第2話:始まりの日の主人公
何も見えない。
何も聞こえない。
何も感じない。
何も考えられない。
ただただ白い空間がそこにはあった。
青年が、そんな空間に一人座っていた。
(………………………)
意識はどこにもない。
空の境地といえば聞こえはいいが、青年の状態からすると茫然自失といった言葉が正しい。
(………………………)
(………………………)
(………………………むふっ)
「かーーーーーーーーーーっつ!」
どぐぉおおん。
突如何を考えたのか、青年の顔がにやけた。
と同時に、白い空間に大声が響き渡り青年の顔が吹っ飛ばされる。
白い空間には果てがあるのかないのか、青年は殴られた状態のまま飛んでいく。
青年は殴られたときに、意識をなくしたのか白目をむいたまま飛んでいく。
「起きんかーーーーーーーーー!」
白い空間に、また大声が響く。
飛ばされていく青年の向かう先に、大きな水の塊が現れる。
ばしゃぁぁぁん。
青年は、意識がないまま水の塊に突っ込んだ。
青年の目が開くと同時に、白い空間は消えた。
☆
「…………………………はっ。」
「目が覚めたか。」
「…はい。」
横たわる青年の前には、青年の師匠がバケツを逆さに持っている。
バケツからは水滴がたれており、中の水をかけられたようだ。
青年の上半身は、びしょびしょでぬれている。
「なにか変なことを考えたようだな。邪念を感じたぞ。」
「えっ。いや~~~そ、そんなばかな。お、覚えがないです。」
「悟りにいたるためには、雑念・邪念を捨てなければならない。修行を始めて3年が経つのにまだ凡夫のままだぞ。せめて1段くらい悟れ。」
「む、難しいです。」
ギロ。師匠が、すごい目で青年を睨む。
「が、がんばります。」
「…はぁー。おぬし、本当にこれからどうする気じゃ。今の世の中は生きていくことすら、厳しい時代なのじゃぞ。」
「………わかってます。」
「わかっておらん。おぬしは、ハンデを背負っている身じゃ。〈あのもの〉の計画のことすら理解できぬのじゃからな。」
「………………」
青年には、心当たりがありすぎて困るどころか泣きそうだ。
全部自分が馬鹿だったことは、わかっている。
そのせいで、これからの人生が生きていくことすらつらく厳しくなってしまったことにも気づいている。
青年は、自らの人生が狂う原因となった[始まりの日]のことを思い出してしまう。
☆
「あつい~。しぬぅ~。」
少年は、アパートの自分の部屋に入るなり冷房の電源をつけ扇風機も強風にした。
今は8月、まさに真夏であり太陽がぎらぎらと輝く猛暑日である。
外から帰ってきたばかりの少年には、冷房の入っていない部屋の暑さには耐えられないようだ。
それもそのはず、少年は外の気温が35℃をこえる暑さにもかかわらず、長袖の学ランを着ている。
前のボタンを全部空けているが、見ているだけで暑い。
中に着ているTシャツも見えているが、どこで買ったものなのか白地に墨絵の龍が描かれたど派手なシャツである。
両手に指ぬきグローブをつけ、首からは髑髏の形のシルバーネックレスを下げている。
扇風機の前に座りながら、指ぬきグローブを取り、学ランを脱ぎTシャツ1枚になる。
制服のズボンも脱ぎ、短パンに履き替える。
(あ~すずしい~。)
誰もいない部屋で一人くつろぐ。
少年の名は、南條正太郎。
今年から偏差値50の公立高校に通い始めた普通の高校1年生だ。
普通とはいったが、普通ではないところもある。
5年前に両親を交通事故で亡くし、しばらくの間父方の伯父に引き取られた経歴を持つ。
中学校卒業までは、伯父の家に居候をして面倒を見てもらっていたが、高校入学と同時に家を出された。
伯父の家には正太郎の3歳年下の従妹がいて、家族のようであるとはいえ年頃になるのに一つ屋根の下で過ごすのはまずいだろうと、伯父と相談の上で家を出て一人暮らしをしているのであった。
