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ピースメイカー  作者: 蒼蕣
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仕事

「人多いなぁ」

警部はため息交じりにゆっくりと人通りの多い大通りを歩いていた。

「週日のこんな真昼間になんでこんなに人がいるんだよ。仕事しろってんだ」

「誰に八つ当たりしてるんですか」

私は先ほどの失敗から学び、後ろでじっと警部の動向を探っていた。絶対に目を離してはいけない。

「何睨んでるんだ?」

自分の執念とも呼べる意思を感じ取ったのか、警部は後ろを振り向いた。

「逃げないか、見張ってるだけです」

「こうなるんだったら、俺も留守番しとけばよかったな」

何の面白みもない返答に警部は落胆した。

「よかったじゃないですか。最近太ったって言ってたじゃないですか」

「OLじゃねえんだから、そんな体型気にしねえよ」

「警察官もいざという時のため走れないといけないと思いますけどね。それにもし警部補と留守番してたら、どうなってたか」

私は告げ口感覚で言った。

「う…確かに。馬場と二人きりは嫌だ」

警部は不快感に襲われたような表情をした。

「きっと、ゆっくり新聞も読めないと思いますよ」

「あいつは変人だからな」

「それは警部も一緒です」

いつもひょうひょうとしている警部。はっきり言って警察官としての覇気を感じられない。側から見ればだらしないただのおっさんだろう。

自分勝手で、おっさんのくせに子供みたいに遊び心満載。気遣うこっちの身にもなってほしい。

少しでも目を離せば、パチンコ屋だ。時々この人本当に刑事なのかと疑ってしまう。

萎れたワイシャツに緩めたネクタイ。ブレザーはいつも肩からかけるだけ。邪魔に感じると部下に押し付ける。無精髭を生やしている。

これで頭がハゲていたら、リストラされたサラリーマンだが、なぜか髪は後ろで束ねられるほど長いし、意外とサラサラしている。男の天敵であるはずの円形脱毛症も彼を変人だと認識して避けているのかもしれない。

まだ四十代だと聞くが、五十代、六十代にもなってもまだその頭であれば、正直気持ち悪い。

しかし、警部はやるときはやる人であることを私たちは知っている。だから、こんな人でも私たちはついて行くのだ。もしもの時は頼り甲斐があるし、的確な指示も出してくれる。

しかしこの人口管理班に来た理由はやはり彼の普段の態度に警察官としての威厳が感じられないためと聞いた。出向、いや左遷されたということだろう。

しかしそんな理由でここに配属されたのかと常日頃から疑問に思う。もしかしたら私たちの知らない何かを隠している。もしかしたら何か目的があって自発的に来たのかもしれない。

「そろそろ飯にするか」

出た、秘技警部の戯れ。どこからともなく発動し、仕事そっちのけで相手の食欲を惑わしてくる。

「まだ、何もしてませんよ」

しかし私はそれを華麗に受け流した。

「ったく、なんで車で向かわねえんだよ」

もうこの技は私には通用しないことを理解したようだ。

「今日は歩きたいだって言ったのそっちでしょう」

「はぁ、お前もむさ苦しいな」

「むさ苦しくて結構ですよ。あ、その家です」

私は斜め右手に見える赤い屋根の一軒家を指差した。

「ほう、いい家だな。いいご身分なのかな」

「家族三人で暮らしているようです」

私も徐々に警部の扱いに慣れてきた。警部とは真剣に話をしてはダメだ。常に心にゆとりを持っていないと、空きあらば弱みに漬け込んでくる。

「…さて、今日最初の客は俺たちを歓迎してくれるかな」

「どうでしょうね」

警部はゆっくりとした足取りで呼び鈴を鳴らした。

「こんにちは。人口管理班で〜す」

インターホンに出た女性らしき声に対し、警部は軽くそう言い放った。

「…お待ちください」

「歓迎されてないか」

インターホンが切れてから警部はぼそっと独り言のように呟いた。

「そうですね」

一分もしないうちに玄関の扉が開いた。

「こんにちは。奥さんの佐々木美佳さんですね。昨日御通達があったと思いますが、ご主人は?」

こう言った自分を卑屈に見せて、相手を落ち着かせる対応は警部にとってはお手のもんだ。

「いま、来ます」

そう聞いて思わず本音がこぼれ出た。人によってはここで時間を稼いだり、無駄に争ったりする。

「協力的で助かりますわ」

「警部、ここはもう少しおしとやかに」

僕は告げ口をしたが、警部はそれを無視した。

「いや〜この前なんてどこかに逃げちゃった人がいましてね、探すの大変だったんですよ」

警部は少しでも気晴らしになればいいと思って世間話をよくする。

「…」

「この数日間、充実された毎日を送りましたか?」

「…はい。娘もすごく喜んでいました」

母親が答えると間髪入れずに話を広げた。

「それは何よりです。やっぱり事前に通達する方が猶予があっていいですよね。このシステムにして正解だったな」

「あ、あの! 日付を延長してとは言いませんが、我々も連れて行ってくれませんか。主人がいないと娘を養うのも」

母親が切羽詰まったように警部に迫った。

「お気持ちはわかります。手当、届いてますよね」

私は終始無言だった。

「今日から約半年間、手当が出ますよね。それで新しい仕事を見つけるなり、新しい旦那さんを見つけるなりしてください」

「そ、そんな…」

今にも泣き崩れそうな母親。

「規則ですので」

それを警部は笑いながら冷たくあしらった。

「お待たせいたしました」

美佳さんの後ろから目的の人物が現れた。

「佐々木康生さんですね」

警部の声は柔らかいが、きっと顔は真剣な表情になっているんだろう。

「はい」

目的の人は静かにそう言った。

「では、行きましょうか」

そのとき、胸ポケットにしまっていた携帯が鳴った。

「警部、ここから少し行ったところに待機しているそうです」

「どうします、奥さん? ここでお別れしますか。それとも歩きますか?」

警部はすでに康生さんの背中に手を当てている。逃がすつもりはないらしい。

「…ここまででいいです」

美佳さんは今にも吐血しそうな苦しい声で言った。

「わかりました。では佐々木康生を送らせていただきます」

警部は軽くお辞儀をして、私を通り過ぎていった。

警部に連れ添うように康生さんもゆっくりと歩き始めた。

美佳さんは涙に濡れながら静かに去ってゆく自分の夫の背中を凝視していた。

私はそんな彼女にそっとお辞儀をした。

これが私の、私たちの仕事だ。

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