連鎖する喪失
「ど、どうして……。なぜ、私とロゼンス様が婚約を解消……?」
「あぁ、まぁ解消と言ってもお前になんら責はないのだ。簡単に婚約が白紙になっただけと考えればよい」
私の衝撃がそのまま顔に出ていたのだろう。父が取り繕うように言葉を重ねた。
違う。私が聞きたいのはそんなことではないの……!
「知っての通り、我らがアルメディア王国の王子は三人いた。
それぞれが国のために、利のある相手と婚姻を結ぶことが決まっている。
第一王子のティゼルド殿下は隣国レイネールの第二王女アミンテリス様、第二王子であるロゼンス殿下が将軍である私の娘のお前、そして第三王子ベルシール殿下がレイネールの王位継承者の第一王女と婚約をしていた。
ここまではよいな?」
私は父の言葉に、なんとか頷いて見せる。
「そしてティゼルド殿下亡き今、次の王位継承者はロゼンス殿下となる。ロゼンス殿下は王位継承権とともに、アミンテリス王女との婚約も引き継がねばならない」
「そんな……ロゼンス様は王位なんて望んでおられないわ!」
だって、ずっと私に言っていたのだから。
兄を支えて国を豊かにしたいと、そう語っていた。だから私に妻として自分を支えてほしいのだと。私はロゼンス様の思い描く未来に、私が妻として存在していることがうれしくてうれしくて、もちろんですと返事をしたのだから。
泣きそうな気持ちでそういえば、父が幼子をなだめるように言う。
「落ち着きなさい、パルメア。殿下が望む、望まないは関係がないのだ。それについては皆で何度も検討し、結果には殿下も納得しておられることだ。もともと、殿下は何かあった場合には王位を継ぐ必要がある。第二王子とはそういった立場に生まれついた役割の者だ」
それは……そうなのかもしれない。
けれど、そうだとして……もしロゼンス様が次の王になるのだとしても、私との婚約を解消する必要なんてないはずだ。周囲の大人たちが皆認めたからこそ、私とロゼンス様は婚約していたはずなのに。
私の縋るような願いは、父がさらにつづけた言葉で打ち消される。
「そして帝国の不穏な動きがある今、アミンテリス王女が未来の王妃となることは、隣国との結びつきを確固たるものにするために必要なことだ。
だからロゼンス殿下はアミンテリス王女と婚約し、王位を継ぐこととなるだろう」
父はゆっくりと紅茶を飲んでから、再び続ける。
「それに殿下はアミンテリス王女との婚約についても納得しておられる。その重要性を理解し、国のためには仕方がないと」
「納得……?アミンテリス様はティゼルド様をとても慕っておいででしたのに……それをロゼンス様もよくご存じだったのに、仕方がないとおっしゃったの?」
「パルメア、国や家の前に個人の感情は些事でしかないのだ。王女には納得していただくしかあるまい。当初の通りにお前とロゼンス殿下の婚約がつつがなく進めば、我が家にとってもどれほどよかったことか。
あぁ、そうだ。殿下はお前の名に傷がつかぬよう、婚約の解消にあたってずいぶんとご配慮くださった。それは覚えておきなさい」
配慮なんていらない!仕方がないだなんて言わないで!とそう叫びだしてしまいたい気持ちは、父が次に発した言葉で空に消える。
「それに、お前にとっては良い結果となったはずだ」
「良い……結果?」
「お前は殿下を嫌っていただろう?」
思いもよらない父の言葉に、私は頭が真っ白になった。
「……私ロゼンス様を嫌ってなんて」
「そんなに頑なに隠さずともばれているぞ。ロゼンス殿下も、お前との関係がうまくいっていないことをずっと気に病んでおられた。俺も何度か兄として相談を受けたことがあったし、ロゼンス殿下はお前を想っていたから、うまくいくことを願っていたんだがなぁ」
じっと静観していた兄が、こればかりは仕方がないことだけれども、と残念そうな表情で言いながら、言外に私を責める。
「ミカリウス、パルメアを責めるな。この婚約は最初から無理があったのかもしれん。
もともとが王家と軍との結びつきを深めるためにと決めた政略婚約だった。お前が婚約に不満だったことは理解していたが、国のためと私も割り切っていたのだ。
だがそれもなくなった今、お前には父として好いた相手と幸せになってほしいとも思う」
私をいたわるような父の言葉も、私の心を素通りする。
私がロゼンス様を嫌っていた?
