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突然変わった婚約者のパルメア

 執務室の扉が控えめに叩かれる。


「ロゼンス殿下、シェナイン家ご息女より贈り物が届きました」

「パルメアが?入れ」


 書類に目を通していた私は、従者の告げた名前を聞いて顔を上げる。

 入室した従者が恭しく差し出したのは、フレラの花が咲いた鉢植えだ。


「この間共に見た見頃のルッテの花ではなく。なぜ?」


 私は執務机の上にそっと置かれた、芸術性の高い鉢植えに綺麗に咲いた花を見つめて考える。パルメアから理由のない贈り物をもらうのはこれが初めてだ。

 アルディア国の淑女は身分が高くなればなるほど贈り物を受け取る立場になり、自分から率先して贈ることはない。高貴な淑女は貢がれることで、自身の価値を示していたと言われているからだ。

 特に親世代まではその価値観が非常に強く、私の世代で思考や流行が緩やかな変化を迎え、自分を主張する女性も増えてきたが、そういった女性は上の世代からひどく嫌われる傾向にある。だからまだまだ高位の女性は保守的な傾向が多い。

 それは私の婚約者であるパルメアも例にもれず、贈り物をするのは婚約者である私の役割で、一度も返礼や祝い事以外で贈り物を自分からしてきたことなどなかった。

 それがどうしたことか、日は多少空いているが、連続して二回目の贈り物だ。

 前回は見舞いに対する返礼と書いてあったが、今回は違う。

 明確にパルメアが自分から私に贈ってきたものだ。


「丁度書類の区切りもついたところだ。私は婚約者からの便りに目を通すから、その間皆も休んでいいよ」


 私は執務室でともに仕事をしていた文官に指示を出して、隣の私専用の休憩室へ鉢を運ばせた。


「殿下もどうぞ、ゆっくりと婚約者殿のお便りを楽しんでください」


 からかうような口調の部下に、私も同じように笑いながら返す。

「自分たちがゆっくり休憩したいだけだろう。私の婚約者を使うんじゃない」


 しまった切り出し方を間違えましたなーと笑う部下を労って下がらせ、扉が閉まるのを確認してから長椅子に背を正して座る。

 フレラの花を眺めながら便箋を取り出して目を通していく。

 手紙には女性らしいほっそりとした文字で形式的な挨拶の言葉から始まっていた。

 いつもと変わらないだろうその部分は流し読みして、本題の部分を見た。


『さて、今回、そして前回のハンカチと、貴方様は私の突然の変化にさぞや驚いていらっしゃることかと思います。


 貴方様は覚えていらっしゃるでしょうか?かつて、貴方様は種に水を注いで花にするように、互いの心に愛情を育てていきたいと仰っていました。私は詩人ロキスの「心の中には種がある。だが、水をやらねば愛の花は咲かぬものだ」ですねとお答えしました。

 その時にいただいたフレラの花と共に、私の特別な思い出のひとつです。


 そして貴方様はその言葉をたがえることなく、私の心に水を注いでくださいました。

 貴方様が私に似ていると言ってプレゼントしてくださったあの日から、フレラは私の一番好きな花になりました。

 以来、絶やすことなく庭に咲かせています。


 それに対して、私はどうでしょうか。

 私はずっと貴方様の心に、自分も同じように水を注いでいると思っていました。ですがある日、貴女は水を注いでなんていないのでは?と言われたのです。

 私が注いだつもりの水は、貴方様の心の種に何も届いていないどころか、もしかしたら毒ですらあったのかもしれないと、ようやく気付いたのです。

 だから叶うのならばもう一度、貴方様の心に水を注がせてください。


 ずいぶんと回りくどい言い方をしてしまいましたが、淑女として、はしたないことを承知で言葉を飾らずに伝えると、私はロゼンス様を愛しています。そして、私が与えていただいたのと同じくらいの喜びを、ロゼンス様に与えたい。

 そのためにロゼンス様へ恥じらいなく愛を伝えます。


 フレラの花は、その証として受け取ってください。ロゼンス様が私の心に咲かせた花です。

 心を隠さず伝えるならば、私に似ている花がロゼンス様のおそばにいるだけで、なんだか私もおそばにいられるような気持ちになるのではという想いもあります。

 私がフレラの花を見るときロゼンス様を思い出すように、ロゼンス様がフレラの花を見てほんの少しでも私のことを考えていただければ嬉しいです』


 本文はそこで終わり、あとはお決まりの結びの挨拶と『愛を収める器を探す旅人のパルメア』と名前が綴られていた。


「珍しく、ずいぶんと情熱的な手紙だったな……」


 私は手紙を読んでいる間に不思議と当たってしまった熱を逃がすように、ふぅと一息ついて長椅子に背を預ける。

 パルメアは以前から手紙の方が直接話をしている時よりは親密な印象を受けていたが、ここまであけすけに自分のことや愛について語ったことはなかった。

 それに名前に添えた言葉も、詩人ロキスから『愛は形ある器に収めて、初めて見ること、届けることが出来る。恋人たちとは、常に愛を収める言葉や行動を探して歩く旅人だ』の引用だろう。

