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いぬみみうさみみ 第6話  作者: 佐倉蒼葉
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第5章

 ラジオの容態が落ち着いたので、私は病院の外に出て山崎君に電話を掛けた。三人ともすぐに来るという。処置室への廊下を戻ると、和泉さんは長椅子に腰を下ろして『考える人』のポーズで何事か考えているようだった。目だけ上げて私を見る。

 それはあの、固い物をぶつけるような視線だった。

 私もそれをはね返すように彼を睨んだ。

「座ったら」と言われて、少し間を空けて横に座った。

 沈黙。

 最悪の居心地だ。共鳴───お正月と同じ………


 ≪正月と同じ事が起きている≫


 ハッと和泉さんを振り返った。彼も驚きに目を見開いてこちらを振り向く。

「…今、何て言いました?」

「僕は何も言っていない。君こそ何か言っただろう」

「何かって何よ」

「だから何か」

「ごまかさないではっきり言えば?言いましょ…うか……」

 廊下に自分の声が響いて、びっくりして語尾が萎んだ。ここは病院だ。口を手で押さえて身を縮めた。和泉さんは「は、」と大きく溜息を吐いた。

「…さっきもこんなことがあった。そうだね」

「………」

「さっき、櫂の電灯が割れる直前だ。君の声で」

「私の?違います」

「いいや、君の声だった」

「違います」

 可愛らしい、女性の声だった。私の声は低く、伊野さんには「ドスがきいてる」とまで言われるほどだ。あんな声を出そうと思うなら、演技のための役作りをするところから始めなくてはならない。

「……私の声で……何て言ったんですか」

「『いかないで』」

「同じことを言われたことがありますか」

 前に共鳴が起きた時、ラジオに訊かれたことだ。和泉さんが息を呑んだのがわかった。

「……あるんですね。私にはちょっと子供っぽい、可愛い女性の声で聞こえました。『いかないで』」

「君も……」彼は眉根を寄せて長椅子に手を突き、わずかに身を乗り出した。

「そう言われたことがある?」

 がくん。思わず頭が下がった。

「あ、いや、その、違うよね。言ったことがあるんだよね」

 この人、天然だ。

 私はようやく顔を上げて「あります」と答えた。

 ───その時、私の声はもう東さんに届かなかったけれど………

「どういうことか説明して欲しい」

「……ラジ…仁史君ほどには上手く説明できないけど……」

 どこから話せば良いんだろう。ラジオの能力のことに触れずに話すには………

「お正月……湯島でも、そうでしたか」

 和泉さんは一瞬私を睨んだように見えたが、すぐに視線をそらしてしまった。無言で頷く。

「似たようなことがその後にもあって、仁史君に相談したんです。彼が言うには、……そう、前に六角屋で、精神が発するエネルギーの話をしましたよね。それと同じような現象……と思ってください」

「テレパシー?」

 目をそらしていた彼の瞳が動いて視線がこちらに向けられた。私は首を傾げながら頷き、

「仁史君は『テレパシー』という言葉は使わなかったけど……そうなんでしょう」

「うん」

「同じ振動数の音がぶつかると振幅が大きくなるでしょう」

「ああ、共鳴」

「精神から発せられた声が、たまたま同じ振動数の声とぶつかって共鳴を起こして、それがたまたま聞き取れた……というのが仁史君の見解です。そういうことがあったとしても、感じ取れないことの方が多いと思うんですよ。テレパシーなら」

「うん」

「……お正月のこと、仁史君には和泉さんだって言ってませんから」

「………」

 彼は眉間に皺を寄せ、「どうして」と低く聞き返した。

「心の声だと思ったから。……誰だって、心の中を人に勝手に知られるのは嫌でしょう。聞いた私だって嫌だった。差し支えなければ自分から仁史君に話してください」

「………」

 嫌な気分だ。バッグの紐を弄んで俯いた。和泉さんは聞こえよがしに大きな溜息を吐いて脚を組んだ。───ムカ。


 ≪打てば響くとはこういうことか≫


「…何か言った?」

「私は言ってません」

「僕もだ」

 ムカムカムカ。

 私の言葉足らずの説明ですぐに理解し反応する頭の回転の良さ。


 ≪この人、頭は良いんだろうけど……≫


「………」

 彼を振り向いて笑ってみせると口の端がひきつった。彼は口をへの字に曲げてこちらを睨んでいる。私も目に意識を集中して睨み返した。頭は良いんだろうけど、何?………同じ考えだっただけにムカつく!

