すれ違った最初のきっかけ
目が覚めると、私は寝室のベッドの上にいた。
頭が割れるように痛い……。
「お嬢様!お嬢様!!お目覚めになられたのですね!良かった!」
鈍い意識に入ってきたのは聞きなれた侍女の声だ。
侍女はすぐに医者を呼んでくると言って足早に退室していった。
私はゆっくりと上体を起こして痛みを訴える頭を押さえながら、自分に起こったことを思い出そうとする。
「……私、ロゼンス様とお茶をしていた最中に……急にめまいがして……あら?」
自分が左手を握りしめていたことに気が付いて、ゆっくりとその手を開く。
「何かしら……?」
その手に見たこともないような金色の羽が一枚、握られていた。
その羽を眺めていると、羽が手に吸い込まれるかのようにゆっくりと消え、次の瞬間、頭の中に流れるように沢山の記憶が浮かんでくる。
これから起こるティゼルド様の死を発端とする未来の出来事が、頭の痛みと共に無理やり詰め込まれて、ゆっくり痛みが引いた時には私の意識は変わっていた。
「すごい。私、本当に過去に戻ってきたのね……。これが天馬、様のお力……」
半年前に戻ってきたんだとじわじわと実感していた私は、ふと引っかかりを覚えた。
「半年前……?私はロゼンス様と二人でお茶会をしていた時に倒れたのよね?」
たしかティゼルド様が砦の視察に出発されたのは、このお茶会から四か月ほど先だったはずだ。視察に出発する前に説得しなければならないのだから、つまり……。
「ど、どうしましょう。説得できる時間は四か月もないじゃない!」
私が焦ってどうしようと考えていると、扉を叩く音が聞こえた。
「失礼いたします、お嬢様。お医者様とご当主様、ミカリウス様がお越しです」
「……入ってちょうだい」
一度深呼吸をして気持ちを落ち着かせてから返事をすると、扉が開いて侍女と医者、そして父と兄が入ってきた。
「大丈夫か、パルメア!」
「殿下との茶会の最中に倒れたと聞いたぞ」
二人がおろおろしながらベッドの周りに集まって、医師から邪魔だと言われている。
それだけ心配してくれているのだと感じてうれしく思っていると、二人が突然大人しく医師の言葉に従って少し脇によけた。
……今までは急に大人しくなったなと感じていたけれど、もしかして今も私が不機嫌な顔をしているように見えて、それで機嫌を損ねたと感じて遠慮したの……?
だとしたら、私ってなんて失礼で嫌な子なのかしら。
さぁっと青くなる気持ちを押しとどめて大人しく医師の診断を受ける。
医師からは特に問題もなく健康そのものだという診断を受けて、急激な運動は避けて、ゆっくりと体を慣らすようにと言われて終わった。
医師が退室するのと入れ替わるように、そばにきた父と兄が安堵の表情で口を開く。
「何事もなくて本当によかった。しかし、何事もなかったのにどうして倒れたのか……」
「と、突然めまいがしてしまって……寝不足かしら」
父の疑問を、慌ててごまかす。前回はお茶会中に倒れてしまった記憶などなかったので、これは天馬の力によって引き起こされたことなのだと思う。
私がそんなことを考えていると、場の空気を明るくするように兄が口を開く。
「まぁなんにせよパルメアが無事でよかったではありませんか父上。今日はパルメアの好物を出すよう料理長に言っておこう。何が食べたいものはあるか?」
その言葉に、私は少し考えてからこう言ってみる。
「では、キズ鳥の包み焼きを食べたいです。最近は、中々夕食に出てこなくて悲しかったので」
私が言うと、父も兄もえ?という顔になった。
「お前はその料理を、嫌いではなかったのか?」
「出すたびに顔をしかめていたから、てっきり嫌いになったかと出すのを控えていたと聞いているぞ」
二人の言葉を聞いて、私はやっぱり誤解を受けていたのだと愕然とする。
言わなくちゃ、私の喜びは伝わらないんだ。
「嫌いではありません。キズ鳥の包み焼きは私の好物のひとつです。好きすぎて、にやけてしまわないように堪えていたくらいなのです。トーリの果実スープも、料理長が作るお菓子の一口パイも好きなのに、最近出てこなくて寂しく思っていました……。ずっとどうして出てこないのかしらと思っていたのだけれど、私が嫌いだと思われてしまうような顔をして、皆に誤解を与えていたからだったのですね」
