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傍観録2302  作者: 谷尾 香緒
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空白を埋める

 バランスが悪い、と常々思っていた。

 一定レベル仕事ができて、不遜な態度を取ることはなく、遅刻をすることもない。できがいいとはまだ言えないが、可愛い後輩だった。その後輩が辞めてから二か月、やはりバランスが悪いままだった。

 何が、と言われれば机である。それぞれの趣味嗜好によって持ち込まれたりした机だがイチキの隣は何もない。ぽっかり空いたその場所は、やりかけのジグソーパズルを思い出させる。イチキは上から見た配置がテトリスのピースのようだと言っていた。

 その席は今日やっと埋まることになった。

 四月初旬の切れ目の季節。例に漏れずエドガワ支部もオフィスの内装が少し変わり、目新しいデスクが今日運び込まれた。業者が二人がかりで傷をつけないように運び込んだ机は、空いていた場所に綺麗にはまる。シンプルな木の机だが、備品の安っぽいものを使わないあたり俺よりはこだわりがありそうだ。

「これでテトリスじゃなくなるな」

「テトリスには四角いのもあるんですよ」

 それは知らなかった。一時期友人が狂ったようにハマっていたからどんなゲームかは知っていたが。

 新人は始業時間の九時にくるらしい。あと五分ほどある。

 イチキの遅刻も新入りとの顔合わせがある今日ばかりは許されないらしく、主任直々のお迎えで出勤してきたようだ。時間ぴったりが常のイズモも隣で前髪を気にしている。

「新人てどんな人ですか?」

「若いよ、イチキくんの一つ下。ちなみに女の子」

 不意にお茶目な笑みを浮かべた主任はそのままイチキへ視線を向ける。同じような顔で笑ったイチキはあきらかにテンションが上がっていた。

「マジですか、可愛い?」

「可愛いんじゃないかな」

 この男は根っからの女好きである。非番の日は絶対に女といるそうだ。それも毎回違う人。彼氏持ちじゃないといいな、なんてほざいているが彼氏持ちでも気にせず手を出すのがこの後輩だった。

 すると、コンコンとドアがノックされる。時計を見るともうすぐ柱時計が鳴り出す時間だった。

 律儀なノックに主任が返事をする。規則に緩いこの職場でノックの音なんて久しぶりに聞いた。

「失礼します」

 生真面目な声だった。入ってきたのは長い髪を後ろでまとめたスーツ姿の女の子。社会人として当然であるその服装もこの場だと少し浮いて見える。

「今日からエドガワ支部に配属になりました。ユノカスミといいます」

 きっちり頭を下げた姿に、この子はイチキみたいなのを嫌うタイプじゃないだろうかと思った。

 けれどイチキがそんなことを気にするわけがない。相手の好みより自分の好みを優先する男だ。一歩前に進み出て彼女に手を差し出した。

「はじめまして、イチキリョウタっていいます。よろしくねカスミちゃん」

「…よろしくお願いします」

 いきなり下の名前で呼ばれたことに眉をひそめたユノは差し出された手を取らず頭を下げるだけだった。

 取られなかった手を何度か握ったり開いたりして眺めたイチキは、それでも上機嫌に自分の席に戻っていく。自分の席がイチキの隣だと知ったユノはほんの少し嫌そうな顔をした。

「はじめまして、主任のサワタリヤスオといいます。それでこちらが…」

「ナジマヒロトです、よろしく」

「イズモセナ」

 主任の目配せに促されて挨拶するが、俺に続いたイズモは鏡から顔も上げずに名乗っただけだった。ユノは今度は困ったような顔をしてこちらを見た。

「まあ、そのうち慣れると思うから気にしないで」

 イズモはともかく多分イチキは大丈夫だろう。少なくとも彼自体は好意を持って接している。今も席についたばかりのユノにイチキはさっそく肩を寄せて話しかけていた。

「ねえカスミちゃん、彼氏いる?」

 ものの数秒で不安にさせてくれる。本当に大丈夫だろうか。好意と一緒に下心を隠しもしない。

 軟派なイチキに不遜な態度のイズモにただにこにこと見守るだけの主任。この状況で頼るなら俺しかいないともうわかってしまったのか、ユノの視線がこちらを向く。しかし、それは先ほどの困ったようなものではなく、早くなんとかしてくださいとでも言いたげなものだった。案外肝が据わっているようだし何もしなくていいんじゃないだろうか。

