎ用の丸太の上に座って、レオデはあくびをした。

この数日で、彼は騎士団に馴染んだ。というか人気者となっていた。

砦内を自由に出入りして、各所で愛想を振りまいて、たまにつれなくされることもあるけれど、訓練で心身ともに疲れている騎士たちにとっては身振りの全てが癒しである。


取り扱いについては本土に問い合わせており、保留の状態だ。

それでは正式に訓練に混ざることもできず、かといって街に行くこともできず。

ノイレンは居心地の悪い思いをしていたのだが、猫と竜はそんなことは気にせず好きなように過ごしていた。


そんな折、エルテから鞍が出来上がったと連絡が来て、ノイレンは喜んでレオデとギドウを連れて工房まで足を運んだ。

どこに依頼をしたのかは報告済みであるし、受け取りのために街に降りる許可は取得している。


城壁から出て行けば、堀と大きな通りを隔ててアストレイナの街が広がっている。

元は廃墟となっていた場所を再開発しているので、未開地に向けて城が最も前に出てくるように、人々の暮らす街は港寄りに作られている。

北西側には竜たちの暮らす山があり、南西に港、北と東に開拓地へと続く道があり、この一帯を竜騎士たちが巡回して、敵性生物を排除している。開拓範囲を広げるために新たな場所へと進出することもあるが、人が住むことが前提になるので、現在の開拓村が安定していることが前提だ。

まずは現在の領土を守る事、これが騎士たちの目的となる。


ともあれ、街の中はほとんど安全が保障されており、小さくなったギドウの上にレオデが乗って移動するだけで衆目を集めた。

さすがに近付いてくることはないのだが、得意げに座り込む猫に対して手を振っている子供もいる。


『さすが我の騎士だな、ここでも人気者だ』


部屋にしつらえられたレオデのためのアスレチックで一緒に遊んでは絆を深めていた竜は、人々の反応に気をよくしたようだった。

砦でも相方が騎士仲間に可愛がられている。それでいつでもご機嫌だった。


「とにかく、今日の目的はエルテの工房に行くことですからね」


『もちろんわかっている。レオデもわかっているな?』


「にゃおう?」


一抹の不安はあるものの、大人しく竜の上に座っているのだから大丈夫だろう。

急にどこかへ走り去っていかないかとハラハラしながら、ノイレンは目的地へ向かう。


果たして、工房へは無事にたどり着いた。

ホッとした瞬間にレオデが竜から飛び降りたのでヒヤリとしたが、出入り口から出てきたエルテに突撃したので胸をなでおろす。

彼女の工房は職人街にあるにしてはこじんまりとしており、金物の音がしない代わりに奇妙な臭いが漂ってくる場所であった。


「よくきたね」


「お世話になります」


エルテがレオデを持ち上げると、勝手知ったるとばかりに肩へと飛び乗った。

それを気にするでもなく、職人は小屋の中へと戻っていく。


「竜へはハーネス、猫は固定した鳥かごに入れる形にした」


出されたのは円錐形の細い金属の柵で作られたカゴ。全体を覆うようにしており、革のベルトが幾本か隙間から通されていて、それを竜側に巻き付けることで全体を固定するもののようだ。

