浮かれた意識ときっかけの花瓶
ロゼンス様と遠乗りを終えてから数日たった。
遠乗りの時は突然のこと過ぎて受け止めきれなかった様々なことを数日かけて実感していった結果、私は今、浮かれに浮かれている。
「おはようヴィヴィーネ。今日も素敵な青空ね」
軽やかな足取りでヴィヴィーネのもとに向かうと、ヴィヴィーネが鼻を鳴らして挨拶してくれる。
「ヴィヴィーネ、今日も聞いてちょうだい!だっていまだに心のどこかで夢じゃないのかしらと思うくらいの出来事なの」
ヴィヴィーネが相槌を打つように尻尾をゆるりと揺らす。
「実はね、あの時のこと夢にまで見てしまったの。はしたないかしら?恥ずかしいわ……」
きゃあきゃあと照れる私に、うんうんとヴィヴィーネが瞬きしている。
「こんな日を迎えることが出来たのも、全部天馬様のおかげだわ。次にお会いした時はお礼を言わなくっちゃ!その時はヴィヴィーネにも紹介させてね。……あら?そういえば天馬様の名前を聞いていなかったわ」
今度会った時に、あの時の天馬だとわかるかしら。
まぁきっと私のことは忘れても、ヴィヴィーネのことは覚えているだろうから大丈夫だと信じたい。
「ねぇヴィヴィーネ。私、日に日にロゼンス様のことが好きになっていくの。今でも素敵でいらっしゃるのに、次にお会いしたらもっと素敵に見えてしまうわ!あぁ、どうしましょう。眩しくてロゼンス様のお顔を直視できなくなってしまうかもしれないわ」
ロゼンス様のことを思い浮かべた私は、ティゼルド様との約束を思い出す。
「あぁそうだわ。次にお会いした時にはもっと親睦を深めて、ティゼルド様のことをお話ししやすいようにしなくてはいけないわね」
これはあくまでも未来にティゼルド様に起こることを信じていただくための信頼を得るのに必要なことで、けしてロゼンス様と会えるという事実に浮かれて喜んでいるわけじゃないのよ。
「いくら嬉しいからと言ってもこのままじゃだめだわ。次会う時までには気持ちを落ち着かせて、きちんと信頼関係を深めていけるようにしないとね……」
そんなことをつぶやいてから、ふと自分の言葉に引っかかりを覚えた。
「ちょっと待って……。次?次にお会いできるのって、過去にもロゼンス様と一緒に出た夜会だわ。夜会までに、個人的にお会いするお約束はしていなかった」
確かティゼルド様が砦へ向かわれるのは夜会が終わってからほどなくのはずだから、ロゼンス様が説得してティゼルド様が準備する時間を考えると、夜会の時にはティゼルド様のことを話しておかなければ間に合わない。
「大変!夜会までに少しでもロゼンス様とお会いして親睦を深めておかないと、夜会でいきなりティゼルド様のことをお話しすることになってしまうわ!」
無理を言えば三回、最低でも一回はお会いしておかなくては……それですら足りるということはないだろうが、会わないよりは少しでもいいだろう。
「ヴィヴィーネ、私すぐにでもロゼンス様にお会いできないかお手紙を出さないといけないわ。話を聞いてくれてありがとうね」
私は手を振ってヴィヴィーネの厩舎を出て急いで部屋まで戻り、手紙を書く。
遠乗りのお礼とあいさつ代わりの簡単な近況から始まり、また会いたい、会って話をしたいことがあると簡潔に書き、使いの従僕に持たせた。
いつものように、けれどいつもとほんの少し違う感情を乗せてそわそわとロゼンス様の返事を待つこと数日。
普段より少し遅く届いたロゼンス様の返事は、色んな意味でふわふわと浮かれていた私の心を叩き落とすような内容だった。
「あの、お嬢様。もしや殿下に何か良くないことがあったのですか?」
にこにこと手紙に目を通していた私の顔がみるみる変化したのだろう、控えていたフィアが恐る恐る口を開いた。
「いいえ。しばらく会うことは出来ないだけよ。そのことに……思った以上にびっくりしてしまっただけ」
