手繰りよせるのは細い細い糸の道
過去に戻るにあたり、まず私はティゼルド様に死の真相を教えてもらうことになった。
「私の死は大方の予想通り、帝国の仕業だ。
直接的な原因は悪魔の爪という名の毒だ。情けないことに私はまんまと帝国の罠にはまって口にしてしまったわけだな」
ティゼルド様は死後、天馬が来るまでずっと砦付近を魂の姿でさまよっていたそうだ。
その時にたまたま近くで砦の混乱に乗じてカルナ山脈を越えようとしていた帝国の間者たちの会話を聞いて、自分の死の真相を知ったのだという。
毒という言葉を聞いて、私の中でふと疑問が浮かび上がる。
「でもティゼルド様から毒は見つからなかったと聞きましたが……?」
「悪魔の爪は帝国で最近開発された新しい毒で、今までのものと違って毒のめぐりが遅い特殊なものだと言っていた。私はそれを口にして、ゆっくりと毒にむしばまれて死んだのだ」
「なんて恐ろしい……。でも、どうしてその毒をティゼルド様だけが口になさったのですか?兄はティゼルド様には毒見係がいて、その者には何も異変はなかったと申しておりましたわ」
私のその疑問に、ティゼルド様は少し苦いものをかんだかのような表情で答えた。
「……私しか口にしないものに毒が仕込まれていたんだ」
「殿下しか、お口になさらないもの?」
私が問い返すと、ティゼルド様は低い声で言う。
「アミンテリス王女から贈られた……花の砂糖漬けだ」
「そんなっ⁉」
私の喉がひゅっとなった。
もし私が贈ったものを口にしてロゼンス様が亡くなられたら?私ならば耐えられない。
ティゼルド様は砦に砂糖漬けを持参し、休憩の紅茶と一緒に口にしたのだという。それだけは、唯一毒見係が口にしなかった。
何故ならティゼルド様が王宮から持参したもので、王女が贈ったものだからだ。
「あれは私の部屋の鍵がついた飾り棚で厳重に保管されていたもので、出発前も私が一人で休憩する時に口にしていた。毒の効力があまり長くないと言っていたから、毒が仕込まれるとすれば、砦へ向かう道中のことだろう。何らかの方法で、荷物の砂糖漬けに毒を仕込んだのだ」
ティゼルド様はさらに苦々しい口調で続ける。
「毒のめぐりが遅いから、どこで毒が混入されたのか分かりにくくなり、より大きな混乱をもたらすことが出来る。さらに毒は効力が切れるとその存在がまるで最初からなかったかのように痕跡を残さず消えてしまうらしい。だから私を診た医師は毒だと気づくことが出来なかった。そしてその隙に間者は悠々と自国へ帰ろうとしていたというわけだ」
あまりにもひどい話だ。
王女の想いと、それを大切にしていたティゼルド様を踏みにじるような帝国の行いに、怒りがこみあげてくる。
「では私が過去に戻って、砦に向かう前のティゼルド様に毒が仕込まれているとお伝えすればよろしいのですね!」
私がぐっと手を握り締めんばかりの勢い込んでそう言うと、ティゼルド様は少し申し訳なさそうに首を振る。
「いや……。申し訳ないが突然君から伝えられることを、何も知らない過去の私が信じることはできないだろう。それがこれから砂糖漬けに毒が混入するので気を付けて、などという内容であればなおさらだ」
そ、そうよね……。言われてみればその通りだと思う。
特別な信頼関係があるわけでもないのに、突然突拍子もない未来の話をされても、私だって信じることなどできないだろう。
私は恥ずかしくなってちょっと握っていた両手を隠すように下げた。
「では私はどうすればいいのでしょう?私が砦までついて行って見張るだなんて出来ませんし……。あ、私の兄に話しておくのはどうでしょうか?兄はティゼルド様と共に視察に向かいますし!」
兄は補佐とはいえティゼルド様を護衛する立場なのだから、砂糖漬けに気を付けてと言えば何もおかしなことなどない。妹の私が言えば、信じてくれないまでも一応気にかけてくれはするだろう。それだけでぐっと毒が混入する確率は減るのではないだろうか。
名案ではないかとティゼルド様を見れば、ティゼルド様は非常に申し訳なさそうな表情で口を開く。
「良い案だとは思うのだが、その手は使えないのだ」
「どうしてでしょうか?」
「そもそも王女の砂糖漬けは本来、今回の砦へ持ち込む予定はなかったものなのだ」
ティゼルド様は一度区切ってから、少しだけ目をそらすように伏せてから言葉を続ける。