私がそう言って肩を落とすと、父が「そうだったのか……」と呟いて、なだめるように肩をポンポンと叩く。
「すまなかった。お前が自分の望みをうまく伝えられないのだとばかり思いこみ、日ごろ構ってやれない分、少しでもパルメアが過ごしやすいようにと、不満があるなら言わずとも組んでやろうとしていたのだ。……初めからきちんとパルメアの話を聞いてやれば良かったな」
「そんなお父様!私こそ誤解されてしまうほど失礼な態度をとっていたと知って申し訳ない思いです」
私がそう言うと、父と兄が優しく抱きしめてくれた。
家族の誤解が解けたんだ……。
よかった。
私はほっとする。
体調もいいことだし、久々に家族水入らずで一緒にお茶をしたいとおねだりすれば、二人は二つ返事で了承してくれた。
そこで私は着替え、改めて温室で父と兄とテーブルに着く。
テーブルの上には料理長の一口パイがあり、私はそれを見てうれしくなって、さっそく手を伸ばす。
美味しいなぁと噛み締めるように食べていると、私の様子を見ていた兄が困ったように笑った。
「うーん、どうみても顔をしかめて嫌々食べているようにしか見えないのだけれど、パルメアは今喜んでいる、という認識でいいんだよな?」
「はい。私としてはうれしくて、にやけてしまいそうなほど喜んでいるのですが……そう見えませんか?」
どうしましょうと頬に手を当てて困っていると、父が思い出したような声で言った。
「そういえば、パルメアは幼いころはうれしいことがあると、すぐににこにこと顔いっぱいで笑って見せる子供であったなぁ。あれはたしかまだデリエスが屋敷にいたころだ」
父の口から出た亡き母の名前に、懐かしい気持ちになる。
母はしとやかで綺麗で、体の弱い人だった。
私は紅茶を一口飲んでから、一口パイを食べる。
「そういえば、この一口パイを好きになったのも、お母様が好きだと言って、よく一緒にいただいていたからですわ」
懐かしい記憶をたどるように、私は母のことを思い出した。
「おかあさま~パルメアよ。はいってもいい?」
「えぇ、いいわよ。いらっしゃい」
扉の前で大きな声で母を呼べば、中から母の穏やかな声が聞こえた。
中に入ると、ベッドの上で上体を起こしている母が私に優しい笑顔を向けてくれる。
「おかあさま!きょうはおきているのね!」
「えぇ、今日はなんだか気分が良くてね。パルメアの元気な姿を見て、もっと元気になった気がするわ」
歌うようにそう言った母の顔色はいつもよりも赤みがさしていて、私もうれしくて笑顔になる。
「それにしても私のかわいいパルメアはずいぶんと元気だこと。顔もドレスも土まみれよ。いったいどこを探検してきたのかしら。こちらへいらっしゃい。拭いてあげましょう」
困ったように笑いながら手招きする母のそばに寄れば、母が自身の侍女から受け取ったハンカチで私の頬を柔らかくぬぐってくれる。
「あのね、きょうはね、おかあさまにプレゼントがあるのよ!」
「まぁ何かしら?」
母が私に問い返したので、私は母に持っていたプレゼントをずいっと差し出した。
それは私が庭で見つけた綺麗な花で、どうしても母に見せたくて、根っこごと力いっぱい引っこ抜いてきたものだ。
「おはな!とってもきれいでしょ?おかあさまにみてほしかったの!」
私が見せると、母はあら、と驚いたように小さな声を上げた。
「まぁお嬢様、お庭のお花を抜いてしまうだなんて!」
「え?」
咎めるような侍女の言葉に、私は何かいけないことをしたのかと不安な気持ちで母を見る。
母は頬に手を当てて少し考えるそぶりをしたあとに、私を安心させるようににっこりと微笑みながら優しく頬をなでてくれた。
「あのねパルメア、お母様に綺麗なお花を見せたいというパルメアの気持ちはとってもうれしいわ。でも、このお花は庭師のベギーが大切に育てていたものなの。大事にしていたお花がなくなって、ベギーは悲しんでいるんじゃないかしら」
私は母の言葉に、庭師のベギーを思い出した。
ベギーはお花を我が子のように可愛がっていたのを知っていたはずなのに、それを忘れてベギーの大事なお花を取ってきてしまったのだ。
「おかあさま、どうしよう。わたし、ベギーのたいせつなおはなを……」
そのことに気づいた私が泣きそうになっていると、母は頭を撫でたまま私に言った。
「ベギーに謝っていらっしゃい。どうしてそのお花が欲しかったのかをちゃんと言えば、きっとベギーは許してくれるわ」