「まぁ、せっかく誤解が解けたばかりですのに残念でなりませんね」
手紙には、とても申し訳なさそうに公務や引き継ぎの仕事が忙しいため、次に会うのは夜会になりそうだということが書いてあった。
「フィア、しばらく一人にしてちょうだい」
「畏まりました」
フィアも私がここ数日ずっと浮かれていたのを近くで見ていただけに、私の落ち込み様に心配していたが、平気だからと言って下がってもらう。
扉が閉まったのを確認して、私は思わず頭を抱えてうめき声をあげた。
「お忙しいロゼンス様を煩わせてしまうだなんて!」
未来に起こることを知っているのだから、これから忙しくなるのなんてわかっていたことじゃないの!どうしてもっと考えを巡らせることが出来なかったのかと数日前の自分をなじりたくなる。
ロゼンス様側から見れば、想いが通じ合って嬉しいという浮ついた気持ちでご多忙なロゼンス様のことを考えずに会いたいとわがままを言う婚約者と思われても仕方がないだろう。
もちろんロゼンス様はそんな見方などなさらないだろうけれど、現状そうとられかねない行動をしてしまった自分の軽率さが嫌になる。
「どうしましょう。このままだと話をする機会が夜会しかないわ。このまま話をして……うまくいくのかしら?」
遠乗りの時に言ってしまうべきだったかしら?
ううん。あの時は自分の癖の告白と、ロゼンス様の告白で私の頭も心もすでにいっぱいだった。あぁ、もっと時間があれば……。
私ったら何をのんきにしていたの!?
「せっかくここまできたのに……」
不幸中の幸いとでもいえばいいのか、ロゼンス様とはもともとすれ違っていただけで互いに想いあっていた。だからこそ誤解を解くことで、きちんと想いを通わせることが出来たのだ。
「でも、信頼に関してはまた別の話よね……」
むしろ誤解ですれ違っていた分、私の信頼はないに等しいのではないかしら。
それをこれから積み重ねていかなければいけないのに、そんな時にお会いすることが出来ないだなんて……。
ロゼンス様がはっきりと忙しいと書いてあるのだから、きっと私が想像するよりもお忙しくされているのだろう。差し入れや、お手紙を書くことすら手間を取らせてしまう以上、私からこれ以上行動を起こしてロゼンス様のお時間を奪うことなんてできない。
これ以上、無理を言ったりしてはいけない。
「……夜会で言葉を尽くして、信じていただくしかないわね」
うまく話せるか自信がないし、ロゼンス様の優しさに甘えてしまう形にはなるだろうけれど。
「最低でも、ティゼルド様の周辺に警戒を促すことが出来ればいいのだから……」
……けれどもし、ロゼンス様に疑われてしまったら?
説得を失敗してしまったら?
不安が、嫌な未来を連想させて怖くなる。
「一人でじっとしていてもだめね。悪いことばかり考えてしまうくらいなら、何か別のことをしていた方がいいわ」
頭を一度振って、嫌な想像を追い出して立ち上がる。
「フィア、入ってきてちょうだい!着替えて孤児院へ行くわ」
私は街歩き用の軽装に着替えて、フィアと共に出かける用意を始めた。
やってきたのは、私が母から引き継いで寄付を行っている王都の小さな孤児院だ。
「まぁ、パルメア様。ようこそいらっしゃいました」
馬車から降りると穏やかな院長がにこやかな笑顔で歓迎してくれる。
「急に押しかけてごめんなさいね。次来た時に子供たちと遊ぶと約束をしていたのだけれど、訪問予定を待ちきれなくて来てしまったわ」
「まぁうれしいこと。パルメア様がいらしたことを知れば、子供たちが喜びますわ!」
私が院長と話しながら孤児院の中を歩いていると、子供たちの元気な声が聞こえてくる。
やっぱり来てよかったわ。ここで子供たちと遊んでいた方が、気持ちが浮上する。
「あ、パルメア様だー!」
「パルメア様こんにちは!」
「みんな、こんにちは」
私の姿を見つけた子供たちが小走りで私のもとへと挨拶に来てくれる。
