6話 インターハイ②
インターハイ2日目。
男子団体、圧倒的な注目を浴びるのは、昨日の個人戦で4人の優勝を成した応竜高校である。
団体戦でも、選手5人が揃って負けなしで勝ち上がり、準決勝、ついに玄武館高校と激突する。
稲川太多は、幼い頃から運動神経抜群で、あらゆるスポーツに打ち込み、選手の座を勝ち取ってきた。
サッカー、陸上、水泳、器械体操。しかし、高校生になって初めて挫折を経験した。
初めは体育の授業であった。歳は同じなのに、全てにおいて敵わない。明らかな才能の差。応竜高校栄極空手部現部長、鳳田仙花。彼に少しでも近づきたくて、栄極空手をはじめた。
入部してからも、挫折の連続であった。鳳田仙花どころではない、他の同学年の者にすら歯が立たない。当然といえば当然で、名門応竜高校には腕に覚えある者しか集まらず、稲川太多のような初心者が入部することは稀なのである。
それでも、3年生になり、ついにレギュラーの座を射止めた。憧れの鳳田仙花と同じチームで、高校最後の夏を戦える。
昨日の個人戦では、よくわからない1年生に負けた。屈辱だ。
その相手と、もう一度戦えるとは。鳳田仙花の前で、恥ずかしい戦いは出来ない。
向かい合うと、背が高いとは言えない稲川太多よりも、さらに小柄である。
「始め」の合図とともに、間合いへ入る。稲川太多の戦法は、ノックアウト狙いではなく、速い打撃で有効打を多く入れ、ポイント先取での勝利を狙うものである。
近間に入る。昨日はここから、流れるように捌かれた。同じ間違いは犯さない。相手の動きの起こりを見て、カウンターを決めてやる。
あれ。
あれ。
あれ。
右側頭と左脇と右大腿、ほぼ同時に痛みが走って、審判の旗が上がる。
いつも、自分がやっていることを、さらに高い精度で、しかもさらに重い打撃で。一瞬意識が飛んで、気がついたときには床に膝をついていた。
試合場から下がる際、欠片も表情を崩さずに次鋒戦を見つめる鳳田仙花が視界に入った。
端から、自分は期待されていなかった。
呆然としていると、いつの間にか鳳田仙花が隣にやってきていて、腕を組んだまま一言。
「まだ夏は終わらない」
言葉が脳内にゆっくりと響いて、声のした方へ顔を向けた時には既に彼はいなかった。
慌てて、目で追う。
追いかけ続けた彼の背中は、ずっと自分のことを待ってくれていたのだ。
まだ夏は終わらない。両頬を思い切り叩き、次鋒戦の応援に加わった。
(先鋒戦 ○真幌空-稲川太多● 真幌空の勝ち)
鳳田王花は、偉大な兄、鳳田仙花と何かに付け比較されていた。
学力では到底敵わない。かといって、運動でも大目に見て互角かそれ以下である。
ありがちだが、グレた。喧嘩に明け暮れる日々。不思議と、喧嘩では誰にも負けなかった。兄弟喧嘩ではいつも負けていたのに。
中学校の卒業式があった日に、突然兄から呼び出された。1学年上の兄は、中学時代も習っていた栄極空手を続けるために、応竜高校へ入学していた。その高校の道場。
道場には、兄と自分だけだった。突然、グローブを渡され、「かかってこい」と一言。
周りから比較され、自分なりに兄と釣り合うよう努力したが、何一つ上手くいかなかった。喧嘩くらいは、勝ちたい。
それでも。
8回、床に大の字で転がされた後、鳳田王花は叫びながらも立ち上がることが出来なくなった。
肺が破れそうだ。全身が痛い。
それでも、それでも。
兄が差し出した手を引き込んで、三角締めを極めようとした。それすら、あっさりと躱されて、顔面へ寸止めの掌底を見舞われた。翌日から、鳳田王花は栄極空手の道に進んだ。
今向かい合っている相手は、どうも大真面目な、優等生って奴だ。普段は多分、メガネかけて委員長とか呼ばれてそうな奴だ。デカイ声で「お願いします!」なんて言いやがって。
それなのに、構えた途端にヤバイ匂いがした。基本に忠実な打撃と、足捌きと、技と。基本に則った一つ一つの完成度が、やたらと高い。
きっと、物凄く稽古を積んだ奴なんだろう。
お節介な優等生は嫌いだけれど、真面目な奴は好きだ。そして、自分の弱さに向き合っている奴は尚更好きだ。
楽しいなあ。でも勝つのは俺だ。
基本に忠実な動きは読みやすい。拍子をズラして、体勢が崩れたところに、踵落とし。傍から見たら残酷かもしれないが、俺なりの最大限の敬意だ。