「もはやたまたまではないな、これは」

「…そうですね…」

「初めて知ったことだが」

「…はい」

「耳鳴りが続くと頭痛になるんだな」

「…そう…ですね」

 さっきから頭が重くてふらふらする。

「大丈夫かな、仁史君…」

 立ち上がって処置室を覗いた。眠っていたかに見えたラジオがゆっくりと目を開け、頭を少し動かして辺りを見回し、こちらを見ると照れくさそうに微笑んだ。

「…なんだ、またやっちゃったんだ、僕」

「………」

 私もまた、前にもやったように、床にぺたんとへたりこんだ。

 もう、あんまり心配かけないでよ───と言おうとするのに、声が出ない。血圧がすごく下がって、手が冷たくて、顔真っ白で………口をぱくぱくさせた。

「金魚みたいだよミオさん」

 冗談言ってる場合じゃないでしょう。死んじゃうかと思った………

 東さんみたいで───

 涙がぼろぼろっと溢れて何も見えなくなった。両手で顔を覆うと看護婦さんが「もう大丈夫ですよ」と私の肩を抱いて立ち上がらせ、傍らのスツールに座らせた。廊下の方から早足で近づく靴音がする。急いで涙を拭った。最初に飛び込んで来た山崎君がラジオの姿を認めると、振り向いて看護婦さんと和泉さんに「お世話になりました」と頷く程度に頭を下げた。野宮君と梢子さんがラジオに近づいて話しかけた。

「逢坂君、どう、具合」

「眠い」

 ラジオは目を伏せて苦笑した。

「昨夜は『宿命』が見れるんだと思って嬉しくて眠れなかったんだ。…寝不足だっただけだから、そんなに心配しないで」

「一日入院になりますよ」と看護婦さんに言われて、彼は「えっ」と目を開けた。

「明日。明日東京に帰るんですけど」

「何言うんですか。明日朝一番に検査して、経過見て、良好なら退院出来るけど、せめて一日は安静にしてないと駄目ですよ。東京までなんて無理」

「どこで安静に」と野宮君。

「入院費は誰が」と山崎君。

「なら明後日まで入院して」と看護婦さん。

「病院やだー」と犬。

「おまえ医学部だろッ」

「そうなんですか?じゃあ自分の状態くらいわかるでしょう」と言われ、犬はしゅんとなってしまった。看護婦さんは「部屋の用意をしてきます」と出て行った。

「野宮、おまえ暇なんだから残れよ」

「残りたいけどホテル代ないよ、もう。空は明後日から仕事だし」

「カードとかないのか」

「卒業後の春休みは事実上のプーだよ。カードなんか使えるか。山崎は持ってる?」

「絵描きは貧乏に決まってんだろ。学費も払ってんだぞまだ。逢坂、金ある?」

「ない」

「土日が休みで金も持ってる人…」

 彼らの視線がすーっと流れて私の上で止まった。

「……ミオさあん」

「気持ち悪い声でハモるな。…残るのはかまわないけど、私だって貧乏…」

 バッグを探り、財布を覗いて溜息。ラジオが「あ、」と言った。

「大阪に部屋持ってる人…」

 全員の視線がすーっと移動した。

「……和泉さあん」

「…え?」





 一夜明け、チェックアウトを済ませて病院に向かった。検査の結果は概ね良好とのこと。山崎君達三人とはそこで別れることになった。

「私がついてるから安心してね」

「すみません、よろしくお願いします」

「じゃ、行きましょうか」

と言ったのは和泉さんである。ラジを迎えに来るために半休を取ってくれたんだよ、と耳打ちすると、ラジオは「ふにゃん」とうなだれた。

 タクシーに乗ってまもなくギャラリー櫂の前を通った。工事用の足場が組まれ、作業服の若い男性がそこに上って外の電灯を外している。電球ではなく電灯そのものを取り替えているのだとすぐにわかって、私達はひきつった笑い顔を見合わせた。

 ───そんなにすごかったのか、昨日のあれ。

 和泉さんだって何が起きたのか知りたいから、こうして半休を取ってまでラジオに宿を提供してくれるのだ。自分が関係していると思われるのだからなおさら。

 まだ少しだるいらしく、ラジオはかすかな溜息を吐いて私の肩に頭を凭れて目を閉じた。助手席の和泉さんがわずかに振り返ったが、何も言わなかった。

 部屋に着くと和泉さんは「何もないけど好きにしててください」と言って私達を残し、すぐに出かけて行った。プログラマーというのはよっぽど人と会わない仕事なんだな……と、ラフな格好で出かけて行くのを見送った。ラジオはベッドにもぐり込むと「やっと眠れる…」と背中を丸めた。