「ねぇ~どうして今日もドレスじゃないの?」
「ドレスだと皆と遊べないでしょう?」
「あたしドレス見てみたい!」
「え~パルメア様と遊べなくなるならドレスはいいや」
私のもとに集まって口々に話す子供たちを、院長がなだめる。
「みんな、パルメア様はまず私とお話があるから、お庭で待っていてちょうだい」
院長の言葉に、子供たちが「じゃあ後でね、パルメア様!」と言って走っていく。
私と院長は元気な子供たちの声に微笑みながら見送って建物の中へ入り、院長室で少し話をする。前回慰問に来た時の寄付金で古くなっていた屋根の一部を主膳することが出来たなど、いくつかの報告を受けた後、ちょっとした世間話をした。
「パルメア様から誕生日にといただいた贈り物の花瓶ですが、今は皆が毎日朝一番にあれを眺めておりますの。最近は子供たちが毎日私に次はこの花を飾ろうだとか、今日の水やりは自分が当番なんだと嬉しそうに話してくれて、とても楽しそうなのです。パルメア様には本当に感謝しております」
「そんな、あの花瓶は子供たちが贈ったものですわ。私は相談を受けて、少々お手伝いしたにすぎません」
以前、院長の誕生日に何かを贈りたいと相談されて、院長が花を眺めるのが好きだということで花瓶を贈ることを考えたのだ。
子供たちが自由な模様を描いて、それを職人に焼いて花瓶にしてもらった素朴な物を贈ろうと手配した。野花を飾った手作り感のある花瓶に院長がとても喜んでいたのは、私の記憶に新しい。
気に入ってもらっているようで良かったと思う。
「花瓶はここではなく、皆もよく集まる部屋に置くことにしました。私の宝物ですから、皆に見てほしくて。そういえば丁度今頃、次のお花を飾っていることでしょう。後でぜひご覧くださいませ」
「えぇ、ぜひ———……」
私が返事を返そうとした次の瞬間、少し離れた場所でガシャンと何かが割れるような大きな音が聞こえた。
「何事かしら?何かが割れた音だったわ」
「パルメア様を驚かせてしまい申し訳ありません。子供たちには世話をする者がついておりますから、滅多なことは起こらないでしょう」
「いえ、誰も怪我がなければよいのだけれど……」
私と院長がそんなやり取りをしていると、どたばたと複数の足音が聞こえ、扉が勢いよく開いた。
「院長先生っ!」
「先生、せんせいっ!」
飛び込むように入り込んできた子供たちが泣きそうな様子で口々に大変だ、すぐに来て、と院長の袖や手を引っ張っている。
「リザ、ノリス落ち着いて。まずはゆっくり呼吸しましょう。お客様がいらしているのに、突然入ってきて、無作法ですよ。申し訳ありません、パルメア様。子供たちには後程よく言って聞かせますので」
子供たちを落ち着かせて申し訳なさそうな表情でこちらを見る院長に私はゆるく首を振る。
「私のことは気にせずともかまいません。何か大変なことがあったのでしょう?どうぞ子供たちの話を聞いてあげて」
私が言うと、何度も言葉を探すようにおろおろしていたリザとノリスが口を開く。
「先生……先生の花瓶が……花瓶がっ!」
「その……花瓶が、あの……だめに、なっちゃったの」
「まぁ二人とも泣かないで、花瓶が壊れてしまったの?」
院長が二人の肩を抱いて落ち着かせるも、二人は次第に泣きじゃくり始めてしまったので、とりあえず花瓶を見に行くことになった。
院長と、リザとノリスの手を引いて、花瓶の置いてある部屋にやってくると、そこでは世話役の大人たちが花瓶を片付けながら、音を聞きつけて集まった小さな子供たちに触らないように指示していた。
花瓶のそばには口をぎゅっと引き結んだルイという少年がいる。
私たちが来たことに気づいたマーキという少年が、ルイを指さして大きな声で言った。
「先生っ!先生の大事な花瓶をルイが壊しちゃったんだ!」
指さされたルイは何も言わずにぐっとこぶしを握っている。