「…どうせ彼氏いても手出すんだからその質問意味ないだろ」

「彼氏いたら隠れなきゃいけないから彼氏いる子にこそ必要な質問ですよ」

 ユノの表情が引きつっている。「くそ野郎…」という言葉は状況が状況なだけにスルーした。多分ユノはそろそろ本気でイチキが嫌いになる。

 後輩がこれ以上新人に嫌われないように、こちらから話を振った。すると彼女の表情が明らかに和らぐ。

「ユノは新卒?」

「いえ、一年だけシンジュクの方で勤務してました」

 新人とは言われていたが完全な新人ではなかったようだ。

 シンジュクとはLMBの二十三ある支部の中で最も大きく忙しいところだ。この国で一番人がよく死ぬ場所。簡単に言えばそれがシンジュクだった。最近の不法入国者による治安の悪化も拍車をかけて、辞めたり異動を希望する職員が後を絶たないんだそうだ。人手不足がそこそこ問題になってるらしい。この子もそのうちの一人だろうか。

「シンジュクは大変だったでしょ。ここはだいぶ緩いけど」

「ああ…そうみたいですね」

 彼女みたいな真面目そうな子は、シンジュクほどではなくてもある程度忙しい場所の方がいいんじゃないかとも思ったが、わざわざ言うほどのものじゃない。合わないと思ったらまた異動するなり辞めるなりするだろう。

 俺とイチキとイズモと、あと主任。この四人の顔ぶれはしばらく変わっていないが、五人目だけはいつまで経っても定まらない。誰かが入ってきてはいなくなっていくのをずっと見ていた。この子はいつまで続くんだろうか。


 ピコンと音が鳴ったのは正午前。新入りだから、とユノが現場に向かうのは決まったが、誰が一緒に行くかで少し揉めた。LMIの通知が入れば基本的に二人組で現場に向かう。人員が足りなければ一人の時もあるが、シンジュクと違いエドガワに人員不足は起こらない。徹底して二人一組である。

 ユノはもちろんイチキとイズモを嫌った。イズモは多分どっちでもよかった。イチキはもちろんユノと行きたがった。終わらない話し合いは、俺の「もし次通知がきたら残った方がイズモと行くことになるけど」という一言であっという間に決着がついた。屈託なく接してはいるが、イチキだって別にイズモが得意なわけじゃない。

 しかめた表情を隠しもしないユノと連れ立ってイチキは支部を出ていった。その数分後に今日二度目の通知音が鳴って、俺たちは現在路上で往生している。

「渋滞か?」

 ハンドルを握ったイズモが舌打ちをしながら窓から顔を出す。見たところで長い車の列が動くわけでもないのに。

「工事だって」

 道路わきに建てられた看板を指さすとイズモはまた舌打ちをした。

 決して狭くはないが広くはない車内であからさまに機嫌の悪い同僚と二人きり。

 普通なら気まずいが、俺はこの同僚のことがあまり嫌いではなかった。好きでもないけど。イズモは身分相応に偉そうで口が悪くついでに性格も少し悪いけど、悪い奴ではない。貴族の身分だからと俺のような平民を蔑むことはしないし、仕事もちゃんとやる。ただ少し人より忍耐強くなく、言わなくていいことを言ったりもするだけで。

 だから、俺はそれなりに付き合いの長い同僚と車内で二人きり渋滞にハマろうが気にしなかった。もしイチキやユノが俺の立場なら嫌がっていただろう。そういえばあの二人はうまくやれているんだろうか。

