チョコレート工場行きの列車
具体的な地名は出していないので好きに解釈していただいて結構ですが、イメージは北海道です。
2023/06/25 誤字修正
2023/06/28 主人公の知識にそぐわない表現があったので訂正
2023/06/30 読み仮名追加
チョコレート工場へ向かう小さな列車。乗客はあまり多くはない。青いボックスシートに座る私は、窓辺に頬杖をついている。隣の席に投げ出したハイブランドの黒いリュックを開け、ペットボトルを取り出した。ミネラルウォーターを一口飲んで窓辺に置くと、夏の日差しと振動でキラキラと即席の万華鏡になった。
どこまでいっても景色は変わらない。どこまでもどこまでも続く砂糖大根畑。そして、北国の夏にふさわしく刹那的ではあるが、強力に照りつける日光と天に届く入道雲。これくらい夏らしければ、夏に慣れた首都圏の人間でも「夏だ」と認めてくれるだろう。そういう、北国らしからぬ、本物の夏。だが、北国の列車には、空調設備などない。天井の端で、申し訳程度に、扇風機が首を振っているのみだ。
パタパタと手で首元を仰ぐが、何の足しにもなりはしない。長い黒髪が汗を含んで首元にまとわりつくのが煩わしかった。
「……デッキに行こうかな。」
私は呟く。席取りはいらないだろう。フックにかけた麦わら帽子を被り、ペットボトルをリュックに入れてそれを背負った。
車両の後ろのドアは少々不調なのか、妙な音を立てて開いた。列車の最後尾は柵がある他は特に何らの対策のされていない、昔の映画に出てくるSLのデッキのような空間だった。
「あは、スリル満点!」
室外で直接当たる風は流石に涼しい。矢張り、北国の風が湿気に乏しいからだろう。
ザーっとやおら風が右から左へ吹き抜けた。私は帽子が飛ばされぬよう必死だったが、突風はそんなことはお構いなしに私の長い髪の毛を撫でて行った。
その時、ドアが開いた。
「邪魔する。」
そうぶっきらぼうに話しながら入ってきたのは、妙な格好の女性だった。
中華風の襟のついた白い服に、ハートのあしらわれたカラフルなドラムバッグを肩に掛け、そして何より水兵帽にポンポンを付けて横縞の虹色に塗ったような変な帽子をかぶっていた。
彼女は私を指差して言った。
「北国名物、清楚美少女。黒髪ロング、白ワンピース、麦わら帽子。百点満点、眼福眼福。」
女性は私に向かって合掌を始めた。
「な、何なんですか、貴女は。」
「私は葉子。これがしたくてお邪魔した。」
彼女は床を指差す。至る所にタバコの吸殻や焦げ跡が付いていた。なるほど、むしろ喫煙もしないのにこのデッキを占拠する私の方が邪魔者のようだ。私は軽く会釈しその場を立ち去ろうとしたが、彼女はおもむろに私の手を掴んだ。
「煙が嫌でなければここで涼んでいくといい。」
私は一瞬戸惑ったが、結局蒸し暑い車内に帰る気が起きず、その場に残ることにした。
「じゃあ、ちょいと御免。」
彼女は微笑みながらバッグから何やら取り出した。
それは、煙管だった。
「すごい……初めて見た。」
「だろうね。私以外にこれを嗜む人に、リアルでは会ったことがない。」
「もしかして駄洒落でこれを喫うんですか?」
駄洒落、というのは駅員の言う「キセル行為はお止めください」という定型句だ。
「そういうつもりはない。単純にいつもこれで喫煙しているだけだ。」
喋りながら、彼女は淡々と喫煙の準備をしている。具体的に何をどうしているのかは全く解らなかったが、目元に嬉しさが滲んでいるのが判った。
「じゃあ、失礼して。」
彼女は煙管を咥えると慣れた手つきで燐寸を擦り、煙草の葉を詰めた先端の皿のような部分に近づけた。火が葉に燃え移ると、彼女はゆっくりと煙を吸い、そして吐く。数度そうすると、列車の通った後にうっすらと煙が残されていく。私は機関車を一瞬連想し、彼女の顔を見た。彼女は微笑む。
「喫んでみる?」
「あ、いえ、その……」
「ふふふ、ここには誰もいない。清楚少女が煙草を喫んでも誰も叱らないよ。さあ。」