そんな事実なんて存在しない。私はロゼンス様を好きだったし、それを隠したことなんてなかったのに、父も兄も、それにロゼンス様すらそれを信じていなかったというの?
たったひとつだけはっきりと理解したのは婚約が白紙になって、私はもうロゼンス様の婚約者ではないということ。
そしてそれは、もう決定事項なのだ。
もうそれ以上のことは何も考えられず、その後の父や兄の言葉はほとんど記憶に残らないまま、私は気分がすぐれないと言ってすぐに自室へ戻り、ベッドで呆然とする。
もしかして、今日ロゼンス様が視線をそらしたのは、私が婚約者じゃなくなったから?
それとも、もう私の顔も見たくなかったから?
どうしてお父様もお兄様も、ロゼンス様も、私がロゼンス様のことを嫌っていると思っているの?
胸の中で理解を拒む心がぐちゃぐちゃになって、自分の目から涙がはらはらと零れ落ちるのを、私は他人事のように眺めて、そのまま疲れ果てて眠りについた。
私はそれから数日の間、何も考えずにひたすら無意味な毎日を過ごしている。
そもそもティゼルド殿下が亡くなったことで国全体が華やかな催しごとを自粛しているので、私がどこかに出かけるような用事もなく、ただただ生きるために必要なことをして、ほんやりと過ごしていた。
父も兄も忙しくしているので、私が大人しくしているのを心配するのは、侍女や屋敷の者たちだ。
ともすれば一日中部屋で過ごそうとする私を散歩に誘ったり、天気がいいので東屋でお茶をしませんかと提案したりと、私を部屋から連れ出そうとしてくれた。
彼女たちなりに私のことを考えているようで、今が見ごろのロゼンス様に贈られて以来大好きになったフレラの花が咲く場所は「お嫌いでしょう?」と避けて案内したり、私が小さなころから大好きで、よくお茶のお供として出てきた一口パイは全くでなくなったりと、ちょっとした変化があった。きっと最後にロゼンス様と一緒に食べたから、思い出さないようにと気を使われているのだと思う。
今日も自室の椅子に座って窓の外を眺めるばかりの私に、侍女が声をかける。
「お嬢様、今日は何をしてお過ごしになられます?」
「いえ、何もする気が起きないの。あなたたちも自由に過ごして構わないわ。用があれば呼ぶから」
私がそう言えば、侍女が少し不安そうな表情で私を見る。
「あのお嬢様、ご相談があるのですが……」
「……何かしら?」
「ロゼンス殿下からいただいた贈り物のことですが……」
ロゼンス様の名前が出てきて、私はハッとして侍女の方を見た。
「殿下からの贈り物の処分ですが……いかがいたしますか?」
「処分……」
「宝飾品の類はいくつかをばらして組み合わせて、新しいものとして作り直すこともできますけれども、お望みでなければそれとわからないように処分させますので」
そうか。婚約者じゃなくなったから、ロゼンス様からいただいた物を身に着けることもできなくなるのね。
ロゼンス様からの贈り物だから、私の持ち物のように侍女や他の者たちに下げ渡したりもできない。
それに……本当のことを言えば、ロゼンス様からの贈り物を誰にも渡したり、処分なんてしたくない私がいる。
「そうね。新しく作り直しましょう。可能な限り、無駄なく作り直してちょうだい。そのために必要なら、工房にお金を惜しまず渡していいわ」
贈り物だとわからなければ、まだ私が身に着けていても許されるだろう。
贈り物のほとんどが花やお菓子のすぐに消えてしまうものか、作り直せる宝飾品でよかったと私はそっと胸をなでおろす。
「こちらなどはいかがいたしましょう。これは作り直すことが難しいものですので……」
そう言って侍女が見せたのは、ロゼンス様が視察の土産にと贈ってくださった郷土色の強いブローチだ。特産品のきれいな石を加工して作ったもので、夜会や外に出るときのドレスに合わせることはできないが、普段使い用にと言ってくださったもので、宝石ではないので作り直すこともできない。
