泡沫
私たちの仕事は人を殺すこと。
それは決して私情の縺れからなどではない。
今の社会の形を守ると言う口実のもと執行されている。
この国が支えられる人口は限られている。その限界を超えてしまえば資源や食糧不足に陥り、争いが起こる。他の国への侵略も厭わないだろう。せっかくここまで築き上げてきた平和が崩れ落ちてしまう。
平和であることこそ人間が幸福でいられる鍵なのだ。世界大戦が収束し、人々は二度と同じ過ちを繰り返さないと誓い合った。そんな先人たちの悲願をみすみす踏み躙るわけにはいかない。
少数の死で大多数の人間が助かるのなら、執行人は迷わず手を下す。少数のものも自分の愛するものらを守るためなら喜んで犠牲となる。これが今の世の中だ。
そしてその少数派に属される人間は人の心がない人選機が選ぶ。絶対的公平の名の下に。
金や権力を使って、我々を買収したところで何も変わらない。
そう。事故が起きづらく、大病にかかってもほとんどの場合完治できる今の世の中では、この人選機が彼らの命運を握っている。
たとえその人物が世界に名をはせる有名な科学者でも、まだ生まれたばかりの赤ん坊でも、一国の長であっても、選ばれれば我々は躊躇なく殺す。
その後の社会情勢が大きく傾こうとも、生き残った人間が立て直せばいいのだ。
そのために三ヶ月間の猶予を与えているのだ。その間に遺言書でも残して、自分の全てを他の人に託せば良いのだ。
決して自分の命運からは逃れられない、死は避けられない完全無欠な事象なのだ。一生物に過ぎない人間が超越できる代物ではない。
それはもちろん、彼女も。
「どうしたの? 食べないの?」
今日も夕飯を彼女の家でご馳走になっている。しかしそこへ向かう私の足取りは重かった。頭ではわかっている。しかしどう足掻いても理屈より先に感情が表に出てしまう。
私の目の前にはオレンジ一色のランチョンマットの中央にハンバーグが乗った平皿が置かれている。にんじんとブロッコリーが皿の隅に申し訳程度に添えられている。右側にはフォークとナイフがナプキンの上に並べてあった。この光景だけ見るとレストランだと勘違いしても頷ける。
時間は午後九時近い。八時を過ぎると夕飯は食べない。食べると太ると彼女は言うので、私の分だけテーブルに置かれている。
「あ、いや…いただきます」
「召し上がれ」
彼女は私の食べる姿を静かに眺めていた。
彼女といるときぐらいは仕事のことは忘れよう。
通達が来ているので、余命宣告を受けていることを彼女自身も知っている。
彼女は死を受けて入れたのだ。真実がどんなに残酷か。
私の身の上話を聞いてもめげず、そして死の宣告を受けてもなお、私に愛想を振りまいている。
誰しも死は怖く、寂しく、悲しいものなはずなのに、それでいて彼女は普段通り私に夕飯を作ってくれたのだ。
対して私はどうである。この雰囲気を台無しにするほど生気を失いかけている。彼女の強さが羨ましい。
私も気持ちを切り替えて彼女の作ってくれた夕飯を味わった。
美味しい? はずだが、やはり彼女の命運が頭から離れない。食べているという感覚はあるが味は感じなかった。
「今何考えてるかわかるよ。私が選ばれたことでしょ」
いつでも明るく振舞ってくれる結衣に気を使わせてしまった。
しかし私は手を止めずにはいられなかった。
「うん。どうやったら結衣を助けられるだろうかって。私が殺さなくたって他の誰かが殺す。人選機に改ざんはできないし、何より君は通達を読んで死刑執行を承認してしまった」
「そんな悩まなくてもいいよ。死は誰にでも訪れる。私だっていつかは死ぬんだ。それがたまたま三ヶ月後ってだけだよ」
「…」
社会の理には誰にも逆らえない。割り切るしかないのか。自分の不甲斐なさに五臓六腑が悶えている。
「いつ死ぬかわからないよりはっきりこの日に死ぬって言われた方が気が楽じゃん。その日までにやりたいこと全部やって、悔いなく死ねる。それが幸せだと思うよ」
涙がこぼれ落ちそうなところをこれまでに培った死神として理念でなんとか食い止めている。
「ごめん。生と死に干渉できるはずの私たちのはずなのに、君一人救えないなんて」
「落ち込まないで。言ったでしょこの三ヶ月間悔いのない生き方をするって。直之にはそれにとことん付き合ってもらうから」
彼女はそう言って微笑んだ。無論、自分にできることならなんでも。なんだってやってやるさ、彼女が望むのなら。
先日『ピースメイカー』を最後まで予約投稿いたしました。六月末に終わると思いますので、七月から新しい作品の方を投稿しようと思っています。