後は実際に身に着けて調整していくことになる。


「鞍もそうだが、身に着けるのは竜だが設置は騎士が行う。人ならできるが、猫じゃ無理だ。だからあんたが扱い方を覚えるんだよ」


ぽいっとレオデ専用の鞍を渡されて、ノイレンは慌てて受け取る。

見た目よりも重い。エルテは片手で投げてよこしたが、同じことをしろと言われたら難しそうだ。


「最初は教えてやる。一人でできるようになったら、帰っていいよ」


「え、門限があるんですけど……」


「それまでに覚えれば良いだけだろう。一回で全部を覚えきれなきゃ騎士としてやってけないよ」


「………」


見習いとはいえ、騎士として取り立てられた身だ。

ノイレンは口まで出かけた言葉を飲み込んだ。


「ほら、竜の……名前は何だっけ?」


「ギドウです」


「そうか。調整もあるからね、こっちに来な」


『ふん、早くしろよ』


「最終調整は飛行訓練の時にやってやる。鞍ができた翌日が多いから、明日また城まで出向いてやるよ」


そこから、鞍を装備するための講習が始まった。

暇になったらしいレオデはどこかに出かけてき、夜もとっぷりと暮れノイレンが合格を貰う頃にひょっこりと戻ってくる。

その首には外泊許可証が釣り下がっていた。砦まで戻っていたらしい。


翌朝、近所の人達から一通り可愛がられて、レオデはギドウの背負う鞍というか籠の中で丸くなって眠っていた。

ごつごつと座り心地の悪い鱗の背中から、クッションの入った椅子に変わってご満悦のようだ。

昨日とは違い、帰路では子供たちがもっと近くまで寄ってきた。珍しそうに竜と猫のコンビを眺めている。さすがに不躾に触れてくることはなかったが、普段は怖がっている女の子達も近付いてきているのは単にレオデがいるためだろう。


砦まで戻れば団長が呼んでいるという伝言を受け取った。

そのまま部屋に戻りそうなギドウと、寝たままのレオデを連れて団長室を訪ねる。ノイレンは掃除のために何度か入室したことがあるが、事務官たちの作業場も同じところにあるので、団長の執務室というより、書類が雑多に置かれた資料室に近い様相を呈していた。

今日もまた書類仕事に追われている事務官がそこかしこで忙しそうにしている。

それになんとない罪悪感を覚えつつ、ノイレンは団長へと声を掛けた。


「マロ団長、レオデ、ギドウ、ノイレン到着しました」


「にゃおう」


今起きたのか、伸びをしながらではあるがレオデも挨拶をした。

あくびもしている。それに構うことなく、団長は椅子に座り直して腕を組んだ。


「あっ、にゃおうちゃんだ」


「えっ、アッ本当だ」


「にゃおうちゃーん、あとでジャーキーあげるね」


「鞍を作ってもらったんだねぇ、良かったねぇ」


一人の事務官が気付くと、他の面々もレオデを見つけて表情をほころばせる。

城内の騎士団関係者はもれなく骨抜きにされていると言っても過言ではないが、特に精神的に浸かれる事務方においては癒し枠として重宝されているらしい。

あと餌付けもされているらしい。

最近、なにやら毛並みも麗しくふっくらとした体形に変わったのは彼らが原因だったようだ。


「ンッ、ンンッ」


わざとらしい咳払いに、事務官たちは少し恨めし気な視線を寄越して仕事に戻っていく。

改めて表情を作ったマロ団長が、目の前に立つ竜とその騎士、それから世話係として同道している見習いに目を向けた。


「君達の配属先が決まった」


「はい」


レオデの同期ともいえる新人たちはとっくに飛行訓練に入っているので、だいぶ遅い通達になる。

とはいえ前例のない事でもあるし、本土とのやり取りもあったというから、仕方のない事ではあるのだろう。


「君達の所属は広報課だ」


「……はい?」


「主な業務としては、アストレイナの住人、お呼び開拓地の住人達との交流だな。騎士団、および竜騎士たちの活動を宣伝し、より身近で頼れる存在であると周知してもらいたい」