「救急車とかパトカーみたいにサイレンついたらいいのにな」

「あれは緊急事態だから許されてるんだろ。別にこっちは緊急じゃない」

「でも、渋滞にハマるのは嫌だ」

 わがままなお坊ちゃんみたいなことを言い出したイズモに笑ってしまう。

 そんな理由でこの車にサイレンをつけるのか。上流貴族にも劣らない力を持ってる警察庁長官家の長男の乗ってる高級車に。似合わないだろ。

「あれでいいんだ、パコッてつけるやつ」

「ああ、覆面パトカーがやってるみたいな」

「そうだ」

 満足そうに頷いているが、恐らくLMBにサイレンが導入される日はこない。俺たちが向かってるのは今すぐ駆け付ければ助かるかもしれない命ではなく、もう既に息絶えた体の元だ。急いで行ってもあまり意味はない。

 のろのろと列が動き出した。深くシートに掛けていた姿勢を正す。

 仕事の都合で乗る機会のわりとあるイズモの高級車はあまりの座り心地のよさが長所であり短所だった。俺が子供だったら現場につこうが支部に戻ろうがあまりの座り心地に降りたくないとごねていたところだ。そんな家が買えそうなくらいの高級車は、俺の知ってる限り片手で足りないくらいの回数変わってる。一台くらい貰えたら売って生活費にするのに。

「そういえば、今日の飲み会来んの?」

 今夜は新人の歓迎会、といっても参加者は多くて五人。

「行くわけないだろ」

 残念、四人だ。

 お前はバカなのかと二の句を継いできそうなイズモにはいはいと頷いておく。前の後輩の歓迎会にも送別会にも来なかったもんな。というか、そもそも飲み会自体滅多に来ない。主任に頼まれて年に一回来るか来ないかだ。俺に大衆居酒屋は似合わないだろうと真剣な顔で諭されたのは、イズモがエドガワ支部に来た初日だった。こいつは自分の歓迎会にすら来なかった。

「三十万の服着て大衆居酒屋は行かないよな」

「今日は上下合わせて五十万だ」

 笑ってしまう。五十万の服で死体の回収に行くやつはこの国のどこを探してもイズモくらいだろう。

 高級ブランドのシャツの袖をまくりながらイズモは「それに」と続けた。春の日差しが思った以上に暖かいのだろうが、肘辺りでくしゃくしゃになってるブランド服がどうしようもなくもったいなく感じた。

「今日は友人とご飯に行く約束をしてる」

「…友人?」

「なんだその反応」

「お前友達いたのか」

 友人、なんて普通の同僚程度の仲でしかないものの付き合いだけは一丁前に長いこの男からだけは絶対に聞かない単語だと思ってた。

 上流貴族一歩手前の家庭で育った誰にでも偉そうな男。そのイズモが躊躇なく友人と言い切ったのも驚きだが、こんな奴と友人関係を築ける人間がいるのが信じられなかった。イズモのことは嫌いじゃないが、同僚じゃなければ絶対関わりたくない。

「…人と仲良くできないんだと思ってた」

「腹が立つから殴っていいか?」

 勘弁してほしい。決して狭くない車内だが広くもない。避けれるかどうかわからないじゃないか。

「まあでも、お前の言い分もわかる」

 渋滞は人が歩くのと変わらないスピードで進んでいく。ハンドルを両手で握ってグッと目元に力を入れながら、イズモは真っ直ぐ前だけ見つめていた。

「俺はそんなに人と仲良くできる方じゃないからな。友人もその一人だけだ」

 生返事みたいな相槌を零す。同僚が友達に入るかどうかは人によるとして、こいつは多分友達に数えないんだろうなと思った。そういう俺も数えない派だ。

「…でも俺もそうかも」

 ようやく車らしいスピードで進み始めた。ハンドルを握りながらイズモは、は?ともあ?ともつかない中間の音を零す。

「友達。一人しかいない」

「…意外だな。ふんわり仲のいい形だけの友達がたくさんいるもんだと思ってた」

 随分嫌味な言い方をする。けれど、それはあながち間違っていなかった。広く浅い交友関係を築くのは昔から得意だ。そのおかげでこんな同僚とも苦労せず仕事ができている。

「ふんわり仲のいいやつはいるけど友達にはいれてねえよ。本当に仲のいいやつは一人しかいない」

 本人に言ったりはしないが、その一人だけで十分だと思っている。ただ最近は向こうが忙しそうで、こういう時に気軽に誘える奴がいなくなるのは不便に感じているところだった。