「マーキ落ち着いて」
「先生!俺が一番に駆け付けた時、割れた花瓶のそばにはルイがいたんだ!今日の花瓶当番はルイだし、ルイが割ったに決まってる!!」
「マーキの話はわかったわ。でもまずはルイに話を聞かなくちゃいけないわ」
院長は興奮しているマーキをなだめてから、かがんでルイに目線を合わせてそっと手を繋ぐ。
「ルイ、花瓶が割れてしまった時、何があったか知っている?」
「……はい」
「そう、もしよかったら、ルイの知っていることを教えてちょうだい?」
優しくそう言った院長に、ルイは固い表情のまま口を開いた。
「先生、僕が……僕が花瓶を割りました」
「まぁそうなの?」
「水を入れ替えようとして……台に乗せるときに……手が滑ったんです」
ルイが静かに言うのを院長は静かに聞いて、握った手を優しく撫でながら言う。
「そうだったのね。ルイに怪我がなくてよかったわ」
「……ごめんなさい」
ルイは辛そうな顔のまま、短くそう言った
「いいのよ。じゃあルイも片づけを手伝っていらっしゃい」
「ルイのせいだ」
院長がそう言ってルイの背を押して世話役のところへ行かせようとした時、不満そうなマーキの声が響いた。
「ルイのせいだ……」
「マーキ」
「ルイがみんなで作った大事な花瓶を割っちゃった!パルメア様とみんなで一緒に作ったものだったのに!!」
院長の制止の声にも止まることなく、マーキは泣きそうな顔でそう言って叫んだ。
マーキの言葉につられて、集まっていた子供たちの視線がルイに集まった。
そのピリピリとした視線に含まれた意味に怖くなったのか、リザとノリスが怯えるように私の裾を掴んで、隠れるようにして震えている。私は二人をなだめるように優しく背を撫でてなだめた。
院長はマーキを見つめて諭すような声で言う。
「マーキ、ルイを責めてはいけないわ」
「……でも」
「面倒見が良くて優しい皆のお兄さんのルイが、わざと花瓶を壊したと思う?」
「……」
院長が問いかけたのはマーキだが、その言葉は周囲の子供たちにも投げかけたのだろう。院長の言葉を聞いて、周囲の視線からも棘が抜けていくように空気が軽くなる。
マーキはぎゅっと噛み締めていた唇をゆっくりとほどいて小さな声でぼそぼそと告げた。
「……ルイ、ごめんなさい」
「うん……いいよ、気にしてないから」
謝罪し、それを受け取ったマーキとルイを見て、院長がにっこりと微笑んで場の空気を変える明るく言った。
「さぁここを片付けたらお菓子をいただきましょう。パルメア様が持ってきてくださったのよ」
院長の言葉に皆が「お菓子!やった~!!」と喜びながら動き出し始めたので、私は裾を掴んで離さないリザとノリスに意識して優しく声をかける。
「二人とも、もう大丈夫よ。一緒にお菓子を食べましょう?」
私の言葉に、二人は小さくこくりと頷いたものの、下を向いたまま何かに怯えるように震えている。いつもなら他の皆と同じようにはしゃぐはずなのに……。
あまりにも様子がおかしいので、二人と視線を合わせるようにかがんで顔を覗き込むと、泣きそうな表情のままだ。
「二人ともどうしたの?何か怖いことがあるのかしら?」
私の問いかけにも泣きそうな顔のまま、ぎゅっと裾を掴んで何かを言いあぐねているのでじっと待つ。
「花瓶が……、……」
「花瓶が、どうしたの?」
じっと待っても言えないようなので、私から尋ねてみる。
「もし私に言いにくいようなら院長先生を呼んできましょうか?」
私よりも院長の方が話しやすいかと思ってそう提案してみたのだが、切り出したとたんに二人がぶんぶんと首を振ったので、さてどうしようかと考える。
悩んでいると、院長から声がかかった。
「パルメア様、いかがなさいました?」
「いいえ……ちょっとだけ二人と内緒話がしたいのです。少し遅れてまいりますわ」
私は院長にそう告げて、二人と共に別の部屋へと移動した。