「直前に私が勝手に決めた。……砦で疲れたときに、一人でこっそり食べるつもりでな。
だから持ち込む予定がないものに注意を払うことはできない」
わずかに言葉を選ぶような物言いから、ティゼルド様の忍ぶ想いに先ほどとは違った意味で頬が温かくなる。
「仮にミカリウスが君を信じて砂糖漬けに注意を払ったとしても、彼は私と行動を共にしているのだから、私の手元を離れた砂糖漬けを見張り続けることはできない。
どこで悪魔の爪が混入されたかわからない以上、私が肌身離さず持ち歩きでもしない限りは、必ず毒は入ってしまうだろう。
万が一、それを君の助言通りに食い止めることが出来たとして、今度は君が疑われかねない。なぜ毒が混入されることを知っているのかと。下手をすれば、君が帝国とつながっているのかと、過去の私にシェナイン家ごと疑われかねない」
「そんな……っ!?では過去のティゼルド様に信じていただくために、私はどうすればいいのでしょう」
私がそう問えば、ティゼルド様は腕を組み、眉間にしわを寄せて考える。
そして一拍おいてから、ゆっくりと口を開いた。
「多少賭けにはなるが……一番可能性が高いのはロゼンスが私を説得することだ」
「ロゼンス様が?」
突然出てきたロゼンス様の名前にどきっとする。
「ロゼンスの説得の仕方にもよるが、少なくともロゼンスが相手ならば、完全に信じこそしなくとも、万が一の可能性を考えて対策を練り、万全とはいかないだろうが最低限の部下を配置して、間者をとらえる用意をするかもしれない。
少なくともロゼンスは私を陥れたりすることはないと断言できるくらいには、私は弟を信じている」
「では私はロゼンス様にお話すればよろしいのですね!」
私の中に一筋の光が見えた気がする!
「そうだ。ロゼンスなら君の話を頭から否定しない程度には、君を信じていることだろう」
ティゼルド様の言葉に、見えたはずの光が途切れてしまう。
「いいえ……きっとロゼンス様は私の言葉を信じてはくださらないでしょう」
「なぜ?過去に戻れば君は婚約者のままだ。ロゼンスに会うのも話をするのも難しくない」
「私……ロゼンス様のことを嫌っていると思われているのです。ロゼンス様だけではなく、家族にまで。『パルメアはロゼンス様のことを嫌いだったのだから婚約解消は喜ばしいだろう』と言われたのです」
「君はロゼンスのことを嫌っていたのか?」
「いいえ!違います!!私がロゼンス様を嫌うだなんて、誓ってその様な事実はありません!」
ティゼルド様の確認するような言葉に、私は強く否定の言葉を返す。
するとティゼルド様は片手で顎を撫でるようにしながら、ふむと眉を寄せる。
「少なくとも私から見て、パルメア嬢がロゼンスを嫌っていたようには見えなかったが」
「ほ、本当ですか?」
祈るような気持ちで確認すれば、ティゼルド様はしっかりと頷いて言う。
「私はロゼンスからその様な話を聞いたことがなかったし、ロゼンスは君のことを慕っていたと記憶していたが」
「でも兄は、ロゼンス様から私との関係がうまくいっていないと相談を受けたと言っておりました。私はロゼンス様がそんなことを考えていらしただなんて、知りもしませんでしたわ……」
「ならばミカリウスの言葉が正しいのだろう。関係の改善を望んで君の兄であるミカリウスに助言を求めたということだな。問題は、なぜロゼンスやミカリウスは君がロゼンスを嫌っていると思っていたのかだ……」
ティゼルド様と二人で悩みこんでいると、だらだらとくつろいでいた天馬が突然口を開いた。
「あのさー。俺気づいちゃったことがあるんだけど」
「何だろうか?」
ティゼルド様が言葉を返すと、天馬が私をじっと見ながら何でもないことのように言った。
「その勘違いの原因ってさ。そのお嬢さんにあるんじゃね?」
「私?私の何がいけなかったの!?」
私が詰め寄らんばかりに天馬に問うと、天馬が投げやりな声で言う。
「なんかお嬢さんさー、言動と表情がおかしい時があるんだよなー」
「え?」
「言動と表情が違う?具体的にどこがおかしいと感じただろうか」
「さっき俺の可愛いヴィヴィーネちゃんがあんたの為に泣いてたって話をしたら、あんためちゃくちゃ不満そうな顔してたんだよ。んで、腹立ったから文句あるのかって言ったら、あんたうれしかっただけとか言うからさー」
