その文化の特質は、自然崇拝にありました
その文化の特質は、自然崇拝にありました。
海や川、山や森といった自然そのものを信仰の対象としたのです。その中でも、特に木々をその文化では重視したようです。それは恐らくは、農耕を中心とする社会を営んでいたからでしょう。豊かな森が、豊かな農地を支えることを経験的に知っていたからではないかと考えられます。
ただし。
自然はあまりにも広大です。崇拝する為の具体的な対象が定め難い。だからその社会の人々は、自然の中に目印をつけ、そこに自然霊が降り立つとし、祈りを捧げる対象としたのでした。
そうやって生まれた信仰体系は、様々な文化を形成し、宗教的な儀式を生み出していきました。
“宗教儀式”と聞くと、愚かな迷信で意味がない、と中には考える人もいるかもしれませんが、決してそんな事はありません。確りと合理性があるものも多いのです。
例えば、本来は宗教儀式である野焼きは雑草を燃やして灰にする事で農地の肥料とする上に、病害虫対策にもなりました。その農地で最も品質の良い米を霊に捧げるといった事も行われていましたが、その米は翌年の種もみとなるのです。当然それには米の品種改良の効果があります。先にも書きましたが、聖地として森を守る事には豊かな農地を支える効果がありました。
そして、やがてその“信仰”を持った社会は徐々に大きくなっていきました。すると、当然、宗教の規模も大きくなっていきます。当初は目印程度に過ぎなった“自然霊の降り立つ場所”は、やがては立派な社となり、人々はそこに祈りを捧げるようになっていきました。もちろん、どんなに立派になってもそれは飾りに過ぎません。本当に重要なのは、信仰対象である自然そのものです。
ところがです。
その辺りから“信仰”は、少しずつおかしくなっていってしまったのでした。社などの装飾ばかりが有難がられ、本来の信仰の対象である自然が軽んじられる傾向を生み出してしまったのです。
その場所には人が集まったので、結果として商業が栄える事になったのですが、その中に“自然崇拝”の意義がどれだけあったのかは分かりません。或いは、ほとんど認識されていなかったのかもしれません。
そして。
時代は更に流れます。その社会に工業化の波がやって来ました。単なる目印に過ぎなかったはずの社は残りましたが、その過程で本来の崇拝の対象であるはずの多くの自然は削り取られていきました。
しかし、それでも、信仰は続いたのです。ただし、人々は何を自分達が信仰しているのかを最早理解してはいなかったのかもしれません。だから、自然をどれだけ破壊しても、自然をどれだけ軽んじても、何ら恥じ入ることなくその社に祈りを捧げ続ける事ができたのでしょう。
やがて、その社会は原子力発電所と呼ばれ究極の自然破壊とすら言える発電所を建設し始めてしまいました。
しかも、その建設を進める人の一部は“伝統を重んじるべきだ”と主張していたのです。果たして彼らは何をもってそう言っているのでしょうか? それは彼らが祈りを捧げている社の本来の崇拝対象である“自然”を破壊する行為であるというのに。
もちろん、その社会から既に自然の重要性が喪失しているのであれば、まだ話は分かります。
どれだけその信仰の本来の姿を失っていようが、機能的に問題がなければそれでいいではないか。
しかし、それは本当にそうなのでしょうか?
社会の機械化が進んでも、農地の重要性が失われた訳ではありません。人々が食糧を得る為には相変わらず、農地に頼る必要があります。そして、その本来の信仰には、その農地を守る効果があるのです。
歪に発展してしまったこの社会が、果たしてどんな結末を迎えるのか。それに不安を覚えたとしても、何に祈れば良いのか。それすらも今の私達には、もう分かりません。