2話 コロッケ
教室や、廊下がざわついている。
「どの子?」、「ほら、あれだよ、真幌ちゃん」、「やばい、めっちゃ可愛い」、「もう話した?」、「誰もまだ話せてない、頷いたり首振ったりするだけ」、「でもそれがまた可愛い」、「格闘技の世界チャンピオンなんだって」、「可愛い・・・」等々。
龍拳は窓の外を見ながら貧乏ゆすりをしていたが、とうとう我慢出来なくなり、席を立った。
途端に静まり返る、ざわつき。
自分が静まり返らせてしまったことに対して、胃が痛くなる。いそいそとトイレに逃げ込んで、それにしても「空くんは大変だな」、と思う。
もう、男子校のアイドル状態だ。
露骨に女の子扱いするような輩が多い。「空くんはどう思っているのだろうか。」
相変わらず感情の読めない顔で、淡々と学校生活を送っているけれど。
部活でも、玄武館高校栄極空手部の猛しごきに、表情一つ変えずついていっている。龍拳を含め他の1年生は、稽古が終わったらぶっ倒れてしばらく立つことが出来ない。そんな空の表情を少しでも変えてやろうと、先輩方や同級生も本気になってかかっていくけれど、やはり空は強い。
春の地区大会の団体メンバーが発表された。
栄極空手の団体戦は、5人制で、先鋒(軽量級)、次鋒(中軽量級)、中堅(中量級)、副将(中重量級)、大将(重量級)が1チームとなる。
先鋒は当然のように、真幌空の名が呼ばれた。
次鋒は、牧野真締。2年生の先輩だが、龍拳の抱いた印象は「名前の通り大真面目な人」というものだった。典型的な、学級委員長タイプ。玄武館高校一の秀才。
中堅は、隙山刀利。3年生。頭をスキンヘッドに剃りあげて、冷静沈着。あだ名は「和尚」。
副将は、3年生のグレン・カルカロフ。ロシアとのハーフで、ファッションモデルのバイトをしているとの噂もある金髪イケメンだ。
大将は、大山龍拳。顧問の先生が、期待を込めた目で龍拳を見つめる。
栄極空手の名門である玄武館高校であるが、その中でも史上最強のチームが出来上がったと、巷では騒がれている。
メンバーが発表された日の稽古はいつもより早めに終わり、まだ日の出ているうちに帰路へつく。
龍拳と空の「約束」は、結局伸びに伸びて、まだ実現していなかった。今日こそは。
道場を出て、空の姿を探していると、気配なく真後ろに立っていて、龍拳からは「おふっ」と声が漏れた。
空の表情は相変わらず、のように見えて、少しだけ期待が込められた目に感じた。じっと龍拳の顔を見つめている。
「よし、コロッケ、行こうぜ!」
こくん、と頷くのも、少しだけ勢いがよかったように思う。
商店街は賑わっていた。
「久しぶりに明るいうちに帰れたな」
並んで歩いていても、声を発するのは龍拳だけである。しかし、この数週間毎日のように一緒に帰っていたら、それにも慣れた。
「ずっと行けなかったもんな、水曜日は部活休みって聞いてたのに、型と基本稽古は各自やれって、先輩方もやってるのに帰る訳には行かないもんなあ・・・」
やや伏し目がちでいつも歩く空が、ふっと顔をあげて、鼻をくんくんっとさせた。
「俺、買ってくるから、待ってて!」
龍拳が駆け出す。「おばちゃん、久しぶり!コロッケ4・・・5個ちょうだい!」
龍拳の背中をじいっと見つめる、空。
そこに。
「うぇーい、どーん!」
学ランを着崩した集団が現れて、その中の1人が空にわざとぶつかっていった。
半歩、すり足で後ろに下がる、空。コケる、学ラン。
嫌な爆笑と、「なんだこらぁ、お前足かけたろ!!」という理不尽な言い掛かり。
空の胸ぐらに伸びる、手。
その瞬間、空は、恐ろしく綺麗に笑った。
「ちょ、タンマ、やめろって」
学ランの輩が伸ばした手を掴み、空を守るように立ってそれを止めた、龍拳。
「なんや、邪魔するんか・・・い」
龍拳の風貌を見て、意気消沈する学ラン集団。もごもごと何事か残し、水が引いていくように退散して行った。
「空くん、ごめん・・・」
龍拳は、一瞬ではあったが、空のあの顔を見ていた。しかし、なんと言えばよいのか分からない。
空は、既にいつもの表情に戻り、じっと龍拳を見つめている。
「い、行こう。向こうの公園でさ、食おうぜ」
先に立って龍拳が歩く。今は少し、空の顔を見るのが怖く感じる。
公園の芝生の上に座り、コロッケを食べる。
両手に持って齧りつく空の顔は、龍拳の目にはどことなく無邪気に映る。
「美味い?」
こちらを向いて、こくんと頷く。龍拳の顔を見つめたまま、再びコロッケに齧りついた。
「さっきさ、俺、止められてよかったって思う。間に合ってなかったら、あいつら、死んでたんじゃないかなって」
冗談めかして口にしたが、内心本気であった。
あの時の空は、躊躇なく襲ってきた者の息の根を止めるような気がした。
もぐもぐ、ごくん。じっと龍拳を見つめる、空。
「ありがとう」
頭を掻きながら、「いやあ、あいつら俺のお陰で命拾いしたなあ」と誤魔化す龍拳に、もう一度「ありがとう」と空は繰り返した。
「じゃあ、また明日な!」
龍拳が手を振り、空がこくんと頷いて、いつもの場所で別れた。
コロッケの味が、まだ口の中に残っている。