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いぬみみうさみみ 第6話  作者: 佐倉蒼葉
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第1章

 気になるのは天気。

 朝食の後片付けを済ませて窓の外を見ると、起きた時に見たよりも陽射しが強くなっている。今日は暖かくなりそうだ。気温もかなり上がるかもしれない。

「お味噌汁、冷蔵庫入れとこ…」

 鍋を冷蔵庫に入れ、残りごはんはラップで包んで冷凍庫行き。これで夕飯はおかずを用意するだけだ。

 シャワーを浴びてからのんびりと身支度。クロゼットから新しい上着を取り出した。

 ───早く着たかったのよね、これ。

 オフホワイトのショートトレンチ。社内販売で買った物だが、軽い上着は気分も軽くする。春だなあ。白の半袖綿ニットとベージュの千鳥格子のスカートを床に広げて合わせ、襟元に淡いオレンジのスカーフをくるりと丸めて置いた。「よし」と指差し確認。何がいいんだか。

 日曜の朝のトーク番組の声を聞きながら着替える。

「──ちゃんって、結構アナログなところあるよね」

 それを言うならアナクロ。

 テレビに裏手で突っ込んだ。───けれど今はそう言うのかもしれない。アナクロなんて言葉は死語で、様々な物のデジタル化が進む今の時代、時代錯誤をアナログとは言い得て妙だ。言葉の意味として間違ってはいるが。

 ベッドの枕元からグリーンのボトルを選んで、頭の上でシュッと噴く。冬よりも軽い香りを纏って、テレビ、窓の鍵、火の元を指差し確認して部屋を出た。

 昨日から始まった写真展、AIM。

 友人の写真家達が毎年開いているグループ展である。この天気なら人出も見込めそうだ。

 入場無料だしな。

 都心の高層ビルのイベントスペースを借りての展示だが、彼らは決して世間に名の通った写真家ではない。だからこそこうした自主的な作品発表の場が必要なのだ。

 プロの写真家として。芸術家として。

 見て行くのは通りすがりの人が殆どだが、何かを感じてもらえたら嬉しいと彼らは言う。だから、友人としては、通り過ぎるだけでなく、何かを感じて欲しいと思っている。

 待ち合わせの駅の改札口は大勢の人でごった返していた。それでも………

 彼は目立っていた。

 人波の向こうに飛び出した頭のてっぺんが黒い。少し長い髪は金髪だ。赤、黄、金茶の古着っぽいストライプシャツと繋がるレンガ色のカラージーンズがますます背を高く見せる。肩に掛けたニットの黒が全体をピリッと引き締めていた。

 ───ほんと、こういう時に困らないよな。

 私は人波をジグザグに歩いて彼らに近づいた。「ミオさん」と私に声を掛けたのは金髪の彼の隣に並んで立つ、彼がいなければ発見が困難な方の人物だった。

 目深に被ったグレーのキャンバス地の帽子。つばの裏地の赤が妙にはまる女の子みたいな顔には縁なしの眼鏡。白黒ギンガムチェックのシャツにGジャン、履き込んでくたびれたジーンズといういでたちは、隣の青年とは対照的に容易く人混みに紛れてしまう。しかし彼らは親友なのである。

「山崎君、髪伸びたね」

 180センチの長身の顔を見上げた。顎に薄く髭を生やし、細い目は鋭く見えて迫力のある雰囲気。目にかかった金色の髪をばさっと揺らして「ほっといただけなんすけどね」とにっこり。笑うと可愛いのだ。これが日本画家の卵、山崎隆之。

「じゃ、行こうか」とこちらもにっこり。にっこりしなくても可愛い顔が少々くやしい地味な方。ポケットにいつもお守りを入れているというアナクロニズム。「緊張するなあ」と照れくさそうに笑って先に歩き出した彼は、精神科医の卵、逢坂仁史。

 ───帽子と眼鏡のせいなのか。山崎君と並んだせいか。

 プロカメラマンに惚れ込まれる程の絵になる雰囲気が、今の彼には感じられない。改札前の花屋で花を選びながら彼は「森宮さんの店で買えば良かったかな」と小声で言った。私は「通り道ならそうしたかったけどね」と答えた。