「連絡先はたくさん入ってるけど実際にやりとりしてるのはちょっとしかいないタイプか」

「お前は入ってる連絡先そのものが少ないタイプだろ」

 ウィンカーが出る。渋滞のせいで連なっている車の列から抜けて左に曲がった。現場はすぐそこ。生活感はあるが人の姿が見えない住宅街だった。


 孤独死だった。よくある、と言ってしまえば冷たいが、本当によくあることだ。この仕事をしてると特に感じる。

 公国の建国以前からの問題であった未婚率の高さゆえの孤独死件数増加は一向に解決しない。LMIのおかげで建国前のように亡くなってから何日も後に発見されて遺体が腐乱しているなんてことはないが、家族もおらず一人で倒れている老人の体を見ると漠然とした不安を感じる。

 自分も将来こうなるのだろうか。もうすぐ三十になろうかという歳で結婚適齢期の後半に差し掛かっている。病院や介護施設にでも入れば一人ではないのだろうが、老いた自分が一人家で伏しているいる様子がちらつく。最近では孤独死体を見る度に結婚を意識するようになった。

 消防局に連絡しているイズモの声を背中で聞きながら遺体に手を合わせる。消防局の人が来たら現場を引き継いで、それで俺たちの仕事は終わりだ。

 今日の仕事はその一件だけだった。

 適度に賑わった居酒屋で、大して忙しくもなかったのに「お疲れさま」とグラスを合わせる。周りは仕事終わりのサラリーマンで溢れていた。明日は水曜日。普通なら平日だが、LMB局員にとっては休日だった。

「平日が休みって得してる感じしていいよな」

 乾杯の流れでビールを一口だけ飲んでテーブルに置く。飲み会と言えばこれ、みたいなところのある苦い酒はあまり好きではなかった。もっと甘い方が飲みやすい。例えば隣のテーブルで女の人が飲んでるカシスオレンジみたいな。

「そうですか?平日休みだと予定合わせづらくて俺は嫌なんスけど」

 誰と、とは言っていないがどうせ女だろう。

「ちょうどいいじゃないですか」

 一気にビールをジョッキ半分ほどまで飲みきったユノは口の端を上げてそう言った。

 今日一緒に現場に行かせたおかげでチャラ男にはだいぶ慣れたらしい。肝の据わった子だとは思っていたが病的な女好き相手にこの態度が取れるなら大丈夫そうだ。それから俺の方を見て「聞いてくださいよ」と話し出す。

「行き帰りの車の中でずっと話しかけてくるんですよ。私が無視してもずっと。彼氏いるの?とか好きなタイプは?とか。挙句の果てには、俺はどう?付き合ってみない?なんて言ってくるし」

「でも仕事はちゃんとしてたでしょ。イチキって遅刻はするけどサボんないよね」

「してましたけど、現場以外でずっとうるさいんですよ。行きはまだしも帰りもですよ?亡くなった方を見たばかりなのに不謹慎じゃないですか?」

 向かい側に本人がいるにも関わらず容赦のない非難だ。俺としては仕事をしてるならそれでいいが、彼女はそうもいかないらしい。

「あんまり亡くなった方に肩入れしてもしんどいだけだしね」

「さすがナジマさん!わかってますねー」

 調子に乗ったイチキは愉快そうに笑いながら酒を飲んでいるが、隣のユノは納得いかないようだった。なんとなく彼女がシンジュクから移ってきた理由がわかった気がする。

「でも…」

「故人を偲ぶのはいいことだけど、あんまり思いつめるとしんどいでしょ?割り切った方が楽だよ」

 イチキのようになれとは言わないけど。ちゃらんぽらんが一人増えるのもそれはそれで困る。

 しばらく視線を落としていたユノだったが、一先ずは納得したように頷いた。

「けど車内で口説いてくるのは嫌です」

「それは無視してれば実害ないよ」

 根っからの女好きで女性とみれば年の差があろうとあまり綺麗でなくとも声を掛けるイチキだが、強引に迫ったり合意なく襲ったりはしない。ただ相手がこちらに気を向けるまで声を掛け続けるだけだ。それでもだいぶ迷惑だとは思うけど、家の前をずっと選挙カーが通ってる程度のものだ。

