8話 夏休み②
誰よりも早く道場に来て、全員を見送ってから道場を去る。
これが、玄武館高校栄極空手部新部長である僕の務めだと、牧野真締は今日も静まり返った道場へ一礼し、帰途に着く。
なんとも、暑い。
コンビニの前でアイスクリームを食べる子どもたちを見て、誘惑が漂ってくるけれど、下校中の買い食いはみっともないと、自転車のペダルを思い切り踏み込んで断ち切ろうとする。
しかし。
「あっ」
家に帰る前に、寄る場所がある。
チャイムを鳴らし、姿勢を整える。万が一、親御さんが出てこられても、礼儀正しく挨拶ができる構えになっておく。
扉が開くと。
いつも通りの、寝起き顔だ。
「ほら、今日はアイスクリームを買ってきた。溶ける前に、食べよう」
まだ頭が回っていないのだろう、ぼおっとした顔で突っ立つ寝ぼけ眼の真ん前に、コンビニの袋を差し出す。
「め、め、珍しいね、真締が」
「何か差し入れがあった方がいいと思ってな。それよりも、上がっていいか、政影」
夏の合宿、インターハイと忙しく、真締が宮口政影の家を訪れるのは数週間ぶりのことであった。
「見たよ、インターハイのえ、映像。真締、か、かっこよかった。真締の試合だけ、よ、4回見た」
「そうか、それはよかった。応援の1年生に撮影を頼んでいたんだ、彼にも今度礼を言うといい」
アイスクリームを食べる前に、床屋にも行っていないのだろう、伸びきった髪をかきあげ、政影はポニーテールに纏めた。
「その髪、暑くないのか?短髪はいいぞ!風を感じて爽やかだ!」
「ま、真締は、短い髪の方がいいと、お、思う?それなら」
机の上からハサミを取ると、纏めたところから突然髪を切ろうとする政影を、真締は慌てて止めた。
「極端になるな、いいか、夏休みが明けて、新学期になる前に床屋にでも行ってくるといい。そして、部活にもよければ顔を出してもらいたい。新チームには、お前の力が必要なんだ」
ハサミをくるくると回しながら、真締と目を合わせたり逸らしたりを繰り返し、「が、が、がんばる」と政影は声を絞り出した。
「外には、出ているのか?」
しばらくの沈黙の後、「う、うん、この前、夜中に、コンビニ」と政影。
「そうか。それでも、第一歩だ。いいぞ、無理は禁物だ、一歩一歩、スモールステップで進もう」
真締の言葉に頷きながら、カレンダーを見たり、指折り数えたりして、「もう半年以上か」と呟く政影。
特に何か理由がある訳ではなかった。いじめられた訳でもなければ、学校が嫌だという訳でもなかった。ただ、なんとなく外に出ることが嫌、という時期が定期的にやってくるのだ。
まあ、理由になるか分からないけれど、ママが家に男を連れ込んでいない期間と、いつも被ってはいる。
いずれにせよ、外に出ない生活を送っていたら、ただでさえ出不精だったのに、更に外に出ることが苦痛になってしまったし、ただでさえ人付き合いが苦手だったのに、人と関わることが億劫になってしまった。真締を除いては。
「さて、そろそろお暇しようかな。また、部活帰りに寄るから、顔を見せてくれ。学校に行くなら、いつでも迎えに来るからな。おっと」
アイスクリームの包みが、真締の手から滑り落ちた。
ひらひらと落下する包みが、まるで吸い寄せられるように、政影の手に収まる。
「やっぱり、お前の目は特別なんだ」
真っ直ぐな真締の目を直視することが出来ず、視線をふらふらとさせながら、
「真締がそう言ってくれるから、ちょ、ちょっとだけ、この目が好きになった」
うへ、へへ、と照れたように笑う政影。
「そうだ、僕はお前の目を誇りに思う」
真締の言葉に、顔を真っ赤にして俯いたまま、政影はアイスクリームの包みを弄っている。
「それじゃあな、体に気をつけるんだぞ」
立ち上がり、部屋を出る真締の背中を、慌てて政影は追いかける。
玄関で靴を履き、今にも出ていこうとする真締のワイシャツの背中を軽く摘み、「ま、待ってるね」と声を振り絞る政影。
「ああ、また来るからな!」
玄関のドアが閉じきるまで、隙間から見える真締の姿を、政影の目が追っていた。
自転車を勢いよく漕ぎながら、先ほどのアイスクリームの包みを受け止める政影の手の動きを思い返す。
落下の軌道を完全に読み切って、それを捕捉する動体視力があれば、あんなにも最小限の動きで落下先へ先回り出来るのだ。
凄い。やはり政影は凄い奴だ。
それに。アイスクリームの包み。
僕1人だったら、きっと食べなかっただろう。
口の中に微かに残るこの甘い味は、政影のおかげだ。