両親の遺産は伯父が管理をしてくれていたので、問題はなかった。
が、高校入学と同時に今後はすべて自分でやりなさいといわれ、学生ながら試行錯誤をしつつ何とか生活をしていた。
自由に使えるお金が、突然増えてしまい戸惑ってしまったが、生来のけち根性があったので大きな無駄遣いはしなかった。
ただ、14歳のときに発症してしまった中二病により、高校生には大金であっても中二病グッズだけは集めてしまっていた。
それを見た従妹には壮大な無駄遣いと怒られてしまったのは、1ヶ月前のことだ。
(暑かったなー。こんなに暑いんだから、登校日なんてやめてしまえばいいのに。先生たちもつらいだろうに。)
1学期しか付き合っていないが、ちょっと頭髪が淋しくなってきている担任を思い出す。
正太郎の担任は、野球部の顧問も兼任しているのでユニフォーム姿のままで教室に来たが、直前まで部活で帽子を被っていたせいか、汗でびっしょりの頭髪が無残に見えたのは気のせいではなかった。
(ふふふ。笑っちゃいけないんだろうけど、思い出すとやばいな。ふふふ。)
しばらくすると、冷房が効いてきたのか室内の温度も下がってきた。
正太郎も汗が引き、動く気になったので、冷蔵庫から麦茶を出しコップに注ぐ。
(さて、今日はどうするかな?バイトの時間までまだあるし、ひさしぶりに小説でも書くかな。)
正太郎は、たまに小説を書き、投稿している。
自分の心の赴くままに、好きな世界観を好きな言葉で好きに表現することが大好きだった。
前回書いたのは1ヶ月前でタイトルは『邪神ダーティナイトメア招来につき聖光ジャスティスボンバー光臨』約10万文字を超える大作にもかかわらず閲覧数は10。
感想どころか批判もない以前に、タイトルからして一般人には読まれることもないだろう代物であった。
内容も中二病満載であり、完全に自己満足でオレツエーの作品である。
(そうだな。次の新作は流行の異世界召還だな。よし、タイトルは『ホーリーシャイニング・レジェンドオブ稲妻メテオ』だな。おぉー、タイトルからして傑作ができそうだ。よし、やるか。)
正太郎は、パソコンを起動し本格的に書く用意を始める。
小説を書くといっても、原稿用紙に鉛筆で書くなどといった時代ではない。
今では小説がスマホで書けるどころか音声入力すらできる時代だが、正太郎のスマホは伯父のお古であったので入力が重く、正太郎はこれまた伯父のお古のパソコンで書くのが好きだった。
(ふむふむ、書き出しは…うーん『祖はこれにありてホーリーシャイニングなり。我が求むるはただ稲妻メテオ。これは時代をつなぐレジェンドなり。』…おーいい感じ、いい感じ。)
筆が載ってきた正太郎は、普通の人が読むと心どころか何かが痛くなる文を次々と書いていく。
集中力はそれなりにあるのか、わき目も振らずパソコンに向かいキーボードを打っていく。
『…周りを探しても、私はそこにはいませんよ~。みんなの頭に直接話しかけていますからね~。………』
(うん?なんだ。何か聞こえる?)
一心不乱にパソコンに向かいキーボードを打っていたが、声が聞こえて集中力が途切れてしまった。
部屋には誰もいないはずだと考えつつ、不法侵入でもされたかもしくは隣の家か?声の主はどこだと部屋を見渡す。
(誰もいない。気のせいか?)
首をひねりつつ、パソコンのモニターに向かいなおす。
『…お、これでみんな聞ける状態になったね。いやね、日ノ本のみんなに声を聞かせるのは、初めてじゃないんだけどね。………』
(いや、気のせいじゃない。何だこれ?)
『…お前は誰だ、神なのか?宇宙人なのか?とか私のことを聞きたい人が多くて困っちゃう~。………キャハハハ。』
ブルッ。
(こ、これはもしかして、俺の隠れた才能。俺にはもう一つ人格があったのか?選ばれし存在だったのか!)