彼女は煙管を私の方に差し出した。ドキリ、胸が高鳴る。深呼吸をして決心し、私は煙管を受け取りゆっくりと煙を吸った。
「初心者は口の中で転がすだけでいい。」
そう言われたが、私はその台詞を聞く前に煙を肺に入れてしまっていた。私は咽せた。
「けほ、けほ、」
「ふふ……」
彼女は煙管を受け取りまた一口喫うと、吸殻というのだろうか、燃え滓というのだろうか、そういうようなものを携帯灰皿に落として煙管を仕舞った。
「清楚らしい。」
「何なんですか、さっきから清楚清楚って。私は別に清楚じゃないです。」
「気に障ったなら、御免。だけど、いいことだよ。若いって。若いうちしかそんな清楚なファッションは出来ない。」
「お姉さんだって十分若いじゃないですか。」
「そう? でも、社会に出ると色々嫌な事も見ないといけない。」
ふと、私は彼女に興味を持った。
「何のお仕事をさてれいるんですか?」
「私はデザイナーをしている。」
なるほど、だからこのような変わったファッションをしているのか、と急に合点がいった。だが、それに続く言葉は意外なものだった。
「兵器のデザイナーなんだ。ミサイルとか、魚雷とか、軍事用ドローンとか。」
「……ええぇぇ?」
「貴女は原理的反戦主義者?」
「いえ、特にそういう訳では……」
「そう。」
彼女は軽く伸びをすると言葉を続けた。
「この世界は、嫌なことばかりだ。でも、私の作ったものがあの侵略戦争を終わらせることが出来た時は、少しばかり誇らしく思った。」
それは……社会の酸いも甘いも味わっているだろう。防衛産業などという命のやり取りに密接に結びつく現場で生きていれば。彼女に比べれば、私なんか吹けば飛ぶようなお子様だ。
「今、世界中で兵器の自動化が進んでいる。いずれ、戦争で人が死なない時代が来ることを、私は切に願うよ。」
「……」
私はただ黙っていることしかできなかった。
「ところで……どうしてチョコレート工場に行くの?」
彼女は私に尋ねた。
「お使いなんです。私は向こうの都市に住んでるんですけど、祖父が……工場の直売所でしか売っていない限定品のホワイトチョコレートが好物なもので。」
「余程の好物だな。孫を態々こんな遠くにお使いにやるなんて。」
「祖父は医者に余命が半年と言われて……生きているうちにやりたいことリストを消化してるんです。」
「成程。お祖父様に聞いておきたいことは生きてるうちに聞いといた方がいい。後で後悔する。」
「ところで、えっと、葉子さんは何故チョコレート工場に?」
「ただの夏休み。昨日地図を読んでいたら『チョコレート工場』っていう駅名を見つけて気になったから思わず飛行機のチケットをとって気づいたら北国にいた。」
彼女の意外にも子供らしい行動を聞き、私は微笑んだ。
「それは……よかったですね。この路線の都市を挟んで反対の方には『ビール』と名のつく駅名もあるんですが、そちらはビール工場があったのは百年近く前で今はただの畑ですから。」
「一歩間違えていたらそんなことに……恐ろしい話を聞いてしまった。」
彼女は凍える身振りをする。それを見て私はキャラキャラと笑った。
「大丈夫ですよ。この線路の先にはちゃんとチョコレート工場も売店も試食コーナーもありますから。」
また風が吹く。私と葉子さんは二人して帽子を押さえてやり過ごした。吹き抜ける風は心地よかった。
あたり一面には砂糖大根畑がどこまでも続く。これは全部、工場で精製され砂糖となりチョコレートの原料にされるのだろう。暑い陽射しを遮るもののない空は青く、それを背景に真っ白な入道雲がそびえ立つ。ガタンゴトンとレールの上を走る小さな列車がチョコレート工場に着くのは、あと少しだけ先の話。
【了】
お読みいただきありがとうございました。
葉子さんのモデルはアニメ「雲のように風のように」の江葉です。
「チョコレート工場駅」のモデルは学園都市線の「ロイズタウン駅」、「ビール」と名の付く駅のモデルは千歳線の「サッポロビール庭園駅」(ビール園は存在するが有名な「サッポロビール園」とは異なるため間違えると肩透かしを喰らう)です。