「……はい」
「私の代わりにヨハンナが一緒に行ってあげましょう。ヨハンナ、パルメアのそばにいてあげてちょうだい。必要なことはベギーが教えるでしょうし、大切なことはパルメアに自分で見つけてほしいから、あなたは何もしなくていいわ。
パルメア、ベギーとのお話が終わったら、お母様のもとに戻ってきてね」
母がそう言って、母の実家からついてきた一番信頼しているヨハンナを私につけ、私はヨハンナと一緒にベギーのところへやってきた。
ベギーは私が引っこ抜いた花を見てびっくりしていて、少しだけ悲しそうな顔をした。
私はやっぱりベギーの大切な花を取ってはいけなかったのだと泣きながら謝った。
ベギーは私がどうして花を抜いたのかをちゃんと話したら、仕方がないと許してくれた。
「お嬢様、お花も一生懸命咲いております。私はそのお手伝いをしているんですよ。綺麗なお花が欲しい時は、ぜひ私にお声をかけてください。一緒にお花を選びましょう」
「ベギー、このおはなにもあやまりたいわ。もういちど、きれいにさく?」
私が鼻をすすってそう聞けば、ベギーは日に焼けた顔でからりと笑った。
「大丈夫ですよ。根っこ事綺麗に引っこ抜かれてありますし、根元から引っ張ったから茎も折れていません。鉢に植えてあげましょう。そうすれば奥様のお部屋でお育て出来ますよ」
ベギーがそう言って準備をしてくれたので、私はベギーと一緒に綺麗な鉢に花を植えなおして、母の部屋へと持って行った。
「みて、おかあさま!おはながきれいになったの!」
「あらさっきよりもずっと素敵ね。ベギーと一緒に植えたの?」
ヨハンナが母から見やすい場所に鉢を置く。鉢に植えられた花は日の光を浴びて誇らしげに咲いている。
「コップのおみずと、おひさまをいっぱいあびればいいのよ。
ここ!これがさくのですって!わたし、まいにちおみずをあげる!あとおはなとおはなしもするの!」
きゃっきゃと笑う私を眩しそうな笑顔で見つめた母が、私を柔らかく抱きしめて撫でる。
「私のお転婆で可愛いパルメア。お母様は貴女の笑顔が大好きですよ」
「おてんばって、すきじゃないわ。おにいさまがそういうの。わたし、おかあさまみたいになりたい!」
私が頬を膨らませて抗議すれば、母が声をあげて笑う。
「あら、ミカリウスは貴女のことが可愛くて仕方がないのね。
お転婆って元気がいっぱいで素敵じゃない。大丈夫よ、パルメアは優しくて素直な子だもの。大人になればきっと素敵なレディになるわ。
その笑顔を失わないようにのびのびと育ってちょうだいね。大切なことは少しずつ、屋敷の皆から学んでゆけばいいわ。皆、家族のようにあなたを愛していますからね」
「おかあさまのおはなしってときどきむずかしいわ」
「あなたが素敵なレディになったら、いずれ分かりますよ」
母の話はその時の私には難しかったけれど、そう言いながら、柔らかく私の髪を撫でる母の手は大好きだった。
私は母の代わりに屋敷のあちらこちらでいろんなものを見つけては、母に見せたり語ったり、母の体調がいい時には、一緒に屋敷を散策したりしたものだ。母に笑って、優しく頭を撫でてほしくて……。
そんな私の生活が変わったのは母が亡くなってからだったと思う。
しばらくして父が連れてきたのは一人の家庭教師だった。
「母がいないからとパルメアの教育に差し支えがあってはならぬからな。高名な家庭教師を招くことにした。パルメア、良く学び、デリエスのような立派な淑女になるのだぞ」
「はい。おとうさま」
家庭教師は年かさの、首元まできっちりと襟の詰まったドレスをまとった硬い印象の女性で、私を見て優雅にお辞儀をしながら挨拶をした。
「お初にお目にかかります。エンディ・クロスと申しますわ。
シェナイン夫人のことも存じておりました。とても優雅で淑やかな貴婦人でございましたね。
お母様のことはとても残念ですが、お嬢様をお母様のように立派な淑女にするお手伝いをさせていただきたく存じます」
「はじめましてエンディ。パルメアです」
「どうぞ私のことはクロス夫人とお呼びください、お嬢様」
「はい、クロス夫人」
そうして父は寂しさを紛らわすために仕事に没頭し、兄も騎士見習いとして騎士の詰め所で勉強に励む生活を始め、屋敷では私とクロス夫人の生活が始まった。