もらった時に、視察先でも私のことを考えてくれたのだと感じて、そのことがとてもうれしくて、にやけてしまいそうな表情を必死にこらえてなんとか淑女らしくお礼を言うことが出来たからよく覚えている。
屋敷に帰ってからもうれしくて眺めていると、ずっと見つめていることにあきれたのだろう侍女がさっさと閉まってしまったので、普段使いもほとんどしていなかった。
こんなことならば、もっと普段からつけていればよかったわ……。
「それは……いえ、少し置いておくわ。まだ婚約解消も発表していないのだし、あまり早々に処分し始めてしまうのは、あまりよくないと思うの。まずは作り直すことが出来るものだけにしましょう」
「かしこまりました」
「あまり家の中にいるのもよくないわね。久しぶりにヴィヴィーネと遠乗りに出かけようかしら」
「それはようございますわ!すぐに準備を整えさせます」
自分の口から贈り物を捨てると言えず、なんとかそんな言い訳をして、処分を先延ばしすることに成功した。
乗馬ドレスに着替え、遠乗りの準備を整えて侍女と一緒に厩舎に向かうと、鞍や鐙を着けたヴィヴィーネが遅い!と言わんばかりにフルフルと鼻を鳴らして待っていた。
「久しぶりの遠乗りね、ヴィヴィーネ。
今日は私とヴィヴィーネの二人だけになりたいから、少しだけ離れてついてきて」
私はヴィヴィーネと付き添いの従者にそれぞれそう声をかけてから、従僕の手を借りてヴィヴィーネの背に乗り上げる。
侍女の見送りを受けながらヴィヴィーネがゆっくりと歩きだし、やがて速度が上がる。
私の乗馬の腕を知っている従者は、言われたとおりに少し離れてついてきていた。
空は青く、肩を切る風が心地よい。気持ちのいい空気は私の暗い気分を少しだけ浮上させてくれた。
「やっぱりヴィヴィーネと走るのは気持ちがいいわね。最後に遠乗りをした時は、ロゼンス様もご一緒だったわ」
ヴィヴィーネに語り掛けながら、森を迂回するように平原に向かって進む。
平原を抜けて泉のそばを回り、景色の良いまっすぐな小道を通る。
「困ったわヴィヴィーネ。どこにいってもロゼンス様と過ごした思い出しかないの……。だって、ロゼンス様にも好きになっていただきたくて、いろんな場所を一緒に歩いたもの」
また泣きそうになった私の心中を察したのか、ヴィヴィーネが少し速度を上げる。
ヴィヴィーネの好きなようにさせていると、お気に入りの小高い丘に続く野原へとやってきた。
ヴィヴィーネのお気に入りの場所で、ヴィヴィーネは一面遮るもののないこの緑の絨毯をかけるのが大好きなのだ。
「そういえばあの丘のずっと向こうに、ティゼルド様が亡くなられたという国境の砦があるのよね……。ティゼルド様の魂は、黄金の天馬と一緒に無事に天へと向かったのかしら」
一度立ち止まってからそうつぶやくと、ヴィヴィーネが私を伺うように見る。
「えぇ、いいわよヴィヴィーネ。思いっきり走りましょう!」
私がヴィヴィーネの首をたたくように撫でて合図し、しっかりと手綱を握りなおすとヴィヴィーネがゆっくりと速度を上げて走り出す。速度は徐々に上がり、景色が後ろに流れていくように感じる。
気持ちよさげに走るヴィヴィーネに小さく微笑んだ次の瞬間、目の前に金色の何かが出現した。
ヴィヴィーネが驚いて悲鳴を上げながら棹立ちになる。
とっさのことで態勢を整えることも踏ん張る準備もできていなかった私は、ヴィヴィーネが立ち上がった勢いでそのまま手綱を放し、頭から後ろに落ちていく。
最後に見たのは視界いっぱいの青い空とヴィヴィーネの鬣と、黄金色の羽が一枚。
私は衝撃とともに、そのまま意識を手放した。