「私これからもこの人とペアなんですか?嫌なんですけど」

「じゃあどっちかがイズモと組むことになるけど」

「イチキさん、イズモさんと組んでください」

「絶対やだ。後輩だろ、カスミちゃんが組めよ」

「口説いてくる上に面倒ごと押し付けるんですか!」

 さいてー!と言って残りのビールを飲みきったユノを主任はにこやかに眺めている。いつの間に酒を飲んでいたのか、主任の周りには日本酒の瓶が二本ほど立っていた。にもかかわらず表面上は一切変わっていない。

 頬が赤らむ兆しさえない主任は言い合いを続ける部下二人から俺へと視線を移した。

「そういえば、今日イズモくんは?」

「先約があるそうで欠席です」

「今回はまともな理由だね」

 軽く笑ってそう言った主任は通りがかった店員に自分とユノの分の酒を追加注文した。ユノはともかく主任はまだ飲むんですか。

 新入りに面倒ごと呼ばわりされたイズモには、一応店の場所は教えてある。が、気分が乗る乗らない以前に予定があるから来ないだろう。今頃ここよりずっと高い店で友人と二人食事を楽しんでいるに違いない。

「イズモさんマジで飲み会来ないですよね。ていうか、ナジマさんいつもイズモさんと組んでますけど嫌じゃないんですか」

「別に嫌じゃないよ」

 楽しいわけでもないが。どちらかというとイチキとの方が楽しそうだなとは思う。

 俺の返事に後輩二人はあからさまに顔をしかめた。ゲテモノ好きを見るような目はいただけない。

「あの人と何話すんですか?」

 先輩と仲良くなろうと好意で出したお茶をイズモにいらないと一蹴されたユノはもう完全にイズモを嫌ってる。あんな性格悪い人と話さない方がいいですよ、とまで言ってくる始末。慣れれば平気になると思うんだけど。

「今日は車にサイレンつけたいってのと連絡先に入ってる友達の数の話だった」

「…なんですかその話」

 イチキもユノも揃って首を傾げている。あの人雑談なんてできるんですか、と失礼なことを口走ったのはイチキの方だった。

「だいぶ前一緒に現場に行った時なんかこっちが気遣って話しかけてんのに「知らん」か「興味ない」しか言わなかったんですよあの人」

 ご丁寧にモノマネまで添えてくれた。吐き捨てるような低い声が微妙に似ていて面白い。

「イズモは付き合いが長いと喋るようになるよ」

「マジっすか。ナジマさんはイズモさんと長いんですっけ」

「うん、もう七年くらい」

 イズモとは同い年で、彼が入局してからの付き合いだから数字にすると随分長く感じる。

「へえ…二人は同期ですよね」

 同い年だし、と言うイチキに首を振る。少しこみ入った話になるが、同い年ではあるものの同期ではない。

「同期じゃないよ。俺の方が四年先に入ってる」

 俺は今年で勤続十一年。イズモはまだ七年だ。一応は後輩であるが、こちらが少しでも先輩面しようものなら容赦なく真正面から罵られる。

「え?でも同い年じゃないですか」

「イズモは大学行ってたからね」

「そんなの当たり前じゃないですか」

 枝豆を食べながらユノは首を傾げる。同じようにイチキも首を傾げていた。なんだかんだでこの二人は仲良くやっていけそうだ。

 ユノが言うようにLMB局員にとって大学を卒業してるのは当然だった。そもそも入局試験を受けるのに必要な資格の一つだ。けれど、何事にも裏道というものはある。そのことに先に思い至ったのは裏道を使った経験のあるイチキだった。

「あっ、俺と一緒ってことですか?」

「国立大の裏口入学と一緒にしないでほしいけど、まあそんな感じ」

「え?」

 未だわかっていなさそうなユノにわかりやすく教えてやる。

「高校卒業してすぐLMB入ったんだよ。ちょっと特殊な方法で」

 念のために言っておくが、多分法には触れていないし裏口入学ほどあくどいやり方でもない。ただまあ頼ったものが裏口入学とさして変わらない、というのは若干心苦しい点ではある。