そんなことをせずとも、騎士団は十分に人々のために働いているし、感謝されている。

しかしノイレンはほとんど砦から出たことがない。本土から連れてこられて、そのままここに居付いているから、街に出たのだって昨日が初めてだ。

工房の場所は地図があったからたどり着けたものの、どこそこの店にお使い、などと放り出されればたちまち迷子になってしまう。

つまり事情に疎い。

なので、団長の話に疑問など覚えるわけもなく素直に頷いた。


「よし。とはいえ、街の外にも行くのだから訓練は必要だ。レオデ、君は飛んだことが……ノイレン、どうなんだ」


『まだ飛んではいないが、我の背でおとなしくしておるぞ。お前らが心配するようなことはない』


自信満々な竜に答えられて団長が目を丸くする。


「それは……貴重な意見、感謝する。とはいえ訓練は必要だ。トーヤには指示を出してあるから、これから挨拶をしてくると良い。話は以上だ」


とにかくまずは訓練をしろ、という話なので、ノイレンは団長の前を辞し、部屋に戻ろうとする二匹を引きずって練兵場へと向かう。

そこでは先輩騎士に見守られながら飛行訓練を行う新人たちがいた。それを監督している教官の所へと向かう。気が付いた向こうが片眉を上げて用件を聞いていた。


「レオデ、ノイレン到着しました。竜はギドウです」


「そうか、レオデ、ノイレン、よく来た。ギドウ殿も感謝する」


「にゃおう」


ちょこんとギドウの上に座ったレオデも挨拶をする。

それに少しだけ笑んでからトーヤは続けた。


「今日は指導員の紹介だけしておこう。訓練は明日からだ」


「分かりました」


教官が合図をすると、飛行訓練中の団員の中から一組の竜騎士が近付いてきた。

その姿を見て、ギドウが「ゲッ」と声を上げる。


『なんでお前なんだ』


『よーう、久しぶりだなギドウ! 何って俺様が先輩だからさぁ~』


嫌がる素振りのギドウに気易き笑いかけながら舞い降りる竜。

その背中から騎士がひらりと降りて、気さくな笑顔を向けてきた。


「エイデンとデルティークだ、よろしくな」


「はい、よろしくお願いします」


数年前に騎士になり、成績は可もなく不可もない。

目だった功績こそないが、戦う職業にしては珍しく穏やかで温厚なため、特に後輩には人気のある人物だ。

ノイレンは内心でホッとした。彼なら相手が猫であろうときちんと指導をしてくれるに違いない。


『そういやじっさんが一度話をしたいと言っていたぞ』


『どうせ説教かなんかだろ、うんざりだ』


『お前がいつまでも子供じみてるからだろ。一番年下だって言っても、限度ってもんがある』


『我はもう立派な成竜だ! いつまでも子ども扱いしてくるのはそちらだろうが!』


竜同士も言いたいことが言えるくらいには仲が良いようだ。ややギドウがからかわれているきらいがあるが、他の竜同士ではさほどの会話をしないことを鑑みれば、微笑ましいほどである。

顔合わせも終わったところで、レオデ専用の鞍のつけ方を聞かれて実演をして、久しぶりに籠の外に出た猫がエイデンの足にすり寄った。

かがんで背中を撫でる先輩騎士の姿をノイレンがなんとなしに見ていたら、気付いた向こうが二ッと笑う。


「うちには犬がいるんだ。留守のたびに隣に預けることになるんだがな、懐いてくるから可愛くて仕方がないんだ」


「そうだったんですか」


「あいつもここに連れてこれたらなぁと。さすがに無理ですよね」


「特別な理由もなしには無理だ」


緩んだ表情でじっとレオデを観察していた教官が我に返ったようにいかつい顔をしかめた。

彼も猫が好きらしい。


装備を外して身軽になったギドウは、ずいっと背を伸ばす。

ついでに大きさも変えてデルに並んだ。


『少し、長老の所で話を聞いてくる。戻るのは遅くなるだろう。その間、レオデの事は頼んだぞ』


「わかりました」


撫でられ飽きたのか戻ってきたレオデを抱きかかえ、ノイレンはその場を辞した。

明日からは本格的な訓練が始まる。人であれば緊張もするものだが、猫はどうだろうか。

抱きかかえたレオデは腕の中で呑気に毛づくろいをしている。そもそも、何が始まるのかもわかっていないかもしれない。

それを少しだけ羨ましく思いながら、ノイレンはレオデの腹に顔を埋めた。


例によって間に合わないのでできてるとこまでポンと置いておくスタイル


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