 そもそも詩人ロキス自体が、情熱的な愛をささやく詩を詠うことで有名になった人物だ。

 まさかパルメアがロキスを引用するとは思わなかった。

 手紙の文字には、所々迷いが滲んだようなインク溜まりがある。何度も、書きながらもずっと言葉を探して迷っていたのだろうことが感じられた。

 いったいどんな表情で、この手紙を書いたのだろうか。


「……ともに笑いあう未来を夢見ていたのは私だけだと思っていた」


 胸元に大切にしまっておいたハンカチを取り出す。

 手触りの良い上質なハンカチに、不釣り合いなほど初歩的な刺繍が刺してある。

 パルメアが今まで贈ってきたのは、上質な素材にどう見ても職人が刺したとわかる出来の刺繍が施された立派なものばかりだった。王子として私が持つのには申し分ないそれを初めて見た時、心の中で少し落胆したことを思い出した。

 私にだって、好いた女性が刺した刺繍を貰うという行為に淡い憧れがあったのだ。

 あの時は私のために刺繍を刺してはくれないのかと小さく嘆息したものだった。

 かなり遠回しに刺繍を刺してくれとお願いしたこともあったが、結局一度も叶わなかった。このハンカチを見れば、彼女が頑なに刺繍をしてくれなかった理由がわかる。


「ただ単に……刺繍が苦手だったとは思わなかった」


 刺繍を見たミカリウスは「ちゃんと文字に見えますね!いやぁ素晴らしい出来ですよこれは。何せ昔、私にくれたときは色も相まって、のたうつ芋虫にしか見えませんでしたからね!」と褒めているのか貶しているのかわからないことを言っていた。

 とても馬には見えないベルガーなのだという刺繍を見ていると、比較的何でもそつなくこなす印象のパルメアが悪戦苦闘したのだろうかと思えて、なんだかくすぐったい気持ちになる。


「とりあえず嫌われてはいなかったのだな」


 それだけは信じてみてもいいだろうか。

 手紙を信じるならば、初めて会った頃のように笑顔を向けてくれる日が、もう一度来るのかもしれない。

 いつからか、私にだけ笑顔を向けてくれなくなったパルメア。

 名前を呼ぶことすら拒むように、名前を呼ぶたび拒絶するような表情を見せるようになり、私はいつしか必要な時にしかパルメアの名前を呼ばなくなってしまった。

 兄やほかの者に見せる愛想笑いすら、私と二人きりの時は見せてくれなくなってきたことに、本音を言えば……少し彼女を愛し続けていくという自信が揺らいでいたのだ。

 私のパートナーとして対外的にはそつなく振舞う彼女の評価を崩すことを恐れて、私たちの仲がうまくいっていないのをうっすらと察しているミカリウスに、それとなく助言を求めるくらいしか出来ずにいた。

 ずっとこのまま、冷え切った夫婦生活を送らなければならないのかと不安を抱くほどに悩んでいた。


 手紙を読んで、私の中に生まれた喜びと疑問に戸惑っている。

 私のしてきたことは無駄ではなかったのかもしれないという喜びと、ならばなぜ拒絶するような表情ばかり見せるのかということ。

 分からないことだらけだ。

 私は一度目を閉じて、大きく呼吸をしてから天井を見つめて一度考えた。


「うん。迷っていても仕方がない。パルメアが変わると宣言しているのだから、それを受け止めるのが私の役目だろう!」


 もう進展することはないのかもしれないと諦めかけていた現状に、変化が起きようとしているのだ。

 信じるのも、待つのも、諦めないことも、私の得手とすること。

 机の上のフレラの花弁をそっと指でなでる。

 瑞々しく可憐に咲くこの花が、私がパルメアの心に咲かせた花だというのならこれほど喜ばしいことはない。


「さて、パルメアが私を口説いてくれるというのなら、彼女のために時間を作れるように仕事を調整しなくては」


 私はもう一度ハンカチを見てから胸元に大事にしまい、ぐっと力を入れて立ち上がって強い足取りで扉を開け、部下と書類の待つ執務室へと戻った。



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