それを、奴は寸でのところで躱しやがった。左のこめかみから血を流しながら、真っ直ぐに向き直る。
ああ、笛の音だ。もっとやり合いたかったな、おい。
(次鋒戦 △牧野真締-鳳田王花△ 引き分け)
鳳田仙花は腕組みを解き、2度軽く跳躍した。
稲川の負けは想定内だ。あの真幌空に、中量級以下で敵う相手は世界中探してもなかなかいないだろう。個人的には、自分が戦ってみたかった。
王花の引き分けも、ある程度は想定していた。決して、王花の調子が悪かったわけではない。相手の牧野真締は、相当な努力家なのだろう。試合の中でも、稽古通りに自然と体が動く程に、動きが染み付いている。それも、おそらく幼少の頃から続けているだろう。
王花にはとてつもない才能が有る。しかし、経験がまだまだ不足している。それでもお前には、あと1年の時間がある。
とりあえず一旦、思考を切り替えよう。
相手の名は、よく知っている。隙山刀利。愚直なまでに正々堂々と戦う男だ。
中学時代、初めて試合をした際に、生まれて初めて敗北のイメージが過ぎった。その瞬間、逃げの戦法に出てしまった。相手を倒す戦い方ではなく、印象の良い有効打を放ってポイント勝利を狙う戦い方に切り替えた。
結果試合は勝利したものの、勝負には負けたような気がした。正直、何をやっても人並み以上のことは出来て、あまりのめり込む物事はなかったのだが、この試合がきっかけで栄極空手と真剣に向き合い始めた。
今こうして拳や足刀を交わしていると、感謝の気持ちが溢れてくる。間違いなくこの相手は、自分が高みに登るために必要な物を教えてくれた。
なんて。
綺麗事ではなく、本音を言ってしまえば、自分の中の闘争本能を呼び覚ましてくれたことに、礼を言いたい。あのような、逃げて得た勝ちでは、喜びも何もない。
真っ向から相手を打ち崩してこそ、至福なのだ。
周りからは、完璧な人間だと思われていることだろう。それは、驕りでなく、事実だ。
しかし。
本当の自分は、闘争に喜びを感じ、相手を壊すことを厭わない。
昨日も、真っ向から顎を打ち抜いてやった。それでも、この男の闘志は折れないらしい。
頬を、相手の拳が擦っていく。ガラ空きになった顔面に、肘を叩き込んだ。
控えに下がって、朱に染まった肘を拭いていると、稲川に「ありがとう」と言われた。
何に対して、だろうか。
ああ、綺麗事を取り戻さなければ。思考を切り替えよう。
「ああ、3年間頑張ったお前の夏を、簡単に終わらせたりはしないさ」
(中堅戦 ●隙山刀利-鳳田仙花○ 鳳田仙花の勝ち)
柳永太郎が試合場に立つと、会場がどよめく。
2メートル近い長身と、異様に長い手足。その手足を、脱力したようにブラブラとさせて、構えもどこか動物のようだ。
勉強が出来なかった。他人との関わりも苦手であった。何か失敗すると、思わず暴れだしてしまった。ただでさえ体の大きい柳永太郎である、周りの人間は離れていった。もしくは、離れたところから攻撃をした。
たまたま、いつものように遠くからエアガンで撃たれ、痛みに吠えて暴れながら相手を追いかけている時に、応竜高校栄極空手部の顧問が通りかかる。泣きながら暴れる柳永太郎を優しく抱きしめた。
その時の感情を表現する言葉を、柳永太郎は持ち合わせていなかった。しかし、この人は良い人だと思った。この人の言うことを聞きたいと思った。
栄極空手をはじめてから、以前よりも自分をコントロール出来るようになった。暴れることも減り、戦いのなかで相手の感情が少しだけ伝わってくるようなこともあった。
でも。
今の相手は、「怒ってる。」日本の人じゃないみたいな顔で、髪が金色で、目が青くてかっこいいと思ったのに、その目が凄く怖い。
でも僕に怒ってるんじゃないみたい。うーん、さっきの頭がツルツルの人、痛そうだったから、それで怒ってるのかな。この人、絶対あのツルツルの人のことが好きなんだ。
痛い、すっごく速い蹴り。
でも、僕の脚の方が長いもん。ほら、当たった。
手だって、僕の方が長いから、遠くから打ったら僕の方が先に届くよ、ほら。
先生も見ててくれる。頑張るんだ、僕が勝ったら、みんなも喜んでくれるよ。
また、同じタイミングでパンチしたら、僕の方が。あれ?
なんか、この人、段々速くなってる。痛い、痛い、痛い。
痛い!