 黄色やオレンジの花を差したカゴを買う。

「置くとこあるかな」

「記帳台とか。…結構大きいね。置けるかな」

「なくてもどっかその辺に転がせばいいだろ」

「山崎一人のならそれでもいいけど」

 会計の間に山崎君が花カゴを抱えた。ミスマッチの妙。それは彼ら二人の関係のようにも見える。

 山崎君は、転がせばいいと言った花カゴを率先して持ち、両手で抱えて歩いている。わかりにくいけれど、彼は優しいのだ。───ラジオの言う通り。

 長いつきあいである山崎君にも自分の≪ラジオ≫という呼び名を教えていない。聴覚を制御し、時に人の心の声を聞く不思議な力の持ち主、それがラジオだ。若くして日本画家を志す山崎君が繊細なのは私にも想像がつく。ラジオにはなおさらだろう。だから私も人前では≪仁史君≫と呼ぶ。

「石崎さん、久しぶり」

 AIMの会場に入ってすぐ、私に声を掛けたのは森岡さんだった。「ご無沙汰してます」と歩み寄る。ラジオも帽子を取り、山崎君と並んでお辞儀した。

「どうしたの、若い子連れちゃって」

「それって私が若くないってことですか?」

 はっはっは。───誰も否定しない。

「これ」と山崎君が花カゴを差し出した。小柄な森岡さんは「やあ、わざわざありがとう」と受け取って、ぐーっと山崎君を見上げた。

「…大きいねえー」

「はあ」

「ま、ゆっくり見てってください」

 森岡さんは軽く頭を下げると辺りを見回し、花カゴをどこに置こうかとうろうろした。ラジオはその様子を見ている。山崎君は先に歩いて展示作品を見始めた。記帳台に置こうとしてやめ、昨日贈られたらしい花生けの並ぶ横に置こうとしてやめ、隅のテーブルにでんと置いて、森岡さんは少し離れてそれを見た。「やっぱデカイな」とまた花カゴを抱える彼に、ラジオはくすっと笑ってその場を離れた。

 ───AIM。目的という意味だ。

 初めてこの写真展を行ったのは三人。私の婚約者であった故人、東祐朗。現在私の仕事仲間の伊野信吾。そして目の前で花カゴを抱えてうろうろする森岡健───紹介の仕方としてはあんまりだが、ともかくも彼ら三人のイニシャルを取って名付けられた。彼らの目的とは即ち良い写真を撮ること。

 ひたすらに自分の理想を追う───

 ≪男なんて単純なもんだよ≫

 東さんがそう言った。本当にそうなのか、私にはわからないが。

 純粋。

 そう言い換えるなら、ここでは彼らの純粋さに出逢える。

 そしてもう一つの目的は、毎年定められるテーマのことだ。今年のテーマは『背中』。さて森岡さんはどんな写真を撮ったのかと後ろのパネルを振り返り、目が点になった。

「森岡さん…。いきなりやってくれるね…」

「苦労したよー」

 バンジージャンプをする人の、飛び降りた瞬間を捉えた写真だ。遊園地や山中など場所は様々だが、どれも鮮やかな臨場感。

「苦労したのはモデルさんだと思う」

「落ちるつもりの人はいいよ。こっちは落ちるつもりないんだから」

 その彼はまだ花カゴを抱えて置き場所選びに苦労していた。

 撮ることを楽しむ、これも彼らの純粋な気持ちの一つだ。森岡さんは数人にジャンプしてもらい、その前後のスナップをパネルの横に添えていた。緊張した顔、地上に戻って安堵した顔、満足げな笑顔、泣き顔。こんな趣向も彼らしく楽しい。いや、むしろこうした人間性溢れる写真の、一部としての背中の写真なのだろう。

 順路に従って奧へと進む。

 ラジオがパネルを見つめて立っている。眼鏡を外した横顔。軽く足を開いて片足に重心をかけ、前に組んだ両手で肘に触れた、自分を抱えるような姿勢。

 それだけのことなのだが───

 やがて、両手を下ろし、体の重心を反対の足に移して歩き出す。数歩歩いて、次の作品の前でわずかに上半身を揺らして写真を捉え、ぴたりと動きを止める。

 たったそれだけの動作の一つ一つが絵になる。

 立っているだけで目を引く。本来、彼にはそうした独特の雰囲気がある。先程駅でそれを感じなかったのは眼鏡と帽子のせいではなく、彼がそれを隠していたからとしか思えない。