「…え?」

「全然眠れなかった」

「…そうかあ…」

 聴覚の制御の効かない体調で、人のいる病院の相部屋では眠れなかっただろう。

「あ、じゃあ私も出かけてようか?」

「えっ。ミオさん行っちゃやだ」

 彼は手を伸ばして私の袖口を掴んだ。おめめうるうる、きらきら度上昇。

「さびしいんだもん」

「おい」

 かくんとうなだれた。ラジオは枕に顔を半分伏せて、ぽつりと「だって」と言った。

「病院はさびしい所だよ…」

「………」

 私はベッドの脇の床にぺたんと座った。彼は袖を掴んでいた手を離し、「何か話してよ」と言った。目を閉じて微笑を浮かべて「ねえ」とねだる。

 ───病院はさびしい所。

 知ってる。東さんはずっとさびしそうだった………

 昨夜は梢子さんと遅くまでお喋りをしたのだと話した。ベッドに入って、明かりを落として、修学旅行みたいで楽しかった。内気で友達を作ろうとせず、高校も中退した彼女にはそうした経験がないという。ゆっくりとだが、いろいろと話してくれたのが嬉しかった。

「野宮君とのこととか聞いちゃったよ」

「へえ…。どんな?」

「それは秘密。でも、聞いてて空木秀二が二人を引き合わせたのかなーと思った」

「…うん」

「それでね…」

 櫂で『宿命』を見て───あんなことがあって───皆と別れた後、野宮君と梢子さんの二人は高瀬氏とラジオの発言について、じっくりと話し合ったのだという。

 ───『宿命』と『水からの飛翔』が対になることは、その構図と内容から一目でわかる。水面に接する人。それぞれが持つ二元論的要素が、この二枚においても用いられている。女性と男性。昼と夜。表と裏。飛翔と墜落。だから───

「だから…、謝らないで、って」

「………」

「『左回りのリトル』で繰り返しを表現しているように、高瀬さんの言った未来への予感は、二枚の絵の間を循環しているんだって。……ラジ?」

「うん…」

 ………眠りそうだな。

 ほっと息を吐いた。しばらく放っておこう。───退屈だな。ぐるりと部屋を見回した。あんな所に漫画がある、と取りに立った。『こち亀』とは気が利いてる。箪笥の上からごっそりと下ろして、へっへっへ、と抱え込んだ。ベッドの脇に本を積み上げ、元の場所に座り込んで読み始めた。





 気がつくと私はベッドの縁に頭を寄せて眠り込んでいた。見ればラジオは肘を突いて頭をもたげ、漫画を読んでおり、「よく寝てたね」とにっこりした。───あ、いつもの顔だ………よく眠れたようだ。

「私まで寝ちゃってどーするよ…看護人なのに」ふわ、と欠伸が出た。頭を無理に凭れていたせいか首が痛い。「うー、肩凝った」

「それは大変」

 いきなり目の前に腕を回されたかと思うと肩を掴まれひっぱられた。顳かみにぺとっとラジオの頬がつく。

「何すんの!」

「低周波治療。こうすると凝りがほぐれるって言ったでしょう」

「嘘つくなー!」

 ガチャ、とドアが開いて和泉さんが帰って来た。玄関からこちらを見て立ち尽くしている。彼は眉を寄せて言った。

「ごめん。早かった?」

「ものすごく待ってた!」

「…ああ。お待たせしました」

「ミオさんたら二人の時はあんなに優しくしてくれたのに」

「紛らわしい言い方すんなッ」

 ぐい、とラジオの頭を押すと簡単に剥がれた。

「そんな冗談出来るくらいならもう大丈夫でしょ」

「うん。もうすっかり良いよ」と彼はベッドから降りた。「和泉さんのおかげで」

「おい。看てたのは私」裏手ツッコミ。

「どーも」とラジオが言うのでつられて一緒に「失礼しましたー」とお辞儀をし、彼は「ちゃっちゃららー」と適当に歌いながら小走りで退場………トイレに入った。

 振り返ると和泉さんはその場にしゃがみ込み、顔を伏せて背中を震わせていた。「…そうか…。これが秋葉原パソ子…」と顔を上げて頷き、私を見上げて「すごい。息ピッタリだね」と言って何がおかしいのか「ぶっ」と噴いてまた俯いた。

 ───いずれにしても印象最悪………

 和泉さんから見た私は『腹立たしいお笑い芸人』になってしまった。それにしてもこの程度でいつまで笑うのか。

「和泉さんって、笑い上戸?」

「うん。うん」

「あ、でも」と私もしゃがみ込む。

「和泉さんのおかげっていうのは本当。仁史君、ぐっすり眠れたから。いつもの調子に戻ってるし。ありがとうございます」

 顔を上げた彼は眉の下がった頼りない笑い顔で、「うん。良かった」と言った。

 力の抜けた笑い顔を初めて見る。

 それは六角屋で見たはにかんだ笑いとも、昨日見た余裕のある笑いとも違っていた。

 トイレから出てきたラジオは「あ、いいなあ。楽しそう。混ぜて」と近づいてしゃがみ、ニコッと笑った。

 ───まさか。

 すっかり忘れていたが、ラジオは結構役者なのだ。人の気持ちがわかりすぎて。

 今だって、気がつけばこれまでのような緊張感がなくなっている。

 こいつ、と横目で見る。彼は肩を竦めて私を見ると、こっそりウインクした。


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