笑い声が聞こえると同時に寒気がして震えたが、正太郎は自分の隠れた才能を見つけたから身体が喜んでいると勘違いした。
(す、すばらしい。俺にははっきりと声が聞こえる。こんな能力を俺は持っていたとは。)
『…輝く存在を観るのが、私の趣味なのに~。………』
(俺のもう一つの人格はまるで神のようだ。ま、まさか、俺は神を宿していたのか?誰かが俺の身体に神を封印したというのか?はっ、もしかして両親か?俺の家系は神を封印する由緒ある血筋なのか?)
頭に響いている声に対し、正太郎はあまりにもひどい勘違いをしていた。
『…さぁみんな、教えて欲しい人は、肉体を使ってもよし、心の中でもよし、手をあげて。………』
(これは、まさか罠か!俺のもう一つの人格が、俺の身体をのっとろうとしているのではないか!のこのこと手を上げようものなら、瞬く間に俺の身体は声の主のものになってしまうのでは?いかん。そんなことはさせんぞ!俺の身体は俺のものだ。)
正太郎は、肉体的にも精神的にも手を上げようとはしななかった。
『…お~~~。手を上げてる人が9割超えているよ。すごいねぇ。………』
(ふっ。ほかの人に話しかけるような感じで話しているようだが、俺はだまされないぞ。声の主は俺の身体を狙っているな。身体の主導権は譲らんぞ。)
『…というわけで、さっき手を上げなかった人たちはここまで~。………』
(俺の身体はあきらめたようだな。…あぶなかったな。俺が気づかなかったら、俺の身体は声の主のものになってしまうとこだった。)
『…あ、でも自分で言うのもなんだけど、私って優しいんですよ~。………』
(しかし、この声の主は神なのか?なら、俺に隠された能力はなんだろう?神を封印しているのなら、俺の身体には何かしらの特典があってもいいのでは?封印されし神の力〈ゴッドフォース・エナジーバースト〉とか使えないのかな?)
封印されし神の力〈ゴッドフォース・エナジーバースト〉は、『邪神ダーティナイトメア招来につき聖光ジャスティスボンバー光臨』の中で主人公ゴッドマグナムが使う必殺技のことである。
効果は、使われたら相手は死ぬ。
というか、昇天する。
なんともいえないが、とにかく色々ひどい必殺技である。
『…じゃあ、手を上げなかった人たちの未来を祈ってぇ~。手を上げなかった人たちは、ばいば~い。』
ぶっつん!!!
(いったっ!なんだ、これ。)
声が途切れたと同時に、正太郎の頭に衝撃がきて倒れてしまった。
頭の中で何かが暴れているような痛みだった。
(ぬお~!頭が痛いー!し、死ぬ、しんでまうから~!)
両手で頭を抱え、悶絶しながら右に左に暴れまわる。
現実時間で1分ほどで頭痛は治まったが、正太郎の体感としては永遠にも感じられた。
(ふぅ。痛かったぁ。なんだったんだ?)
頭を抑えたまま上半身を起こすが、痛みに耐えていたせいか顔中汗だらけだった。
(あれ?何で、倒れたんだっけ?)
正太郎は、謎の声のことも謎の声が話していたことも何も覚えていなかった。
(???頭痛が痛かったんだが(笑)?脳卒中とか、悪い病気じゃないよな?)
何も覚えていないため、もしかして自分が悪い病気にでもかかったかと少し心配し始めた。
が、まぁいいかと生来の能天気な考えもあり、気にするのをやめた。
(さて、続きでも書くか。……え~と、”自らは大地に根付いた稲妻メテオの末裔。ヘルジャスティスの名に誓いローリングゴッデスを守らんとす。”)
まず理解してもらえないだろう小説の続きを嬉々として書いていく。
キーボードを打つ音は止まらない。
☆
今まさに、日本はすべてが変わっている真っ最中であった。
新たな生き方を求められ、その原因だけでなく目的も語られているその時間に、正太郎はまったく気づくことなく小説を書いていた。
正太郎は、あの日のことを後悔し続けている。
今もそしてこれからも悔やみ続けるだろう。
あのとき、中二病さえ発症してなければと。
若さゆえの過ちといいたいが、取り返しのつかない過ちになってしまったと。
原因は笑い話のようだが、本人的にはまじつらたんと。