「そんな不満なんて……あの時は本当に、ヴィヴィーネも私のことを大好きでいてくれたことを知って嬉しくて……」
むしろ喜びに顔がにやけてしまわないか心配だったくらいなのだから。
「まぁヴィヴィーネちゃんも、あんたのそういうところは心配してたみたいだぜ?優しいよな~」
「なぜ君が彼女の愛馬のことに詳しいのだろうか?話を聞く限り、相手にしてもらえないほどに嫌われてしまったのでは?」
ティゼルド様が当然の疑問をぶつけると、天馬はふふんと鼻を鳴らして説明してくれた。
「あんたらが話をしてる間暇だったからさー。せっかくだしと思ってお嬢さんの魂からヴィヴィーネちゃんとの記憶を見てたんだよ。ちょうどあんたの魂はむき出しになってるし」
「ちょっと!記憶を勝手に見るだなんてひどいわ!!」
日記を他人に読まれたかのような羞恥心で思わず怒ってしまったが、天馬は悪びれもせずになぜ?と言わんばかりの顔をしている。
「パルメア嬢、気持ちはわかるがここは怒りを収めてくれないか。それで、天馬殿は何を見たのだ?」
「お嬢さんがヴィヴィーネちゃんと会話してた記憶があったんだけれど、その時のお嬢さんは久々に夕食に好物が出たとか、贈り物をもらってうれしくてたまらないだとか語っていたんだけどさー。俺から見るとお嬢さんの表情って、どう見てもうれしそうに見えないっていうか、文句か不満がありますって感じにしか見えないんだよな~」
「そんな……」
「まぁヴィヴィーネちゃんは聡明な馬だから、あんたの心を読み取って喜んでいるんだなーって理解していたけれど、人間は誤解するんじゃないかと心配してたんだ。聡明で優しいなんてヴィヴィーネちゃんは最高だな!」
「それって私がロゼンス様から贈り物をもらったことについての話だわ。私、ヴィヴィーネにはうれしくてたまらないだとか、悲しくてたまらないだとか、そういった一人で持て余してしまいそうな溢れる気持ちを聞いてもらうの」
私、ヴィヴィーネがそんな風に思うような表情をしていたの?まさか他の人……ロゼンス様の前でも!?
「そんな風に思われていただなんて。私はうれしい時にだらしない顔をしてしまうから、むしろ必死で抑えていたくらいでしたのに……。
もしかして……だから皆からロゼンス様のことを嫌っているだなんて誤解を受けていたのでしょうか」
私が戸惑いながら浮かんだ恐ろしい疑惑を口にすると、同じように考えたらしいティゼルド様が慎重に口を開く。
「そうだろうな。それなりに君と会話している私は、不満そうな顔というのを見たことがない。大きな感情を出さず、穏やかに微笑む手本のような令嬢だと思っていたし、周囲の君への認識も、概ね変わらないはずだ。もし誤解しているのが家族とロゼンスだけなのならば、その表情と感情が一致しない時というのは、君が心を許している相手か、もしくは特別感情を大きく動かされるとき限定の癖なのかもしれないな」
ティゼルド様の言葉に、そうなのだとしたら私は今まで親しい相手にどれほど嫌な態度をとっていたのだろうとさぁっと顔が青くなる。
私の顔色を見て、ティゼルド様がなだめるような口調で言った。
「パルメア嬢、辛いだろうが今は立ち止まってはいけない。これは君に与えられた最後の機会だ。君が誤解される原因がわかったのだから、その誤解を解けばいい。もともとロゼンスは君をとても好きだったのだから、誤解が解ければ信頼を取り戻すのはさほど難しくないだろう。
君が過去に戻ってまずすべきことが見つかったな。
ロゼンスや周囲の誤解を解き、信頼を得るんだ。そしてその上で、ロゼンスに過去の私を説得するように頼んでほしい」
「……でもうまく誤解が解けても、ロゼンス様は根拠の怪しい話を信じてティゼルド様を説得くださるでしょうか?」
誤解を解くこと自体は出来ない話ではないと思う。明確に原因があるものだし、それを伝えればいい。
でもその後はわからない。ティゼルド様の死については、未来のことなので示せる根拠がないのだから。たとえロゼンス様が私の話を頭から否定せずにはいてくれても、せいぜいが自分がそれとなく気に掛けるといったぐらいの信用ではないだろうか。
私が不安になってそう問いかえすと、ティゼルド様が私に優しく微笑むように言った。
「どうして私が弟の説得ならば、とりあえずでも対策をするほどには信じるだろうと言ったと思う?