 しばらくしてようやく俺の言ってることを理解して項垂れたユノからは「そんな人だとは思いませんでした」という言葉をいただいた。それから俯き加減の姿勢で下からイチキを睨みつける。

「あと大学の裏口入学ってなんですか」

「俺の親、アダチ区長、政治家」

「腐ってる…」

 確かユノはイチキと同じように国立大出身だった。真面目に勉強して入ったんだろうことは性格からわかる。けれど残念ながらこの国は大公が治めている公国であり貴族が社会を回している。能力より権力が重視されるのも当然。政治家というのも下級貴族の言い換えのようなものだ。下級だろうと国立大への裏口入学くらいはさせてくれる。

「ナジマさんはなんですか」

「え?」

「高卒でLMBに入れるんだからやっぱり貴族とか?」

「俺も知りたーい」

 二人揃って俺の顔を見つめてくる。それをにこにこ眺めてるだけの主任の周りには知らないうちに酒瓶がまた二本増えていた。さすがの酒豪である。

「貴族じゃないよ。親も親戚もみんな平民」

「じゃあなんですか」

「んー…」

 正直に言うかどうか悩みながら視線を上に逃がす。ちょうどその先には吊るされたテレビがあって、この時間はニュースが放送されていた。また内務大臣の記者会見だ。右上にはLIVEの文字。マイクの前に立った男がカメラに向かって堅苦しい口調で話し出す。ここのところ散々やってるしもういいだろ、と思った。

 LMIを持たない外国人の暴動が相次いでいるらしい。その中でも特に不法入国者が派手に暴れ回っていて鎮圧してもキリがない。今日の昼はシブヤで警察官に殴りかかったんだそうで、紺色の警官服と暗緑色の軍服が混じって制圧にかかっている様子が撮られていた。これからもっと過激化していくだろう、という話を俺と年の変わらない内務大臣は淡々と伝えてくる。その声がやけに耳に届くのは店が空いてきているせいか。明日はサラリーマンにとって普通に仕事がある日だ。

 俺が後輩二人にどう答えるか迷っていると、この時間なのに新しい客が来たのかドアベルが鳴った。そちらに視線をやったのは本当になんとなくだったのが、おかげで俺は答えにくい質問に答えずに済んだ。

「イズモ」

「…なんでまだ飲んでるんだ」

 時間は二十三時。あと一時間もすれば日付が変わる。

 あからさまに顔をしかめたイズモは、俺たちのテーブルに近寄ることなくカウンター席に座った。その後ろには背の高い女の人を連れている。

「あれ、イズモさん!」

「うるさい黙れ」

「こっち来て飲みましょうよ」

「嫌だ。大体なんでまだ飲んでるんだよ」

「明日休みだからだよ」

 俺の返事にグッと顔をしかめたイズモは、俺たちに背を向けてカウンター席にしがみつく。その頑固な男の袖を連れの女性は遠慮なく引いた。

「知り合い?一緒に飲もうよ」

「知らん奴だ」

 同じ会社の同僚だよ。バレバレなウソをつくな。

 連れの人は髪は長く服装も女性らしいが、女性らしさよりも芯のある強そうな印象を受ける。背も高くて、数センチのヒールを履いてるだけで俺と身長は変わらなさそうだ。この人がイズモの唯一の友人だろうか。女性なのは少し意外だったが、あの性格だから性別でわけていたら友人なんて本当にいなくなる。

「イズモさん!こっちで飲みましょうよ!」

 基本的に騒がしくて人の多い場所を好むイチキは遠慮なく苦手な先輩でも呼び入れようとする。向かいからその様子を見ているユノは明らかに嫌がっているが。

「呼んでるよ、行こう」

「嫌だ」

「しょうがないな」

 呆れたようにため息をついた女の人は諦めるかと思ったが、イズモの腕を引っ張って無理矢理椅子から引きずり下ろした。掴まれている腕とは逆の手でビールを持ってるイズモはろくな抵抗もできないままこっちのテーブルに連行されてきた。近くの空席から持ってきた椅子に座らされて、不満げな表情を俺に向ける。