 ラジオは会場を二つに仕切る衝立の向こう側へ消えた。並んだ写真を順番に見て、私も順路に従い折り返す。

 大きく引き伸ばされたモノクロ写真。背景は真っ白で何もない。ただ一人の青年の後ろ姿とその影があるだけ───

 それはわずか十秒程の間に撮影された。

 白いコットンシャツ一枚とジーンズ。素足で歩きながら、右手に持っていたスニーカーを落とすように軽く放り投げ、左手は胸の方へと曲げている。

 足を止めずに歩いてシャツを脱ぐ。

 首を傾け、左手で肩越しに投げたシャツが落ちてゆく。

 両手をだらりと下げ、痩せた背中を見せて、真っ直ぐにすっと立つ後ろ姿。少し離れて手前にシャツとスニーカーが落ちている。

 動から静へ。

 手足や落ちる物のわずかなぶれによる動きのある場面と、動きのない静まり返った場面との対比は、モノクロームの光と影の対比とぶつかりあっている。………そう、互いに引き立て合いながら、どれもが主張しているのだ。動も静も光も影も。

 一連の動作の間にもう何枚かある筈だが、展示されていたのはこの四枚だけだった。プレートには『決心/伊野信吾』とある。

 山崎君が小声で訊ねた。

「なんっで脱ぐわけ?」

「バックが白だったから」

「そんだけ?」

「それだけ」

「…背中で良かったな。これが前からならあばらがなさけないぞ」

「そんなに目立たないと思うけど…」

とラジオは真顔で自分の肋骨の辺りを撫でた。

「決心ならさっきのバンジーの人達の方がすごいぞ」

「そうだよね」

 あんたら、見るところはそこか。

 笑いを堪えつつ、本人とその親友だからだろうと思い直した。

 また各々自分のペースで写真を観賞する。場内を一巡する頃、出口の方から二人が引き返してきた。声を立てずに笑っている。何かと思って見に行くと、森岡さんはまだ花カゴを抱えていた。そこへちょうど現れた伊野さんが「ここ置けよ」と隅の折り畳み椅子を起こして花生けの横に並べ、カゴを置いた。「あ、なーる」と森岡さん。テーブルにはコンビニの袋にペットボトルのお茶が何本も。伊野さんは買い出しに出かけていたらしかった。

「お、来てくれたのか仁史。そっちは友達?どうも、伊野です」

「T美大の山崎君です」

「はじめまして、山崎です」

 出入口から花で仕切られた休憩スペースはAIMのメンバーが交代で控える場所になっている。森岡さんは「ごゆっくり」と席を外した。伊野さんが紙コップにお茶を注いで椅子を勧め、照れくさそうにヘンリーネックシャツの首をひっぱった。

「T美か。絵を描くの?ちゃんと勉強してる人に見られると何か恥ずかしいなあ。俺は勘でやってるから」

「いえ、良い物を見せていただきました」

「なんだ。見たいならいつでも見せてあげるのに」

「おまえじゃねーよ」

 先刻の調子で喋る二人に伊野さんは「ははは」と笑い、こちらを見た。

「なんだミオ、いたのか」

 がっくり。これだけ存在感のある二人と一緒だから仕方ないけれど。

「どうだった」

「恥ずかしいですね」

 ラジオは右手の指先を目の間にあて、手のひらに隠れるようにして照れ笑いした。

「いつでも見せるんじゃなかったのかよ」

「伊野さんの写真の出来のことを言ってるんだよ。自分じゃないみたい」

「誰もナマであれを見たいとは思わねーよ。伊野さんの写真だから良いんだろ」

「はは。それはどうも」

「だって背中を撮りたいってことだったから…。スタジオに何にもなかったから、あとはもう脱ぐくらいしか思いつかなくて」

 みるみる顔を赤くして俯くラジオに、伊野さんは「何があれば良かった?」と訊いた。

「野球のユニフォームとか…」

「うわははは」

「それがいいのかよおまえ」

「薪とか…」

「二宮金次郎か!」

 伊野さんはテーブルに突っ伏して「ひっ、ひっ」と苦しそうに笑っていた。すっかり固くなっているラジオが冗談で言っているとも思えないところがおかしかった。「あ、あの」とラジオが顔を上げた。