私は自分が倒れた時、苦しみにうなされながら国の未来を憂えた。ロゼンスが王位を継げば、きっと我が国は帝国に負けるだろうと」
「え?帝国に負ける?」
突然の言葉に、私が混乱して声を上げるとティゼルド様は言葉を続ける。
「私が死ねば、次の王位はロゼンスが継ぐことになるだろう。そしてロゼンスの望んだことではなくても、国のために君との婚約を解消してアミンテリス王女と婚約するだろうと予想していた」
ティゼルド様は感情を乗せない声で静かに続ける。
「……ロゼンスは策略を張り巡らせ清濁併せのみ、物事を裏から手を回して動かすということが得意ではない。帝国は常に水面下でこちらの足元を崩そうと暗躍しているし、レイネールとは同盟を結んでいるが、それだって絶対ではない。その他の周辺国も、小国は帝国の動きに合わせて常に変化しているような時分だ。ロゼンスはこの時代の王に向いていない。そして……アミンテリス王女もロゼンスと似たような、まっすぐな気質の方だ」
どちらも人の善なる部分を信じる人物だと、誰かがその裏を見つめなくてはいけない。だがロゼンス様の周囲に、代わりに裏を読んで策略を張り巡らせるような人間は現在いないのだとティゼルド様は言う。
「今が平和で周辺国も安定している時代ならば、穏やかな治世を敷く良い王になるだろう。しかし今はそうではない。だからこそ私は死んでなお、この世界に魂だけでとどまっていたんだ。
だがそんな弟だからこそ、私は信じることが出来る。人を信じることに迷いのない、おおらかで眩しいぐらいにまっすぐで、人を陥れるなんて考えもしない清廉なロゼンスだからこそ、過去の私は信じるはずだ」
ティゼルド様は強く言う。
「だから信じるんだ!誤解が解けて想いさえ通じ合えば、どんなに夢物語のような未来を語っても、君が本気だと信じればロゼンスは君を必ず助ける!」
「はいっ!」
力強いティゼルド様の声に、私も同じくらいの熱量を持って言葉を返す。
「なぁ~もーいい?そろそろお嬢さんの魂を過去に送るぜ?」
焦れたらしい天馬から促されて、私は覚悟を決めて天馬の前に立つ。
天馬が翼を広げ、ぶるぶると細かく振るわせると私の体が光に包まれていく。
「私……必ずティゼルド様をお救いして見せます!あ、でも過去に戻ったら、今のティゼルド様はいなくなってしまうのですよね?」
たとえティゼルド様を救うことが出来ても今、私を救ってくれたティゼルド様は消えてしまうのだ。以前よりも、仲良くなれたと思っていただけに……かなしい。
そのことに思い至り、しゅんと肩を落として言うと、ティゼルド様はほんの少しだけきょとんとした後、はじめて軽やかに声をあげて笑った。
「そうか、そうか!私も弟たちとは少し違うが、君を誤解していたようだ。
けれどこれは私たちが互いに幸せになるための、必要な別れだ。
私は笑顔で君を見送るよ。
君の義兄になれることを楽しみにしている。
君がロゼンスと仲直りして、改めて思い結ばれることを願っているよ」
ティゼルド様は眩しいような暖かな笑顔で私にそう言った。
そして別れの言葉を最後に、私の意識は光の中に包まれて消えた。