「うわぁぁぁぁああ!」
パンチとキックを、デタラメにやるんだ、そうしたらみんなビックリして・・・。
いつの間にか、相手が顎の下にいる。あぶない!
思いっきりジャンプするのが少し遅れていたら、きっと顎に相手の蹴りが入ってた。
(副将戦 △グレン・カルカロフ-柳永太郎△ 引き分け)
海宇虎彦は、幼い頃から「強くあれ」と育てられてきた。父が、栄極空手界では知らぬ者がいない程の大物であったこともあり、厳しく技能を叩き込まれた。
その父を、中学2年生の時、打ち負かした。とはいえ、嬉しいという感情はなく、父は老いたのだと悲しくなっただけであった。
道場でも、学校でも、試合でも、自分を脅かす存在がいなくなり、高校に上がると同時に別の道を歩もうかと真剣に悩んでいた。
しかし。
テレビで見ていた世界大会に自分と同い年の選手が出場し、あろうことか優勝するという奇跡を目の当たりにしてしまい、武者震いが止まらなかった。
父は、「真幌一族がついに表へ出てきたか」と見たことのない表情で驚いていた。自分としては、階級が軽量級と重量級であまりにも離れていることが残念であった。それでも、稽古でもよいから一度拳を交えてみたいと思った。
県外ではあったが、国内で最も選手層の厚い、応竜高校へ進んだものの、そいつの姿はなかった。
しかし、自分が栄極空手を続けるに値する人間が、応竜高校には僅かにいた。
顧問は父の古くからの知り合いだといい、確かに指導は丁寧で、学ぶものがいくつかあった。
先輩では、1番は鳳田仙花さん。この人は強い、だけでない。腹の中に黒いものを飼っている。立ち会いの中で、ヒリヒリとしたものを感じることが出来る。
あまりインターハイには興味はなかったが、真幌空の立ち会いを見ることができた。
そして、この男。
昨日、俺に唯一拳を当てた男だ。
体格は、同程度。つまり、かなり恵まれている。
試合場に入る前、真幌空に何やら話しかけていた。そうか、こいつは毎日のように世界王者と稽古が出来るのだ。
自分が戦う意味を、価値を、見いだせる相手が近くにいることは幸せだ。
地を踏み、体全体を前方へ飛ばす。勢いの乗った蹴りを、相手は真っ向から受け止めた。
昨日とは、相手の気合の乗り方が違うようだ。随分と張り切って拳を放ってくる。左脇を狙った拳も、肘で撃ち落とされた。よく動きが見えているようだ。
しかし、一瞬の隙がある。昨日と同じように、相手の腹へ俺の膝がめり込んだ。
激痛。
この男、鳩尾に拳を伸ばしてきた。膝がぐらつく。体勢を立て直しざまに、相手の顎を下から打ち抜いた。
足元に倒れた男。大山龍拳か。
この鳩尾が痛む間くらいは、覚えておこう。
(大将戦 ●大山龍拳-海宇虎彦○ 海宇虎彦の勝ち)
「刀利!刀利!!」
医務室のベッドで目を覚ます。鼻筋に鈍い痛みがある。
「うう・・・刀利~」
ベッド脇で、刀利に縋り付いて泣くグレンの頭に手を置き、大きく息を吐く。
「すまなかったな」
置かれた手に髪を擦りつけるようにして首を振る、グレン。
「地元に帰ったら、お前の行きたがっていたあの、甘味の店に行こう」
鼻をぐしゅぐしゅとさせ、涙声で「スイーツ食べ放題の?」と返すグレン。
「たまには、いいだろう」
窓の外からひぐらしの鳴き声が染み込んできて、夏の夕空が鮮やかに焼けていた。
「うん、負けたよ。相手が強かった。でも、来年は負けたくない。そのためには、とことん稽古だ!お前も、早く学校に来て、稽古しよう。まずは、夏休み中に家から出るんだ」
道着を畳みながら、電話をする真締。
「秋からは新チームになる。お前の力が必要だ、政影」
刀利とグレンに一礼し、医務室を出る龍拳。
昨日と同じ場所を膝で抉られただけでなく、顎まで打ち抜かれてしまった。
グローブをしていなかったら、と思うとぞっとする。
腹と顎をさすりながら歩き出そうとして、廊下の向こうで空がこちらを見つめていることに気がついた。
「ああ、空くん・・・。また負けちゃった」
真っ直ぐとこちらを見る目に、思わず吸い寄せられるように空を抱きしめてしまい、ふと我に帰って「ごめん!」と離れる。
空の表情は変わらない。
すっと、空の手が、龍拳の腹の痛むところを包むように撫でる。
「んっ」と背伸びをして、顎も撫でようとする。
たまらなく胸がいっぱいになって、今度は自分の意思で、空を抱きしめる龍拳であった。