「なんでまだいるんだ、さっさと帰れ」

「さっきも言っただろ、明日は休みだからだよ。そっちの人は友達?」

「普通彼女じゃないですか?」

 興味津々といった様子でイズモの連れを眺めているイチキは当然のようにそう考えている。そう考えているからこそ、眺めているだけで口説きはしない。さすがに彼氏の目の前でちょっかいを出すほど節操なしではないらしい。

「今日イズモがね、友達と飲みに行くって言ってたから」

「ナジマさんって本当にイズモさんとまともに話せてるんですね」

「お前は俺を何だと思ってるんだ」

 ユノの言葉にイズモは噛みつくが、今日入ったばかりの新人はそれを無視して酒を煽る。この子は意外と長くここでやっていけるかもしれない。

「イズモがまともに話そうとしないからだろ。…おい、イチキ」

 斜向かいに座る後輩はテーブルの上に身を乗り出してイズモの連れの手を握っていた。彼女じゃないと知るや否やこの有様だ。急すぎるし失礼だろ。放任主義が過ぎる上司はただ笑ってその様子を眺めているだけだった。七本目の酒瓶はもうすぐ空になる。

「お姉さんこの後暇?俺と二人で飲まない?」

「遠慮しておくよ」

 挨拶もなしに誘ってくるような男に笑顔を浮かべながらもきっぱりと断った彼女は、その上さりげなく握られている手を解いた。

「すみません、イチキはこういうやつでして」

「構いませんよ。セナの同僚の人?」

「はい」

 こちらに向き直った女性は背筋をスッと伸ばす。威圧感さえありそうなほどの堂々とした姿勢に少々面食らった。見た目は女性らしいが振る舞いが女性らしくない。

「はじめまして、セナの友人のワクラミコトと申します」

「どうも、同僚のナジマヒロトです」

 彼女につられて姿勢を正してから頭を下げる。

 挨拶をする友人と同僚を眺めながらイズモは手にしたビールを飲んでいた。試しに俺が始めに頼んでから半分ほどしか減っていないビールを差し出すと、一口含んだ後に温いと突き返されてしまう。

「ワクラさんは何のお仕事をされてるんですか?」

「公国軍で大佐をやっています」

 つまり軍人。ものすごく納得した。見た目は綺麗な女性なのに、それ以上にたくましさを感じる。さっき彼女に感じた威圧感は軍人独特のものか。

「軍の方ですか。だったら最近大変でしょう」

 具体的な内容は口にしなかったが、最近ずっとニュースを騒がせている暴動の件だ。彼女にもそれで伝わったらしい。

「ええ。でも大丈夫ですよ。私たちの仕事は要人警護だけ、本当に大変なのは警察の方です」

 軍も協力すればいいんですけど仲が悪くて、とひそひそ話のように落とした声で言ってから二ッと笑った顔は明るくて、本当にイズモの友人なのかと疑ってしまう。イズモはこの笑顔に笑い返すことはあるんだろうか。まったく想像できない。

「…帰りたい」

 ぼそっと呟いたイズモは本当に嫌そうな顔をしていた。その表情をちらっと確認したワクラさんは、しかし何をすることもなく手にしたビールを飲んでいる。この男のわがままは彼女には通じないらしい。

「なんで来たんだお前は」

「ミコトが居酒屋で飲みたいと言い出したんだ。お前らはもう帰ってると思ったからここに入ったのに」

 子供が言い訳するような口振りで言ったイズモは、最後に「なんでいるんだクソが」と付け足してジョッキの残りの飲み干した。

「こんな奴と働くのは大変でしょう」

 ワクラさんの言葉に曖昧に笑っておく。否定はできない。

「まあでも、仕事はできますよ。それ以外がちょっと、あれですけど」

 だいぶ濁した言葉に彼女は声を上げて笑った。

 結局日付が変わるまで店に居座った俺たちに、イズモとワクラさんは最後まで付き合ってくれた。初めて新人の歓迎会に参加したイズモは「今回参加したから次からは誘わないでくれ」と言っていたので、恐らく次からは俺じゃなく主任から直接声がかかることになる。

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