勝利
意気消沈ぶりから多少回復した私はゆっくりと鉄の扉を開けた。
現実をようやく受け入れた。純白のドレスが今度こそ真っ赤に染まっていた。間違いない。
ギロチンで飛ばされた彼女の首を見ると、やはり彼女は笑っていた。切られてもなお、彼女はその笑顔を崩さなかった。感服に値する。
私はこの笑顔に何度も救われた。
私は彼女を苦しませずに殺せただろうか。
思わずその場に跪き、泣き叫ぼうと思った。ズボンが彼女の血で濡れようとも構わないと思った。これは彼女が生きていた何よりの証であり、私がこの手で彼女を殺めた報いである。
しかし、私にはまだやり残したことがあった。
私は彼女の首と胴体を持ち、その場を立ち去った。
重くはなかった。死体となれば自ら重心を捉えることなく、重力に身を委ねるだけなので、生存していた頃よりも重いはず。なのに重くない理由は血がたくさん傷口から流れ出たからだろう。
人の目に触れてはいけないので、白い布を何重にも包んだ。
彼女自身はそれで隠されているが、それを抱えている私の手は血まみれだ。職務質問を受ける可能性が高い。
しかしそんなことはお構いなしに私は走った。
首を首塚に置いていかなければ、彼女が死んだ証明はできない。
もちろんこれは違反行為だ。そんなことは承知千万。
私は彼女の遺体を連れて、ある場所へ駆け込んだ。
「先生、お願いします」
「準備できてますよ」
私の目の前には宇賀神先生がいた。
「さ、私が預かりましょう。きっと成功すると思いますよ」
そう言って先生は彼女の遺体を持って解剖室に入っていった。
私は先生にある頼みごとをしていた。
それは夏岡結衣の復活。
以前、彼女の部屋で見たテレビのニュースでやっていた。
ある大学で完全蘇生術の装置の特許、取得まじかであると。さすが、人のなかなか死なない今の世の中、たとえ死んだとしても蘇らせるとは罪深い。傍迷惑な話だ、とその時は人間の愚かさを蔑む一方で人間の生への執着心に感心したものだ。
しかしそのすぐ後で私は思ったのだ。この装置があれば彼女を生き返らせることができると。
そして幸か不幸かその大学というのはこの宇賀神先生がいる大学だ。
私は先生に頼み込んで結衣をその装置に入れる人間の実験隊第一号にしてもらったのだ。
これまで死んだ人間を入れた試しはない。これまでの成功例はネズミ、そして猿だけだ。人間が生き返る保証はどこにもないが、私はこれに賭けるほかなかった。
方法はこうだ。まず必要なのは結衣の脳と骨髄だ。
骨髄には幹細胞を作る機能がある。その幹細胞を培養するとやがて完全な人体に成長するという。あとはその人体と脳を人工的につなげれば、論理上は死から蘇ることができるという。
実際に人を作るには骨髄だけでいいというのだが、蘇らせるということはその作られた人が過去に死んだ人物でなければならない。その作った人体に過去の人の脳を取り付けることで、その人の知識、経験、記憶が蘇り、体は違うものの、その人の意識は確かに過去に生きていた人そのものになるのだという。
もちろん、本当に結衣がそうなるのかはわからない。
だが、もし成功すれば彼女は生きていることになる。
いや、必ず成功するに決まっている。なんせ人間は死を凌駕したいと何千年も前から願っていたのだからな。この世の条理なんかも覆せるほど人間の欲望は筋金入りなのだ。その人間が蘇生できると言い切ったのだ。泡沫で終わるはずがない。面目躍如たる人間たちは是が非でも成功させるさ。
どうだ。私は運命を変えることはできなかったが、決して欺くことのできないこの世の理に干渉したのだ。
誰がなんと言おうと私はこの世の歯車を壊したんだ。
人工管理班としての面目も立たないんだ、これでこの世はまた荒れるだろう。それで人が何億人と死んだところで知ったことか。
私も元は人間だ。人の命の価値は平等ではない。愛する人が生きるのなら何千人と死のうが構わない。
久しぶりに人間らしい行動をしたと自覚している。今なら彼女の元に逝けるだろうか。
いや、どうせ無理なのだろう。やれ医療技術だの、やれ自殺防止対策だの。社会は私を殺させてはくれないだろう。
ああ、なんと世知辛い社会になってしまったんだろうか。
こんな世の中に私の求める自由などありはしない。絶望しているというのに社会は無理やり私を生かそうとする。死人ではなく咎人として私が塵になるまでこき使うのだろう。
それが夢で見たような大虚地獄とやらだろうか。
まあ、いずれにせよこの手はもう何百という人の血を浴びている。取り返しのつかない人生だ。何処へでも連れて行くがいいさ。
これから待ち受ける苦しみを忘れさせるほど私は今誇らしい気分だ。死といういかなる生物も逆らうことのできない絶対的な未来を裏切ったのだ。
たとえ私が地獄へ落ちて苦しんだとしても、彼女が生きることに変わりはない。私はこの恨めしい社会の秩序を壊したのだ。これほど清々しく人生を終われることはない。
彼女はきっと最後に私には生きて欲しいと言ってたに違いない。彼女は理想の警察官のように自分より他人の心配をする心優しい人だから。
すまない。
君の完全復活には何十年という歳月がかかると聞く。
その間私は大虚地獄とやらで生きながらえて見せよう。
そして万が一にも私と君が生まれ変わった暁には今度こそ、壇上で白銀に輝くタキシードを着て、純白のドレスに身を包んだ輝く君を迎えさせてほしい。
私は、天に大きく拳を振り上げた。完全なる勝利だ。
その瞬間、空が漆黒に包まれた気がした。
願わくば夏岡結衣が私の二の舞になりませんように。いや、いらぬ心配か。彼女の未来はきっと明るい。それに…
その日は雲ひとつなく特に眩しさを感じた夏空だった。私の行いを嘲笑うかのように。
これにて『ピースメイカー』完結いたしました。長い間お付き合いいただき、誠にありがとうございます。来週のあとがき、その後一週明けてから予定していた『新・創世記』の投稿を開始します。




