提案
「おや、今日も一人かい?」
「はい。まあ人手不足っていうのもあると思うんですが」
私はコーヒー片手にレントゲン写真を見つめている白衣の男性にそう話した。
「いや、たぶんようやく君も巣立ちしたってことじゃないかな」
「そうだといいんですけどね」
お世辞でもそう言ってくれると嬉しいといつもの自分なら内心喜ぶだろう。
「どうしたんだ、ずいぶん弱気で。何事も前向きでないと昇進できないぞ。ま、とりあえず今日の分の検体見に行こうか」
やはりこの人にも自分の心が見透かされている。そんなに私は顔に出やすい人間なのだろうか。
この人は宇賀神先生。我々の存在を知っている数少ない人間だ。この人とあと数人の法医学の先生のところで死亡者の遺体確認を行う。
丸メガネにボサボサの頭、ボタンを止めていない白衣の中はなぜかスウェットだった。
この人も原警部と似たようなタイプだろう。
しかし検死はいたって正確で、優秀な先生であることに変わりはない。
眼鏡の奥で気の抜けた見た目には似つかわしくない鋭い眼を光らせている。彼の洞察力は計り知れない。軽んじると痛い目を見そうだ。このコントラストが不気味さを演出している。冗談を交えてくる原警部の方がまだ可愛げがある。
先生の後を追い、窓がないため少し薄暗い廊下を進んだ。
ある部屋に通されると、そこはドア以外全てが苔の生えたように緑色をしたタイルがびっしりと床や天井を覆っていた。部屋には三つの台が二列、計六つが均等に置かれてあり、そのうちの五つに布を被された死体が載っている。
蛍光灯が部屋の中央にしかないため、端の方に置かれた遺体は暗く影のようになっていた。
彼はドアの脇に置いてあったキャスターがついた大きなライトを引っ張って、一番近くの死体が載った台に私を誘導した。ここも無駄に反響する。
布が外され、ライトが死体の頭を照らした。
死体が動くわけないのだが、いつも布をめくり遺体が目に入った瞬間、少しビクッとする。
白い肌は魅力的に映るもの。しかしそれにも限度があると訴えてくる。
「んじゃ早速始めるか」
宇賀神先生の手もまた手術用の手袋を着用し、白く見える。その手には銀色に輝くメスが握られている。
このまさしく純白と呼ぶにふさわしい肌も一時的にしか目の当たりにできないとわかっていれば、自ずと記憶に留めておきたいと言うものだ。
部屋を出た脇には手洗い場が用意されている。
遺体に触れたわけではないが、遺体と同じ部屋に数十分いたという事実だけで手だけでなく全身を洗い流したい気分だ。
アルコール消毒まで済まし、先生の部屋に戻ると、先生はそのまま給湯室に向かった。
「コーヒーでいいよね」
「はい。ありがとうございます」
二つのコーヒーカップを手にした先生はそのうちの一つを誰か来た時に応接する用のテーブルに置き、もう一つを自分の机の上に置いた。
「ありがとうございます。いただきます」
テーブルの中央に置かれていたコップに入っているスティックシュガーを二つ取り出して、中に入れた。
先生はブラックしか飲まないのでなので、シュガーはいつも応接用のテーブルに置いてある。
「ああ、すまないね。マドラーがなくて」
「いえ、大丈夫ですよ」
私は砂糖を入れるとコーヒーがこぼれないようカップを優しく揺らして、飲んだ。
私はコーヒーを飲みながら革張りの一人掛けソファ腰を下ろし死亡報告書を書き始めた。正確な死亡報告書は先生からもらうのだが、自分でも書いて、人口管理班に提出しなければならない。
用事が済んだところで普段ならお礼を言って帰るところなのだが、私は少しの間その場に留まった。
報告書を書き終えたのに、未だ自分の部屋に居座る私を不思議に思い先生が尋ねてきた。
「どうしたんだ? 帰らないのか?」
「先生、一つ提案があるのですが…」
先生は私の心中をすぐに察した。
「聞こう、っとその前にコーヒーを入れ直してこよう」
そう言って私のカップを取り、給湯室へ消えて行った。




