憂鬱
「さて、先週現在進行形をやったので、今回から過去形に移ろうと思います」
いや水を差すようで悪いが現在進行形、あと二、三回復習したほうがいい。早まるな。と思いつつもまあ自分にとっては好都合だと感じ、黙りを決め込んだ。
「パターンは簡単です。動詞の後にdかedをつけるだけです。じゃあどんな時にdを使ってどんな時にedを使うのでしょうか」
動詞の終わりがchとかshで終わる奴はedを使って、そのほかはだいたいdだ。
かと行って例外もある例えばeatの過去形はateだし、writeの過去形はwrote。
こういう例外は正直覚えるしかない。
私も初めて習った時、苦労した。
「はい! なんでそうなるんですか?」
そう質問したのはあの新庄さんだ。
腑に落ちないことは辛抱強く何度も聞き返す、期待を裏切らない彼の態度に最初こそ感心していたが、今はもう呆れ以外の感情が湧き上がらなかった。なんでと言われても、そう言うルールだからとしか返答のしようがないだろう。
ほら、先生も困った顔をしている。
よく見ると、生徒の多くが新庄さん同様にしかめっ面をしている。
どうやらルールだからと言われて素直に納得するものも少ないのだろう。
ふと、隣を見るとあの夏岡さんが頭を抱えて悶絶している。その状態で一体先生の話の何割が耳に入ってきているのだろうと心配になる。
どう言う時にdでどう言う時にedを使うのかまだ把握できていないのだろうか。
この前習った英語で三人称、つまりhe、she、itの時、動詞にsかesかiesがつくのとパターンは一緒のはずだが。
それも何回も復習しているはずだが、まだ板に着いていないのだろうか。
それでも頑張って理解しようと励む彼女を見ると、蔑んだり憐れむ気持ちはありつつも手を差し伸べてやりたくなってしまう。慈しむ心を持つ人間の性と呼ぶべきだろう。
「あ、あの…ここは前習ったのと同じようにですね…」
マンツーマンでしかも無償で英語を教えている私、いつからこんなにお人好しになったのだろう。
「はい。井伊さん。ついでですあなたならわかるでしょう。買う、buyの過去形はなんですか」
突然の名指しに驚いた。
「あ、はい。ええ〜とboughtです」
これ見よがしに自分の力を見せつけるのは性に合わないのだが、この時ばかりは否応にも周りのほぼ全員から感銘を受けたような視線を向けられた。
「はい。よくできました。さすが井伊さんだ」
私たちのクラスでは一ヶ月に一回小テストがある。
おそらく一ヶ月間習ったことをちゃんと覚えているかを試されているんだろう。
私はもちろん満点以外とったことない。
そのせいか先生から一目置かれる存在となっている。
正直言ってもう一、二個上のクラスに行ってもいいのだろうが、上のクラスはほぼ毎日授業があるらしく一応公務員である私、残業で定時を過ぎてしまうことが多々ある私ではついていけないと思ってる。それに何より値段がこっちの方が格段に安い。
「はい。では授業はこの辺までにして今度のゴールデンウィークの件について話していきましょう」
ゴールデンウィーク、五月初頭に行われる多くの社会人そして学生に与えられた一週間から二週間ほどの休み。
もちろん私は休みではない。国家公務員でもあるし、何より私たちに有給という制度は原則存在しない。
大病を患う時ぐらいだろう、休めるのは。
そしてこのクラスでは英語力向上のため、この連休を利用して海外旅行に行くらしい。今回はイギリスだそうだ。
甘美な響きだが、異様に胸騒ぎがするのは私だけではないだろう。