「タイトルの『決心』というのは…?」

「ああ、あれなあ?」と体を起こした伊野さんは、眼鏡を外して目をこすった。笑い過ぎだ。

「断ってた仁史がやっと撮られる気になったという」

「は?」異口同音に聞き返す。

「だって迷ったろ?撮られる気になったってのは、何か覚悟決めて来たってことじゃねーかとそう思って」

 驚いた顔をしていたラジオはだんだんと嬉しそうな笑顔になって「はい」と答えた。





「伊野さんってかっこいい」

 尻尾ぶんぶん。

 ラジオは時々子犬になる。と言ってもそんな感じがするだけだが。犬ならまさに喜び全開おめめきらきら尻尾高速振りまくり、といったところだ。

「もう緊張しちゃって自分でも何を喋ってたんだか」

「それは毎度じゃん」

「え?」

 まだ惚けているらしい。山崎君の憎まれ口にもにこにこしている。

 ビルの谷間のカフェテリア。オープンテラスのテントの日陰にすうっと流れる風が気持ちいい。影が少し濃くなった。ラジオはひなたに目を遣って、眼鏡の奧の目を眩しげに細めた。山崎君はアイスコーヒーをちゅーっと吸って、一呼吸置いた。

「バンジーの写真も面白かったな」

「うん。だからやろうって言ってるのに」

「一人でやれ。見ててやるから」

「山崎君は高い所苦手なの?」

「山崎はディズニーランドのダンボにも乗れないんだもの」

「あはは。うん、私も高い所ってだめ」

「ほら見ろ。高い所が好きなのはバカとサルなんだよ」

「ふふっ。一回バンジーやってみたいな。グランドキャニオンとかで」

「成田までは見送ってやる」

「見ててくれないの?」

「俺には日本画壇の未来を背負って立つという使命があるからな。飛行機なんて胡散臭いモンに乗れるか」

 二人は「はっはっはー」と声を揃えてわざとらしく笑った。

「そういえば山崎、こないだのあれどうなったの」

「あれか?うーん…」と彼は顔をしかめた。「落ちた」

 あれって何、と訊ねると、近く開かれる展覧会に応募した作品のことだという。

「…お正月に高畠先生のお宅に呼ばれた時言われたじゃない。野心は君を駄目にするよ、って」

「………」

「野心が開花させる才能もあるけど、山崎は違うと思う。お父さんに反対されながらここまで来れたのも」

「……うん」

 ストローでコーヒーをかき混ぜる山崎君の目から鋭さが消えた。

 まるで雰囲気の違う二人がなぜ親しいのかわかる。互いに遠慮のない物言いが気を遣わなくて良いのだ。

「山崎君、…スランプ?」

「……ふっ、うん。そう」

 照れて笑う彼はとても素直だ。

「人には好不調の波があるって言うじゃない。今まで頑張って来たから、今は一休みの時なのかもよ?」

 私が言うと、彼は「はい」と頷いた。………可愛いじゃないか。ラジオと顔を見合わせて、ふっと笑った。

「…あ、そういやさ」と山崎君は皿の飾りのオリーブをつまんで口に入れた。

「こないだ、ジジイんとこに変な男が訪ねて来た」

「ジジイって誰?」

 ラジオは顔をしかめて煙草を手にし、軽く一回振った。飛び出す一本を口にくわえて引き抜く。彼は溜息を吐いて答えた。

「日本画の巨匠高畠深介。スランプ太郎の師匠」

「ええーっ!」

「俺に変な名前つけるな!」

「変な男って、山崎、何かされたの?」

「おまえじゃあるまいし」

 親友だなあ………

 美しい友情にぐったりしてしまった。だが、私はあることに気づいてハッと顔を上げた。ラジオの目に映る小さな光の点が、針の鋭い先のように瞬いた。冗談で動揺を抑えている───。山崎君も眉間に皺を寄せた。

「空木秀二の絵を探してるって」


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