新人
「おーい、井伊! 茶たのむ!」
原警部が読んでいた新聞から目を離さず叫んだ。
「はい! ただいま」
私は自分の仕事を一時中断して席を立ち、給湯室へ向かった。
ここに入ってもう三年経つが、自分より後輩がいないため、雑務は自分がこなしている。
おかげで、先輩たちの好みは把握済みだ。あとは誰かに言われる前に自分から茶を用意できるような気配りを習得すれば完璧だと思っている。
原警部はブラックコーヒーにミルクをたっぷり入れたカフェオレ、のようなもの。
ブラックにこんだけミルクを入れるのなら初めからインスタントのカフェオレを用意するのだが、それじゃあコクが足りないと口うるさく言われた。
正直どっちも変わらないと自分は思う。今度こっそりインスタントのカフェオレを出してみようかな。
佐竹巡査部長はコーヒーより紅茶派。別に種類にこだわらないから、いつも安いのを出している。ストレートで。
馬場警部補はウーロン茶、それも冷蔵庫でキンキンに冷えたもの。彼のだけはいつもペットボトルで用意している。なぜならコップに打つし変えなくても言いようで、洗い物が減って助かるから。
一番こだわりがあるのが、小島警部補。
彼はコーヒー、それも超ブラック。
私はいつも濃いことが売りらしい市販のインスタントコーヒー。小袋に分かれているタイプでそれ一つにお湯200mLが規定の倍の濃さで提供している。
濃さが足りないと言われれば、三袋目だ。
ちなみに私はレモンティーだ。
五人の飲み物は年功序列で原警部、馬場警部補、小島警部補、佐竹巡査部長の順に置く。どこの社会でも年功序列を遵守する。下のものは上のものを敬う。上のものは下のものの面倒を見るそれがモットーらしい。
「警部、今日はどこに飲みに行きましょう?」
まだ真昼間だというのに、もう定時後の予定について話している。
「そうだな〜。せっかくだったら可愛いお姉ちゃんのいるところに行きたいな」
「警部お供いたします!」
パソコン作業をしながら馬場警部補がそう答えた。
「あ、自分も」
佐竹は手を止めて答えた。
「みなさん、自分の仕事をしましょう」
「うるせえな、お前。空気読め」
僕の言葉を小島警部補が吐き捨てた。
「い、いやしかし」
「今日は都内で仕事だろ。ええ〜と十二人か」
「都内だったら、僕がわざわざ出向かなくても佐竹と君の二人で行ってきてよ」
馬場さんが目も向けずに言った。
「いや、さすがに十何人を二人では」
自分が言おうと思ったことを佐竹先輩が先んじて言った。
「おいおい、あんま後輩をいじめんな。今日は俺も少し出向きたい気分なんだ。居残りは、そうだな馬場」
「そ、そんな、警部が行くんだったら自分も」
馬場さんが思わず立ち上がり、警部の机の前で跪いた。
「だがよ。佐竹と井伊じゃあここ任せられねえし、小島は何やらかすかわかんねえ」
原警部が不信感を持った横目で小島を見た。
「そ、そんな〜!」
「じゃ、昼飯も兼ねて行くか」
警部が上着を取り、ゆっくりとした足取りで出て行った。
それに続くように小島警部補と佐竹先輩、最後に自分の順番でキャスター付きの回転椅子をデスクの下にしまい、警部を追いかけた。
「警部、お早いお戻りを」
よほど警部と行きたかったのか潤んだ目で頭を下げた。
「おう」
警部は振り向きもせず右手を軽く上げた。
「留守番頼むぞ」
「はぁ、めんどくせぇ」
「それでは」
「行って来ます」
「チッ」
馬場警部が舌打ちしたように聞こえた。よほど、悔しかったのだろう。まあでもいつものことだからな。
「じゃあ俺は井伊と回るから」
警察署を出て、早速二手に別れることとなった。
「佐竹は小島が暴走しないように頼むぞ」
原警部は佐竹の左肩をポンポンと叩いた。
「ええ〜。僕にこの人が制御できると思いますか?」
佐竹は横目で筋肉むきむきのおっさんを見た。
「誰が、“この化けもん”だ」
「そんなこと言ってませ…うわあ! た、助けて!」
佐竹先輩は首根っこを掴まれて、どこかに連れて行かれた。
「だ、大丈夫でしょうか」
「さあな、小島が暴れるのはいつものことだ。俺や馬場はもうあいつのお守りは飽きたんだ」
「そ、そんなこと言って何か起こったら警部の責任じゃ…」
「だったら俺は雲隠れして、馬場にすべての責任を…」
本当に警部なのだろうか。
「さてと、んじゃあ昼飯」
「ま、待ってください。まず仕事数件こなしてから」
「ええ〜!」
まるで赤子のような瞳を私に向け駄々をこねたが、私は無視した。
「そんな顔しても無駄です」
私はあさっての方向に向かおうとする原警部を引き止め、手帳を見た。
「ええ〜とまずは近場の渋谷区から参りましょう」
ふと、後ろを見ると、すでに警部はどこかに消えていた。
「どこいった〜!」