一日一回ログインボーナス
水平線から徐々に青みを増していく空に、入道雲が堂々と浮かんでいた。
彼は「疲れた」と呟いて、加熱されたアスファルトに腰を下ろした。水が半分になったバケツと、着火用のライター。蝋燭を持参した台に刺して、すぐにスマホゲームに熱中し始めた。
「お疲れ様」
粒になった汗が首筋に浮かぶ。日焼け痕がシャツの形にくっきりとついている。いかにも夏の男の子、って感じがして微笑ましい。
「これぐらいやれば大丈夫だよな」
「うん、充分だよ」
彼はこちらを見ないで、スマホの画面を繰り返しタップしている。画面の向こうでは、ゾンビのようなモンスターが次々に経験値になっていた。
見たことないゲームだ。今はこういうのが流行ってるのかな。ぼんやり眺めているうちにステージをどんどんクリアしていく。爽快だけど、私は少し苦手なジャンルだ。
「スタミナ使い切ったー」と彼は満足げに呟いて、また新しいゲームを起動する。
上から画面を覗き込む。これは知ってる。昔からずっとあるスマホゲームで、私もよくやっていた。確か、課金しないと勝てなくなってやめたんだ。彼はまだ続けてるんだな、と感心する。
「通算ログイン800日目! ダイヤ5個プレゼント!」と、ツインテールの女の子が画面の中で笑っていた。メインヒロインだけど性格が良すぎてどうも好きになれない、と彼が言っていたことを思い出す。
彼はボーナスを素早く受け取った後、近くの台にスマホを置いた。
「あれ、やらないの?」
「暑くてやる気しない、やめた」
「もう」
アブラゼミの声が遠くから聞こえる。ここは丘だけど、海が良く見える。すぐそこが崖だから子供だけで行ってはいけない、と母からきつく言われていた。けど、どうしても海が見たくて、結局二人で何度も抜け出して怒られたのはいい思い出だ。
「ログインボーナスっていいよな」
額から汗を流して、彼は顔を上げた。程よく焼けた丹精な顔立ち。小さいころから一緒にいるのに、彼だけ先に大人になってしまったみたいで、なぜか悔しい。
「どういうこと?」
「だって、ログインするだけで便利なものがもらえるじゃん。俺、思うんだよ。人生にもログインボーナスがあったらなーって」
「なにそれ」
私は苦笑する。
「毎日朝起きたらログインボーナスゲット。それはお金だったり、お菓子だったり、ランダム。ごくまれに超次元的な物がもらえて、運よくもらえたら人生安泰みたいな。そんなんだったら楽しくない?」
「いいな、私もそんな人生送ってみたいよ」
どこかのSFにありそう。そう思ったけど、私はあえて黙っていた。
彼は勢いをつけて立ち上がる。おもむろにライターを持って、私の方に向けた。
「俺、絶対欲しいボーナスあるわ」
「何?」
ライターのボタンを押す。淡く頼りない光が、照りつける太陽光の下で確かに輝いた。
「一度だけ過去に戻れるボーナス」
蝋燭にともった火が揺れる。水で洗われすっかり綺麗になった墓石をもう一度眺め、彼は満足そうに頷いた。「東野家」の文字に伸ばした手が、私の胴体をあっけなく通過する。
「今でも思うんだ。あの時もし海に近づこうなんて言わなかったら、姉ちゃんが落ちそうな俺の手を引っ張らなかったら、って」
文字を愛おしそうにさする彼の、眉を下げて笑う顔が痛々しくて。私はとっさに拳を握る。
もう二度と触れ合えない。話せない。分かっていたはずなのに、どこにもない心臓がぎりぎりと痛んだ。大きく吹いた風が彼だけを揺らして、涙が浮かんだ目元を露わにする。
「なんてね」
茶化した彼の声は、少し湿っていた。
ぴったりと合わせられた両掌。誰に向けられているかなんて、考えるまでもない。
「おかえり、姉ちゃん」
スマホの画面には、最終ログイン2年前と書かれた私のアカウントが、フレンド枠にたった1人表示されていた。